animentary <アニメ批評>

本項はアニメを批評するブログです。深夜アニメ・萌えアニメを中心に、独自の視点で簡潔かつ濃厚なレビューをお届けします。

『かんなぎ』

異色の王道。

公式サイト
かんなぎ (漫画) - Wikipedia
かんなぎとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2008年。武梨えり著の漫画『かんなぎ』のテレビアニメ化作品。全十四話(未放送一話)。監督は山本寛。アニメーション制作はA-1 Pictures。ある日、突然地上に舞い降りた可愛い女神様と同棲することになった男子高校生のドタバタな日常を描く恋愛ファンタジー。放送直前に放送局が変更になったり、放送中に原作漫画が超展開を起こしたり、放送後に原作者急病により長期休載したり、同じく放送後に聖地巡礼に便乗した神社が過疎ったりと、内容以外の部分で話題になることが多かった。

・覇権アニメ


 2006年の『涼宮ハルヒの憂鬱』の登場以降、深夜アニメがコミュニケーションツール化し、「皆と話題を共有する」という目的で視聴者が一箇所に集中するようになったのは周知の事実だ。その際、話題の中心となるべく選ばれしアニメのことを、人は「覇権アニメ」と呼ぶ。覇権アニメに選ばれた作品は、様々なメディアに取り上げられ、映像ソフトも桁違いの売り上げを見せる。覇権アニメだから売れるのか、売れたから覇権アニメなのかは難しいところだが、少なくとも売れることは最低必要条件である。なぜなら、商業主義の権化であるアニメ業界では、売り上げでしか作品の良し悪しを計れないからである。
 普通のアニメが覇権アニメに昇格する条件は様々で、キャラクターが可愛い・雰囲気が明るいといった見た目のエンターテインメント性だけで注目を集めた作品も存在するし、予想を裏切る重厚なストーリーが人々を魅了した作品も存在する。中には広告代理店があからさまにブームを仕掛けた作品も存在するだろう。ただ、一つだけ間違いなく言えることは、覇権アニメになるような作品は「放送前から」すでに話題になっていたということだ。かつての『機動戦士ガンダム』や『新世紀エヴァンゲリオン』のように、ノーマークだった作品が放送中に口コミでファンを増やしたという例は極めて少ない。なぜなら、昨今のアニメファンは自分の目で見て物を判断するということをせず、アニメ雑誌やまとめブログといった何らかの権威にその身を委ねる傾向が強いからである。皆と話題を共有するのが主目的なのだから仕方ない。どんなに優秀でも、賛否が分かれるような尖った内容では覇権アニメにはなり得ないのである。(2017年追記:そこに『けものフレンズ』という異端児が現れた)
 そして、本作も生まれ落ちる前から覇権アニメになることが宿命付けられた作品である。あの『涼宮ハルヒの憂鬱』の演出を務め、『らき☆すた』の監督を首になった山本寛が手がける新作アニメという話題性、どこかで見た王道設定の安心感、可愛らしいキャラクター、キャッチーなOPムービー、丁寧な作画、ソフトなお色気、主演は人気アイドル声優と、これでもかと売れる要素を詰め込んだ作風により、放送前から「ポスト涼宮ハルヒ」としての期待感は極限まで高まっていた。はたして、その期待は放送後に確信へと変わったのか? 内容と合わせて見て行こう。

・設定


 呆れ返るぐらいベタな設定である。主人公は父親が出張で不在の一人暮らしの男子高校生。近所には世話焼きな幼馴染みの女の子が住んでいる。学校では美術部に所属し、個性的な部員に囲まれて楽しい日常を過ごしている。ある日、御神木で彫像を作ったことにより、地元の土地神を顕現化してしまう。同年代の美少女にしか見えないその神様は、街を襲う穢れを祓うためと称して、主人公の家に居候する。嫉妬する幼馴染み。また、その神様には可愛い妹神がいて、彼女は憑依した依り代の恋を叶えるため、そして、姉神に対抗するために主人公を誘惑する。嫉妬する幼馴染み。と、どこに出しても恥ずかしくない典型的な「落ち物」ハーレムラブコメである。ヒロインが八百万の神様という恋物語は、アニメではあまり見かけないかもしれないが、エロゲー業界などではすでに一ヶ月に一度はリリースされるような王道設定だ。まさか、二十一世紀も十年立とうかという今、この手の物語を地上波アニメで拝見できようとは驚きだ。
 さらに恐ろしいのは、上記のように設定を列挙するだけで、ストーリーの八割方を説明できてしまう点である。キャラクターの言動には個性があるとは言え、根本的な物語は全てどこかで見たような話だ。よくもまぁ、飽きもせずに同じことを繰り返せる物である。ただ、第五話、神様の力を取り戻すために、同じ偶像たるアイドル活動をして信者を集めるという話だけは感心した。なるほど、理に適っている。テーマとストーリーが適度に噛み合った名エピソードだ。もっとも、これも自分が知らないだけで、すでにどこかで使われているアイデアなのかもしれないが。

