『苺ましまろ』

かわいいは、正義!

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苺ましまろとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2005年。ばらスィー著の漫画『苺ましまろ』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は佐藤卓哉。アニメーション制作は童夢。個性的な女子小学生四人を中心にした日常系ギャグアニメ。その愛くるしさと親しみやすさを兼ね備えた作風により、ネット上で様々なムーブメントを生み出し、中でも本作のキャプ画像や映像を用いたコラージュ作品は現在でも人気がある。テレビアニメ放送後にOVAが二回作られているが、それぞれ画風が異なるため、見比べてみると面白い。

・ロリアニメ


 主役五人の内、四人が可愛らしい女子小学生。そのため、一般的には、幼児性愛の傾向を持つ成人男性が好んで視聴するいわゆる「ロリアニメ」として認識されている作品である。どんなにコアなファンでも、このレッテルに反論する人はいないだろう。ただ、それだけで終わらせるのには少々疑問を覚える作品であるのも事実だ。例えば、『こどものじかん』や『ロウきゅーぶ!』のようなあからさまなロリアニメとは明らかに一線を画している。なぜだろうか? 両者の違いを挙げることは一見簡単そうに見えて、非常に難しい。そもそも、成人男性向けのアニメなのに小学生が主人公な時点でおかしいのだ。もっとはっきり言うと「異常」である。それゆえ、両者の違いを挙げようと思えば、異常性の中に正常性を見つけて優劣を付けるというとんでもなく不毛な行為にならざるを得ない。
 まず、一番初めに留意しなければならないことは、本作が「ギャグアニメ」だということである。もちろん、他のアニメでもギャグは重視されているのだが、それはあくまでプロセスの一つに過ぎない。しかし、本作の場合は、シュールなボケと的確なツッコミと絶妙な間の演出で視聴者を笑わせること自体が目的なのである。特に、美羽というキャラクターは人を笑わせるのが趣味で、事あるごとに友人達に自作のネタを披露する。要は「ネタ見せ」である。そのため、作者が思い付いたギャグを的確に表現できるキャラクターでさえあれば、登場人物が小学生である必要性はあまりない。たまたま作者の好みが小学生だったというだけだ。ただ、逆説的かもしれないが、中心的なテーマと離れているからこそ、キャラクターを可愛く描くことに注力することができるという利点があるかもしれない。
 一方、ギャグに特化したことで幾つかの弊害も生まれている。作品の性質上、ボケまくって話を進めないといけない狂言回し役の美羽にばかり負担がかかり、そのせいで「うざキャラ」と捉えられることが往々にしてあるのだ。一応、第五話などでストーリー的なフォローを入れているのだが、どうしても賛否が分かれる結果になってしまっている。また、漫画では気にならないアンモラルな不条理ネタ(特に笹塚関連)が、映像だとどうしても引っかかる。しかも、アニメ版は穏やかな日常描写の方に重きを置いているため、そういったブラックな側面が明らかにが浮いてしまっている。ここも賛否がくっきりと分かれるポイントだろう。

