『図書館戦争』

無能な味方。

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図書館戦争とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2008年。有川浩著の小説『図書館戦争』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は浜名孝行。アニメーション制作はProduction I.G。表現の自由を守るために武器を持って戦う図書館員達の活躍を描いた近未来SF。漫画化や実写映画化など様々にメディアミックスされている。

・設定


 舞台は架空の日本。時の政権により、社会に悪影響を与える表現を取り締まる「メディア良化法」が制定されてから、三十余年の月日が流れていた。絶大な権限を持つメディア良化委員会は、良化特務機関(良化隊)と呼ばれる武装組織を用いて図書の検閲を行い、その過激な行動は日々エスカレートしていた。一方、メディア良化法と同時に施行された「図書館の自由法」により、図書館にだけは表現の自由が保障され、有害とされた図書を保護する重要な役割を担っていた。だが、数年前に発生した政権の支持者が図書館を襲撃した通称「日野の悪夢」事件を受けて、図書館は「図書隊」なる防衛部隊を創設し、武力を持って検閲への反抗を開始する。こうして、良化隊と図書隊との激しい武力衝突が日々繰り返されるのだった。
 ……えっ、待って。意味が分からないんだけど。表現の自由の規制、それも武力を用いた弾圧などファシズムの中のファシズム、大戦下の軍事独裁国家でもなければやらない悪行なのに、なぜ、そのような狂った国の政府が図書館にだけは特権を与えているのかが全く分からない。しかも、図書館は私設軍隊を整備して国の機関と戦っているという。いや、その予算の出所は税金だろう? 普通は市民のカンパとか外資系企業の寄付とかが、レジスタンスの資金源になるのではないのか。これでは政府が内戦を助長しているような物だ。いくらフィクションでもこれは酷い。視聴者を馬鹿にするにも程がある。
 さすがに理解不能なので原作小説を参照すると、「昭和の政界七不思議の一つ」「恣意的な権限に恣意的な権限をぶつけることでメディア良化法を相殺しようとした」「メディア良化委員会、図書館とともにその根拠法を積極的に拡大解釈し、今となっては両組織の抗争そのものが超法規的性質を持ち、抗争が公共物・個人の生命と財産を侵害しない限りは司法が介入することもない」などと5ページにも渡って詳しく説明されており、一応は納得の行く形になっている。予算の問題に関しても、国(良化委員会)と地方(図書館)の対立として処理されている。ただ、それでも全体的な説明不足感は拭えず、当然、小説と比べて圧倒的に情報量の少ないアニメでは、より設定が空洞化して荒唐無稽さが増す。言い換えると、文章で一から説明しないと成立しないような歪んだ世界観を映像化すること自体が無茶ということである。この一点からも本作の構造的欠陥が見て取れる。

・主人公


 主人公は関東図書隊に所属する新人女性隊員。長身で足が速く、考えるよりも先に体が動くいわゆる脳筋の「熱血バカ」タイプ。最初はミスばかりをしていたが、その勇気と判断力を買われて女性初の特務隊員に抜擢される。彼女が図書隊員になろうと思ったのは、高校時代、本屋で童話を買おうとしていたところを良化隊の検閲に遭い、それを図書隊員に助けられたことで、彼らが「正義の味方」のように感じたから……え、それだけ!? 嘘でしょ。ファシズム国家が三十年以上続いていて、主人公に至っては生まれた時からそういう国体なのに、なぜ、彼女だけが反権力の思想を持つようになったのか、本作の根幹を成す最も重要な部分がこのエピソードからは全く伝わってこない。普通は子供の頃から小説が好きで、本から大切なことをいろいろ教わったとか、父親が作家でその影響を色濃く受けた無類の本マニアだったとか、何らかの明確な理由を定める物だろう。表現の自由に自らのアイデンティティーを重ね合わせているからこそ、理不尽な社会に怒り、その怒りがレジスタンス活動の原動力になるのだから。大元の動機がその程度なので、彼女の言動の全てが感情論であり、言葉に重みがない。実際、彼女は敵を目の前にして銃の引き金を引くのを躊躇したり、くだらない恋愛のいざこざで図書隊を辞めようとしたりする。何の信念もなく、正義と悪の概念をかっこいいかどうかだけで決めているのだから当たり前だ。(注:原作ではちゃんと子供の頃から本が好きという設定になっている)
 そんな脳筋主人公の恋と成長が本作の中心軸になる。と言っても、その内容はベタ中のベタ、厳しい男性教官に対して最初は反発していたが、その誠実さに惹かれて徐々に心を許し、後にその教官がかつて良化隊から主人公を助けてくれた正義の味方の図書隊員だったことが判明して、本格的に恋に落ちるという流れだ。今時、珍しいぐらい典型的な少女漫画展開で、見ているこちらが恥ずかしい。もちろん、それ自体は別に悪いことではないが、問題はそのような頭の緩いラブコメを呑気にやっていられるような状況かということである。時の政府が基本的人権を弾圧し、それに対して武力で対抗しているという世紀末状態なのに、全体的なノリが軽過ぎてその重大さや悲壮感が全く伝わってこない。例えば、『ガンパレード・マーチ ~新たなる行軍歌~』のようにあえて普通の恋愛を描くことで、逆説的に極限状態を際立たせるということもない。そんなに軍隊を舞台にした少女漫画風ラブコメを描きたいなら、適当に警察や自衛隊の物語にしておけば済む話だ。わざわざ特殊な世界観を持ち出す必要はない。

