『乙女はお姉さまに恋してる』

意外な良作。

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処女はお姉さまに恋してる - Wikipedia
処女はお姉さまに恋してるとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2006年。キャラメルBOX制作の十八禁美少女ゲーム『処女はお姉さまに恋してる』のテレビアニメ化作品。全十二話+特別編一話。監督は名和宗則。アニメーション制作はfeel.。祖父の遺言でミッション系お嬢様女子校に通うことになった男の子が、哀しくも楽しい日々を過ごす擬似百合・擬似ハーレム系ラブコメ。タイトルは、原作・アニメ共に「おとめはぼくにこいしてる」と読み、略称も「おとボク」である。アニメ化に際し、全キャストが人気声優グループ「Aice5」他に変更されたことで批判を浴びた。なぜか、生き残っているシリーズ第二段。

・マリア様がみてる


 見ての通り、本作はミッションスクールにおけるお嬢様達の優雅な日常を描いた人気小説&アニメ『マリア様がみてる』のパロディー作品である。『マリア様がみてる』は、現実離れしたお嬢様学校の風習や、女性同士の友情を超えたほのかな恋心こと通称「百合」などを取り上げたことで男女問わず注目を集めたのだが、あくまでも女性向け作品であり、キャラクターやストーリーは男性が好むようには作られていない。そこで「もし、その世界に女装した男子が潜り込んだら」という不純な動機で作られたのが本作である。言ってみれば、透明人間になって女風呂に侵入するようなノリだ。
 ただ、女子校に女装した男子が潜り込むというシチュエーション自体はよくあることだが、本作の特殊性は、お嬢様学校ゆえに性的な要素は極力抑えられているという点である。つまり、周囲の女生徒に「お姉さま」と崇められても、それは百合の延長であって、他作品で見られるような性欲に塗れたハーレムではない。どちらかと言うと、日常系アニメに近い。これは非常に興味深い設定である。肉体と精神が分離した恋愛、ポストモダンの変異性ジェンダー論、去勢された男子の白人酋長物等、社会学的・心理学的に考察すると幾らでも面白い結果が出そうだが、本項は一応「アニメ」を批評するブログなので、その辺りの美味しいネタは専門家にお任せする。
 ちなみに、『マリア様がみてる』のパロディーは難しい。と言うのも、お嬢様の美し過ぎる日常を大袈裟に描くことで、ある種意図的に「真面目な馬鹿馬鹿しさ」を生んでいる作品であり、それをパロディーにすると設定自体を茶化すような形になって、作品のアイデンティティーが崩壊してしまうからだ。そのため、二次創作でありながら、ネタ元と同じぐらい真剣に緻密な学園描写に取り組まなければならない。そんな中、さすがに本家本元には及ばないが、本作もその辺りには十分に気を使った作品になっている。

・行動原理


 エロゲー原作アニメであるため、作画や演出はあまり良いとは言えない。基本概念は他作品のパロディー。そして、声優変更というトラブルも抱える。これだけ役が揃うと、普通は壊滅的な出来のクソアニメになるところだが、本作は大方の予想を裏切ってしっかりと作り込まれた上質の作品になっている。
 本作の一番の良点は、意外にも……と言うと失礼かもしれないが、キャラクターの行動原理がはっきりとしていることだ。主人公は女子校の生活にちゃんとうろたえるし、その一方で何とか順応しようと努力する。幼馴染みは彼を支援しつつ、悪戯心で困らせようとする。学園の生徒が主人公を慕う理由も明確だし、生徒会長が苦言を呈す理由も納得できる。主人公のタイプは主体性の少ない巻き込まれ型だが、それは状況的に動きようがないからであって、大事な場面ではちゃんと自分で考えて行動する。要するに、人があるシチュエーションに置かれた時、当然取るべき行動を当たり前に描くことで、荒唐無稽な設定でありながら現実感を持たせることに成功しているのだ。劇中で「普通に考えたら、そうなるか」という台詞があるが、キャラクターが「普通に考えたら、何でそうなるか分からない」行動を取るのが常態化している昨今のアニメにおいて、この「普通の人間らしさ」は貴重である。
 その特徴を補強しているのが、本作の中心的な哲学である「この世に悪人などいない」だ。第七話で具体的に示されているが、人はそれぞれに正義の心を持っており、自分が正しいと思った行動をするというミッションスクールらしい性善説をベースにしつつ、その価値観が各人によって微妙に異なるため、結果的に人は対立するのだと描いている。これは非常に高度なレトリックである。下手な作品ほど人を善人と悪人の二元論に分けたがる物だ。だが、本作はそういった単純な話にしないことで、設定の補強はおろかキャラクターの個性まで倍増させている。いやはや、こう言うと失礼かもしれないが……意外である。

