『Caligula-カリギュラ-』

アンチテーゼ。

公式サイト
Caligula -カリギュラ- - Wikipedia
カリギュラとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2018年春フリュー制作のPlayStation Vita用ゲーム『Caligula-カリギュラ-』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は和田純一。アニメーション制作はサテライト。ヴァーチャルアイドルの作った仮想空間から抜け出すために高校生が奮闘する学園ファンタジー。本作で世界を創造した神様を演じた上田麗奈は、『SSSS.GRIDMAN』でも同じく世界を創造した神様を演じている。

・設定


 まず、読者の皆様に訂正とお詫びをしなければならないことがある。つい二週間前、『SSSS.GRIDMAN』の項目で「しっかりと社会を描いた深夜アニメはほとんどない」と書いた。だが、それは間違いだった。ちゃんとあるところにはある。それが、このお世辞にもメジャーとは言い難いゲーム原作のアニメ『Caligula-カリギュラ-』である。

 全くの偶然なのだが、本作は『SSSS.GRIDMAN』と非常に似通った設定を持ちながら、全く逆の場所に着地している生き別れの兄弟のような作品である。どちらにも共通しているのは、物語の舞台が特定の一個人が自分の理想を実現させるために作った仮想世界である点だ。そこの住民は皆、何の悩みもない楽しい高校生活を過ごしている。違う点はと言うと、その世界を作ったのが『SSSS.GRIDMAN』では普通の女子高生だったのに対し、本作では「ヴァーチャルアイドル」のμ(ミュウ)であることだ。このヴァーチャルアイドルが何なのかは、第十一話のネタばらし回までずっと詳しく説明されないままストーリーが進むため、設定の理解が難しい。間違いなく、本作最大の欠点である。もし、一言でそれを説明しようと思うなら、それはもう間違いなく「初音ミク」である。元々はただの音声合成ソフトだったが、いつしかその域を遥かに超えて一つのアイコンにまでなっている。今でこそ少し下火になっているが、かつて彼女が生活の一部になっていた者も多いだろう。そういったヴァーチャルアイドルが、人々の想いが集まったことで超常的な力を持ち、自我を獲得してしまったらどうなるかが本作のコンセプトである。

 人々を喜ばせることが存在理由であるμの作った仮想世界「メビウス」は、あらゆる夢が叶い、何の悩みも苦しみもない理想郷だった。だが、主人公を含む極一部の住民だけがその違和感に気付き、世界の真実を知る……というSFでよくあるパターンを本作は踏襲している。有名どころだと映画『マトリックス』がまさにそうだ。そういう観点で言うと、本作の第一話にはかなりの物足りなさを覚える。違和感を覚えるきっかけがラーメンスープの匂いだったり、事件発生前にすでにバトルが起こっていたりするのは、さすがに脚本の質が高いとは言い難い。例えば、いつもいるはずの塀の上の猫がいないとか、やたらとデジャヴに遭遇するとか、そういった細かいポイントから始めるべきではなかったか。全ての設定を知った上で後から見返すと、第一話は伏線が満載でよくできているのだが、初見には厳しいと言わざるを得ない。そのせいで視聴者が減ってしまうのは、作品の完成度的に非常にもったいなく思う。

・ストーリー序盤


 主人公はメビウス内で何不自由なく幸せな毎日を過ごしている男子高校生。だが、彼はふとしたことから世界の仕組みに違和感を持ってしまう。結果、その年の入学式に彼は高校三年間がループしていることに気付く。すると、突然、人々が怪物化して襲い掛かってくる。必死に逃げ出す主人公を含めた数名の生徒。そこへ謎の力で武装化した生徒と、アリアと名乗る小型のヴァーチャルアイドルが助けに来る。彼らの導きにより、生徒は世界の真実を知り、μとの戦いを決意する。

 この世界の用語で、μに逆らう異端者を「ローグ」、襲い掛かってきた敵を「オスティナートの楽士」と呼ぶ。両者共、世界の真実に気付いたという意味では共通しているが、違うのはローグ達が何とかして偽りの理想郷から抜け出して現実世界へ帰ろうとしているのに対し、楽士達は真実を知った上でなお創造主であるμを崇拝し、彼女の作った世界を守ろうとしている点だ。楽士がローグを攻撃する理由は、世界を混乱させる彼らを捕らえて洗脳し、再びメビウスで幸せな生活を送らせるため。つまり、完全なる「善意」による行動である。この時点で大半の視聴者は理解する。この世界の住民は皆、現実世界で何らかの大きな困難や苦痛に直面し、そのストレスから逃れるためにこの世界へ逃げてきた人達なのだと。言わば、登場人物は私達の分身なのだと。本作の優れている点は、それをダイレクトに描かないところだ。短いカットバック演出でトラウマの所持をほのめかすだけで、具体的な描写は終盤の第十話まで描かれない。当然ながら、人は己の本心を隠して生きているわけで、それは仮想空間でも同じである。何でもかんでも人間の心をオープンに描けば、深い物語になるわけではない。

 では、ローグと楽士を分かつポイントはどこにあるのだろう。劇中の台詞では「自分を肯定できる場所の違い」と説明されているが、正確にはそうではないと考える。本作をよく見た人は分かると思うが、ローグと楽士、どちらがより現実世界で過酷な目に遭っているかと言うと、間違いなく楽士の方なのである。ある楽士はローグにこう言い放つ。「お前ら、肉親から死を望まれたことはあるのかよ!?」と。だからこそ、彼らは偽りの理想世界の継続に拘っている。主人公達は正義を語っているように見えて、結局はぬるま湯に浸かっているだけだ。敵側にも共感できるだけの十分な動機があるのは良作の条件である。どちらが正しいかは視聴者が自分で決めればいい。

