『夜桜四重奏 ~ヨザクラカルテット~』

で、誰が四重奏なの?

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夜桜四重奏 ~ヨザクラカルテット~ - Wikipedia
夜桜四重奏とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2008年。ヤスダスズヒト著の漫画『夜桜四重奏 ~ヨザクラカルテット~』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は松尾衡。アニメーション制作はノーマッド。人間と妖怪が共存する街「桜真町」を守るため、生活相談事務所の高校生四人が活躍するアクションムービー。作画よりも先に音声を録音するプレスコ形式が取られている。制作スタッフがアニメ『ローゼンメイデン』とほぼ共通することから、当作品のファンにも期待された。

・残念ながら


 ひどくつまらない。比較対象が『ローゼンメイデン』なのはちょっと酷だが、見ていて心から「楽しい」と感じるのはなかなか難しい作品である。原作を大幅に改変しているが、物語的にはちゃんと本クール内で完結しており、中心となるテーマもぶれていないのに、なぜか物足りなさを感じるというのは相当なことだ。
 いろいろと理由はある(ギャグシーンが少ない等)のだが、やはりつまらなさを感じる最大の原因は戦闘演出の拙さであろう。アクションがメインの作品である以上、他が良くてもここがダメだとどうしようもない。逆に、ここさえ魅力的だったら、他がダメでも全体の評価はもう少し高かったはずだ。と言うのも、本作には様々な特殊能力を持ったキャラクターが登場するのだが、それらの能力を十分に生かせたとは言い難く、結局は力押しオンリーの戦いになってしまうからだ。特長にばかり注目するのではなく、各自の欠点を皆で補う形にしなければ、この手の能力バトルは盛り上がらないだろう。特に、ただの人間であるはずの主人公が、普通に戦闘に参加していては話にならない。

・キャラクター


 上述の問題点とも被るのだが、まず、どう考えてもキャラクターが多過ぎる。主役の四人に加え、その同僚、友人、街の住民、謎の元老院、土地神一派、そして、敵。そういった多数の登場人物が第一話から一堂に会するのである。これは長期連載を行う時の手法だ。たった1クール十二話で完結させなければならない物語では明らかに過剰人員である。具体的に言うと、アニメ版が初見の人にとっては、「四重奏」の四人が誰を指すのかすら分からないのである。しかも、ストーリー上、ほとんど出番がない人もいる。原作を読んでいないと、土地神一派の存在理由などこれっぽっちも理解できない。
 もちろん、登場キャラクターが多くても、しっかりと面白さを伝えている作品は幾らでも存在する。アニメ『極上生徒会』などは生徒会のメンバーだけで十三人だ。それでも、全員のキャラを立てて、それぞれに活躍の場を設けている。その違いは、すなわち脚本家の腕の違いであろう。各キャラクターに明確な役割を与え、的確に言動を割り振る。不要な人物は出さない。一人の人物に重荷を背負わせ過ぎない。そういった目的ある役割分担を「キャラ配置」などと呼んだりするが、本作はそれが絶望的なまでに下手なのである。それゆえ、最後までキャラが立たず、影の薄い人物が生まれてしまう(次回予告で自虐的なネタにしているぐらい)。ちなみに、本作の脚本家はアニメファンなら誰でも納得するあの方である。

・セカイ系


 本作は全体的に余裕のない作品である。単純に尺が足りないというのもあるのだが、ストーリーを追うのが精一杯で、漫画をアニメ化する際に付け加える遊び心のような物がほとんど感じられない。冒頭からメインストーリーに即したシリアス展開が頻出し、非常に忙しない物語になっている。言ってみれば、2クールの作品の後半部分だけを放送しているようなものだ。七話以降はほぼオリジナル展開になり、連載中の漫画を1クールで完結させるため、かなり強引なまとめ方をしているのだが、これと言ってストーリーに不可解な点はない代わりに、視聴者の想像の域を超える展開もない。
 ヒロインの一人の兄の体に取り付いた「円神」と名乗る妖怪が、桜真町を守る「七郷」という桜の木を咲かせようと暗躍する。その木が開花すると、彼岸と此岸が繋がり、送られた妖怪が帰ってきてしまう。それは「世界の終わり」を意味する。以上が全て口頭で語られる本作の設定である。何か大変なことが起こっているらしいが、視聴者には全く伝わらない。やたらと事態の規模を大きくすることで、緊迫感を煽ろうとする典型的なダメ「セカイ系」だ。なぜ、そんな世界の命運を左右する重要な「鍵」を一人の高校生が握っているのか。さらにダメなのは、その世界の破滅を防ぐ方策もまた独自設定なのである。そのため、何が何だか分からない内に危機が始まり、何が何だか分からない内に危機が収束する。視聴者置いてけぼり。一体、彼らにとっての「世界」とは何なのだろうか。

・街


 こういった物語を構築する際、制作スタッフが一番にやるべきことは「街」をメインに据えることである。つまり、「人間と妖怪が共存する街」の特殊性をしっかりと描き、そこがどんなに素晴らしい場所であるかを視聴者に示して、初めて街を守る大義名分ができるのである。それさえできていれば、わざわざ「セカイ」を持ち出す必要もない。一応、制作スタッフもその辺りは理解していたらしく、原作を改変して、鈴というキャラクターが外から街にやってきた話を第一話に持ってきている。部外者の視点を入れることによって、街の特殊性を強調するという算段だが、その試み自体は成功したと言えよう。ただし、それで示したのは「妖怪を悪く思わない人間もいる」というだけで、街自体を描けた訳ではない。むしろ、「共存は大変だ」ということだけがクローズアップされてしまっている。これでは何の意味もない。
 どうせなら、その鈴を主人公にして、彼女を物語の語り部にしてしまえば良かったのだ。毎回、彼女のモノローグから始まり、彼女の視線で四重奏の活躍を描く。そして、最後に「ここは良い街だ」と言わせる。これは極端な例だが、それぐらいやらなければ、限られた尺で視聴者に街の良さを実感させることはできないだろう。町歌や町内放送程度で地方都市の雰囲気を描けると思っていてはダメなのだ。もっとも、制作日数の少ない深夜アニメにそこまで望むのは酷なので、最初から2クールにしておけばいいという身も蓋もない結論に落ち着くのだが。

・総論


 未完成の作品は幾らでもあるが、本作のように仕様通りに完成しているのに純粋につまらないという作品はなかなかお目にかかれない。簡単に言うと尺が足りなさ過ぎる訳だが、後に出たOAD『夜桜四重奏 ~ホシノウミ~』では、たった三話に係わらず上記の問題点は全てクリアしてるので、単純にスタッフの技量の差であろう。如何に『ローゼンメイデン』が奇跡だったかがよく分かる。

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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 22:21 |   |   |   |  page top ↑
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