『それでも町は廻っている』

原作レイプ。

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それでも町は廻っている - Wikipedia
それでも町は廻っているとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2010年。石黒正数著の漫画『それでも町は廻っている』のテレビアニメ化作品。全十二話。総監督は新房昭之。副監督は龍輪直征。アニメーション制作はシャフト。原作は日常系漫画の最高傑作とも評されている。この制作会社は、同時期にアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』を制作しており、主要なスタッフは皆、そちらへ狩り出されていた。

・原作レイプ


 本作は、ほぼ全ての回において原作漫画と全く同じ脚本を用いている。それはストーリーが同じというだけではなく、コマ割りから台詞の一字一句まで全て同じである。尺が足りなければ、物語の中身を増やすのではなく、無駄な差し込み映像や無意味な後日談を挿入して水増しするという徹底振り。つまり、本作において、アニメオリジナル回以外では、脚本家は何一つ仕事をしていないと言っても過言ではない。コンテマンも、原作漫画を片手にコンテを切ったことであろう。
 原作の脚本をそのまま用いる。普通に考えると、それは漫画をアニメ化する際の理想的な流れだと思われる。なぜなら、一般的に「原作レイプ」と呼ばれる行為は、アニメスタッフがストーリーやキャラクターを勝手に改変し、結果的に原作の良さを失ってしまった場合に起こる物だからだ。しかし、本作は漫画をアニメに置き換えただけなのに、多くの原作ファンから顰蹙を買った。なぜか? それは、脚本以外の部分に入れる必要のない無駄な要素を付け加えて、結果的に作品その物を無茶苦茶にしたからである。

・シャフト演出


 また、これである。本作は原作と同じ脚本を用いる代わりに、独自の解釈で好き勝手に映像演出を加えている。なぜ、この会社は普通にアニメを作らないのか。いや、文字通り「普通にアニメを作ることができないから」なのではないかと邪推してしまう。
 本作でも、他のシャフト作品でも見られるような素早いカットの切り替え、ズームアップ、背景の簡略化、特殊な構図、フラッシュバックなどを行っている。はっきり言って、意味はない。あってもなくても変わりないばかりか、むしろノイズになっている。じゃあ、やるなよと。もちろん、「普通にアニメ化しても面白くないから」という意見もあるかもしれない。では、聞きたいが、例えば、主人公が喫茶店に入店する際、わざわざ敷居を踏む短いカットを挿入して、その演出で一体何を意図したというのだろうか? まさか、主人公は礼儀知らずのガサツな人間だと示したい訳ではあるまい。視聴者へ伝えたい明確なコンセプトがある訳でもないのに、思い付きで余計な物を加えている以上、それは演出家の完全なる自己満足と言わざるを得ない。

・メイド喫茶


 もっとも、本作の最大の問題点は、そういったソフトウェア的な演出ではない。その程度なら「嫌なら見るな」で済む案件だ。だが、本作において一番問題なのはハードウェア、つまり、作品の基礎となるべき総合演出の部分である。
 作品を構成する時、あらかじめ中心となるカラーを決めておくのは当然のことだ。そうしなければ、各回の演出家によって見た目と雰囲気が変化するというちぐはぐな物に仕上がってしまう。そして、本作の場合、その中心に据えたのが原作の第一話である。偉人の格言を含んだナレーションから始まって、エンディングもナレーションで閉める。メイド喫茶の雰囲気に合うよう、全体を陰影の濃い近代ヨーロッパ風の画に。昼間なのに空は常に夕焼け。商店街は無人。OPムービーも劇中のBGMもクラシック調。
 だが、考えて欲しい。未だかつて、長編連載漫画が第一話の雰囲気を保ったまま最後まで続いたことがあっただろうか。当然、途中で路線変更もするし、絵柄も変わる。むしろ、第一話が一番「らしくない」という状況は往々にして生まれる物だ。本作の原作漫画もご多分に漏れず、全話の中で第一話が最も浮いている。後の回に妙なナレーションなどないし、メイド喫茶がメインなのも最初だけだ。そのため、そんな「らしくない」話を中心に据えたことで、作品自体が「らしくない」という考え得る最悪の結果になっているのである。

・メインテーマ


 なぜ、このような事態になったか、それは制作スタッフが本作の根源的なテーマを理解していないということに起因する。では、本作のテーマとは何か。難しく考える必要は何もなく、要するにタイトルの『それでも町は廻っている』その物である。街や建物は時間と共に常に変わって行く。人の見た目も変わって行く。だが、その中身は全く変わらないという「日常論」が本作のテーマである。
 例えば、本作には宇宙人や幽霊などの不思議話が時折挿入されるのだが、結局、主人公の穏やかな日常には全く影響を与えず、翌月にはいつも通りの物語が再開される。そういったホメオスタシス(恒常性)の象徴となっているのが、主人公のバイト先のメイド喫茶である。商店街の中の喫茶店がある日突然メイド喫茶になった。幼馴染みの女の子がメイドとして働き始めた。しかし、変わったのは見た目だけで、中身は前と全く一緒のままだった。こうすることで、より日常の恒常性を強調しているのである。そのため、絶対に「メイド喫茶は物語から浮いていないといけない」のだ。メイド喫茶を中心テーマに備えるなど言語道断、原作を何一つ理解していないと言わざるを得ない。

・ストーリー構成


 本作が制作された頃、原作漫画はすでに第七巻まで発刊されていた。全五十八話。そこからアニメ化する二十二話(残り二話はオリジナル回)を抽出した訳だが、非常に不可解な構成の仕方をしている。一言で言うと「法則性がない」だ。第一巻と第二巻が中心だが、別に人気のエピソードを選んだ訳でも、時系列で並べ替えた訳でもない。数学教師の森秋がメインで登場する回は原作でも四話ぐらいしかないのに、その内の三話をアニメ化している。印象としては、アニメ化し易い話を片っ端から選んだという感じだ。
 また、原作はわざと時系列をシャッフルして、過程を後に持って来るという遊びをよくするのだが、本作ではそれをカットしたため未読者には意味が分からないという事態が発生している。具体的に言うと、エビちゃんがタケルを好きになった理由はアニメ視聴者には分からない。どうも、原作には高一・高二・高三の物語があることにすら気付いていない感じだ。別に、アニメ制作者が原作マニアである必要はないが、何一つ思い入れが感じられないのは非常に残念である。
 なお、これは好みの問題になるため省略するが、多くの人が一番問題視しているのはCVである。特に、主人公のキャストについて批判が上がっている。彼女は本作の制作会社が発掘した新人声優であるため、キャラクターに合っているかどうかより、制作側の都合でよく見知ったお馴染みの声優を使うというスタンスには同意できない。

・総論


 原作と同じ脚本を使う代わりに、アニメ制作スタッフの自己満足で演出をいじくり回す。ある意味、最高の原作レイプである。これなら、ストーリーやキャラクターを改変される方が全く別物として捉えられる分、気持ちは楽だ。こういった悲劇は二度と繰り返してはならない。金輪際、やめて頂きたい。

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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 13:49 |  未分類 |   |   |  page top ↑
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