『のんのんびより』

田舎。

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・はじめに


 2013年。あっと著の漫画『のんのんびより』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は川面真也。アニメーション制作はSILVER LINK.。過疎化した集落の分校に通う子供達ののんびりとした生活を描いた日常系アニメ。内容が分からなくても、とりあえず「にゃんぱすー」と言っておけば話題に乗れる。

・日常系アニメ


 もう何度も取り上げているが、日常系アニメとは、我々の住む平凡な社会の中に人為的に楽園を作り上げ、その保護された空間内で自由気ままに過ごす子供達の日常風景を淡々と描いた作品である。楽園には気の合う仲間達しか住んでおらず、邪魔をする者は誰もいない。そんな理想の光景を見て、日々の社会活動に疲れた人々が気持ち良く現実逃避するのが役割である。ただし、あまりにも楽園の非現実感が過ぎると、視聴者がその世界の中に上手く入り込めないため、ある程度のリアリティが必要になる。だが、そこが一番難しい。人を集めることは可能だが、場所を確保するのが容易ではない。例えば、他のアニメでよくあるように、生徒会を私物化することは現実的にほぼ不可能だし、部活なら厳しい顧問や嫌な先輩がいる。新しく部活を作るにしても、その行動力と積極性がある人間なら最初から現実逃避用の楽園など必要としないだろう。では、ある程度のリアリティを保ったまま楽園を作り上げるにはどうしたらいいか、そう考えた本作の作者は、ある起死回生の斬新なアイデアを持ち出すことで不可能を可能にしている。現実社会の中に自分達しかいない空間を作り上げるのが困難なら、端から自分達以外の人間を消してしまえばいい。つまり、極めて人間の数が少ない世界を用意すればいい。そんな場所は現代の日本に存在するのか? 答えは是だ。数自体は非常に少ないが、確かに存在する。それが「田舎」である。
 本作の舞台は日本のどこかにある地方の町。過疎化が進行し、家はまばらで田んぼと畑がどこまでも広がっている。町には小中が併設された分校が一つ、全校生徒はたったの四人、それぞれ中三・中二・中一・小一。そこへ小学五年生の女の子が東京から転校してくる。最初は都会と田舎のギャップに戸惑いつつも、すぐに慣れて仲良しになる。こうして、学年の違う五人の子供達の楽しくも穏やかな日常が幕を開けるのだった、というのが本作の趣旨である。ご覧の通り、楽園の範囲を町全体に広げることで、リアリティを保ちつつ不整合をなくしている。かなり卑怯な手段ではあるが、これと言う非現実的な特殊設定を用いず、今ある物だけを使って何とかしようとする発想自体は面白い。一見、かつての雰囲気アニメに先祖返りしたようだが、そこは日常系アニメ、親に相当する世代はほとんど出て来ないし、訴えたいテーマも希薄、とにかく何もない田舎町を舞台にして美少女グループがダラダラと過ごすだけ。それが良いことか悪いことかの判断は難しいが、特にモラルに反しているわけでもなく、田舎を小馬鹿にするような描写もないため、取り立てて大騒ぎする必要はない。それは逆もしかりで、無理やり持ち上げるような作品でもない。どこまでも普通の日常系アニメである。

・世代


 さて、そんな本作と他の日常系アニメの最大の相違点は、楽園の範囲を町単位に拡大したことで、キャスティングの範囲までもが拡大していることである。他のアニメだと普通は同学年の仲の良い友達同士、広くても同じ部活仲間の三学年分が登場人物の範囲になる。一方、本作は田舎の分校をそのまま舞台にしているため、小学一年生から中学三年生に至るまで分布している。その範囲は九学年分。それに加え、近所に住む学校の卒業生もちょくちょく話に絡んでくるため、登場人物の年齢層が非常に幅広い。ここまで離れると完全に「世代」自体が違ってくる。世代が異なるということは、世間の流行や趣味、共有する思い出や記憶、さらには物の考え方までもが異なるということだ。例えば、同じ物を見てもそれぞれ感想が違ってくるだろうし、社会正義に対する認識も歪みが生じてくるだろう。そういった人々が一堂に会することで、当然、会話のズレや意見の衝突に繋がるのだが、逆に言うと視点が多角的になるということであり、話の面白みや現実感が増す。日常系アニメと言えば、得てして同好の士による馴れ合い物語になりがちだが、こうすることで作品に深みを与えている。
 本作には、小学一年生の宮内れんげという女の子が登場する。小学五年生の一条蛍が転校してくるまで、中学一年生の越谷夏海が一番歳の近い知り合いだった。六歳差である。いくら過疎化した田舎とは言え、そこまで歳が離れると対等な友人関係とは言い難い。どうしても保護する者と保護される者という絶対的な上下関係が生まれるため、同じ価値観を共有することは困難になる。そういう意味で言うと、彼女は間違いなく「孤独」な少女である。同学年の友達が一人もおらず、自分の気持ちを本当に理解してくれる人が周囲にいない。彼女は常に無表情で感情の変化が乏しいため、一見すると何事もなく平然としているかのように思われるが、その本心は堪え切れない寂しさに溢れているはずだ。実際、劇中でも何度かそういった感情を垣間見せる。特に、第四話では田舎に帰省した同年代の女の子との出会いと別れを経験し、初めて涙を流す。本作は、そういった孤独な少女を年長者がどう受け入れるかがもう一つのテーマとなっている。結論から書くと、「田舎だから」皆が彼女を自然と受け入れ、これからも楽しい毎日が続いていくという話になり、本作の楽園感を演出しているのだが……まぁ、どちらにしろ、見ていて幸せな気分になれる作品なので、目的を十分に達成しているのは間違いない。

