『はたらく魔王さま!』

設定の妙。

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はたらく魔王さま!とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。和ヶ原聡司著のライトノベル『はたらく魔王さま!』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は細田直人。アニメーション制作はWHITE FOX。とある事情で現代日本にやってきた魔王が、いつか再び魔界へ帰る日のため、ファーストフード店で地道に働いて生活費を稼ぐファンタジーコメディー。

・魔王と勇者


 魔王とは何なのだろう。もちろん、これは文字通り「魔族の王」「魔界の王」という意味である。だが、「魔族とは?」「魔界とは?」と問われると急に途方もない無理難題と化す。ファンタジーゲームの性質上、冒険の障害となる敵は全て魔族である。スライムもゴブリンもゾンビもドラゴンも全部ひっくるめて。民族・種族の差どころか生物なのかどうかすら定かではない。では、そんな無茶苦茶な寄せ集め軍団を統べる王とは一体何なのか。一言で言うと、「よく分からない」だ。現実世界では絶対にあり得ないことなので、他の物に例えようがない。結局は、フィクション特有の非合理的なご都合主義=お約束に過ぎないということだ。ただ、質の高いファンタジーはその無理難題に何とか整合性を付けようと試みている。例えば、魔族は全て無から生まれた魔法生物であるといった設定や、知性のあるヒューマノイドだけが魔族で、その他の魔獣はただの野生生物に過ぎないといった設定など。しかし、それでもなお「魔王」という職業は存在自体が苦しい。魔族が世界にもたらそうとしている「混沌」と、一人の君主による独裁政治という「秩序」は元々相反する物だからだ。魔王に異形のモンスター達を支配できるほどの能力とカリスマ性があるなら、世界征服などといった子供じみた発想はやめて、もっと建設的な活動をするのではないだろうか、疑問である。
 では、勇者とは何なのだろう。これはいわゆる「英雄」のことだが、神話や寓話で語られるそれとは少し毛色が異なる。神話の英雄は神か神の化身がほとんどだが、ゲームの英雄は(何らかの出生の秘密があるにしても)基本的にはただの人間だ。また、神話の英雄が戦う相手はドラゴンや魔神などの個であるのに比べ、ゲームの英雄が戦う相手は魔界の魔王軍団という集団である。こうやって並べてみると、ゲームの英雄が如何に無謀なことに挑戦しているかがよく分かる。たった一人、もしくは数人の人間で数万もの大軍に立ち向かおうというのだから、なるほど、勇者と呼ばれるだけのことはある。ただ、この設定を成立させようと思えば、勇者に人間離れした一騎当千の力を身に付けさせなければならない。はたして、そこまで進化した人間が人間らしい正義の心を持ち続けられるだろうか、疑問である。
 このように、ファンタジーにおける魔王と勇者は、いずれも幾つかの疑問点と大きな設定の穴を抱えている。だからこそ、ファンタジーパロディーというジャンルが成立する。ただし、疑問点が明確である分、余程、上手く調理しないと各人が似通った物になってしまう。それゆえ、ある意味、作者のセンスが最も試される場と言えるかもしれない。