・キャラクター


 神様という最大級の非現実設定を使っている割りに、ヒロインのキャラクターデザイン自体は比較的地味である。もっと言うと、どこか時代遅れな感がある。青いロングヘアーに前髪パッツンの姫子カット、頭には白いハチマキ、腰には白いプリーツのミニスカートと、これでは往年の「スクールメイツ」だ。三十代以上の男性にはウケるかもしれないが、巫女服を上手くアレンジした華やかな神様ヒロインが跳梁跋扈している中、この簡素なデザインで天下を取ろうと企てるのは少々厳しいように思う。実際、劇中でも神様らしい非現実感や神々しさが全く見られず、他の個性的なキャラクター達の中に埋没してしまっている。言い換えると、(視聴者を含む)周囲の人々を無条件で惹き付ける「カリスマ性」が、ヒロインからは微塵も感じられない。こんな作品でも覇権アニメの候補に選ばれるのだから、世の中はどう転ぶか分からない。
 ただ、それ以上に気になるのは、ヒロイン役のCVの戸松遥だ。場面場面で様々な声を使い分けているのだから、デビュー二年目の新人にしては上手い方の部類に入るのだろう。ただ、残念なことに各々が完全に別人の声になってしまっている。それは声域が狭いせいだ。作り声で話せる範囲が狭いため、トーンを下げると地声が出てしまい、トーンを上げると声がひっくり返って何をしゃべっているのか分からなくなる。画面内で彼女の声だけが確実に浮いている。そのため、非常に不安定なキャラクターになってしまっている。デザインの平凡さや存在感の薄さを、そんなところで補わなくても結構なのだが。

・楽屋オチ


 ベタな設定にベタなキャラクターとベタなストーリー。では、脚本もどれほどベタかと思いきや、これがなかなか一筋縄では行かない物になっている。一見、どこにでもある王道ネタのようだが、微妙に視点をずらすことでそれで終わらないように仕向けている。特に目立つのは「楽屋オチ」だ。最近では「メタ展開」などとも言ったりするが、内輪ネタやオタクネタ、監督の自虐、他作品のパロディー、その他諸々のある種の反則技である。何より問題なのは、劇中のキャラクターが主人公とヒロインのやり取りをギャルゲーに例えて茶化すシーンだ。自分達がギャルゲー的な王道ラブコメの登場人物であることを自覚した上で、そのベタさを笑っているのである。その気持ちは分からないでもないが、純粋ギャグアニメならまだしも、萌えアニメでこういうことをやられると白けてしまう。
 このことから分かるように、本作全体に漂っているムードが「ニヒリズム」である。馬鹿にするとまでは言わないが、王道ラブコメであることに制作者が恥ずかしさを覚え、あらかじめ予防線を張って批判を受け流すようにしている。そのため、主人公とヒロインの甘酸っぱい恋愛劇はほとんど描かれず、その周囲で起こるマニアックなドタバタ話の方にメインを置いている。良く言えば「明るくてサバサバしている」だが、悪く言えば「何をやりたいのか分からない」だ。つまり、足元がちゃんと固まっていないため、本作の進むべき方向性が視聴者には掴みづらいのである。例えば、ラスト三話は「ヒロインは本当に神様なのか」がテーマのシリアスストーリーだが、それまでにヒロインと主人公の関係性をしっかりと描いていないため、ひどく薄っぺらな物になっている。「主人公は霊感が強い」という初期設定を覚えている視聴者が何人いるだろうか。ニヒリズム自体は一つの個性だが、作品に悪影響を与えては意味がない。ベタを嫌忌した結果、ベタなエンディングすら描けないようでは、ただの馬鹿である。

・演出


 山本寛という監督は、アニメ業界では珍しく映画的な画作りができる演出家である。アニメだからと言って、ただ単に一枚画をスライドショーで並べるのではなく、しっかりとカメラで撮影していると思わせることのできる稀有な人物だ。特に優れているのが、キャラクターの細やかな仕草である。例えば、物を持ち上げる時に一度持ち直したり、階段を下りる時に最後の数段を飛び下りたり、サビを歌う前に一旦マイクを外したり。また、カット割りやレイアウトにも抜群のセンスを見せるが、凝り過ぎてカメラがあちこちに飛び回り、結果的に訳が分からなくなるという悪い癖もある。それでも、どこぞの紙芝居アニメしか作れない似非演出家とは一線を画している。
 このように技術的には申し分ないのだが、彼は映画に傾倒するあまり、アニメやアニメ業界を軽視する傾向があるのが難点だ。上記のニヒリズムも、基本的には原作者と脚本家の暴走なのだが、一方でそれは監督の作風でもある。こんな有象無象の萌えアニメに全力で取り組むのは本望ではない、そう考えているのが画面上からありありと透けて見えるのである。実際、メインストーリーから外れたオリジナル演出回である第七話と第十話の方が明らかに気合が入っており面白い。世渡り上手な演出家は、その辺りの個人的感情を上手く覆い隠す物だが、彼は悪い意味で正直過ぎるのだろう。才能の無駄遣い、実にもったいない話である。

・総論


 覇権アニメになるはずだったが、いざ蓋を開けてみれば非常に灰汁が濃く、見る人を選ぶ作品に仕上がっている。落ち物アニメの中では完成度は群を抜いているものの、同時期に人気作が集中したこともあって、戦前に予想されたような大ブームとはならなかった。結局、一番盛り上がったのは「放送前」であった。

星:☆☆☆☆☆(5個)
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