『Charlotte』

破綻。

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Charlotte - Wikipedia
Charlotte(アニメ)とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。オリジナルテレビアニメ作品。全十三話。監督は浅井義之。アニメーション制作はP.A.WORKS。中途半端な特殊能力に目覚めた少年少女を巡る戦いを描いたSFファンタジー。原作・脚本・音楽を担当したのは『Angel Beats!』でお馴染みの人気シナリオライター・麻枝准。タイトルの「Charlotte」とは、彼の好きな歌手の曲名であって、それ以上でもそれ以下でもない。

・第一話


 先に結論を書くと、本作は非常に特殊な設定をベースに作られているが、あまりに土台が脆弱なため、増築に次ぐ増築で補強を重ねた結果、見るも無残な違法建築物が出来上がってしまったような作品である。
 主人公は五秒間だけ他人に乗り移ることができる特殊能力保持者。その能力を駆使して、成績トップでエリート高校に入学する。成績トップ? ただのカンニング能力でどうやって一番になれるのだ? この時点で早くも設定が破綻しているのだが、そこは気にせず話は進み、主人公はその偽りの実績をバックにして傲岸不遜な態度で高校に君臨する。本作最大の問題点は、この主人公の歪んだ人格を決定付ける設定的な根拠が何もないことである。主人公が自己中心的で傲慢な性格なのは、物語の後半で自己犠牲を行って人間的な成長を描くための伏線なのだが、肝心の主人公がなぜそのような性格になったかの理由付けがないため、感動も何もない。普通に考えると何らかのコンプレックスの裏返しなのだろう。両親のいない寂しさが心を歪めたと取れなくもないが、ここはしっかりと具体的に描かなければ意味がない。彼は誰もが認めるイケメンであり、演説も巧み。そんな人間が不正を働いてまで名声を得ようとする動機が何もないため、今のままではただの「嫌な奴」でしかなく、視聴者の感情移入が難しくなる。さらに、物語が進むごとに彼はキャラがぶれまくり、ありがちな「やれやれ系」主人公まで堕ちたかと思えば、突然ダークな本性を露わにする。もし、これで複雑な人間の心理を描けたと思っているなら大間違いだ。これではただの多重人格者である。
 そんな主人公だったが、別の能力者にカンニングを見透かされたことで失脚し、能力者ばかりを集めた高校へと強制的に転校させられる。番組開始十五分のことである。その後は妹とののんびりとした日常話で残り十分を埋める。意味が分からない。普通のアニメなら、学校と家の生活を交互に描きながら主人公がどういう人間であるかを示し、第一話の最後に能力がバレて転校という流れになるだろう。なぜ、セオリーを無視してまで構成を逆にしたのか。はっきり言って謎である。要するに、本作の脚本家は劇中で描くべき物とそうでない物の判断が全くできていないのである。「アニメの脚本に慣れていないから」で済むような話ではないし、それならそれで監督やストーリー構成担当が適切に修正すべき案件だと思うのだが。

・第二話~第八話


 第二話。転校先の高校で主人公は生徒会に入れられる。そこはクラスメイトのヒロインが生徒会長となって全てを取り仕切っていた。なぜ、高校一年生が生徒会長なのか、理由は本編中でも述べられているが正直苦しい。これもまた設定の穴を無理やり埋めた結果であって、今後も似たような苦肉の策が延々と続く。その生徒会の目的は、主人公のような能力者を探し出して、研究者に見つかる前に高校で保護すること。詳細は不明だが、何らかの公的な研究団体が日本中から能力者を集めて人体実験を行っているらしい。『Angel Beats!』でもそうだったが、本作の基本理念は「理不尽な社会に対抗するために自分達で楽園を作って好き勝手にやる」である。ただし、肝心の理不尽な社会が全く描けていない。能力者が人体実験されているという現実も作者が勝手に作った独自設定に過ぎないため、一般人にはピンとこない。すると、「好き勝手にやる」という面だけが強調され、実に不快な物になる。例えば、生徒会を私物化しているのもそうだし、ちょっとした悪ふざけで救急車を呼んだりもする。かと思えば、自分達のことは棚に上げて、同じく好き勝手にやっている要救助能力者を上から目線で説教する。どちらが作者の本音なのかは言うまでもない。
 第六話。妹が死ぬ。いや、マジで。そのことで主人公が自暴自棄になり、社会からドロップアウトする。すると、作品の雰囲気が一変し、反社会的なバイオレンスアニメになる。物語の途中で突然シリアスになる作品は多いが、ジャンル自体が変更になる作品は珍しい。まともなクリエイターなら絶対にやらない。結局、ヒロインの献身的な働きによって主人公は社会復帰するのだが、その方法が非常に浅い。しかも、「学校に戻ろう」ではなく「生徒会に戻ろう」である。誰も邪魔しない楽園からまた新たな楽園に移動しただけで、そういうのを社会復帰とは言わない。
 第八話。主人公が道を歩いているとたまたま某重要人物と出会う。もう一度言う。道端でたまたま重要人物と出会う。そして、その人物の力により精神病院に入院していたヒロインの兄が自我を取り戻す。ジーザス! 何と言う奇跡! 安過ぎる! とまぁ、この第二話~第八話の一連の流れは、設定がどうのこうの以前に単純に物語としての質が低い。ギャグも全体的にスベり気味で、敬語キャラが身近に四人もいるなど人物配置も悪い。『Angel Beats!』であれだけ叩かれたのが堪えたのか、設定の齟齬自体は減っているのだが、それで物語の面白さまでも失っては意味がない。クリエイターたる物、あまり世間の目を気にし過ぎてもダメということなのだろう。