・田舎


 このように、本作は他にない独自要素を盛り込んでいるため、なかなかよくできた作品であると言える。少なくとも、ただのコピー品とは一線を画している。ただし、それはあくまで日常系アニメとしては、の評価だ。そこからさらに上を目指そうと思うと、絶対に避けては通れない課題がある。それは作品の舞台となっている「田舎」をしっかりと描けているか、田舎と都会の違いをちゃんと区別できているかである。
 まず、ハードウェア的な観点から見てみよう。つまり、本作で描いている田舎の風景は、現実的に正しいのかどうかだ。例えば、本作には昔懐かしい小さな駄菓子屋が登場する。如何にも田舎っぽいアイテムであるが、冷静に考えるとこの手の駄菓子屋は都会にも普通に存在する。むしろ、子供が五人しかいない田舎で駄菓子屋が成立するはずがなく、実際にはあり得ない光景である。また、子供達は二時間に一本しか来ないバスに乗って通学しているという設定である。これも田舎っぽい光景だが、彼女達が通っているのは「分校」である。交通機関が整備されていないから分校が作られるのであって、バスが通っているならそのまま本校に通えばいい。これもまた現実に即していない。なお、全校生徒五人、五学年分の複式学級の学校はそもそも日本に存在しないが、これはアニメ的なデフォルメの産物なので、ここを問題にしても仕方ない。そこまで無粋ではない。
 では、これらの些細なミスがなぜ悪いのか。もちろん、リアルがどうという問題ではなく、制作者が田舎をどう定義しているかの問題である。駄菓子屋の件は、要するにノスタルジーを喚起する昔っぽさこそが田舎らしさであると定義しているわけで、「時間の差」の問題である。一方、バスの件は、物理的な活動範囲の広さこそが田舎らしさであると定義しているわけで、「距離の差」の問題である。時間の差に注目するなら、田舎町に最新の電化製品が溢れているのはおかしいし、距離の差に注目するなら、必須アイテムの自転車が登場しないのはおかしいということになる(※第二期では自転車についても言及されている)。これは一例だが、ここだけ見ても制作者の間で田舎イメージが統一されていないことが見て取れる。何を持って田舎とするか、頭の中にある曖昧なイメージだけで作ってしまうと、どっち付かずの中途半端な物が出来上がってしまうため、準備段階でより慎重な作業が要求される。本作はそれができているとは言い難い。
 もっとも、三十年前ならいざ知らず、これだけ情報と流通が発達した現代において、都会と田舎のハード差を描くのが難しいのは理解できる。何せ、どんな僻地でも一日二日でネット通販が届く時代だ。皆が思い描く田舎らしさなど、もうフィクションの中にしか存在しないのかもしれない。そういう意味では制作者に深く同情する。