・キャラクター


 本作のキャラクターは小学六年生の常識人の千佳、彼女の隣人でトラブルメイカーの美羽、一つ学年が下がり、内気で大人しい小学五年生の茉莉、彼女のクラスメイトで英語が話せない英国人のアナの個性的な四人が主要メンバーである。ただし、こうやって人物設定だけを並べてみてもあまり意味がない。上記の通り、本作はネタ見せ系のギャグアニメであり、この四人を使って如何に面白いネタを生み出せるかが趣旨なのだから。テンプレキャラを並べて、その特殊な設定だけで笑いを生もうとする他アニメとは訳が違う。どちらかと言うとシチュエーションコメディーに近いのかもしれない。
 ただ、その中でも、もう一人の主役である伸恵だけは異彩を放っている。彼女は、ダウナーな性格の女子高生(アニメ版では道徳的な観点から短大生に変更)で千佳の姉でもある。同性愛と幼児性愛的な傾向があり、妹の友達を成人男性的な視線で愛でている。一方、彼女達からも「お姉ちゃん」「お姉様」と呼ばれ慕われている。この設定だけ見ても分かる通り、彼女は作者及び視聴者の分身的なキャラクターである。可愛らしい幼女を目と鼻の先の距離で静かに見守るという幼児性愛者にとっての理想的な環境だ。だが、女子小学生グループの中に男性がいると不自然な光景になってしまうため、性別を女性に変換している。ある意味、打算的で嫌らしい手法なのだが、これが意外と良い効果を生んでいる。つまり、比較対象としての成人女性がすぐ側にいることで、子供達がより子供らしく生き生きとして見えるのだ。そういう意味で言うと、短大生に変更されたアニメ版の方が作品としての質は高い。
 本作の特徴の一つとして、彼女達の来ている普段着が非常にオシャレなことが挙げられる。コーディネートと色彩感覚が良く、細かい装飾もしっかりと書き込まれている。しかも、各回ごとに服装が変わるという念の入れ様だ。「子供服のカタログからコピーしただけ」と言われれば確かにそうなのだが、それすらできていないアニメが多い中、本作のセンスの良さは際立っている。何しろ、基本的にサブカルチャーにおけるヒロインの私服はダサい。最近は女性が業界に進出して幾らか改善されたようだが、かつて男性スタッフだけで作っていたギャルゲーのヒロインなど酷い物だ(ちなみに、女性スタッフが中心なのに『けいおん!』の私服は極めてダサい)。予算の少ない男性向け深夜アニメだからと言って、こういう細かい点でも手を抜かないのは素晴らしい。

・リアリティ


 ここまで書いておいて何だが、実際のところ、彼女達はあまり「可愛くない」。いきなり存在自体を否定するような発言をして申し訳ないが、ご容赦されたし。もちろん、服装も含めて容姿は非常に可愛らしいのだが、問題は中身である。それと言うのも、彼女達は非常に「自由」なのだ。ギャグアニメというジャンルが示す通り、常にアグレッシブで口もマナーも悪く、取っ組み合いのケンカは日常茶飯事。小学六年生なのにダイエットのことを気にしたり、当たり前のように携帯電話を使いこなしたり、人目をはばからずトイレに行ったりと、男性アニメファンが想像するような「子供らしくて可愛い」態度はあまり取らない。言い換えると、彼女達は誰にも「媚びていない」のである。それは視聴者の分身である伸恵に対しても同様で、慕ってはいるが、だからと言って彼女がいなければ何もできないというわけではない。彼女達は伸恵がいてもいなくても好き勝手に動き回り、一方の伸恵はそれを微笑ましく見守りつつ、こっそりと裏で支えるという構図に徹している。(ただし、茉莉だけは意図的に媚びたキャラクターに設定している。にも係らず、四人の中で彼女が一番不人気なのが面白い)
 話は少し逸れるが、本作のもう一つのジャンルは「日常系アニメ」である。それも安全な場所でダラダラと過ごすだけの似非日常系ではなく、小学生が日々過ごしている生活をそのまま一部分だけ切り取ったような情景を描いている。物語の舞台は極めて狭く、たまに外出するだけで後はほとんどが自宅と学校。そこにおいても、何らかの特別なイベントは起こらず、多少の誇張はあるにしても普通の小学生が普通に経験するようなことばかりだ。演出的にも背景や小物を丁寧に描き、BGMは場面転換時ぐらいにしか流れない。つまり、本作が重視している物は、ヒロイン達がまるでそこに存在しているかのような「リアリティ」である。生活感や空気感などと置き換えてもいい。大人が望む理想の子供像を創造するのではなく、まず、現実の子供をあるがままに描き、その上で良い部分を強調するという創り方。これは本当に子供が好きで、子供をよく観察していないとできないことだ。ロリだの百合だのエロだのは視聴者が後から勝手に想像すればいいのである。もう、この時点で、本作はそこらの商業主義的なロリアニメとは格が違うのである。