・ディストピア


 以上のことからも分かる通り、本作の最大の欠点は「ディストピアの表現が恐ろしく温い」ことである。と言うより、ディストピアがディストピアの体を成していない。政治や社会の仕組みがよく分からないのはまだいいとしても、街は平和その物で誰も生活に困難を感じていない。市民がメディア良化法を憎んでいる描写もほとんどない。最前線に立つ図書隊員達ですら、良化隊との戦闘がない日は我々と同じようにのんびり陽気に暮らしている。その戦闘にしても、図書館の施設外での発砲は許可制・市街地では戦闘自体が禁止等、法律で厳格にルールが定められており、まるでスポーツ感覚である。戦闘描写も温く、派手にドンパチをしているわりには被害が少なく、味方側には一人も死者が出ていない。劇中で行われる幾つかの軍事作戦も、他のミリタリー系の作品と比べると稚拙で、手に汗握るような緊迫感がまるでない。そのため、運動会の騎馬戦、もしくは『トムとジェリー』チックに「仲良くケンカ」しているようにしか見えず、彼らの本気さが全く伝わってこない。これでは、視聴者が「たかが一冊の本のために殺し合いをしている異様な世界」と感じたとしても、決して彼を責めることはできないだろう。事実、作中で弾圧された「有害図書」には、その程度の価値しかないのだから。要するに、ディストピア描写が温過ぎて、我々自身がこの世界に住むことにあまり拒否感を覚えないということである。むしろ、敵味方が見え難い現実社会の方が生きるには苦労するかもしれない。
 これは細かいことのように見えて、極めて由々しき事態である。なぜなら、本当に表現の自由が大切な物であり、人類にとっての不可侵の権利だと思っているなら、それを抑圧する人や団体を徹底的に「悪」として描かないといけないからだ。もしも、本作のように設定構築の手を抜き、何の恐ろしさも感じない適当なディストピア描写に終始すると、今度は全く逆の意見を訴えることになってしまう。すなわち、表現の自由の弾圧はそれほど問題ではない=「表現の自由はその程度の物」ということだ。それは考え得る限り、最悪の結論である。もちろん、原作者もアニメ版の制作者もそんなことは1ミリも考えていないだろうが、結果的に視聴者に対してそういう感想を持たせてしまったら同じである。くだらないラブコメを描いている暇があったら、その分、この世界の非道さを描くことに注力すべきだっただろう。

・無能な味方


 本作は、メディアを弾圧する良化隊とメディアを保護する図書隊との表現の自由を懸けた戦いという触れ込みになっているが、実はその両者の直接対決は全体の半分ほどしかない。では、残りの半分は何と戦っているかと言うと、図書館未来企画や無抵抗者の会といった他の団体である。それは何かと言うと、メディア良化法には反対の立場を取っているが、図書隊とは思想を異にして独自に動いている集団である。もっと分かり易く言い換えるなら「身内」であり、それらが争うということは、要するに「内ゲバ」ということである。何だその無駄なリアリズムは。もちろん、物事を多角的に見るのは大切なことだが、これでは図書隊の立場をより不安定にさせるだけで、結果的にまたファシズム政権の援護射撃をしてしまう。この作品、本当はファシズム万歳を我々に訴えたいのではないか。
 最終回で主人公が戦う相手も、政府や良化委員会その物ではなく、彼らを支持するマスコミと民衆である。確かに、ファシズムの一番の怖さは民衆がそれを支持することだが、ここまでラスボスが姿を見せないアニメも珍しい。一体みんな誰と戦っているんだ。それはさておき、体制派のマスコミに「社会のルールを守るべきだ」と詰め寄られた主人公は、テレビカメラの前で堂々とこう宣言する。「私達にも図書館の自由法という法的根拠があります」と。いやまぁ、そうなんだけどさ。その設定がおかしいという話を冒頭でしたのだが。そして、それでもなお食い下がるマスコミに対して、主人公は小説『坊っちゃん』の一説を引用してこう切り返す。「無法でたくさんだ!」と。ここでまさかの公共図書館職員によるアナーキスト宣言。お前、それ、自分達の法的根拠まで否定することになるだろ! つい数秒前に自分で言ったことを自分で覆す頭の悪いシナリオを考えたのは誰かは存じ上げないが、とりあえず脳筋の馬鹿は人前でしゃべるなという良い見本である。「無能な味方は敵よりも恐ろしい」とはよく聞く話だが、本作の主人公はまさにそれだ。いや、人権問題に真剣に取り組んでいる人からすると、本作こそがその無能な味方であろう。社会悪と戦うためには、それなりの覚悟を持ってもらわないと困る。でなければ、ただ邪魔なだけだ。

・総論


 作品としての出来が悪過ぎて、本来の意見とは真逆のことを訴えてしまっている。同じテーマを扱ったアニメなら、2001年の『ココロ図書館』の方が圧倒的に完成度が高く、且つ面白い。

星:★★★★★★(-6個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:19 |  ★★★★★★ |   |   |  page top ↑
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