『30歳の保健体育』

幼稚。

公式サイト
30歳の保健体育 - Wikipedia
30歳の保健体育とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2011年。三葉著の恋愛ハウツー本『30歳の保健体育』のテレビアニメ化作品。全十二話。シリーズディレクターはまんきゅう。アニメーション制作はギャザリング。三十歳童貞の主人公と三十歳処女のヒロインが性愛の神の導きにより恋を成就させるファンタジーラブコメ。本編は十五分しかなく、残りの十五分は『いのこり! 30歳の保健体育』という名の実写映像を放送していたが、諸事情(意訳:死ぬほど寒い)により第一話でお蔵入りとなった。どの道、放送を継続していても本項では取り上げられないが、いろいろな意味で残念だ。

・ハウツー本


 まず、本作の原作である恋愛ハウツー本『30歳の保健体育』を簡単に紹介しよう。タイトル通り、本作の読者ターゲットは今まで女性経験のない三十歳オーバーの童貞男子である。そういう人は基本的にオタクであろうという推測から、ピンポイントで美少女コンテンツ好きの萌えオタクとして対象が設定されている。「愛の女神が冴えない主人公の下に現れて恋愛ノウハウを授ける」というメインストーリーなど、まさにその典型だ。ただし、そのストーリーを描いた漫画は各所にほんの数ページ挿入されている程度で、中身のほとんどは他の恋愛ハウツー本と同様に文章によるレクチャーである。しかも、恋愛指南の割合は極めて少なく、内容もただのテンプレート、残りの大半は性行為の方法解説だ。そのため、未読の人が想像するほどの独自要素は本作にはない。(注:続編では恋愛指南も描かれる)
 正直なところ、本作を元来の目的で購入する人はほとんどいないだろう。何より、対象が特殊なのに内容が平凡なので、恋愛ハウツー本としてはまるで役に立たない。本作を買うのは、単なる冷やかしとしてか、一風変わったラブコメ本としてか、妄想の設定補完資料としてか、既知の知識の再確認としてかといったところだろう。結局、既存のコンテンツにオタク向けの要素を注ぎ足すことでヒットした「萌え米」や『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』などと同じ構造ということだ。それゆえ、あまり深く論評する価値のない作品である。
 なお、本作の特徴の一つに、やたらとメディアミックスが多いことが挙げられる。漫画版だけも四種類、他にノベライズや上記の実写版。これは人気があるからということではなく、話題性がある内にできるだけ稼いでおこうという逞しい商魂の表れであろう。気になるその内容だが、「愛の女神が冴えない主人公の下に現れて恋愛ノウハウを授ける」というプロット自体は悪くないので、まぁ、それなりに面白い。そして、先に結論を書くが、それら派生作品の中でずば抜けてつまらないのがこのアニメ版である。

・自主規制


 まず、注意して頂きたいのは、本作にはテレビ放送版(通常版)と販売版(規制解除版)の二種類があることだ。内容が内容だけに卑猥な台詞や性的な描写が著しく多く、放送コードに引っかかる物は全て修正されている。特に性行為に関する用語は、似た体勢のプロレス技名などに無理やり置き換えられている。基本的に視聴者ターゲットは三十歳オーバーなので、伏せられている部分も経験上何となく分かるだろうし、内容を推理する楽しみや馬鹿馬鹿しさも理解できるが、「だから、何?」という話だ。視聴者に対して無駄な労力を強いているのは事実であり、恋愛ハウツーという本来の目的までもが無意味な物になっている。そもそも、放送コードに引っかかるような作品を放送するなということである。
 さらに酷いのは、その修正の仕方が極めて大雑把なベタ塗りなので、ストーリー的に必要不可欠な物まで隠れてしまっていることだ。ギャグのボケに当たる画が塗り潰されているため、何をやっているのか分からないというふざけたシーンが続出する。そして、その最たる物が、「ヒロインが恋愛を拒絶していた理由」という物語の根幹に関わる部分までもが伏字になっていることである。はっきり言うと、テレビ放送版はただの「未完成品」である。作品としての体を成していないので、評価がどうこうという話ではない。いくら広告代わりのテレビショッピング方式とは言え、未完成品を地上波に垂れ流すことに恥ずかしさを感じて欲しい。
 ちなみに、某ニコニコ動画では両方のバージョンを視聴することができる。値段は同じ。普通はアダルトな要素のある商品の方がその分お高くなる物だが、よくよく考えてみると、より手間暇がかかっているのは通常版だった。この本末転倒、頭隠して尻隠さずな感覚が美しい。