・子供


 結局、「子供の可愛さとは何か」という話である。あくまで個人的な意見だが、大きく分けて二種類挙げることができるだろう。一つは「守ってあげたい可愛さ」だ。幼気で弱々しく、見ていて危なっかしい。到底一人では生きて行けず、子供の方からも大人の保護を求めている。それゆえ、視聴者に「俺が付いていてあげないといけない」と思わせる。つまり、父性本能に訴えかけるのである。大半のロリアニメが描いている可愛さはこちらである。それ自体は別におかしくないのだが、一歩間違えるとただ反抗できない相手を弄んでいるだけのパワハラになる危険性を孕んでいる。しかも、昨今はそこに性的な要素まで加えるため、児童ポルノギリギリのどうしようもない状態になっているのはご承知の通りだ。
 そして、もう一つは「わがままな可愛さ」だ。子供は基本的に既成の枠に捉われない存在である。常識やモラルに捕らわれた大人が決してできない行動をいとも容易く行う。それは、一見するとわがままで不快な行為かもしれないが、いつしかそれを微笑ましく思っている自分に気付くだろう。これもまた父性本能の一種である。本作が主に描いているのはこちらの可愛さだ。本作のキャッチコピーは「かわいいは、正義!」である。これは要するに萌え重視という意味だが、そのままの意味で取ることもできる。つまり、可愛いから何をやっても許されるということであり、逆に好き勝手にやっているからこそ可愛いということでもある。
 そして、本作の巧みなところは、後者をベースにしつつ前者も程良く混合していることだ。茉莉というキャラクターもそうだし、前者とは程遠いはずの美羽もそういう面を持っている。一人っ子という家庭環境も影響しているのだろうが、彼女は実は寂しがり屋の甘えん坊で、普段のお調子者な言動はその裏返しでもある。特に伸恵に対しての承認欲求と独占欲は人一倍強く、彼女が他の子を可愛がっていると嫉妬したり、さらに悪ふざけをしたりする。第五話では嫉妬がピークに達して大泣きし、仕方なく伸恵は一緒に添い寝して彼女の本音を聞く。この時の美羽は、どんなロリアニメのどんなキャラクターよりも「可愛い」。

・総論


 これだけの有名作品なのに、意外と『苺ましまろ』フォロワーは少ないように思える。本作好きを公言している作家の作品も、似てる部分はあるがどこか根本的に異なっている。それは子供の可愛さをどこに見るか、言い換えると「どれだけ子供が好きか」の違いだろう。ちなみに、ここで書いたことは、全てOP曲『いちごコンプリート』の歌詞の中で書かれていることである。なるほど、よくできた作品である。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆(8個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 23:27 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『NOIR』

和製フィルム・ノワール。

公式サイト
NOIR - Wikipedia
NOIRとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2001年。オリジナルテレビアニメ作品。全二十六話。監督は真下耕一。アニメーション制作はビィートレイン。真下耕一が長年温めてきた「銃と少女」をテーマにしたガンアクションムービー。原案・脚本は後に小説家として名を馳せる月村了衛。同一テーマで制作された『MADLAX』『エル・カザド』と合わせて、「美少女ガンアクション三部作」と呼称されることもある。2011年にサム・ライミ監督による実写ドラマ化が報じられたが、未だにその続報はない。