・余所者


 続いて、ソフトウェア的な観点で見てみよう。つまり、都会と田舎、そこで暮らしている人々の意識の違いをちゃんと描き分けられているかどうかである。俗に言う「都会者」と「田舎者」はどう違うのか、それを描けているのなら本作は名作と呼ぶに値する作品になるし、できていないのなら凡百の日常系アニメだ。当然、視聴者の大半は都会側の人間になるだろう。いや、本作は田舎その物を理想の楽園だとしているのだから、視聴者全員がそうなる。言い換えると、視聴者と出演者の違いということになる。
 本作の第一話は、小学五年生の一条蛍が東京から田舎町に転校してくるところから始まる。つまり、彼女を媒体にして視聴者を楽園に誘っているわけで、さすがその辺りは抜かりない。そして、蛍は初めて見る田舎ののどかな風景や珍しい風習に驚く。が、その驚きの度合いはあまり強くない。上記の通り、ハード面に田舎らしさがあまりないからという理由もあるが、それ以上に彼女の基本的な性格が小学五年生とは思えないほど冷静で感受性に乏しく、すぐに環境に適応してしまうからという理由もある。もう少し、細かいことに一々驚いてくれないと我々の代表の「都会者」としては厳しい。一方、分校の子供達はと言うと、都会からの転校生に対してさほど不信感を抱くこともなく、十年来の友達のように接している。この馴れ馴れしさはある意味「田舎者」らしいと言えるが、アニメ的にはよくある光景なので特別感はない。むしろ、自分達の町の田舎っぷりを達観している描写は何度も出てくるので、感性は都会者の方に近いと言える。はっきり言って、両者の描き分けはほとんどできていない。これでは田舎を舞台にした意味がまるでない。
 ここで基本に立ち返って、田舎とは何かを考えてみる。やはり、それは「自己完結性」になるはずだ。社会が極端に狭いため、地域内であらゆる活動が完結する。住民が皆知り合いで、山も川も森も知らない物は何もない。それは逆に未知なる物に対する恐怖を生み、いわゆる「余所者に厳しい」という状況を作り出す。その構造は邪魔者を極端に排除する日常系アニメとよく似ている。ただ、問題なのは我々視聴者もまた余所者であるということだ。余所者を社会に招き入れないといけないのに、住民が余所者に厳しかったから困る。子供達が「社交的な田舎者」になっているのも、一条蛍が「従順な余所者」になっているのも、そういう事情があるからだ。結局のところ、日常系アニメという分類である以上、作品としての質を求めるには限界がある、と言わざるを得ない。

・総論


 良作と呼ぶにはいろいろ足りないが、見ていて幸せな気分になれる作品。日々のストレスと戦っている人にはオススメ。

星:☆☆☆☆☆(5個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:51 |  ☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『ウィッチクラフトワークス』

強敵の存在。

公式サイト
ウィッチクラフトワークス - Wikipedia
ウィッチクラフトワークスとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2014年。水薙竜著の漫画『ウィッチクラフトワークス』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は水島努。アニメーション制作はJ.C.STAFF。平凡な男子高校生と彼を護る魔女の戦いを描いたファンタジックラブコメディー。主人公を含む主要キャストは若手声優、ストーリーに係る重要キャラには存在感のある中堅声優という非常に分かり易いキャスティングがされている。

・概説


 主人公は自称「どこにでもいる普通の男子高校生」。これと言った特徴が何もなく、引っ込み思案で隣の席の憧れのクラスメイトにも話しかけられない。そんな彼が、ある日突然「塔の魔女」と名乗る謎の集団に襲われる。絶体絶命のピンチに陥った彼を救ったのは、何と憧れのクラスメイト。彼女は自らを「工房の魔女」と名乗り、主人公を守るためにずっと近くで監視していたのだと言う。こうして、二人の世界の命運をかけた戦いが始まるのだった。
 要は「邪道魔法少女物」である。ヒロインは世界征服を企む悪い組織と戦う正義の魔女。しかし、性格はクールで感情変化に乏しく、他人と会話のテンポが明らかにズレている。やること成すこと全て豪快で加減を知らず、下手すると悪者よりも凶暴である。世界でも屈指の魔法の使い手でありながら、何気に肉弾攻撃も得意で、むしろそちらの方が攻撃力が高かったりする。一方、彼女の敵となる悪の魔女達は、揃いも揃ってお馬鹿で戦闘能力も低く、ヒロインに無謀な戦いを挑んでは呆気なく返り討ちに遭うというパターンを繰り返す。最終的には奇妙な友情まで芽生えている。と、このように、一般的な魔法少女物や戦隊物とは全く逆の構造になっているのが本作の特徴だ。つまり、パロディーである。誰もが知っているベースとなる作品があって、その常識をあえて覆すことで笑いを誘っている。もし、それらを見たことがない人が本作を視聴すれば、どこが面白いのかさっぱり分からないだろう。むしろ、悪に加担しているように見えて不快感を覚えるかもしれない。
 もちろん、これらのパロディー設定は原作から受け継がれた物だが、アニメ版は演出面でさらにパワーアップしている。もっと端的に言うと、水島努監督のカラーが非常に濃くなっている。この王道から微妙にズレた感じ、残虐描写やグロ展開を遠慮せず突き詰める感じ、まさに『撲殺天使ドクロちゃん』『大魔法峠』『侵略!イカ娘』『BLOOD-C』等で見られたあれだ。水島努ワールドと言っていい。そのワールドを理解できる人からすると本作は良作だが、それ以外の人は最後の最後までどうにもしっくりこない感覚を味わうことになるだろう。ただ、作品とは、たとえ原作付きであっても監督のセンスが表れてしかるべき物なので、決して悪いことではない。
 なお、本作は非常に作画が良い。特に、魔女がほうきに乗って空を飛ぶシーンの浮遊感には目を見張るものがある。ラストの戦闘シーンや崩壊する世界の描写にも迫力がある。ただ、ややキャラクターデザインに癖があるため、万人ウケは難しいかもしれない。できれば、もう少しメインヒロインを可愛く描いて欲しい物だ。

