『たまこまーけっと』

実力不足。

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たまこまーけっと - Wikipedia
たまこまーけっととは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。オリジナルテレビアニメ作品。全十二話。監督は山田尚子。アニメーション制作は京都アニメーション。下町の商店街を舞台にした人情コメディー。主要制作スタッフのほとんどが女性という昨今のアニメ業界を象徴する状況が話題になった。監督と主人公は同じ位置にほくろがあるらしい。また、EDムービーの質が異様に高いことでも知られている。

・商店街


 まず、目に付くのが見た目のつまらなさである。特に、商店街の各店舗を正面から捉えた画をバックにして、人物が平行に並んで会話している構図が非常に目立つ。つまり、書割背景を用いた舞台演劇風ということであり、画に奥行きがないため極めて平面的だ。ドリフのコントならそれでいいかもしれないが、ここで演出しなければならないのは、人々がごちゃごちゃと入り混じる雑多な下町っぽさであるため、この画的なつまらなさはちょっと頂けない。具体的に言うと、商店街の構造、どの店がどこに位置するかが劇中の描写だけではさっぱり分からないのである。もっと引き画やパンを活用して、商店街その物を描写しなければ、視聴者が街の中に入り込むことはできないだろう。これらの構図の平凡さは、同監督の『けいおん!』の頃から目立っていたのだが、あまりそれを指摘する人がいないのは残念だ。
 加えて、キャラクターデザインも問題に挙げられる。と言うのも、あまりにも「可愛過ぎる」のだ。主人公達はそれでいいのだが、商店街の人々まで可愛らしいので、リアリティも何もない。群集は様々な個性が集合して初めて群集になるのである。ガサツな人はガサツな見た目、神経質な人は神経質な見た目でないといけないのに、萌えアニメのフォーマットに拘るあまり、デザインを崩し切れていない。雑然とした人々の中に一人だけ可愛い子がいるからこそ「下町の太陽」が成立するのだと理解しなければならない。
 これらに共通する問題点は、「下町の商店街を描く」ということを事前に煮詰め切れていないということである。もっと言うと「なめている」ということだ。日本人の下町人情喜劇好きは異常なので、自然と評価は厳しくなる。まさか、知らないとは言わせない。

・鳥


 一応、本作のマスコットキャラクターのしゃべる鳥である。南の国の王宮で占いに使われていたそうだが、なぜ日本語をしゃべれるのか、なぜ通信機能を持っているのかなどの詳細は一切不明(そもそも、生き物なのか?)。と言うのも、主人公達がそれを全く疑問に思わないので、誰も本人に正体を問い詰めないからである。これは著しく不気味な状況だ。例えるなら、「22世紀から歴史を変えるためにやってきたネコ型ロボット」であると主人公達が知らない『ドラえもん』のような物。あの青いタヌキみたいな生物は何だと視聴者はみんな疑問に思っているのに、登場人物は誰も疑問に思わず、当然のように受け入れている。この瞬間、両者の間に深い溝が生まれて物語への感情移入ができなくなり、商店街が異界と化す。これは人情喜劇というジャンルを考えると、致命的という言葉では済まされない危険な状況だ。
 そんな意味不明な物体なのに、恐ろしいことに「物語に全く絡まない」というふざけた特徴があるので、完全に存在意義が不明である。鳥は商店街のコミュニティに属さないイレギュラーな存在だ。だからこそ、普通は「部外者の視点で商店街を見つめ直す」か「部外者が間に入ることで物語が動く」とする物である。だが、本作の鳥はそのどちらでもない。ふらふらと主人公の周りを飛び回って、つまらないギャグを連発するだけで、明らかに蚊帳の外である。唯一、第五話で恋のキューピット役をするぐらいな物だ。はっきり言って、邪魔、目障りだ。視聴者にここまで言われるマスコットキャラというのも前代未聞であろう。

