『のんのんびより』

田舎。

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のんのんびより - Wikipedia
のんのんびよりとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。あっと著の漫画『のんのんびより』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は川面真也。アニメーション制作はSILVER LINK.。過疎化した集落の分校に通う子供達ののんびりとした生活を描いた日常系アニメ。内容が分からなくても、とりあえず「にゃんぱすー」と言っておけば話題に乗れる。

・日常系アニメ


 もう何度も取り上げているが、日常系アニメとは、我々の住む平凡な社会の中に人為的に楽園を作り上げ、その保護された空間内で自由気ままに過ごす子供達の日常風景を淡々と描いた作品である。楽園には気の合う仲間達しか住んでおらず、邪魔をする者は誰もいない。そんな理想の光景を見て、日々の社会活動に疲れた人々が気持ち良く現実逃避するのが役割である。ただし、あまりにも楽園の非現実感が過ぎると、視聴者がその世界の中に上手く入り込めないため、ある程度のリアリティが必要になる。だが、そこが一番難しい。人を集めることは可能だが、場所を確保するのが容易ではない。例えば、他のアニメでよくあるように、生徒会を私物化することは現実的にほぼ不可能だし、部活なら厳しい顧問や嫌な先輩がいる。新しく部活を作るにしても、その行動力と積極性がある人間なら最初から現実逃避用の楽園など必要としないだろう。では、ある程度のリアリティを保ったまま楽園を作り上げるにはどうしたらいいか、そう考えた本作の作者は、ある起死回生の斬新なアイデアを持ち出すことで不可能を可能にしている。現実社会の中に自分達しかいない空間を作り上げるのが困難なら、端から自分達以外の人間を消してしまえばいい。つまり、極めて人間の数が少ない世界を用意すればいい。そんな場所は現代の日本に存在するのか? 答えは是だ。数自体は非常に少ないが、確かに存在する。それが「田舎」である。
 本作の舞台は日本のどこかにある地方の町。過疎化が進行し、家はまばらで田んぼと畑がどこまでも広がっている。町には小中が併設された分校が一つ、全校生徒はたったの四人、それぞれ中三・中二・中一・小一。そこへ小学五年生の女の子が東京から転校してくる。最初は都会と田舎のギャップに戸惑いつつも、すぐに慣れて仲良しになる。こうして、学年の違う五人の子供達の楽しくも穏やかな日常が幕を開けるのだった、というのが本作の趣旨である。ご覧の通り、楽園の範囲を町全体に広げることで、リアリティを保ちつつ不整合をなくしている。かなり卑怯な手段ではあるが、これと言う非現実的な特殊設定を用いず、今ある物だけを使って何とかしようとする発想自体は面白い。一見、かつての雰囲気アニメに先祖返りしたようだが、そこは日常系アニメ、親に相当する世代はほとんど出て来ないし、訴えたいテーマも希薄、とにかく何もない田舎町を舞台にして美少女グループがダラダラと過ごすだけ。それが良いことか悪いことかの判断は難しいが、特にモラルに反しているわけでもなく、田舎を小馬鹿にするような描写もないため、取り立てて大騒ぎする必要はない。それは逆もしかりで、無理やり持ち上げるような作品でもない。どこまでも普通の日常系アニメである。

・世代


 さて、そんな本作と他の日常系アニメの最大の相違点は、楽園の範囲を町単位に拡大したことで、キャスティングの範囲までもが拡大していることである。他のアニメだと普通は同学年の仲の良い友達同士、広くても同じ部活仲間の三学年分が登場人物の範囲になる。一方、本作は田舎の分校をそのまま舞台にしているため、小学一年生から中学三年生に至るまで分布している。その範囲は九学年分。それに加え、近所に住む学校の卒業生もちょくちょく話に絡んでくるため、登場人物の年齢層が非常に幅広い。ここまで離れると完全に「世代」自体が違ってくる。世代が異なるということは、世間の流行や趣味、共有する思い出や記憶、さらには物の考え方までもが異なるということだ。例えば、同じ物を見てもそれぞれ感想が違ってくるだろうし、社会正義に対する認識も歪みが生じてくるだろう。そういった人々が一堂に会することで、当然、会話のズレや意見の衝突に繋がるのだが、逆に言うと視点が多角的になるということであり、話の面白みや現実感が増す。日常系アニメと言えば、得てして同好の士による馴れ合い物語になりがちだが、こうすることで作品に深みを与えている。
 本作には、小学一年生の宮内れんげという女の子が登場する。小学五年生の一条蛍が転校してくるまで、中学一年生の越谷夏海が一番歳の近い知り合いだった。六歳差である。いくら過疎化した田舎とは言え、そこまで歳が離れると対等な友人関係とは言い難い。どうしても保護する者と保護される者という絶対的な上下関係が生まれるため、同じ価値観を共有することは困難になる。そういう意味で言うと、彼女は間違いなく「孤独」な少女である。同学年の友達が一人もおらず、自分の気持ちを本当に理解してくれる人が周囲にいない。彼女は常に無表情で感情の変化が乏しいため、一見すると何事もなく平然としているかのように思われるが、その本心は堪え切れない寂しさに溢れているはずだ。実際、劇中でも何度かそういった感情を垣間見せる。特に、第四話では田舎に帰省した同年代の女の子との出会いと別れを経験し、初めて涙を流す。本作は、そういった孤独な少女を年長者がどう受け入れるかがもう一つのテーマとなっている。結論から書くと、「田舎だから」皆が彼女を自然と受け入れ、これからも楽しい毎日が続いていくという話になり、本作の楽園感を演出しているのだが……まぁ、どちらにしろ、見ていて幸せな気分になれる作品なので、目的を十分に達成しているのは間違いない。