・幼児化


 本作の最大の特徴は、一般的なファンタジー作品と比べて、男女の役割が逆転していることである。主人公はヘタレで弱々しく、一切の戦闘能力を持たない普通の人。だが、体内に世界をも滅亡させるほどの強大なエネルギーを秘めているため、世界の崩壊を願う「塔の魔女」から命を狙われている。つまり、彼は「護られる存在」である。そんな彼を護るのは世界の秩序を保つ「工房の魔女」の一団。中でも、ヒロインは過去に主人公と魔法で契約を結んでおり、文字通り命を共にする関係となっている。彼女は強大な力を持ち、四六時中、悪の魔の手から主人公を護り続ける。四六時中とは読んで字の如くであって、物語の途中から彼と一つ屋根の下で同居し、甲斐甲斐しく身の回りの世話をする。それどころか、彼が一人前の男として独り立ちできるように様々な面からサポートをし続ける。そして、「どこにでもいる普通の男子高校生」だったはずの主人公は、皆から羨望と嫉妬の視線を浴び、生徒会長にまで上り詰める。このように、一般の作品とはヒーローとヒロインの立場が逆転しており、本来ならヒロインを護る側だった男性主人公が、完全にヒロインから介護される存在になっているのが本作の特徴だ。
 なぜ、こういった逆転現象が発生しているかをオブラートに包まず一言で解説するなら、「最近のオタクの幼児化が進んでいるから」になる。はっきり言って、これで終わりである。何も語る必要はない。自分は何も努力する必要がなく、周りが全てお膳立てしてくれる。自室で黙って寝転んでいれば、いつの間にかお話が終わっているという究極の理想空間。要するに、赤ん坊になりたいのである。その背景には、かつての「男らしさ」が時代の変遷につれて変化したからというジェンダー論的な問題もあるのだろうが、明らかに話が脱線するので省略する。ただ、昔は英雄変身願望を抱えていたであろうオタク達が、いつの頃からかそういった作品を心地良いと感じるようになったのは、あまりにも後ろ向きな諦めの境地が感じられて哀しい。もっとも、古典文学でも似たような作品は存在するので、人間とは元来そういう物なのだと納得する方が早い。
 ただ、重要なのは、その思想自体の善し悪しではなく、作品世界がこの状況を善としているか悪としているかである。なぜなら、それは「成長」の定義に係るからだ。もし善だとしているなら、そのまま何事もなくエンディングを迎えればいい。だが、もし悪だとしているなら、庇護される環境から脱して自立することが主人公の「成長」になる。はたして、本作はどうかと言うと、一応、主人公は護られるだけの立場では嫌だと言い出し、物語の途中から魔法の修行を始める。ラスト近辺では命を懸けてヒロインを助けようとするのだが……どうだろう。安易に命を投げ出そうとするのは、「生きること」に対するリアリティがないからとも言える。もし、努力の果てに力を手に入れたのなら、その力を簡単に手放そうとはしないだろう。そう考えると、主人公は最後の最後まで赤ん坊のままだったということになる。