・ノワール


 そのタイトルが示す通り、かつての「フィルム・ノワール」を強く意識して作られた作品である。ノワールとはフランス語で「黒」。つまり、裏社会を指す。ギャングや探偵、殺し屋、刑事、弁護士などを主人公にして、反社会的な一匹狼的な世界観を丹念に描く。一般的なハードボイルド映画とノワール映画との違いを定義するのは難しいが、目に付くのはその全体に漂う退廃的なムードだ。倫理観が欠落していたり、秩序よりも自由を優先したり、人の醜さを強調したり、ミステリアスな悪女に翻弄されたりするなど、最終的に主人公が悲惨な結末を辿ることも多く、「滅びの美学」が一つのテーマになっている。元々、モノクロムービーが発端なだけあって、映像は光と影のコントラストを強くして暗黒街の雰囲気を演出し、人間の暗い側面を暴き出す。また、回想シーンを多用して、現実と夢想の境界線を曖昧にするという手法もよく使われる。
 日本ではあまり存在し得ない(=生まれ難い)ジャンルである。と言うのも、日本で現代の裏社会を描くとどうしても「ヤクザ物」になってしまい、そうすると必ず「義理・人情」の世界になってしまうからだ。つまり、自己の同一性ではなく他者との関係性がテーマになってしまうのである。そのため、組織に属しない一匹狼が闇に紛れて生きるクールさやダンディズムを描くのは、総じて上手くない。時代劇だとそれなりに暗い側面も描けるのだが、チャンバラにガンアクションと同一のリアリティを求めるのは酷だ。
 そんな中、本作のようにアニメーションでフィルム・ノワールを再現しようという試みは、実に興味深い。しかも、それがほぼ成功していることが何より恐ろしい。実写でできないことが、なぜかアニメだとできるのである。日本の映画界のレベルが低いのか、アニメ界のレベルが高いのか、それとも、その両方か。どちらにしても、手放しで喜べる話ではないことだけは確かだ。

・殺し屋


 若い女性の身でありながら、フランスのパリで殺人代行業(殺し屋)を営むミレイユ・ブーケの元へ、ある日、夕叢霧香と名乗る日本の女子高生からメールが届く。その手紙に添えられていたオルゴールのメロディと「ノワール」という単語に記憶を呼び覚まされたミレイユは、日本で霧香と会う。彼女には記憶がなく、自分が何者かも分からないと言うが、なぜか超人的な殺人術を持っていた。自己の再生を願う霧香、家族の復讐を願うミレイユ、利害が一致した二人はフランスで一緒に暮らしながら、暗殺ユニット「ノワール」を結成するのだった。
 物語の前半は、二人が殺し屋として活躍する一話完結型のストーリーである。練り込まれたストーリーと奥深い人物設定、緻密な背景描写、現実感のあるガンアクションとどこを取っても極めてクォリティの高い作品に仕上がっている。そこに真下耕一のフィルム・ノワールを意識した演出が加わると、完全に深夜アニメのレベルを超えていると言っても過言ではない。さらに、特筆すべきは梶浦由記が担当した音楽である。本人自身、最も印象深い仕事とインタビューで答えている通り、一曲一曲が粒揃いでノワールな雰囲気作りに一役買っている。最早、BGMと言うより映像と同等の関係だ。中でも戦闘時に流れる「salva nos」は出色であり、この曲がきっかけで俗に言う「梶浦語」曲(造語を生かしたメロディー)が生まれたと語っている。
 アニメ的な欠点を言うと、雑魚敵の黒服が弱過ぎることが挙げられる。主人公の超人性を浮き立たせるために敵を弱くするのは常套手段だが、本作の敵のほとんどが反撃もできぬまま、短い呻き声を挙げて一撃で倒されるのである。テレビゲームにおけるやられキャラレベルであり、まるで人間味が感じられない。もう少し、他に描き様はなかったのか。また、本作が抱えるもう一つの致命的な欠点は、超絶的に「眠い」ことだ。つまらないとか退屈とかではなく、物理的に眠いのである。話の展開に抑揚がなかったり、回想シーンを何度もリフレインしたりして、視聴者の眠気を誘う。そういう内容なのだから仕方ないと言われればそうなのだが、人を選ぶアニメなのは間違いない。

