『SSSS.GRIDMAN』

個。

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SSSS.GRIDMAN - Wikipedia
SSSS.GRIDMANとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2018年秋。オリジナルテレビアニメ作品。全十二話。監督は雨宮哲。アニメーション制作はTRIGGER。世界の平和を守るために戦うハイパーエージェント・グリッドマンの活躍を描いたSFアニメ。1993年に放送された円谷プロ制作の特撮ドラマ『電光超人グリッドマン』のリメイク作品である。

・グリッドマン


 まず、本作のリメイク元である『電光超人グリッドマン』について軽く紹介しておこう。『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』などを手掛けた円谷プロによる特撮ドラマであり、厳密にはウルトラシリーズには含まれていないものの、作品のフォーマットはそれに準拠しており、両者に大きな差異はない。決定的な違いがあるとすれば、それはグリッドマンが電脳空間のヒーローであることと、主人公がティーンエイジャーの三人組であることだ。そのため、他のウルトラシリーズと比べて非常に身近な物語になっている。戦闘場所が基本的に電脳空間のため、現実社会に物理的な被害はあまり出ない。主人公も敵も同じ学校の生徒であり、極めて狭い範囲の物語に終始する。それまでのウルトラシリーズが、幼児向けでありながらも地球の危機を描き、時には鋭い社会批判などを織り込んでいたのとは対照的だ。(もちろん、この作品でもそういった側面は大いにあるが)

 そのリメイク作品である本作も、上記の特徴をさらに強化している。ベースにしたのは、みんな大好き典型的な学園萌えアニメだ。主人公は一人暮らしの高校生で、両親の存在は抹消されている。ヒロインは自分の殻に閉じ籠もった現実感のない薄幸の少女。あらゆる物事が学園内だけで完結しているが、授業シーンはほとんどない。ご丁寧に水着回と学園祭回まで用意している念の入れようだ。さらに、ある特殊な設定により、怪獣に町を破壊されても翌日になると元に戻り、死亡者が出ても記憶が改竄されて最初からいなかった者扱いになる。言い換えると、平穏な日常がいつまでも続くということだ。ここまで学園萌えアニメのテンプレに合わせる必要はあるのかと思わないこともないが、こうでもしないとウルトラシリーズ外のマイナー特撮のリメイク作品程度では見向きもされないのだろう。どうせなら、登場人物を全員女性にするとか、学内に地球防衛部を作るなどしたら完璧だったのに。

 なお、迫力あるバトルシーンとヒロインのキャラクター性に関しては、文句なしに「素晴らしい」の一言なので、全体的な評価は自動的に高くなる。そこが目当ての大多数の視聴者は、何も考えず純粋に本作を楽しめばいいだろう。だが、それ以外の部分は必ずしも褒められた物ではない。そのため、本ブログでたまにある「評価は高いのに批判しかない」という状態になることをお許し頂きたい。

・設定


 主人公は記憶喪失である。それはすなわち、主人公の存在自体が世界平和の鍵を握り、彼の記憶を辿ることで物語の謎が徐々に明らかになっていくことを示唆している。ただ、本項にはそんな悠長なことをするスペースはないため、最初に全ての設定を書いてしまおう。間違っても、これだけを見て全体を判断しないで欲しい。

 本作における全ての元凶はアレクシス・ケリヴという名の異世界人である。彼はメインヒロインである新条アカネという怪獣好きの孤独な女子高生に目を付け、甘言を弄して彼女に取り入ると、妄想を現実化させる力を分け与えた。本作の物語の舞台は、全て「神様」である彼女が自分の理想を実現するために作った仮想世界である。主人公達を含むその世界の住民は皆、彼女を好きになるように人格操作されている。もしも、イレギュラーが生じて彼女のお気に召さない事態が起こると、彼女は自作の怪獣で町を破壊し、翌日に新生させるということをずっと繰り返していた。異次元のヒーローであるグリッドマンが、アレクシス・ケリヴを追ってこの仮想世界に現れるまでは。

 このように、本作は『新世紀エヴァンゲリオン』と『涼宮ハルヒの憂鬱』の影響を色濃く受けた、と言うより、両者を足して二で割った作品である。我々の周りにある「社会」ではなく、そこから孤立したヒロインという「個」に対して徹底的にフォーカスが当てられている。劇中の台詞にもあるが、孤独な少年の心が怪獣を生み出すというシナリオは、ウルトラシリーズでもよく散見される定番ネタである。本作はそれらを全十二話に拡充し、人間ドラマとしての深みを加えた作品と言うことができるはずだが、その印象は薄い。なぜかと言うと、ラスボスの目的とヒロインの動機が明らかに描写不足だからであろう。ラスボスの目的は最終回で自身の口からペラペラと語られるが、「不死身ゆえの虚無感を満たすため」という何だかよく分からない物だ。要するにただの暇潰しである。ヒロインの動機に至っては、最初から最後まで全く描かれない。とにかく、何の理由もなく「社会に馴染めない人間」として設定されている。「アニメファンならそれぐらい言わなくても分かるでしょ」ということかもしれないが、さすがにそれは甘えだと言わざるを得ない。なぜなら、元ネタの『新世紀エヴァンゲリオン』では、ちゃんと親のネグレクトという理由付けがされているのだから。病因が分からないと治療のしようもない。本作が全体的にふわふわしている理由はそこにある。