・30歳の保健体育


 本作は『30歳の保健体育』という名の恋愛ハウツー本をアニメ化した作品である。性行為レクチャーが中心だった原作とは異なり、アニメ版では表現規制の問題から恋愛レクチャー中心へと変更されている。ただし、ターゲットは変わらず三十歳オタク童貞。それゆえ、本作は普通の恋愛ハウツーアニメではなく、ましてや普通のラブコメアニメでもない。あくまで、限られた層を対象とした特殊な恋愛ドラマである。
 その観点から言うと、本作には大いに不満を覚えるポイントがある。それは三十歳オタク童貞という設定が物語的に全く生かされないことだ。これまで女性と付き合った経験のない男性が恋人を作るということはどういうことか、そういった特殊性が全く考慮されていないため、ひどく残念な出来になっている。「なぜ、彼女を作らなかったのか?」「なぜ、女性が苦手なのか?」「本当に女性と付き合いたいと思っているのか?」といった心理描写が極めて希薄であり、その結果、劇中で語られる恋愛レクチャーも全て的外れである。例えば、「女性と付き合いたければメールアドレスを聞け」というレクチャーをされたところで、それが簡単に聞ければ誰も苦労はしない。女性に免疫のない人間が如何にして女性からメールアドレスを聞き出すか、そして、そこからどうやって恋愛に発展させるかを教えなければ何も意味がないだろう。
 その上、第四話からはヒロイン視点が加わる。そこで判明するのが、ヒロインも主人公に対して好意を持っているという事実だ。つまり、「両想い」であり、その時点で完全なる「レアケース」である。恋愛ハウツードラマでレアケースを出してどうしようと言うのか。さらに、第七話でお互いに愛の神が付いていたというネタばらしまで行い、これを持って本作はラブコメですらなくなる。最早、何をやりたいのかすらわからない。(ただし、第十話で二人が仲違いして以降は、ラブコメとして面白くなる。そこまで耐えるのが大変だが)

・ギャグ


 原作及びその他派生作品とアニメ版との最大の相違点は、主人公の下に現われる愛の神(アニメ版は性愛の神)が、女性から男性に変更されていることである。なぜ、そんなことになっているのか、制作スタッフの深い考えなど凡人には及びもしないが、とりあえず視聴者側が見て取れるのは、一つは主人公とヒロインの双方に愛の神を出すことで物語的な広がりを出そうとしたこと、もう一つはギャグ中心で行こうという配慮からだろう。それぐらい、本作はラブコメよりもギャグの割合が高いのが特徴である。
 ただ、問題なのはその中身の方で、本作の世間的な批判ポイントはほぼここに集約されている。と言うのも、本作のギャグは愛の神達が常識外れの突飛な行動を行い、それを主人公がハイテンションな大声でツッコむといういわゆる「週刊少年ジャンプ風ギャグ」だからである。視聴者ターゲットが三十歳オーバーなのに、さすがにそれはないだろう。さらに目に付くのが、そのギャグと併用されるパロディーネタの数々である。『機動戦士ガンダム』ネタや『ジョジョの奇妙な冒険』などのジャンプ漫画ネタが多い。この下らなさを察して頂けるだろうか。自称愛の神が主人公に適当な恋愛レクチャーをするという時点で、すでにギャグとして成立しているのである。なのに、わざわざ、そこにパロディーを加えることでネタとネタがバッティングし、結果的に笑いが薄くなってしまう。もっと分かり易く言うと「寒い」のだ。やることなすこと全てが。
 このように、ギャグの質も使い方も全てにおいて「幼稚」なのが本作の特徴である。ただし、この幼稚さには実は意味がある。どこまで意図的だったか分からないが、主人公が三十歳まで童貞だったのは精神的に未熟だったからと定義し、作品の幼稚さ自体が主人公の未発達な精神性を示すというメタ構造になっているのである。物語の終盤、主人公は童貞王(原文ママ)との『ドラゴンボール』パロディーな戦いを経て子供っぽさから脱却し、ヒロインと肉体的に結ばれる。そういう意味では、ちゃんとした成長物語になっているのかもしれない。もっとも、ギャグがつまらないのは紛れもない事実なので、結局はただの言い訳だ。そもそも、この幼稚さを生み出している元凶は愛の神本人なので、設定的に矛盾している。偶然が奇跡を呼べるほどこの業界は甘くない。

・総論


 話のつまらなさが主人公の稚拙な精神性を表しているという自虐的作品。ある意味、前衛的だが、視聴者には知ったことではない。公共の場で大がかりな楽屋オチをやられても困るのである。いや、ほんとに。

星:★★★★★(-5個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 22:18 |  ★★★★★ |   |   |  page top ↑

