『COPPELION』

SFファンタジー。

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COPPELION - Wikipedia
COPPELIONとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。井上智徳著の漫画『COPPELION』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は鈴木信吾。アニメーション制作はGoHands。ある事故によって汚染された旧首都を舞台にして、遺伝子操作された特殊な力を持つ女子高生が活躍する近未来SFファンタジー。本来は2011年に放送予定だったが、同年に発生した東日本大震災の影響で延期になり、二年後、震災を想起させる描写を削った上で放送された。そのため、序盤を中心に原作とは異なる点が多くなっている。

・設定


 近未来、荒廃した東京を三人の女子高生が歩いていた。彼女達の名は「コッペリオン」。遺伝子操作により放射能に対する耐性を持って生まれた特殊な人間。彼女達の任務は、二十年前の原発事故によって放射能汚染された東京に取り残された人々を捜索し、救出すること。そして、被災地の実態を世に知らしめること。
 とまぁ、このように紹介文だけを見ると大層面白そうなのだが、先述の通り、本作は東日本大震災の被災者に配慮して、原作漫画から設定が大幅に変更されている。東京ではなく「旧首都」、放射能汚染ではなくただの「汚染」。特に放射能に関する要素は徹底的にスポイルされ、放射線の解説や被曝による症状、二十年前に起こった原発事故の詳細などは完全に伏せられている。そのため、物語序盤の舞台説明に係るシーンは全面的にカット。結果、近未来SFを謳い文句にしながらも、設定の詰めの甘さが至る所で露呈し、非常にツッコミどころの多い作品になってしまっている。例えば、放射能被曝の特性が、一定の濃度までは平気だがそれを越えると即死するといったように極めて単純化されており、アニメ版が初見の人は毒ガスか殺人ウィルスにしか見えないだろう。また、劇中に被曝して死に直面する人が何人か出てくるが、放射能の知識が全く説明されないせいで、何に苦しんでいるのかすら分からない。放射能が直接の死因になるのではなく、体内に蓄積されて癌や白血病を引き起こすという観点が抜け落ちている。そのため、非常に一元的な底の浅い作品になってしまっている。
 ただ、かのような不可抗力による設定変更を除いたとしても、本作からは放射能に対する恐怖感があまり伝わって来ないのも事実である。その大きな要因になっているのが、コッペリオン達が身に付けている衣装であろう。百歩譲ってブレザーの制服は許すとしても、普通の通学用の革靴とショルダーバッグはない。彼女達は自衛隊の特殊部隊に所属する正式な救助隊員であり、今後の日本の行く末を占う重大任務を担っている。また、文字通り、彼女達の育成には莫大な費用が掛かっている。ならば、それなりのサバイバル装備で身を固めるのが常識だ。普通の女子高生が特殊任務を行うというビジュアル的なギャップの面白さを狙っているのは分かるが、ここでリアリティを下げてしまうと先の展開にも支障が出る。言い換えると、せっかくのSF描写が台無しになるということである。放射能汚染に配慮するよりも、そういった点に配慮して欲しかった物だ。

・サバイバル


 上記に関連して、本作の抱える別の問題点は「あらゆる要素が作者にとって都合良く配置されている」ことである。例えば、汚染された町で人間が何十年も生きて行けるわけがない。じゃあ、なぜ生存者がいるかと言うと、衣食住に加えてロボットから武器まで何でも揃った夢のようなシェルターがあったからというとんでもなく都合の良い設定を平気で持ち出している。科学技術の功罪を描きたいのは分かるが、下手すると外界よりも住み心地が良いレベルであり、本作が訴えようとしている科学文明批判すら無意味な物にしてしまうだろう。人物配置に関しても、出産について困っていると以前助けた老婆がたまたま経験豊富な産婆だったり、電車が動かなくて困っているとたまたま電気工事の専門家がメンバーにいたりする。登場人物は全て善人か悪人かの両極端で、ほとんどの人が素性の分からない主人公達に対して協力的。シナリオも、ロケット砲一発で墜落するB-2爆撃機や個人の事情で救助ヘリの派遣を渋る総理大臣などが出てきて、非常に都合良く事が進む。特に後者に関しては、敵を下げることで相対的に主人公達の格を上げるというあまり褒められない方法を使っている。こんなことをしなくても、もう少し止むに止まれぬ複雑な事情を作り上げることはできたはずだ。
 「フィクションなんだから、作者に都合良くて何が悪い」と思うかもしれない。だが、本作は荒廃した近未来を舞台にした終末系のSFなのである。そこで最も必要になるのが「サバイバル感」だ。全てが汚染された何もない閉鎖空間に閉じ込められた人間が如何にして生き延び、如何にしてそこから脱出するか。創意工夫を凝らし、ある物は全て利用し、まずは生存することを最優先とする。その際、様々な犠牲を払うことになるだろう。他人を裏切り、仲間を傷付けることも必要になるかもしれない。そういった極限下の精神状態を描けて初めて面白い作品になる。作者の都合が一瞬でも垣間見えた時点で、そこは何の苦悩もないパラダイスになり、「生きること」に対する価値が下がってしまう。
 もう一つ気になるのが、原発事故からの二十年という長い年月が全く感じられない点だ。アニメ版では二十年という具体的な数字自体がカットされているため、何年立ったのかさえ分かり難い。暗い土の底で二十年間、放射能という恐怖に怯えながら生き延びてきた人間がどうなるか。心身共に正常でいられるはずがないのだが、本作に登場する主要人物のほとんどが健康その物で外界の人間と大して変わりがない。それではこの設定を持ち出した意味が何もないし、上記のように放射能に対する恐怖感が失われてしまうだろう。

