『H2O -FOOTPRINTS IN THE SAND-』

そして伝説へ。

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H2O -FOOTPRINTS IN THE SAND- - Wikipedia
H2O~FOOTPRINTS IN THE SAND~とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2008年。枕制作の十八禁美少女ゲーム『H2O -FOOTPRINTS IN THE SAND-』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は橘秀樹。アニメーション制作はZEXCS。病気療養のために田舎町へ転校してきた中学生の主人公が、様々なヒロイン達と心の交流を重ねながら成長していく学園恋愛ドラマ。原作を大胆にアレンジしているが、大胆過ぎて最後にとんでもないことをやらかしている。それがいわゆる「精霊会議」である。

・主人公


 主人公は盲目である。何気なくさらっと書いたが、これはとんでもない設定である。主人公が盲目ということは、相手の顔が見えないということだ。つまり、恋愛対象の容姿はどうでもいいということである。しかし、見た目が全ての美少女アニメにおいて、ヒロインの容姿がどうでもいいなんてことは絶対にあり得ない。たとえ、劇中で明言されなくとも、ヒロインが美少女であることが前提で全てのシナリオが構築されている。それゆえ、本作の場合は、主人公設定が作品の存在意義を根本から否定するという世にも恐ろしい状態になっているのである。世界を揺るがす力を持った主人公は多数いるが、作品自体を無き物にできる力を持った主人公は彼ぐらいな物であろう。(ちなみに、原作ゲームでは手で触れると相手の顔が認識できるという設定になっている。その際、ぼやけた画面が鮮明になる演出が素晴らしい)
 もっとも、第一話のラストで謎の精霊の謎のパワーによって視力が回復するというアニメオリジナル展開に移行した後は、凡百の美少女アニメに成り果てる。同時に主人公もそこら辺にいる典型的なエロゲー主人公と化す。何の特徴も取り得もないのに、なぜか女の子にモテモテ、やたらとアグレッシブになってヒロインをストーカー紛いに付け回す。相手が弱っていると見るや上から目線で説教する。しかも、本作の主人公は、ギャルゲーお約束の陽気な男友達すらいないため、仲良し女子グループの中に一人だけ場違いな男子が混じっているような状態になる。真の意味でのハーレムアニメである。原作における「盲目ゆえに他人に迷惑をかけぬよう良い子を演じている」という設定など見る影もない。それより、目が見えるようになるということは人生を変えるような大事件のはずだが、女の子とのお遊びに忙しくて、その辺りの問題は軽く流されているのが凄い。きっと、彼は根っからの女好きなのだろう。

・設定


 日本のどこかにある沢衣村。かつて、その村は小日向家という大地主が支配しており、強大な権力により村人を迫害していた。そこで数年前、神楽家と田端家が中心となって武力蜂起し、小日向家を村から追い出して土地を略奪した。その小日向家の唯一の生き残りがヒロインであり、彼女は山奥に一人で住んでそこから学校に通っていたが、積年の恨みを抱く全村人(中学教師を含む)からの激しいイジメを受けていた……と、何度読んでもよく意味が分からない設定である。戦後の農地改革で大地主と小作人という関係はなくなっているはずだが、これは本当に日本の物語なのだろうか。仮に、その因習が山奥の村に残っていたとしても、クーデターを起こしたところで農地を強制的に奪うことはできないし、その首謀者である両家が新たに村を支配するという構図も変だ。一人残されたヒロインが村に住み続けている理由も不明だし、どうやって生活費を得ていたのかも説明がない。そもそも、横暴な支配者を恨んでいたからと言って、その家の娘を村を上げて差別するという感情がちょっと理解できない。昔のヒロインが権力をかさに高飛車な態度を取っていたというなら話は別だが。
 村の設定はまだいい。もっと謎なのが主人公の設定である。どうやら国をも動かす力を持った権力者一族の末裔らしいが、その辺りの詳しい説明は一切ない。権力者の娘と一般人の男が駆け落ちしたのに、なぜ、その息子である主人公が権力者側の姓を名乗っているのか。二人はどうやって知り合ったのか。そして、父親はどこに行ったのか。分からないことだらけで、まともにストーリーが機能していない。あらゆる不合理を「田舎だから」で済ませられると思ったら大間違いである。
 もちろん、これらの矛盾点は、テレビアニメ化に当たって原作から設定を変更した際、細部の擦り合わせを怠ったことにより生まれた物である。原作では、小日向家が村を支配したという歴史的事実はなく、最初から神楽家と田端家が有力者だった。小日向家が迫害されたのは村の禁忌を破ったから、つまり、穢れに対する差別という問題である。感覚的にはアニメ版よりも分かり易いが、倫理的にテレビでの放送は少し難しいかもしれない。どちらにしろ、制作スタッフの怠慢の言い訳になる物ではない。

