『フラクタル』

悪い見本。

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フラクタル (テレビアニメ) - Wikipedia
フラクタル(アニメ)とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2011年。オリジナルテレビアニメ作品。全十一話。監督は山本寛。アニメーション制作はA-1 Pictures。数千年後の地球を舞台に、人類を支配するフラクタルシステムからの解放を望む主人公達の戦いを描いたSF冒険ファンタジー。思想家・小説家の東浩紀による原案を、人気脚本家の岡田麿里がストーリー構成し、『涼宮ハルヒの憂鬱』等の演出で名声を博した山本寛がアニメ化した。監督の山本寛は、本作の出来に自身の進退を賭けると公言するなど強い決意を持って制作に挑んだ。

・東浩紀


 本作の原作・ストーリー原案を努めた東浩紀は、基本的に新しき物を肯定し、その比較対象として古き物を攻撃するというスタンスで世間の注目を集めた批評家である。ポストモダンの名の下にモダンなる物と対決する彼の姿は、虐げられた日常を送る若者の支持を集めると共に、分かり易い「公共の敵」として社会に必要とされた。ただし、彼にとっての「新しき物」のルーツは、彼が学生時代に見て感銘を受けた『新世紀エヴァンゲリオン』であり、エヴァ以後のサブカルチャーにはどちらかと言うと否定的だが、立場上否定できないという曖昧な状態に追い込まれている。今後、さらに薄内容・濃エロが進むであろうアニメ業界に対し、彼がどんな態度を示すかに注目したい。(※最近はどうやら吹っ切れた模様。震災の影響か?)
 さて、そんな東浩紀が初めて原作が手がけたアニメは、「フラクタルシステム」という電子ネットワークによって管理された未来の地球を舞台にしている。「僧院」と呼ばれる宗教団体が世界を支配し、人類は自分の分身である「ドッペル」に仕事をやらせ、怠惰な日常を謳歌していた。だが、それを良しとしないエコロジカルな人々は、「ロストミレニアム」というテロ組織を設立して僧院に対抗していた……と、清々しいぐらい典型的な「ディストピアとそこからのエクソダス」を描いたベタな物語である。訴えているテーマも、「人間には自由が必要」「原始に帰れ」「身体論」といった古典中の古典SFのそれだ。そんな物は、1927年に映画『メトロポリス』が通った道であり、二十一世紀にドヤ顔で発表するような物ではない。古き物に反抗することで今の地位を確立した批評家の作った作品が、明らかに時代遅れの古き物だったという事実は最高の皮肉である。
 ちなみに、「ヒロインが非処女」という一点だけは、彼のオリジナリティーを主張できるポイントだ。他にも、やたらと性的な要素を拒否する女性なども登場する。要は、処女崇拝に傾倒する「最近のオタク」に対する精一杯の当て擦りだろう。醜い争いである。

・ラピュタ


 本作を見た視聴者のほとんどは、すぐに強烈な既視感に襲われるだろう。それもそのはず、本作は明らかに『天空の城ラピュタ』『未来少年コナン』といった宮崎駿作品をベースにして、『機動戦士ガンダム』『新世紀エヴァンゲリオン』『マトリックス』などのSF作品をプラスして作られているからだ。特に、第一話はどこからどう見てもラピュタの冒頭部分の模倣である。丘の上の一軒家で一人暮らししている少年の所へ、何者かに追われた少女が空から降って来る。少年は彼女を助けて、共に一夜を明かす。なお、その追っている連中とは後に仲間になる。このようにストーリー展開が完全コピーなのはまだしも、背景や小道具などの美術面も相当にジブリを意識しているため、誰の目にも元ネタがバレバレである。
 ただ、ラピュタと本作との決定的な相違は、「ワクワクしない(=心が躍らない)」ということである。ラピュタのように勢いのある戦闘シーンがプロローグにないということにも起因するが、何より問題なのは主人公の心理面の希薄さだ。と言うのも、この主人公、同年代の少女を目の前にしても、うろたえるだけで積極的に係わろうとしないどころか、自らの内なる性欲求すら拒絶するのである。思い出して欲しいが、なぜ、パズーやコナンが命を懸けてヒロインを守ろうとしたのか、それは初恋以前の無自覚のほのかな恋心に突き動かされたからだ。だからこそ、視聴者は主人公に自分を重ね合わせて、彼らの活躍を心から応援するのである。しかし、本作の主人公はヒロインに興味を示さないばかりか、自分の趣味であるビンテージ品の方に心惹かれている始末。つまり、精神年齢が子供以下ということだ。フラクタルシステムに浸かった無気力な人間(いわゆるアニメオタク)とそこからの成長を描きたいのだろうが、これではただ単に感情のないロボットである。そんな人間に心を寄せることなどできない。