・人形


 主人公達「コッペリオン」は、遺伝子を操作され汚染耐性を持って生まれた特殊な人間である。全員が誰かのクローンであるため親はいない。生まれた時から政府の管理下にあり、将来、政府の駒となって働けるように特別な訓練を受けてきた。そのため、普通の人間が当たり前のように享受している普通の幸せを知らない。しかも、作られた人工生命であるがゆえに寿命は短い。まさに「人形」である。本作はそんな人形達がどう生きるべきかを描いた作品である。ある者は人間に従うことを自分の運命と受け入れ、ある者は自分の生きた証のために人間に反乱する……といったテーマが、「第一話」でコッペリオン「本人」の口から語られる。残念! そのテーマ自体は間違っていないし、しっかりと描けば深みのある良い作品に仕上がるだろう。ただ、それは長い時間をかけて慎重に結論を出すべき物であり、決して物語の冒頭で人形自身が口にする物ではない。
 何が悪いかと言うと、救助活動へ出発する前にすでに主人公達が自分自身の境遇に対する「意見」を持っていることである。意見と感情は違う。多くの人に会って多くの経験を積み、様々な情報を吸収して、それを自分の中で昇華して初めて意見になる。適当に生きている人間は周囲に流されることしかできない。それゆえ、個人的な意見を持っている時点でもう彼女達は人形ではないのだ。考えてみて欲しい。汚染された旧首都で活動するための道具として、日本政府がコッペリオンを作った。だとすれば、当然、彼女達を育てた教育機関では、優秀な道具となれるように思想を統一する洗脳教育を行うだろう。国家に対して忠誠を誓い、それを最上の喜びだと教える。そのためなら自己犠牲も厭わない。哀しいことに、そういった洗脳が極めて「簡単なこと」なのは歴史が証明している。そんな彼女達が自分の生き方に対して意見を持つなどあり得ない。実際、人間を裏切って世界を破壊しようと画策するコッペリオンも出てきているのだから。
 例えば、漫画『GUNSLINGER GIRL』では、国家のための暗殺者であるヒロイン達には「条件付け」という名の洗脳が施され、彼女達の管理官である男性を無条件で慕うように教育されている。つまり、自分の意見など何も持っていない本物の人形なのだが、それでも彼女達の行動を見て読者自身が人間の幸福とは何かを考えることができる。本作もそうすべきだったのではないだろうか。少なくとも、出発時点では全てのコッペリオンが同じ思想を持っていたが、旧首都の悲惨な実情に触れ、自らの生き方に疑問を抱き始めるとすべきだっただろう。

・SFファンタジー


 第七話、救助活動を続ける主人公達の前に新たな敵が現れる。コッペリオンの一員でありながら、自分達の境遇に悲観して人類に牙を剥くことを決意した二人組、通称小津姉妹。彼女達は人を人とは思わぬ残忍性と目的のためなら手段を選ばぬ凶暴性を有していた。なぜなら、二人は連続殺人犯のクローンだったから、というこの設定はアウトである。遺伝子に人格が決定付けられるという科学的根拠はなく、SFでこれを持ち出すなら最終的に劇中で否定されなければならない。また、姉妹の一人は超人的な怪力の持ち主で、もう一人は電気ウナギの遺伝子を移植されたため自ら放電することができる。完全に魔法である。最終的には巨大ロボットなども登場して、本作のジャンルがSF(サイエンス・フィクション)からSFファンタジー(サイエンス・ファンタジー)へと一気に変容する。
 両者は似て非なる物だ。SFはあらゆる事象が科学で裏付けされる必要があるが、SFファンタジーは科学的なエッセンスさえ感じられれば、後は全て「何らかの未知のエネルギー」で片が付く。言い換えるとSFは理性の物語であり、SFファンタジーは感性の物語ということになる。その証拠に、小津姉妹が登場した辺りから物語が非常に観念的になる。もっと分かり易く言うと、説教臭くなる。自ら問題を提起して、それを口頭で批判する。都合良く障害物が現れ、それを自己犠牲で突破する。そんな浪花節の展開が五分ごとに延々と繰り返され、非常にくどくどしい作風になる。訴えたいのは科学文明批判や政治批判や資本主義批判等々。もちろん、言っていることは何一つ間違っていない。だが、それらは全て「見れば分かる」ことである。放射能に汚染されて荒廃した町を見れば、科学主義に傾倒するとしっぺ返しを食らうことぐらい分かる。わざわざ登場人物に語らせる必要はない。むしろ、何も語らずに人々の表情で訴えた方が余程胸に突き刺さるだろう。誇張とデフォルメに優れたアニメーション表現ならば、それはより良くできるはずだ。
 さて、最後になるが、これは絶対に書いておかなければならない。全体的に声優が下手だ。主人公の聞くに堪えない下手くそな関西弁を筆頭に、どのキャラクターを取っても違和感が大きい。いずれもネームバリューのあるベテラン・中堅声優ばかりだが、ちゃんと適材適所でキャスティングしないとこうなるという見本である。

・総論


 少し厳しいかもしれないが、やるべきことを何もやっていないという点で低評価とした。震災被災者に配慮するのは当然だとしても、それで物語の本筋を失ってしまっては何の意味もない。不謹慎だと思うなら、アニメ化自体をしないことだ。

星:☆(1個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 09:52 |   |   |   |  page top ↑
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