・導入


 異世界「エンテ・イスラ」。世界征服を企む魔王とそれを阻まんとする勇者の最終決戦が、魔界の魔王城において繰り広げられる。壮絶な戦いの末、勝利したのは勇者一行。追い詰められた魔王とその従者は、空間に転移ゲートを開いて辛くも脱出する。だが、辿り着いた先は現代の日本だった。地球上では魔力が回復できず、魔界へ帰還するための魔法が使えない魔王は、仕方なく普通の人間として生活を始める。様々な現実的困難に直面しながらも、六畳一間のアパートに腰を下ろし、ファーストフード店で働き始める魔王達。数ヶ月後、すっかり人間界の生活に慣れた魔王の元へ、一人のOL風の女性が現れる。彼女こそが魔王を追って日本にやってきて、現在はテレフォンアポインターとして働く勇者だったのだ。
 素晴らしい。ファンタジーコメディーの導入部として申し分のないオープニングだ。上記の魔王に対する疑問点を見事にコメディーに昇華している。基本設定がしっかりと練り込まれているため、どんなにキャラクターが突飛な行動をしても破綻せず、その分、ギャグの切れも良い。現代日本のリアルな生活を誇張もせず歪曲もせずにそのまま描いているのは好印象。何より目的がすっきりしているのが素晴らしい。「現代世界はファンタジー世界と違って魔力が少ないため、魔王は魔法を使えない。そのため、ファーストフード店に勤務しながら、魔界への帰還に必要な量の魔力を回復する方法を探す」と文句の付けようがない設定だ。魔界では最強の魔王が、ファーストフード店では一番下っ端のアルバイト店員で、そこから少しずつ出世して正社員を目指すという展開も面白い。確かに、社内で出世して部下を持つようになれば、間接的に人間を支配することになるため、何も間違ってはいない。これら一連の展開は、「最初から最強」が当たり前になっている昨今のアニメのアンチテーゼと言っても過言ではないだろう。
 ただ、心配なのは、本作は全て基本的に「出オチ」だということだ。恐怖の象徴たる魔王が庶民的な活動するというギャップが根幹なので、そこに慣れが生じるとネタが成立しなくなってしまう。構造的には、漫画『デトロイト・メタル・シティ』とよく似ている。あちらもデスメタルの人気ミュージシャンと純朴な青年のギャップが肝だが、最初は面白くてもずっと似たような展開とオチが続くため、単行本二巻目辺りから飽きが生じてしまう。本作もそういった危惧を抱えており、第二話以降の展開に不安が募る。

・キャラクター


 だが、上記の心配は杞憂に終わる。確かに出オチコメディーの宿命で、物語が後半に差し掛かるにつれて徐々にパワーダウンしている感は否めない。ストーリー自体も極めてオーソドックスであり、第五話までの第一部もそれ以降の第二部も、魔王と勇者の共通の敵が現われ、それに対して共闘して日本を守るというありがちな物だから、視聴者を惹き付ける物語的な求心力に欠ける。それでも、崖下に転がり落ちることなく最後まで一定のラインで踏み止まっているのは、やはり、登場キャラクターの個性が抜群に優れているからであろう。
 まず、主人公である魔王は非常に「良い人」である。もう、これだけでどう考えても面白い。バイト先のファーストフード店では気の利く優秀な店員であり、接客態度も素晴らしく、他人に親切である。せっかく貯まった魔力を人助けに使ってしまい、魔界に帰れなくなってしまうほど。なぜか、魔王のくせに遵法意識に溢れており、勇者よりも社会のルールに敏感である。その一方で、後輩の面倒見が良く、リーダーシップがあって組織を束ねる能力に優れている点などは、さすが魔王というカリスマ性が感じられる。視聴者に「こういう人を友人にしたい」「こういう人と一緒に働きたい」と思わせたら勝ちだ。そういう点において、本作は最初から最後まで極めて高い質を保っている。
 また、勇者のキャラクターも非常に良い。父親の仇である魔王の命を狙って日本まで追いかけ、日本で悪行を働かぬよう常に監視し続ける。事あるごとに魔王城に現れては生活態度を注意し、共通の敵が現れると「魔王を倒すのは私だ」と間に入って仲裁する。そう、要するに彼女は萌えアニメで言うところの「風紀委員キャラ」の強化版なのである。だが、魔王が意外にも良い人であり、世界征服の意志も弱いことを知って、徐々に態度を軟化させていく。それはいわゆる本来の意味における「ツンデレ」であり、非常に可愛らしい。勇者と魔王という立場、殺し殺されるという関係なのに仲良くなるという背徳感がさらに気分を盛り上げる。そして、第二部からは、風紀委員的な立場をさらにパワーアップさせた新キャラクターが登場し、勇者は彼女と魔王との間で板挟みになる。父親の仇である魔界の魔王は許せないが、魔王本人のパーソナリティーには心惹かれるという葛藤。最終的には、「全部、自分が責任を持つから大丈夫」という結論を勇者が出すのだが、それもまるで夫婦の話を見ているようで面白い。