『いつか天魔の黒ウサギ』

二万歩先に進んだアニメ。

公式サイト
いつか天魔の黒ウサギ - Wikipedia
いつか天魔の黒ウサギとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2011年。鏡貴也著のライトノベル『いつか天魔の黒ウサギ』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は山本天志。アニメーション制作はゼクシズ。ヴァンパイアのヒロインと彼女の力によって不死身の体を得た男子高校生を巡るオカルティックファンタジー。盛り沢山の設定と派手な超能力バトルといかした台詞回しが満載のいわゆる「中二病アニメ」である。

・作画


 何だ、このコンテ。今までいろいろなアニメを見てきたつもりだけど、まだ、こんなレベルのコンテのアニメが残っていたとは。世界は広い。
 まず、見た目がおかしい。不安感を演出するために画面を斜めに傾けるのはよくある手法だが、何と本作は最初から最後まで一貫して傾いているのである。シリアスシーンも日常シーンもギャグシーンも。しかも、その傾いだ水平線がパースと混在することで、建物自体が歪んでいるように見える。欠陥住宅か。不安を煽る手法は他に幾らでもあるだろう。シルエットにするとか、引き絵にするとか、魚眼レンズ風にするとか。まさに、馬鹿の一つ覚えと呼ぶに相応しい。
 レイアウトとカット割りも当然のように拙い。レイアウトが亜空間化し、繋がっていないカットが多々発生する。作画枚数を節約するためか、やたらとパンを多用する。かと思ったら、どうでもいいお色気シーンではよく動いたりする。そういった画的な稚拙さが如実に表れるのが戦闘シーンである。人物と巨大生物を同一線上に並べてスケール感を失ったり、キャラクターがジャンプするカットを真横から映して、そのままスライドさせるようなことを平気でする。フラッシュアニメじゃないんだから。エフェクトにこだわる暇があるなら、もっと根本的な部分に力を入れて欲しい。

・勢力


 本作の最大の欠点は、登場人物がどの組織に属していて、それらの組織がどのような行動原理で動いているのか分かり難いという点である。もちろん、劇中で何度か説明されているのだが、いまいちピンと来ない。軍、教会、天魔、月の外側の神、主人公達という複雑な勢力図を初見で把握できた人はほとんどいないだろう。その理由は明白だ。なぜなら、彼らの中心にいるはずのヒロインの設定自体があやふやだからである。
 ヒロインはヴァンパイア。一万年以上生きているらしい。基本的な性格は攻撃的だが、なぜか主人公の前だけでは可愛いキャラ。それは二重人格ということではなく、意図的な物らしい。普通、それを日本語で「ぶりっ子」と呼ぶはずだが。強い力を持っているようだが、使ったり使わなかったりとその潜在能力がよく分からない。九年前、主人公に呪いをかけた後、軍と教会に捕えられていたようだ。理由は不老不死に関することのはずだが、詳しい説明はない。天魔の予言によると、世界を破滅させる力を持っているらしい。そのため、軍が保護することになったのだが、人によって殺そうとしたり守ろうとしたりと行動に一貫性がない。以上、当て推量ばかりになってしまったが、全て事実なのだから仕方ない。
 ぶっちゃけるが、本作の設定は漫画『3×3 EYES』のパクリである。もちろん、『3×3 EYES』の設定の方が明らかにすっきりとしていて把握し易い。「ヒロインが死ぬと主人公も死ぬ」「力を使い果たすとヒロインは寝てしまう」「世界中の妖怪が不老不死の力を狙っている」といった条件のおかげで、主人公がヒロインを守らなければならない絶対的な理由があるからだ。一方、本作はヒロインの設定が曖昧なので、主人公がヒロインを守る理由は個人的な「主観」でしかない。それゆえ、彼女を狙う敵組織が善か悪か判断付きかねるのである。すると、物語に対立軸が存在しなくなり、誰と誰が何のために戦っているのか分からないという困った状況が発生する。バトル物で、この欠陥はかなり致命的である。

・主人公


 主人公はヒロインがかけた呪いにより、「十五分間に七回死ぬまでは不死身」という特異体質になってしまう。この設定はなかなか面白い。だが、この設定が物語に生かされているかと言うと、例の如く「否」だ。まず、どう考えても七回は多過ぎる。どうせ、最後の一回まで行かないと話が盛り上がらないのだから、それまでの六回を素早く消化しないといけない。すると、まるでスペランカー先生の如く主人公が簡単に死にまくることになる。と言うより、普通の人間だと重傷で終わるようなケガ程度で死んでいるような。まさか、雨に打たれただけで死ぬとは思わなかった。はっきり言って、これではコントである。こんなことなら、二・三回で十分だろう。
 また、せっかくの「十五分間に七回死ぬまでは不死身」という設定なのに、それをサスペンス演出に使わないという本末転倒な問題がある。当然、「十五分」「七回」といった「数字」が物語上の大きなキーワードになるはずだ。今まで何回死んだか、最初の死から何分経過したかという数字を強調し、生と死のギリギリの戦いを煽れば、視聴者をよりハラハラドキドキさせることができるだろう。そこに何らかのトリックを用いて、絶体絶命のピンチからの一発逆転をしてみせれば、これ以上ないカタルシスが味わえるはずだ。しかし、本作の主人公は漢らしい真っ向勝負(意訳:脳筋)しかしないので全く盛り上がらない。もっとも、それ以前に彼は「腕時計すらしていない」という頭の弱さなので、盛り上げようがないのも事実だ。十五分間に人生が懸かっているのだろう? 命が惜しくないの? なぜ、最も重要なはずのセールスポイントがこれほどまでいい加減なのか、理解に苦しむ。

