『ウィッチクラフトワークス』

強敵の存在。

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ウィッチクラフトワークスとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2014年。水薙竜著の漫画『ウィッチクラフトワークス』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は水島努。アニメーション制作はJ.C.STAFF。平凡な男子高校生と彼を護る魔女の戦いを描いたファンタジックラブコメディー。主人公を含む主要キャストは若手声優、ストーリーに係る重要キャラには存在感のある中堅声優という非常に分かり易いキャスティングがされている。

・概説


 主人公は自称「どこにでもいる普通の男子高校生」。これと言った特徴が何もなく、引っ込み思案で隣の席の憧れのクラスメイトにも話しかけられない。そんな彼が、ある日突然「塔の魔女」と名乗る謎の集団に襲われる。絶体絶命のピンチに陥った彼を救ったのは、何と憧れのクラスメイト。彼女は自らを「工房の魔女」と名乗り、主人公を守るためにずっと近くで監視していたのだと言う。こうして、二人の世界の命運をかけた戦いが始まるのだった。
 要は「邪道魔法少女物」である。ヒロインは世界征服を企む悪い組織と戦う正義の魔女。しかし、性格はクールで感情変化に乏しく、他人と会話のテンポが明らかにズレている。やること成すこと全て豪快で加減を知らず、下手すると悪者よりも凶暴である。世界でも屈指の魔法の使い手でありながら、何気に肉弾攻撃も得意で、むしろそちらの方が攻撃力が高かったりする。一方、彼女の敵となる悪の魔女達は、揃いも揃ってお馬鹿で戦闘能力も低く、ヒロインに無謀な戦いを挑んでは呆気なく返り討ちに遭うというパターンを繰り返す。最終的には奇妙な友情まで芽生えている。と、このように、一般的な魔法少女物や戦隊物とは全く逆の構造になっているのが本作の特徴だ。つまり、パロディーである。誰もが知っているベースとなる作品があって、その常識をあえて覆すことで笑いを誘っている。もし、それらを見たことがない人が本作を視聴すれば、どこが面白いのかさっぱり分からないだろう。むしろ、悪に加担しているように見えて不快感を覚えるかもしれない。
 もちろん、これらのパロディー設定は原作から受け継がれた物だが、アニメ版は演出面でさらにパワーアップしている。もっと端的に言うと、水島努監督のカラーが非常に濃くなっている。この王道から微妙にズレた感じ、残虐描写やグロ展開を遠慮せず突き詰める感じ、まさに『撲殺天使ドクロちゃん』『大魔法峠』『侵略!イカ娘』『BLOOD-C』等で見られたあれだ。水島努ワールドと言っていい。そのワールドを理解できる人からすると本作は良作だが、それ以外の人は最後の最後までどうにもしっくりこない感覚を味わうことになるだろう。ただ、作品とは、たとえ原作付きであっても監督のセンスが表れてしかるべき物なので、決して悪いことではない。
 なお、本作は非常に作画が良い。特に、魔女がほうきに乗って空を飛ぶシーンの浮遊感には目を見張るものがある。ラストの戦闘シーンや崩壊する世界の描写にも迫力がある。ただ、ややキャラクターデザインに癖があるため、万人ウケは難しいかもしれない。できれば、もう少しメインヒロインを可愛く描いて欲しい物だ。