・欠点


 本作は非常に上質のファンタジーコメディーである。設定が良く、キャラクターが良く、ゆえに単純なストーリーでも盛り上がる。ただ、コメディーに徹したことによる弊害で、やはり、どうしてもあちらこちらに細かな欠点を抱えてしまっている。あまり気にしてはいけない部分かもしれないが、そういうブログなので容赦されたし。
 まず、気になるのが、魔王と勇者の異世界における活躍の描写が圧倒的に不足している点だ。ストーリー自体が魔王城での最終決戦から始まるため、魔王が如何様にして世界征服を企み、勇者が如何様にしてその野望を打ち砕こうとしたのかが分からない。ここが分からないと、日本での魔王の不甲斐ない生活の面白さや勇者の魔王に対する執着心が薄まってしまう。これは要するに、世のファンタジーゲームに設定を丸投げしているということである。視聴者がそれらのゲームをプレイしていることが大前提であり、言い換えると本作はパロディーに過ぎないということだ。正直なところ、それはあまり良いとは言えない手法である。作品はその中で自己完結すべきであり、外部資料を要求するようになったらお終いである。
 もう一つ、もっと大事なことは、世界を手中に収めんとする恐怖の魔王が、なぜ人間界では「良い人」になっているのかの説明が不足している点だ。いくら前線の指揮官の暴走があったとは言え、魔王が大軍を率いて人間界に攻め込み、破壊の限りを尽くしたのは事実なのである。現代に飛ばされた後も、人間を支配するという野望自体は失っていない。そのことに関して、勇者は第四話で魔王に疑問を直接ぶつけるが、彼は「何かすまん。あの頃の俺、人間という物をよく理解してなかった」というあやふやな回答をする。彼の言葉をそのまま受け取ると、現代で社会生活を続ける内に人間の素晴らしさに気付いて丸くなったということになるが……いや、仮にも魔族の王の性格がそんなに簡単に変化する物だろうか。元々、こういう性格だったと考えるべきではないのか。ただ、そうなると、彼個人の性格と魔王としての役割は別ということになる。家では優しいお父さんが、職場では非情なビジネスマンになるというのはよくある話だが、それだと現実と理想の狭間で魔王が葛藤するという展開が欲しい。この辺りをもう少ししっかり描いていれば、本作はコメディーの枠を超えた歴史的な名作になっていただろう。

・総論


 作品の出来だけで言うと平均点だが、勇者が可愛いので少しおまけ。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆(8個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 23:18 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『苺ましまろ』

かわいいは、正義!

公式サイト
苺ましまろ - Wikipedia
苺ましまろとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2005年。ばらスィー著の漫画『苺ましまろ』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は佐藤卓哉。アニメーション制作は童夢。個性的な女子小学生四人を中心にした日常系ギャグアニメ。その愛くるしさと親しみやすさを兼ね備えた作風により、ネット上で様々なムーブメントを生み出し、中でも本作のキャプ画像や映像を用いたコラージュ作品は現在でも人気がある。テレビアニメ放送後にOVAが二回作られているが、それぞれ画風が異なるため、見比べてみると面白い。

・ロリアニメ


 主役五人の内、四人が可愛らしい女子小学生。そのため、一般的には、幼児性愛の傾向を持つ成人男性が好んで視聴するいわゆる「ロリアニメ」として認識されている作品である。どんなにコアなファンでも、このレッテルに反論する人はいないだろう。ただ、それだけで終わらせるのには少々疑問を覚える作品であるのも事実だ。例えば、『こどものじかん』や『ロウきゅーぶ!』のようなあからさまなロリアニメとは明らかに一線を画している。なぜだろうか? 両者の違いを挙げることは一見簡単そうに見えて、非常に難しい。そもそも、成人男性向けのアニメなのに小学生が主人公な時点でおかしいのだ。もっとはっきり言うと「異常」である。それゆえ、両者の違いを挙げようと思えば、異常性の中に正常性を見つけて優劣を付けるというとんでもなく不毛な行為にならざるを得ない。
 まず、一番初めに留意しなければならないことは、本作が「ギャグアニメ」だということである。もちろん、他のアニメでもギャグは重視されているのだが、それはあくまでプロセスの一つに過ぎない。しかし、本作の場合は、シュールなボケと的確なツッコミと絶妙な間の演出で視聴者を笑わせること自体が目的なのである。特に、美羽というキャラクターは人を笑わせるのが趣味で、事あるごとに友人達に自作のネタを披露する。要は「ネタ見せ」である。そのため、作者が思い付いたギャグを的確に表現できるキャラクターでさえあれば、登場人物が小学生である必要性はあまりない。たまたま作者の好みが小学生だったというだけだ。ただ、逆説的かもしれないが、中心的なテーマと離れているからこそ、キャラクターを可愛く描くことに注力することができるという利点があるかもしれない。
 一方、ギャグに特化したことで幾つかの弊害も生まれている。作品の性質上、ボケまくって話を進めないといけない狂言回し役の美羽にばかり負担がかかり、そのせいで「うざキャラ」と捉えられることが往々にしてあるのだ。一応、第五話などでストーリー的なフォローを入れているのだが、どうしても賛否が分かれる結果になってしまっている。また、漫画では気にならないアンモラルな不条理ネタ(特に笹塚関連)が、映像だとどうしても引っかかる。しかも、アニメ版は穏やかな日常描写の方に重きを置いているため、そういったブラックな側面が明らかにが浮いてしまっている。ここも賛否がくっきりと分かれるポイントだろう。