・田舎


 このように、本作は他にない独自要素を盛り込んでいるため、なかなかよくできた作品であると言える。少なくとも、ただのコピー品とは一線を画している。ただし、それはあくまで日常系アニメとしては、の評価だ。そこからさらに上を目指そうと思うと、絶対に避けては通れない課題がある。それは作品の舞台となっている「田舎」をしっかりと描けているか、田舎と都会の違いをちゃんと区別できているかである。
 まず、ハードウェア的な観点から見てみよう。つまり、本作で描いている田舎の風景は、現実的に正しいのかどうかだ。例えば、本作には昔懐かしい小さな駄菓子屋が登場する。如何にも田舎っぽいアイテムであるが、冷静に考えるとこの手の駄菓子屋は都会にも普通に存在する。むしろ、子供が五人しかいない田舎で駄菓子屋が成立するはずがなく、実際にはあり得ない光景である。また、子供達は二時間に一本しか来ないバスに乗って通学しているという設定である。これも田舎っぽい光景だが、彼女達が通っているのは「分校」である。交通機関が整備されていないから分校が作られるのであって、バスが通っているならそのまま本校に通えばいい。これもまた現実に即していない。なお、全校生徒五人、五学年分の複式学級の学校はそもそも日本に存在しないが、これはアニメ的なデフォルメの産物なので、ここを問題にしても仕方ない。そこまで無粋ではない。
 では、これらの些細なミスがなぜ悪いのか。もちろん、リアルがどうという問題ではなく、制作者が田舎をどう定義しているかの問題である。駄菓子屋の件は、要するにノスタルジーを喚起する昔っぽさこそが田舎らしさであると定義しているわけで、「時間の差」の問題である。一方、バスの件は、物理的な活動範囲の広さこそが田舎らしさであると定義しているわけで、「距離の差」の問題である。時間の差に注目するなら、田舎町に最新の電化製品が溢れているのはおかしいし、距離の差に注目するなら、必須アイテムの自転車が登場しないのはおかしいということになる(※第二期では自転車についても言及されている)。これは一例だが、ここだけ見ても制作者の間で田舎イメージが統一されていないことが見て取れる。何を持って田舎とするか、頭の中にある曖昧なイメージだけで作ってしまうと、どっち付かずの中途半端な物が出来上がってしまうため、準備段階でより慎重な作業が要求される。本作はそれができているとは言い難い。
 もっとも、三十年前ならいざ知らず、これだけ情報と流通が発達した現代において、都会と田舎のハード差を描くのが難しいのは理解できる。何せ、どんな僻地でも一日二日でネット通販が届く時代だ。皆が思い描く田舎らしさなど、もうフィクションの中にしか存在しないのかもしれない。そういう意味では制作者に深く同情する。

・余所者


 続いて、ソフトウェア的な観点で見てみよう。つまり、都会と田舎、そこで暮らしている人々の意識の違いをちゃんと描き分けられているかどうかである。俗に言う「都会者」と「田舎者」はどう違うのか、それを描けているのなら本作は名作と呼ぶに値する作品になるし、できていないのなら凡百の日常系アニメだ。当然、視聴者の大半は都会側の人間になるだろう。いや、本作は田舎その物を理想の楽園だとしているのだから、視聴者全員がそうなる。言い換えると、視聴者と出演者の違いということになる。
 本作の第一話は、小学五年生の一条蛍が東京から田舎町に転校してくるところから始まる。つまり、彼女を媒体にして視聴者を楽園に誘っているわけで、さすがその辺りは抜かりない。そして、蛍は初めて見る田舎ののどかな風景や珍しい風習に驚く。が、その驚きの度合いはあまり強くない。上記の通り、ハード面に田舎らしさがあまりないからという理由もあるが、それ以上に彼女の基本的な性格が小学五年生とは思えないほど冷静で感受性に乏しく、すぐに環境に適応してしまうからという理由もある。もう少し、細かいことに一々驚いてくれないと我々の代表の「都会者」としては厳しい。一方、分校の子供達はと言うと、都会からの転校生に対してさほど不信感を抱くこともなく、十年来の友達のように接している。この馴れ馴れしさはある意味「田舎者」らしいと言えるが、アニメ的にはよくある光景なので特別感はない。むしろ、自分達の町の田舎っぷりを達観している描写は何度も出てくるので、感性は都会者の方に近いと言える。はっきり言って、両者の描き分けはほとんどできていない。これでは田舎を舞台にした意味がまるでない。
 ここで基本に立ち返って、田舎とは何かを考えてみる。やはり、それは「自己完結性」になるはずだ。社会が極端に狭いため、地域内であらゆる活動が完結する。住民が皆知り合いで、山も川も森も知らない物は何もない。それは逆に未知なる物に対する恐怖を生み、いわゆる「余所者に厳しい」という状況を作り出す。その構造は邪魔者を極端に排除する日常系アニメとよく似ている。ただ、問題なのは我々視聴者もまた余所者であるということだ。余所者を社会に招き入れないといけないのに、住民が余所者に厳しかったから困る。子供達が「社交的な田舎者」になっているのも、一条蛍が「従順な余所者」になっているのも、そういう事情があるからだ。結局のところ、日常系アニメという分類である以上、作品としての質を求めるには限界がある、と言わざるを得ない。

・総論


 良作と呼ぶにはいろいろ足りないが、見ていて幸せな気分になれる作品。日々のストレスと戦っている人にはオススメ。

星:☆☆☆☆☆(5個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:51 |  ☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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