・物語


 主人公は餅屋の娘。女子高生。家族に商店街の人々に学校の友達に真向かいの幼馴染みに、みんなに愛されている。ある日、そこへ言葉を話す謎の鳥がやってくる。それがきっかけで奇妙な日常が……起こることもなく、四コマ漫画原作アニメのようなゆるい日常が延々と繰り広げられる。上記の通り、明らかに超自然的な鳥がメンバーに加わっているにも係わらず、そいつが物語に絡まないせいで全く日常が変化しない。それはそれでいいのだが、肝心の話がつまらないので全体を通して寒々しい。二兎追う者は一兎をも得ずと言う通り、コメディーと日常系、そのどちらから見てもひどく不細工な脚本だ。ただし、幼馴染みの視点で主人公を描いたシーンだけは、普通のラブコメなので面白い。そりゃそうだ。
 このまま、グデグデと終わるのかと思われた第十話のラストで突然話が動く。首にほくろがあるという理由で、主人公が南の国のお后候補に選ばれる。盛り上がる周囲の人々。だが、主人公は申し出を断る。以上……いや、むしろ、こちらが聞きたい。これのどこに物語があるのだ? 何万人もいる視聴者の中に、一人でも主人公がお后になることを選ぶと思った人がいるのか? 最初から主人公の心は1ミリたりとも動いていない。つまり、一切の葛藤がない。普通は、王宮の贅沢な暮らしに心惹かれるが、商店街のことを思って取りやめるとするだろう。そうすることで、最終回の商店街の良さを賛美するモノローグが効いてくるのである。しかし、過程がないのに結果だけを求めるから、モノローグが浮いて病人のうわ言のようになってしまっている。まさに『けいおん!』最終回と全く同じ失敗をしていることに、このダメ監督は気付かないのだろうか。
 なお、最後のオチは口にもしたくないレベルである。アホか。

・問題点


 一言で言うと「ギャグがつまらないから」なのだが、それを言ってしまうと元も子もないので、もう少し大局的に見て行こう。本作でやりたかったことは、要するに「下町の商店街を舞台にした人情コメディー」である。古くはドラマ『時間ですよ』や映画『男はつらいよ』、最近では漫画『それでも町は廻っている』等々。NHKの朝ドラでは二回に一回はテーマに取り上げられるほど、とにかく日本人が大好きなジャンルである。だが、制作の京都アニメーション及び監督の山田尚子にそのノウハウがなかった。そこで彼らがベースにしたのは、自社作品の『らき☆すた』『けいおん!』などで御馴染みのゆるい日常系アニメである。ところが、これが全ての歪みの始まりだった。
 日常系アニメの最大の特徴は「敵がいない」ことである。外敵のいない安全な場所に閉じ籠もって、勝手気ままにやりたいことをやる。主人公はみんなに愛され、誰も彼女を傷付けない。ゆるい日常系なら、それで何の問題もない。しかし、まともな喜劇でそれをやろうとすると、大変困った状況が起きる。なぜなら、対立構造が存在しないと「物語が発生しない」からである。第六話などがその典型だ。商店街の客が減っていることに気付いた主人公が、お化け屋敷をやろうと商店街会議で提案し、その案が通って準備が始まるまでの時間、約五分。その間、反対する者もいなければ、他のアイデアを出す者もいない。何もないならカットしてくれ。だが、その後も「流れ作業」のように滞りなく時間が流れ、何も事件が起こらないまま、最後は自称「大成功」で終わる。起承転結以前に話の谷も山もない。これのどこが下町人情喜劇なんだ?
 基本的に、この制作スタッフは「人情」という物を根底から勘違いしている。例えば、『男はつらいよ』の寅さんにつらく当たる柴又の人々は人情が欠けているのか? 違う。寅さんのことを思っているからこそ口汚くなるのである。下町とはそういう物だ。人々は包み隠さず本音をぶつけ合う。だから、物語やギャグに面白みが出る。感情のないイエスマンが耳障りのいい言葉を並べても、それは「優しさ」ではない。そんなに争いごとが嫌なら、どこかの高級住宅地を舞台にしていればいい話だ。後、どうでもいいが、商店街の内部の人間がポイントカードを使うのはやめてくれ。

・総論


 やろうとしたことは悪くないのだが、それを実現するスキルがなかった。ただ、ひたすら制作スタッフの実力不足だけが目立つ低品質アニメである。「キャラクターが可愛いから」「京アニ制作だから」などと無駄な擁護はせず、「ダメな物はダメ」とちゃんと批判することが、アニメ業界のためになるということに早く気付いて欲しい。

星:★★★★★★(-6個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 19:17 |  ★★★★★★ |   |   |  page top ↑
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