・キャラクター


 本作のキャラクターは小学六年生の常識人の千佳、彼女の隣人でトラブルメイカーの美羽、一つ学年が下がり、内気で大人しい小学五年生の茉莉、彼女のクラスメイトで英語が話せない英国人のアナの個性的な四人が主要メンバーである。ただし、こうやって人物設定だけを並べてみてもあまり意味がない。上記の通り、本作はネタ見せ系のギャグアニメであり、この四人を使って如何に面白いネタを生み出せるかが趣旨なのだから。テンプレキャラを並べて、その特殊な設定だけで笑いを生もうとする他アニメとは訳が違う。どちらかと言うとシチュエーションコメディーに近いのかもしれない。
 ただ、その中でも、もう一人の主役である伸恵だけは異彩を放っている。彼女は、ダウナーな性格の女子高生(アニメ版では道徳的な観点から短大生に変更)で千佳の姉でもある。同性愛と幼児性愛的な傾向があり、妹の友達を成人男性的な視線で愛でている。一方、彼女達からも「お姉ちゃん」「お姉様」と呼ばれ慕われている。この設定だけ見ても分かる通り、彼女は作者及び視聴者の分身的なキャラクターである。可愛らしい幼女を目と鼻の先の距離で静かに見守るという幼児性愛者にとっての理想的な環境だ。だが、女子小学生グループの中に男性がいると不自然な光景になってしまうため、性別を女性に変換している。ある意味、打算的で嫌らしい手法なのだが、これが意外と良い効果を生んでいる。つまり、比較対象としての成人女性がすぐ側にいることで、子供達がより子供らしく生き生きとして見えるのだ。そういう意味で言うと、短大生に変更されたアニメ版の方が作品としての質は高い。
 本作の特徴の一つとして、彼女達の来ている普段着が非常にオシャレなことが挙げられる。コーディネートと色彩感覚が良く、細かい装飾もしっかりと書き込まれている。しかも、各回ごとに服装が変わるという念の入れ様だ。「子供服のカタログからコピーしただけ」と言われれば確かにそうなのだが、それすらできていないアニメが多い中、本作のセンスの良さは際立っている。何しろ、基本的にサブカルチャーにおけるヒロインの私服はダサい。最近は女性が業界に進出して幾らか改善されたようだが、かつて男性スタッフだけで作っていたギャルゲーのヒロインなど酷い物だ(ちなみに、女性スタッフが中心なのに『けいおん!』の私服は極めてダサい)。予算の少ない男性向け深夜アニメだからと言って、こういう細かい点でも手を抜かないのは素晴らしい。