・魔法


 上記のように、本作の主人公は自らの状況を恥じてヒロインに魔法の修行を願い出る。それは良い。ただ、奇妙なのは、それが第三話という非常に早い段階で行われることである。その頃は、まだ本作における「魔法」の定義が明らかになっていない。どれだけの属性があるのか。どういったエネルギーで発動するのか。効果範囲や威力はどれぐらいなのか。何より重要なのは、魔法を行使するために必要な条件である。特殊な才能を持った人でしか使えないのか、修行さえすれば誰でも使えるようになるのかで世界観自体が大きく変わってくる。なぜなら、魔法が巷に溢れると科学技術が意味を成さなくなり、地球の歴史が根底から狂ってしまうからだ。だが、第三話の段階ではそれが判別できない。そのため、ヒロインの魔法に感銘を受けた主人公が、子供じみた好奇心で「魔法の修行をしたい」と言っているようにしか見えないのである。
 さて、修行の結果、主人公はどうなったかと言うと、ほうきで空を飛ぶぐらいのことはできるようになっている。つまり、本作は後者、練習さえすれば魔法は誰でも使える世界ということである。その時点で本作の舞台は地球ではない。地球ではないということは、我々が持つ常識、「魔女は一般人に正体がバレないようにする」といったルールはあまり意味がないということである。ただ、よく見てみると、主人公達が装備しているアイテムに秘密があるらしく、そのアイテムを身に付けると体重が軽くなって空を飛べるようになるらしい。それは魔法なのか? 一般人がマジックアイテムの恩恵を受けて魔法の真似事をしているだけではないか。もし、そうだとしたら、その結論は哀し過ぎる。「自分の身を護るために魔法の修行をしたい」と申し出た主人公に対して、彼を護る立場のヒロインが、適当なマジックアイテムを渡して魔法の真似事をさせているのである。完全に子供扱いである。ある意味、ここまでテーマが徹底されると清々しい。
 ちなみに、話がややこしくなるので伏せていたが、主人公の妹は「工房の魔女」の一員である。当然、強力な魔法を普通に使いこなすことができる。この世界の魔法体系は一体どうなっているのか。もちろん、アニメ版ではなぜ妹が魔女なのか、どうすれば魔女の一員に選ばれるかの説明はない。世界観作りは頑張っているのだから、そういった細かい点をもっと突き詰めて欲しい。

・クライマックス


 第九話よりついにラスボスが活動を始め、以降、作品の雰囲気が一変する。そこで本作は怒涛の盛り上がりを見せる。それこそ、前半の邪道魔法少女コメディーは何だったのかというほどのシリアスなバトルストーリーだ。しかも、シリアスの中に細かく笑いの要素を散りばめており、非常にバランスが良い。星の数ほどある深夜アニメの中でも屈指のクライマックスと言っても過言ではないだろう。
 ラスト近辺のバトル展開が盛り上がるか否かを決める要素は、大きく分けて二つあると考える。一つは「敵が賢い」ことだ。その状況下で可能なことを極限まで突き詰められるかどうか。これで敵の知力が足りないと哀しいことになる。本ブログで取り上げた作品で言うと、『おおかみかくし』のラスボスのように意味不明な行動を繰り返したあげく、それすらも放置して逃げだすとか、『神無月の巫女』のラスボスのようにそもそも何もしないとか。一方、本作のラスボスは、事前に綿密な計画を立て、数年かけて街中にトラップを仕掛けた後、満を持して攻め込んでいる。その時もただ武力でごり押しするのではなく、魔女は物理攻撃に弱いという特徴を生かして、魔法爆弾と通常爆弾を巧みに使い分ける。自らの弱点を十分に認識している敵ほど怖い物はない。それほど狡猾な敵と相対するためには、こちら側もそれ以上に知力を巡らせなければならず、結果的にバトルが白熱する。サブタイトルを見れば分かる通り、ラストバトルは三話も続くのだが、全くダレることのないのが一番の証拠だ。
 もう一つの要素は「ミリタリー」を理解しているかどうかだ。世界の命運をかけた戦いが、個人対個人になるはずがない。小学生向けファンタジーでもない限り、必ずや組織対組織の戦いになる。その時、制作者にある程度のミリタリー知識がないと、組織がただの烏合の衆に成り果てる。つまり、目的を持った戦闘集団である以上、最高責任者がいて、その下に戦略を立てる人、現場で指揮をする人、実際に戦う人、そして、その補佐をする人、それぞれの役割分担が適切に成されている必要がある。それができていないと、『ビビッドレッド・オペレーション』のような拙いドタバタ騒ぎで終わってしまう。本作はその辺りの人員のシステム化がちゃんとできている。だからこそ、これだけ登場人物が多くても淀みなく話が回るのである。
 以上、本作は非常によくできたバトルストーリーであるのだが、肝心のラスボスはと言うと、神の如き存在の高位の魔女に一撃でやられてあっさりと退場してしまう。あれだけ主人公達を追い詰めたのに呆気ない物である。連載中の作品なので、後のためにより強い敵の存在を示しておくのは大切なことだが、アニメ版は今のところ、ここで終わりなので非常に後味が悪い。

・総論


 前半は退屈だが、終盤の盛り上がりには目を見張る物がある。結局、敵が魅力的かどうかが一番大きい。ちなみに、ラスボスのCVは意外なことにあの平野綾である。スキャンダラスなイメージだけで人を評価すると大変な目に遭う。

星:☆☆☆☆☆(5個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
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