・ストーリー中盤


 こうして、現実世界へ帰還する方法を模索するローグ達とそれを阻止しようとする楽士達との間で戦いが繰り広げられる。その結果、逆にローグ達は帰還への想いを強め、戦士として覚醒する。そんな中、主人公だけはローグ側に所属しながらも、本当に現実へ帰るべきなのか葛藤する。当然だろう。つらい現実から逃げてメビウスにやってきたのだから、戻ってもつらい現実が待っているだけだ。簡単に結論を出せる方が嘘臭い。さらに、この逡巡を主人公がやることに意義がある。本作はそれだけ難しいテーマに本気で立ち向かっているというアピールである。ただ、そんな主人公も、μの心の叫びを聞いて「この世界は間違っている」という確信を持ち、現実世界への帰還を決心する。この時点で、主人公とμとの間に何らかの個人的な関係があることが示唆される。こういった伏線の張り方は本当に上手い。

 一致団結したローグ達は、カモフラージュのために学内に「帰宅部」という名の新規クラブを創設し、そこを活動拠点とする。帰宅部……。いや、本作が描きたいテーマは、あくまで人間社会と心の問題であって、それ以外の意図はないだろう。ただ流行りに乗っかってみただけだ。だが、結果的に本作は日常系や異世界転生といった昨今の深夜アニメに蔓延するジャンルのアンチテーゼとなっている。それらのジャンルのアニメは敵のいない、もしくは異常に敵が弱い理想空間で誰にも邪魔されず幸せに暮らすことを目的としている。特に、日常系アニメでは聞いたこともないような謎の部活を自ら作り、そこに気の合う仲間だけで閉じ籠もることが多い。その状況は完全に本作のメビウスと一致している。メビウスに行くと老若男女問わず全員が高校生になり、楽しい高校生活を延々とループさせる。そこでは理想の自分になれるため、皆が美男美女であり、自分に都合良く動いてくれるNPCまで用意されている。メビウスを守ろうとする楽士はさながら視聴者であり、そこから逃げ出そうとするローグは深夜アニメの真実に気付いてしまった人々ということになるだろうか。では、μは? それは当然、人々を魅了して止まない萌えキャラということになる。だが、それでは萌えアニメ全般を批判することになり、それで生計を立てている自分自身の首を絞めかねない。はたして、本作の制作者にそれだけの覚悟があるのだろうか。その答えは神様(ミュウ)だけが知っている。

・ストーリー終盤


 第十一話。楽士との激しい戦闘が続く中、過去の記憶を取り戻した主人公は単独で現実世界に帰還する。主人公が現実に帰ったことで、様々な真実が明らかになる。日本中にアストラルシンドロームという奇病が蔓延していること。それは人々が突然昏睡状態になって目を覚まさなくなる病気であること。患者に共通しているのは、μというボーカルシンセサイザーアプリのヘビーユーザーだったこと。つまり、彼らはメビウスへ行っている人々だということ。メビウス内で死亡した人は現実世界でもそうなること。そして、そのボーカルシンセサイザーアプリを開発した張本人が、他でもない主人公だった。その際、本作は一風変わった面白い演出を行っているので、一見の価値がある。この演出により、主人公の他人と打ち解けられない孤独なパーソナリティやアプリ開発リーダーへのコンプレックスなどがより浮き彫りになっている。主人公はそんな鬱屈した感情をμの開発にぶつけており、特に幸福に関する偏った思想が結果的に彼女を奇行に走らせる原因となっていた。そこで主人公はプログラムを修正し、再びμに会いに行く。一度、メビウスの偽りの幸福の中で暮らしたことで、主人公はもう以前の主人公ではなくなっていた。一方その頃、メビウスでは世の中の矛盾に耐えられなくなったμが暴走し、世界が崩壊しかかっていた。主人公はそんなμと対面し、幸せは他人に与えられる物ではなく、それぞれが自分で探し出す物だという新しい考えを伝える。そして、愛の言葉と共に彼女を撃つと、メビウスは消え去り、ローグも楽士も現実世界へと帰る。

 このように、本作は知名度の低さとは裏腹に、非常に深いテーマを有した隠れた良作である。バトルシーン全般と一部の演出に難を抱えているが、それらを補って余りあるぐらい設定の噛み合わせが良い。何より、ちゃんと現実社会の柵の中で生きる普通の人々を描いている。主人公はただ内気で孤独な人間だったから、メビウスへ行ったわけではない。それでは、わざわざ容姿を別人に変える必要はない。彼が現実世界から逃げ出したのは、自分自身の内なるイメージ(アニマ)と社会が彼に求めるイメージ(ペルソナ)が大きく乖離し、自我が平衡を保てなくなったからだ。これは多かれ少なかれ誰もが経験していることだが、深夜アニメでは特にペルソナの方が排除され、個人の問題に矮小化されがちである。そんなやり方では、どう頑張っても薄っぺらい作品にしかなり得ない。一方、本作はそれができている数少ないアニメの一つである。ただし、本作はゲーム原作だが。

・総論


 これで『SSSS.GRIDMAN』ぐらいバトルシーンが凝っていたら神アニメだったんだけどね。後、上田麗奈さんはこのまま唯一無二の神様声優として頑張って欲しい。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆(8個)
関連記事
スポンサーサイト



テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:22 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
twitter
検索フォーム
最新記事

全記事一覧
評価別一覧
年代別一覧
掲示板
掲示板2
カテゴリ
リンク
カウンター
RSSリンクの表示



にほんブログ村
PR1
PR2