・脚本


 本作はエロゲー原作のアニメであるため、予算の都合上、作画・コンテ・美術・脚本・CVといずれも低品質である。その中で最も危険水準にいるのは脚本だ。全ての面において描写不足であり、視聴者は常に相当な量の脳内補完を求められる。例えば、橋の向こうに住んでいる「鬼」がヒロインのことであると、なぜ主人公は気付けたのだろうか? 普通は、それを仄めかすような台詞なりキーワードなりを会話に含ませる物だが、本作の脚本にそういう気の利いた配慮はまるで存在しない。そのため、ノーヒントで察知できた主人公の感受性が、ニュータイプレベルにまで達してしまっている。この手の脚本の不備を一つ一つ挙げていくと、なぜ玉子焼きの味で相手の性格が分かるのか、なぜキスした後にヒロインの存在に気付くのか、なぜ風車を贈った側がそれを大事にしているのか、なぜ本名をカミングアウトした後も普通の生活が送れるのか等々、とにかく切りがない。さらに無茶苦茶なのが、ヒロインの子供時代の回想シーンである。おそらく、原作の設定とごちゃ混ぜになっているのだろうが、クーデター前なのにヒロインがイジメられていたり、神楽家が小日向家以上の有力者だったりする。仮にも商業作品なのだから、もう少し事前の会議でしっかりと設定を煮詰めて欲しい。
 そして、主人公とヒロインが恋仲になった直後の第十話、物語が劇的に動き始める。主人公の母親が自殺した原因が小日向家にあると知り、主人公はショックを受ける。そのショックにより再び目が見えなくなるのだが、さらに「これまでもずっと見えていなかった」という衝撃の事実まで発覚する。本当は見えていなかったのに主人公が勘違いしていたのか、それとも謎の精霊の謎のパワーで歴史を書き換えたのか。前者だと劇中の描写と矛盾するし、後者だと実は見えていなかったという回想シーンと矛盾する。ここでも脚本家はやらかしてしまっている。
 その後、いろいろあって幼児退行した主人公とヒロインが村を出て二人暮らしを始める。すると、踏切内の子供を助けようとしたヒロインが電車に轢かれてしまう。その光景が母親の死をフラッシュバックさせ、過去のトラウマを克服した主人公は視力を取り戻す……おかしくないだろうか? 主人公が視力を失った原因は「悪い事実を受け入れられなかったから」だ。しかし、母親が子供を助けようとして亡くなったのなら、それは一番に覚えておくべき「良い事実」ではないか。逆だろう、普通は。子供を助けようとして死んだのではなく、実は自殺だったとするのが当然のドラマである。制作スタッフは誰もおかしいと思わなかったのだろうか。

・精霊会議


 このように、本作は全体的に低レベルな作品であるが、まぁ、低レベルなりによくまとまっている。途切れた心の絆を再び繋ぎ直す物語として見ると、ちゃんと完成されているし感動もする。音楽も綺麗だ。駄作には違いないが、悪い意味で歴史に名を残すようなクソアニメではない。もっとも、それはラストシーンで発生した悪名高き「精霊会議」を除いての話であるが。
 さて、本題に入ろう。最後の最後で、本作はアニメ史に残るような超展開をやってのける。その詳細を書いてしまうと実際に見た時の衝撃が薄れてしまうので秘密にしておくが、とにかく世界の法則を乱してしまうレベルのトンデモさである。なぜ、そうなったかは後回しにするとして、まずは「精霊会議」とは何かを論じたい。本作に登場する「時の音の精霊」は、実は神楽家の死んだ姉の霊である。その幽霊が、妹の描いた絵本の物語をモチーフにして、時の音の精霊を「自称」しているに過ぎない。では、彼女の言う精霊会議とは一体何なのか。実際に精霊達が集まって会議を開いているのだとすれば、時の音の精霊は自称ではなく本物の精霊だということになる。ならば、人は死んだら精霊になるということだろうか? だとすると、最後に出てきたヒロインも、人間ではなく幽霊=精霊ということになり、謎の精霊会議の決定で復活したという説明とも一応の辻褄が合っているように思える。
 結局、何が悪いかと言うと、精霊会議その物ではなく「描写不足」である。いくら論理的に辻褄が合っていようと、そこに至るまでの過程を省略してしまっては唐突な印象しか残らないし、視聴者の心を動かすこともできない。もし、上に書いた疑問点を全て劇中で説明し尽くすことができれば、本作は超展開の誹りを受けることはなかっただろう。そして、それはプロのクリエイターを名乗るなら、当然やってしかるべき仕事である。ただし、そのためには、本作のジャンルを学園ラブコメから学園ファンタジーに作り変える必要がある。それを行うのは脚本家ではなく、「監督」の役割だ。昨今は脚本家ばかり叩かれる傾向にあるが、最高責任者は誰であるかをもう一度考え直すべきであろう。

・総論


 たまに「精霊会議がなかったら良作」と言う人がいるが、上述の通り、精霊会議がなかったらただの出来の悪い三流アニメである。今頃は誰も存在を覚えていないだろう。逆に言うと、精霊会議があるからこそ、こうやって後々の話題にもなっている。そんな記録には残らないが、記憶に残る伝説のアニメである。

星:★★★(-3個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 22:03 |  ★★★ |   |   |  page top ↑
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