・第七話


 ここでその第七話を紹介しよう。主人公の後輩は、育ての親の形見である大きなリボンを大事にして、それをいつも頭に付けて登校していた。だが、校内の風紀に厳しい生徒会長は、そのリボンが大き過ぎるため学院生としての品位を欠くと批判する。一方、主人公達は校則に装身具に対する規定はなく、大き過ぎるという考えは主観の問題に過ぎないと反発する。やがて、その論争は学校中を巻き込み、異議申し立ての討論会が開かれることに。そこで、主人公はリボンを自分の頭に付けて見せ、大きく見えるのは後輩が小さいからであって、結局は印象の個人差に過ぎないと主張し、見事、討論に打ち勝つ。ただ、だからと言って生徒会長の考えが間違っている訳ではないとフォローし、それが結果的に彼女の気持ちを惹き付けることになる。
 ヒロインの異常に大きいリボンはギャルゲーにおけるお約束の一つであって、皆、「これはおかしいだろう」と心の中で思いつつもスルーしている物だ。本作ではそのお約束を逆手に取って物語を作り上げている。つまり、「こんなリボンは現実的にあり得ない」という主張と「ギャルゲーだから大丈夫」という主張の対立を劇中の対立に置き換えているわけである。当然、どちらの意見も正しく、ただ単なる価値観の相違に過ぎない。それゆえ、制作者の訴える「この世に悪人などいない」というテーマが説得力を持つのである。これは見事としか言い様のない論理展開だ。間違いなく、2006年ベストエピソードの一つである。

・ツンデレ


 物語の終盤で、二人の女性が主人公に対して恋心を抱く。一人は主人公の幼馴染み。もう一人は生徒会長。主人公以上に男らしくてサバサバした幼馴染みは、子供の頃からずっと主人公の世話を焼いており、彼のことを男性扱いしていなかった。しかし、学院内で主人公が「お姉さま」として地位を確立するにつれ、二人の立場が逆転する。その時初めて、幼馴染みは主人公が一人の男性であることを認識する。『ラムネ』の項目で幼馴染みから恋人へと移行する物語作りの難しさを書いたが、本作は女装男子という特殊設定を使うことでそれを上手く表現している。一方、生徒会長は文化祭の舞台劇がきっかけで、彼を女性と思ったまま恋に落ちる。いずれも本来の意味で言う「ツンデレ」であり、非常に女性として可愛らしく、また状況的にはひどくアブノーマルであるため、そこはかとない背徳的なエロチシズムまでも感じられる。
 最終的に、生徒会長が主人公の正体を知り、ヒロイン二人が恋のライバルとして互いを認め合った時点でストーリーが終了する。恋愛物語としては中途半端だが、本作はあくまで女装男子の擬似百合・擬似ハーレムアニメであるため、真っ当な男と女の関係になった時点で別の物語になる。それゆえ、これ以上ないという絶妙のタイミングでのエンディングである。

・総論


 エロゲー原作、荒唐無稽、不純な動機、キャスト変更、パロディーといったネガティブなハンデを多数抱えていながら、しっかりとキャラクターを動かすことによって、意外な完成度の高さを誇る良作。ここまで作り込んで、初めて「後は好みの問題」と名乗ることができるのである。細かい設定描写を視聴者の想像に丸投げする昨今の低俗な作品群は、少しは本作を見習って欲しい。

星:☆☆☆☆☆☆☆(7個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 22:06 |  ☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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