・過程


 元々が中高生向けのライトノベルという事情もあるだろう。長いストーリーを強引にテレビアニメ化したことで、物理的に尺が足りないという事情もあるだろう。だが、それらを差し引いても、本作には物語の「過程」がない。なさ過ぎる。
 特に第二話。第一話でヒロインと主人公が再会した後、すぐに彼女を捕獲しに来た敵との戦闘になるのだが、それがラストバトルと見紛うばかりに迫力のある戦闘なのである。おかしいだろう。主人公は何の戦闘訓練も受けていない普通の高校生、ついさっき自分が不死身だと知ったばかり、そんな人間が真正面から異形の敵と戦えるはずがない。リアルがどうという話ではない。例えば、『3×3 EYES』だと最初の方は不死身の身体を生かした捨て身戦法ばかりだ。その後、四年間の修行を経て、ようやく敵と対等に戦えるようになるのである。そういった段階を踏まえて徐々に成長するからこそ、物語的な面白みが生まれるのであって、のっけから主人公がヒーロー的な活躍したら、そこで試合終了だろう。一体、制作者は何を考えているのか。
 続く第三話~第五話も酷い。寂しがり屋のヒロインは、主人公と幼馴染みが仲良くしていることに対する不安から「幸福」という名の謎の嫉妬パワーを発生させる。そのパワーは世界を滅亡させるぐらいの力があるらしい。ところが、三人が三角関係になったエピソードは、第三話のコロッケパンを巡る騒動ぐらいしかないのである。普通、こういった話は三角関係が熟成した物語の後半でやる物だろう。ストーリーのクライマックスにしてもいいぐらいだ。幾ら何でもコロッケパンに壊される世界って……。
 そう言えば、生徒会書記が生徒会に入る話がごっそり抜けているような気もするが、どうでもいいか。

・最終回


 本作は典型的な「設定詰め込み型」のアニメである。物語が一つ進む度に何か新しい設定・新しい人物が追加される。しかも、既存の設定を使い切る前に新しく増やす物だから、どんどんストックが溜まっていき、最終的にはパンクする。これは作者の物語作成能力が低いからだ。ちゃんとした物書きなら、主人公の七回死亡設定だけで1クールの物語ぐらい作れるだろう。
 だが、終盤の第十話・第十一話は、教会の傭兵に幼馴染みがさらわれ、人質交渉に行ったヒロインも捕まったため、主人公達が二人を助けに行くという単純明快な話になる。最初からそうしとけよとは口が裂けても言えない。そこでは、主人公のライトノベル原作らしい熱い啖呵を味わうことができる。ろくな伏線がなくても、瀕死の身体で熱い台詞を語っていれば、とりあえずは場が盛り上がるよねという考え自体が問題なのだが、まぁ、彼のヒロインに対する愛だけはよく伝わる。ただし、上記のように主人公がヒロインを守る動機は「主観」でしかない。彼女は命の恩人だということになっているが、彼が死ぬ原因を作ったのもヒロインである。そのため、明らかに敵側の言い分の方が説得力がある。また、「全部手に入れてやる!」という台詞も良くない。幼馴染みも敵に捕まっている状態なのだから、それでは二股交際宣言だ。まぁ、実際、ヒロインを助け出した後のエピローグではそうなるのだが。
 ちなみに、真の最終回は第十二話である。それは何かと言うと……まさかのお風呂回! 尺余ってるし。

・総論


 長編作品のクライマックスシーンだけを繋げた総集編のような作品。設定だけは豪華だが、それらは全く物語に生かされない。特に主人公とヒロインに関する描写は酷過ぎる。一言で言えば、「ライトノベル原作」ということだが。

星:★★★★★(-5個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 22:19 |  ★★★★★ |   |   |  page top ↑
twitter
検索フォーム
最新記事

全記事一覧
評価別一覧
年代別一覧
掲示板
カテゴリ
リンク
カウンター
RSSリンクの表示



にほんブログ村
PR1
PR2