・キャラクター


 ミレイユはグラマラスで落ち着いた雰囲気を持つ大人の女性。プライドが高く、自他共に厳しい性格で殺しの腕も一流だが、完全無欠の霧香に比べると数段落ちる。劇中でも何度か敵にやられており、それゆえ、視聴者に付けられたあだ名は「ダメイユ」。口にこそ出さないが、霧香に対して強い劣等感を抱いている様子がうかがえる。一方、霧香は天才的な戦闘能力とは正反対に、無口で子供っぽく生活力のないタイプ。自分が何者か分からない(のに、なぜか簡単に人を殺せる)ことで破滅願望があり、事が済み次第、口封じのために殺すと宣言しているミレイユに対しても、それを待っていると告げる。そんな二人の同棲生活は奇妙な物だった。仕事では息の合うパートナーだったが、プライベートでは殺す・殺されるのサディスティックな関係。しかし、好きの反対は無関心と言うように、殺したいと思うのは強い関心があるということだ。ミレイユはいつしか霧香に対して深い親愛の情を覚えていく。友人のようで、姉妹のようで、そして、恋人のようで。
 ネタバレになるが、二人は伝説の女性暗殺者コンビ「ノワール」の候補者であり、最終的にそれに選ばれたのは年長のミレイユではなく、若い霧香と彼女と同年代の少女・クロエだった。また、子供の頃、ミレイユの家族を殺したのも霧香だった。それを知った時のミレイユの苦悩は計り知れない。自分に屈辱を味わわせた相手、自分の人生を狂わせた相手。しかし、それでもミレイユは霧香を受け入れる。ただの共依存の関係なのかもしれない。自分自身を慰めたかっただけなのかもしれない。それでも、必ず彼女の側にいてあげなければならないという強い絆。そう、本作で描いている物こそが、本来の意味で言う「百合」なのである。
 ちなみに、下衆な話だがノワールの別名は「黒き手の処女」である。選ばれたのは霧香とクロエ。だが、最後に霧香はノワールを拒絶してミレイユの元へ戻る。これを女性のアイデンティティの問題として見ると面白い結果が出ると思うが、さすがにそこまでは踏み込まない。

・ストーリー


 ソルダという秘密組織があった。かつて、彼らは自ら育て上げたノワールという超人的な女性暗殺者コンビを用いて、世界の悪しき力から弱き民衆を守るために暗躍していた。時が流れ、ただの犯罪組織と化したソルダの幹部の一人、アルテナが原点回帰とノワールの復活を画策する。目的は腐り切った世界に変革をもたらすため。彼女は候補者を三人立てて試練を与え、クリアした者の中から二人を抽出するというプロセスを取った。その候補者が幼い頃のミレイユと霧香、そして、クロエという子飼いの少女だった。しかし、急進的なアルテナ派に対して、組織内の現状維持派が反発する。そんな内部抗争に否応なく巻き込まれていくミレイユと霧香……。
 一握りの暗殺者集団が裏で世界を動かしていたというのは、陰謀論を語る上でよく出てくるテーマである。本作もそういった設定をベースにしているが、実質的には「アルテナの物語」である。彼女は戦災孤児であり、他の誰よりも残酷な現実を目の当たりにして生きてきた。それゆえ、彼女が夢見た物は、誰もが平等に暮らせる理想郷の建設であった。感覚的には、テロリストと言うより『もののけ姫』のエボシ御前に近い立場の人間である。しかし、「愛で人を殺せるなら、憎しみで人を救うこともできるはず」という信念に基づき、理想のためには手段を選ばないという彼女のイデオロギーは、最後まで人を惹き付けることはできなかった。
 最終的には、アルテナに捕らわれた霧香をミレイユが助け出し、霧香がノワールであることを否定したことで、彼女の野望は失敗に終わる。しかし、それがハッピーエンドかと問われると回答に窮す。現実世界の問題は残ったままであり、何よりミレイユも霧香も普通の生き方ができない人間だ。このまま暗殺者稼業を続けるのか、すっぱり足を洗うのか、それとも……。その問いに対する答えがラストに流れる二つの銃声なのだろうか。そう考えると、本作は紛れもないフィルム・ノワールである。

・総論


 アニメオタクを名乗るなら、見ていてしかるべき作品の一つ。視聴には多少の忍耐力を伴うが、実写では不可能なフィルム・ノワールをアニメで再現するという無理難題に見事に応えた貴重な作品と言えるだろう。本作をリアルタイムで見られた人は真の幸せ者だ。ちなみに、本作の前番組が『アルジェントソーマ』で、後番組が『ココロ図書館』である。どうやら、この頃のテレビ東京は神がかっていたようだ。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆(8個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 22:58 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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