・第九話~第十一話


 第九話。この回より怒涛のネタばらしが行われる。これまでのことは全て主人公の兄が仕組んだことだった。彼はタイムリープ能力保持者であり、かつて兄弟共々研究者に捕えられていたのだが、主人公の助けにより施設からの脱走に成功し、その能力を駆使して資金を集め、特別な学校を創立して能力者を研究者の魔の手から救おうとした、ということらしい。ご覧の通り、ここからは単純な設定上の矛盾に加え、「タイムパラドックス」という新たな矛盾まで抱えることになる。本作のタイムリープ能力は、本人の記憶だけを過去の自分に飛ばす能力である。そんな絶対に本人にしか分からないはずの能力をどうやって他人が知り得るのか。他の能力者の密告があったにしても、能力が発動して初めて能力者になるわけで、それだと本人にすら能力が分からないということになる。また、タイムリープで金策という設定も苦しい。ロト6や株だけで、本当に国家権力に対抗できるだけの資金が稼げるのか。それは「未来は変わらない」という前提があって初めて成立する物であり、これから「未来を変えよう」としている彼らの行動と矛盾する。さらに言うと、なぜ学校を作ると能力者を匿えるのかもよく分からない。能力者の存在を世間から隠蔽するためには、徹底した管理教育を施さないといけないはずで、そんな物は逆に不自然極まりない。そもそも、そんな描写自体がない。まぁ、それ以前に敵である研究者とやらの実態がよく分からないので、あらゆる点が想像の域を越えないのだが。
 なお、上記の設定ミスは言ってみれば裏の要素であり、無視しようと思えばギリギリ無視できる物である。しかし、ただ一つ、絶対に無視できない大きなミスも存在する。それが「主人公がタイムリープによって消されたはずの未来の記憶を持っている」ことである。彼はなぜか聴いたことのないはずのバンドの新曲を知っている。それは以前、施設に収容されている時に聴いたことがあったから。しかし、その時間軸は主人公の兄によって消されているのだから、絶対に覚えているはずがないのである。もちろん、いろいろとオカルティックな解釈はできる。タイムリープしたら全ての人類の記憶が受け継がれるのだが、明確に覚えているのは主人公兄弟だけという設定なのかもしれない。だが、大事なのは、それがストーリー上の極めて重要な「伏線」であることだ。伏線と言うからには、誰が見ても一目で理解できるような分かり易い物でなければ意味がない。そうでないとただのミスリードになってしまう。それはもうSF作家としてのセンスの問題だ。もし、これが新人文学賞なら、あらすじ読みの段階で跳ねられるような稚拙なプロットである。作っている人達は誰もこれをおかしいと思わなかったのだろうか、本当に不思議でならない。

・第十二話~第十三話


 第十二話。この回からいきなり話が世界規模に飛躍する。主人公達のような能力者は日本だけではなく世界中に存在する。彼らの力をテロリストが利用したら世界は破滅する。だから、主人公達がどうにかしないといけない、と……いや、まぁ、確かにそうですが。ただ、主人公達の当面の敵は、能力者を人体実験の材料にしている日本の研究者だったはずだ。そこに対する反撃を何もしないまま、唐突に目標を切り替えられても反応に困る。そもそも、物語における「敵」とは、ただ単なるストーリー上の障害物ではなく、その作品の目的やテーマが具現化した物である。だからこそ、主人公以上に丁重に扱わなければならない。本作の作者には、そういった基本的な国語能力が欠けているため、終始不安定で落ち着きのない作品になるのである。
 さて、我らが主人公達は、崩壊寸前の世界を、いや、作品を救うためにどうしたか。彼らの選んだ方法は、何と「主人公が世界を飛び回り、全ての能力者から力を奪う」という物だった。この面白さをお分かり頂けるだろうか。要するに、彼らがやろうとしていることは「破綻した設定の後始末」である。土台の計算が狂っているため、このまま突き進むといつか必ず破滅する。しかし、何らかの大きなイベント(例:彗星をミサイルで爆破)を起こして無理やり問題を解決したところで「超展開」の誹りを免れない。ならば、一つずつ細かい穴を潰していくしかない。そういった極めて人海戦術的で「地道」な作業をやろうというのである。もう、アホかと。先程の違法建築の例で言うなら、設計ミスで強度不足が明らかになった巨大建造物の一万本の柱を、一つ一つ耐震補強していくような物だ。どう考えても、最初から作り直した方が早い。
 最終回。自分の足で世界中を飛び回り、一人ずつ能力者から力を奪っていく主人公。地球の陸地面積は約一億五千万平方キロ。国の数は約二百。総人口は約七十億人。まさに砂漠で一本の針を探すような行為。数年後、ついに使命を果たした彼は、自分が誰か分からないぐらいボロボロになって日本に帰ってくる。そこでヒロインと再会する。感動の対面。どこからか流れてくる美しい挿入歌。告白するヒロイン。そして、爆笑する視聴者。はっきり言って、このシーンは長いアニメ史の中でも十指に入るほど面白い。いや、笑ってはいけない。そこにいるのは、自分の身を犠牲にしてまでストーリーが破綻するのを守った真の漢の姿だ。称賛と労いの言葉で迎えてあげようではないか。決して「自業自得だろ」と言ってはならないのである。
 ちなみに、この第十三話は1クールのアニメの最終回として見るとゴミクズだが、それ単体の作品として見ると、実に痛快なサイキックアクションムービーである。P.A.WORKSは、この回だけを1クールに分けて放送すべきだったのだ。タイトルは『Charlotte』のままでいい。どうせ内容とは何の関係もないのだから。

・総論


 『Angel Beats!』が『CASSHERN』だとするなら、この『Charlotte』はまさに『GOEMON』。これからも稀代のクソアニメメーカーとして頑張って下さい。

星:★★★★★★★★(-8個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
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