・岡田麿里


 上記も含めて、本作の視聴者の感想は総じて「つまらない」である。もちろん、同じ「つまらない」にも様々なパターンが存在するが、本作の場合は「楽しくない」「盛り上がらない」「先の展開に興味が持てない」といった純粋なシナリオに対するつまらなさである。実際、本作の印象は「退屈」の一言に尽きる。
 そもそもの大きな間違いは、本作の視聴者ターゲットが「成人男性」であることだ。しかし、物語はジブリ風冒険アニメ。そのため、脚本と内容の間に大きな解離が発生している。いくら成人男性が相手でも、冒険アニメである以上は彼らの中に眠る「少年の心」を刺激しないといけないのは常識である。にも係わらず、本作の主人公は深夜アニメ独特のいわゆる「巻き込まれ型」で、自分の意志で行動することはなく、成長して英雄的な行動をすることもない。加えて、少年魂を揺さぶらない適当なメカニック群。無駄な性的アピール。そして、何より最大の欠点は「ヒロインが複数」であることだ。さぁ、これから命懸けで冒険しようかという時に、その恋愛対象が分散するのは根本的にあり得ない。それぞれ、女性の体と心を司るため、使い方次第では面白くなるかもしれないが、全くアニメとして昇華できていないのは単純な技量不足であろう。
 結局、脚本家の岡田麿里の芸幅の狭さが原因だ。女性ゆえに少年の心が描けないとまでは言わないが、深夜アニメのノリでしかキャラクターを動かせないということが本作で露呈した。確かに、原作は頭でっかちな素人丸出しの古典設定であるが、それを万人が楽しめるエンターテインメントに作り変えられないようではプロ失格である。

・山本寛


 そんな素人原作者と原作の意図した点すら捉えられない脚本家を使って、何とか一つの作品にまとめ上げた監督の山本寛は、よくやっている方なのだろうか。いや、そんなことはない。ある意味、本作において最も未熟さを垣間見せた人物が彼である。
 まず、演出が極めて一本調子だ。日常シーンも戦闘シーンもコメディーシーンもシリアスシーンも、全て同じリズムでメリハリがない。夜は昼間に黒いフィルターを被せただけ。普通、敵のラスボスが登場した際はスポットライトの一つでも当てる物だろう。特に、第九話の別離シーンの演出の下手さ加減は筆舌尽くし難いレベルであり、こんなベタなシーンの演出もできないくせに、あんなに大口を叩いていたのかと愕然とする。これが「ヤマカン流リアル」なのかもしれないが、ケレン味のないアニメなどゴミも同然である。
 また、明らかに無駄なシーン・無駄なカットが多過ぎるのも問題だ。不要な画を削れば、尺は半分ぐらいで済むはずで、その画的なクドさがテンポの悪さと退屈さを生む元凶になっている。ところが、終盤になると今度は必要なカットが足りなくなり、キャラクターのワープが頻出する。最終回などは、建物の内部構造がどうなっているのかと心配になるほどだ。どうやら、途中で完全にやる気をなくして逃亡した模様。これでは引退もやむなしだろう。

・音楽


 ここまで書いておいて何だが、実は本作における最大の戦犯は、間違いなく「音楽」である。純オーケストラのBGMなのだが、曲調に抑揚がなく、フレーズも平凡なので全く印象に残らない。あまりにも場面が盛り上がらないため、環境音楽がかかっているのかと錯覚するほどだ。ある種、映画音楽的なのかもしれないが、映画は映像に合わせて音楽を作るのである。だからこそ、シーンを劇的に演出する効果があるのだが、本作はただ意味もなく後ろで流れているだけ。発注をかけたのが監督かプロデューサーかは分からないが、酷いとしか言い様がない。
 また、劇中で度々使われている挿入歌は、実は大昔に流行した大衆歌という設定である。つまり、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』のパク……オマージュなわけだが、それならそれでフラクタルの世界観とのギャップを演出するために、ちゃんと安っぽいアイドルソングとすべきだろう。モチーフをパクっておいて、一番核になる部分を使わないというのでは意味がない。全てが中途半端だ。

・総論


 アニメーションを制作する過程において、「絶対にやってはいけないこと」をこれでもかと詰め込んだ悪い見本のような作品である。本作を見れば、パクリ元のラピュタやコナンが如何に高度な計算に基づいて、エンタメに徹しているかがよく分かるだろう。先人の偉大さに気付かず増長した愚かな若者が、無様に敗北する様を見物できる貴重なアニメである。

星:★★★★★★(-6個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 22:07 |  ★★★★★★ |   |   |  page top ↑
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