・ストーリー


 そんな女子高生神様ヒロインが、自分の作った仮想世界において自分の気に食わない人間を抹殺するために怪獣を生み出し、それをグリッドマンに変身した主人公が阻止するという流れが序盤のストーリーである。この時点で矛盾しているのだが、本作は捻じれた設定を破綻させないために「主人公もグリッドマンも記憶喪失」という荒業を用いて無理やり場を凌いでいる。そうしないと、ここは仮想世界であるという前半最大の謎を提示できなくなるからだ。ただ、そのためにはヒーローが人間と合体し、意識を占有するというウルトラシリーズの「常識」を知っておく必要がある。例の如く、その辺りは全く説明されないので、理解に困る人も少なからずいるだろう。

 第六話になると、早くもヒロインが主人公の正体に気付く。一方、主人公もこの世界に元々住んでいた土着の怪獣(何だそりゃ?)からヒロインの真実を教えてもらう。こうして、本作は怪獣退治がメインではなくなり、心が歪んだヒロインとどう向き合うのかというメンタルヘルスの物語になる。そうなるともう巨大ヒーローなどは無用の長物である。むしろ、悪しき暴力の象徴だ。ちなみに、ヒロインが生み出したアンチなる人型の怪獣がいて、彼が自我を獲得していく過程で人間とは何かを確かめるというサイドストーリーがあるのだが、やはり蛇足だったように感じる。終盤などは彼の活躍だけが目立ってしまい、主人公の影が極端に薄い。普通に良いキャラクターと良いエピソードなので、少し残念ではある。

 最終話。いろいろあってメンタルがボロボロになり、自分の殻に閉じ籠もるヒロイン。アレクシス・ケリヴは彼女を見放し、独自の活動を開始する。彼はヒロインを怪獣化させて街を襲わせた後、彼女を取り込んで自ら巨大化する。こいつの目的がさっぱり分からん。ただの構ってちゃんか。そこで主人公は仲間達全員の力を一つに集結させ、アクセスコードをPCに打ち込んでグリッドマンを本当の姿に戻す。何、アクセスコードって? こうして本来の電光超人になったグリッドマンは、自分に電脳世界を修復する力があることを突如思い出し、必殺技「フィクサービーム」を撃ってヒロインの心を治す。……は? えっ、人間の心ってそんなに簡単に治るの? 今まで全十二話かけてやってきたことは一体何だったんだ。そして、アレクシス・ケリヴを倒し、ヒロインは元の現実世界(実写)に戻る。それは主人公達が消え失せることを意味するはずだが、なぜか画面上の演出ではヒロインの方が消えたかのような描かれ方をする。どうやら、この仮想世界は神様がいなくなってもそのまま残るらしい。へぇー。『ドラえもん のび太の創世日記』か?

・個


 上記の通り、本作は一個人の行動が世界の存亡に直接的な影響を与える、俗に言う「セカイ系」の作品である。そのため、一人のヒロインの人格を徹底的に掘り下げている。彼女は周囲の人々と上手くコミュニケーションを取ることができない人間だ。林間学校や学園祭といったイベントの参加にも消極的で、陰でずっと文句を言っている。毎日、趣味である怪獣の模型作りに没頭し、部屋の中はゴミで埋め尽くされている。それでいて、いつも他人の評価を気にしており、自分の作った世界の住民には自分を好きになるようにプログラミングしている。そんな彼女のモデルは、間違いなく本作を好んで視聴するようなアニメファンである。それに対し、主人公は仲間との絆の大切さを訴え、その友情パワーでヒロインに立ち向かう。つまり、本作はセカイ系という形を取って、社会から孤立しがちなアニメファンを批判した作品である。ネットスラングで言うところの陽キャが陰キャを叩く物語だ。確かに、それ自体は決して間違った思想ではない。自己批判は常に大切である。だが、問題はわざわざセカイ系という形式を取る必要があるのかどうかだ。セカイ系の時点で登場人物の周りに社会という物が存在しなくなる。しかし、人間は社会的な動物であり、世の中の動向が人格に多大な影響を与える。それを無視して、全て個人が悪いとするのはあまりにも酷ではないか。別に、ヒロインだって好き好んで孤立したわけではないだろう。

 なぜ、深夜アニメには未だにセカイ系の作品が氾濫しているのか。時代の変化? アニメファンの要請? いや、違う。結局のところ、作り手が個の物語しか描けないからだ。宮崎駿や富野由悠季といった大御所のアニメ作家が口を揃えて言うように、作り手自身の社会経験が乏しいから、どうしても視野が狭くなるのであろう。その証拠に、いざ社会派のドラマを作ろうとすると、『ガッチャマン クラウズ』や『アイドル事変』といったトンデモな作品が出来上がってしまう。幼児向け特撮ドラマでもできていることなのに。本作は自分の殻に閉じ籠もっているヒロインを批判しているが、本当に批判されるべきは自分の殻に閉じ籠もっているアニメ業界その物ではないのか? もちろん、本作全体がそのアイロニーだという仮説が成り立たなくもないが……。

・総論


 もう、この手のセカイ系はいいよ。何回やるんだよ。早く大人になれよ。

星:☆☆☆☆☆☆(6個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
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