・リアリティ


 ここまで書いておいて何だが、実際のところ、彼女達はあまり「可愛くない」。いきなり存在自体を否定するような発言をして申し訳ないが、ご容赦されたし。もちろん、服装も含めて容姿は非常に可愛らしいのだが、問題は中身である。それと言うのも、彼女達は非常に「自由」なのだ。ギャグアニメというジャンルが示す通り、常にアグレッシブで口もマナーも悪く、取っ組み合いのケンカは日常茶飯事。小学六年生なのにダイエットのことを気にしたり、当たり前のように携帯電話を使いこなしたり、人目をはばからずトイレに行ったりと、男性アニメファンが想像するような「子供らしくて可愛い」態度はあまり取らない。言い換えると、彼女達は誰にも「媚びていない」のである。それは視聴者の分身である伸恵に対しても同様で、慕ってはいるが、だからと言って彼女がいなければ何もできないというわけではない。彼女達は伸恵がいてもいなくても好き勝手に動き回り、一方の伸恵はそれを微笑ましく見守りつつ、こっそりと裏で支えるという構図に徹している。(ただし、茉莉だけは意図的に媚びたキャラクターに設定している。にも係らず、四人の中で彼女が一番不人気なのが面白い)
 話は少し逸れるが、本作のもう一つのジャンルは「日常系アニメ」である。それも安全な場所でダラダラと過ごすだけの似非日常系ではなく、小学生が日々過ごしている生活をそのまま一部分だけ切り取ったような情景を描いている。物語の舞台は極めて狭く、たまに外出するだけで後はほとんどが自宅と学校。そこにおいても、何らかの特別なイベントは起こらず、多少の誇張はあるにしても普通の小学生が普通に経験するようなことばかりだ。演出的にも背景や小物を丁寧に描き、BGMは場面転換時ぐらいにしか流れない。つまり、本作が重視している物は、ヒロイン達がまるでそこに存在しているかのような「リアリティ」である。生活感や空気感などと置き換えてもいい。大人が望む理想の子供像を創造するのではなく、まず、現実の子供をあるがままに描き、その上で良い部分を強調するという創り方。これは本当に子供が好きで、子供をよく観察していないとできないことだ。ロリだの百合だのエロだのは視聴者が後から勝手に想像すればいいのである。もう、この時点で、本作はそこらの商業主義的なロリアニメとは格が違うのである。

・子供


 結局、「子供の可愛さとは何か」という話である。あくまで個人的な意見だが、大きく分けて二種類挙げることができるだろう。一つは「守ってあげたい可愛さ」だ。幼気で弱々しく、見ていて危なっかしい。到底一人では生きて行けず、子供の方からも大人の保護を求めている。それゆえ、視聴者に「俺が付いていてあげないといけない」と思わせる。つまり、父性本能に訴えかけるのである。大半のロリアニメが描いている可愛さはこちらである。それ自体は別におかしくないのだが、一歩間違えるとただ反抗できない相手を弄んでいるだけのパワハラになる危険性を孕んでいる。しかも、昨今はそこに性的な要素まで加えるため、児童ポルノギリギリのどうしようもない状態になっているのはご承知の通りだ。
 そして、もう一つは「わがままな可愛さ」だ。子供は基本的に既成の枠に捉われない存在である。常識やモラルに捕らわれた大人が決してできない行動をいとも容易く行う。それは、一見するとわがままで不快な行為かもしれないが、いつしかそれを微笑ましく思っている自分に気付くだろう。これもまた父性本能の一種である。本作が主に描いているのはこちらの可愛さだ。本作のキャッチコピーは「かわいいは、正義!」である。これは要するに萌え重視という意味だが、そのままの意味で取ることもできる。つまり、可愛いから何をやっても許されるということであり、逆に好き勝手にやっているからこそ可愛いということでもある。
 そして、本作の巧みなところは、後者をベースにしつつ前者も程良く混合していることだ。茉莉というキャラクターもそうだし、前者とは程遠いはずの美羽もそういう面を持っている。一人っ子という家庭環境も影響しているのだろうが、彼女は実は寂しがり屋の甘えん坊で、普段のお調子者な言動はその裏返しでもある。特に伸恵に対しての承認欲求と独占欲は人一倍強く、彼女が他の子を可愛がっていると嫉妬したり、さらに悪ふざけをしたりする。第五話では嫉妬がピークに達して大泣きし、仕方なく伸恵は一緒に添い寝して彼女の本音を聞く。この時の美羽は、どんなロリアニメのどんなキャラクターよりも「可愛い」。

・総論


 これだけの有名作品なのに、意外と『苺ましまろ』フォロワーは少ないように思える。本作好きを公言している作家の作品も、似てる部分はあるがどこか根本的に異なっている。それは子供の可愛さをどこに見るか、言い換えると「どれだけ子供が好きか」の違いだろう。ちなみに、ここで書いたことは、全てOP曲『いちごコンプリート』の歌詞の中で書かれていることである。なるほど、よくできた作品である。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆(8個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 23:27 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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