・幼児化


 本作の最大の特徴は、一般的なファンタジー作品と比べて、男女の役割が逆転していることである。主人公はヘタレで弱々しく、一切の戦闘能力を持たない普通の人。だが、体内に世界をも滅亡させるほどの強大なエネルギーを秘めているため、世界の崩壊を願う「塔の魔女」から命を狙われている。つまり、彼は「護られる存在」である。そんな彼を護るのは世界の秩序を保つ「工房の魔女」の一団。中でも、ヒロインは過去に主人公と魔法で契約を結んでおり、文字通り命を共にする関係となっている。彼女は強大な力を持ち、四六時中、悪の魔の手から主人公を護り続ける。四六時中とは読んで字の如くであって、物語の途中から彼と一つ屋根の下で同居し、甲斐甲斐しく身の回りの世話をする。それどころか、彼が一人前の男として独り立ちできるように様々な面からサポートをし続ける。そして、「どこにでもいる普通の男子高校生」だったはずの主人公は、皆から羨望と嫉妬の視線を浴び、生徒会長にまで上り詰める。このように、一般の作品とはヒーローとヒロインの立場が逆転しており、本来ならヒロインを護る側だった男性主人公が、完全にヒロインから介護される存在になっているのが本作の特徴だ。
 なぜ、こういった逆転現象が発生しているかをオブラートに包まず一言で解説するなら、「最近のオタクの幼児化が進んでいるから」になる。はっきり言って、これで終わりである。何も語る必要はない。自分は何も努力する必要がなく、周りが全てお膳立てしてくれる。自室で黙って寝転んでいれば、いつの間にかお話が終わっているという究極の理想空間。要するに、赤ん坊になりたいのである。その背景には、かつての「男らしさ」が時代の変遷につれて変化したからというジェンダー論的な問題もあるのだろうが、明らかに話が脱線するので省略する。ただ、昔は英雄変身願望を抱えていたであろうオタク達が、いつの頃からかそういった作品を心地良いと感じるようになったのは、あまりにも後ろ向きな諦めの境地が感じられて哀しい。もっとも、古典文学でも似たような作品は存在するので、人間とは元来そういう物なのだと納得する方が早い。
 ただ、重要なのは、その思想自体の善し悪しではなく、作品世界がこの状況を善としているか悪としているかである。なぜなら、それは「成長」の定義に係るからだ。もし善だとしているなら、そのまま何事もなくエンディングを迎えればいい。だが、もし悪だとしているなら、庇護される環境から脱して自立することが主人公の「成長」になる。はたして、本作はどうかと言うと、一応、主人公は護られるだけの立場では嫌だと言い出し、物語の途中から魔法の修行を始める。ラスト近辺では命を懸けてヒロインを助けようとするのだが……どうだろう。安易に命を投げ出そうとするのは、「生きること」に対するリアリティがないからとも言える。もし、努力の果てに力を手に入れたのなら、その力を簡単に手放そうとはしないだろう。そう考えると、主人公は最後の最後まで赤ん坊のままだったということになる。

・魔法


 上記のように、本作の主人公は自らの状況を恥じてヒロインに魔法の修行を願い出る。それは良い。ただ、奇妙なのは、それが第三話という非常に早い段階で行われることである。その頃は、まだ本作における「魔法」の定義が明らかになっていない。どれだけの属性があるのか。どういったエネルギーで発動するのか。効果範囲や威力はどれぐらいなのか。何より重要なのは、魔法を行使するために必要な条件である。特殊な才能を持った人でしか使えないのか、修行さえすれば誰でも使えるようになるのかで世界観自体が大きく変わってくる。なぜなら、魔法が巷に溢れると科学技術が意味を成さなくなり、地球の歴史が根底から狂ってしまうからだ。だが、第三話の段階ではそれが判別できない。そのため、ヒロインの魔法に感銘を受けた主人公が、子供じみた好奇心で「魔法の修行をしたい」と言っているようにしか見えないのである。
 さて、修行の結果、主人公はどうなったかと言うと、ほうきで空を飛ぶぐらいのことはできるようになっている。つまり、本作は後者、練習さえすれば魔法は誰でも使える世界ということである。その時点で本作の舞台は地球ではない。地球ではないということは、我々が持つ常識、「魔女は一般人に正体がバレないようにする」といったルールはあまり意味がないということである。ただ、よく見てみると、主人公達が装備しているアイテムに秘密があるらしく、そのアイテムを身に付けると体重が軽くなって空を飛べるようになるらしい。それは魔法なのか? 一般人がマジックアイテムの恩恵を受けて魔法の真似事をしているだけではないか。もし、そうだとしたら、その結論は哀し過ぎる。「自分の身を護るために魔法の修行をしたい」と申し出た主人公に対して、彼を護る立場のヒロインが、適当なマジックアイテムを渡して魔法の真似事をさせているのである。完全に子供扱いである。ある意味、ここまでテーマが徹底されると清々しい。
 ちなみに、話がややこしくなるので伏せていたが、主人公の妹は「工房の魔女」の一員である。当然、強力な魔法を普通に使いこなすことができる。この世界の魔法体系は一体どうなっているのか。もちろん、アニメ版ではなぜ妹が魔女なのか、どうすれば魔女の一員に選ばれるかの説明はない。世界観作りは頑張っているのだから、そういった細かい点をもっと突き詰めて欲しい。

・クライマックス


 第九話よりついにラスボスが活動を始め、以降、作品の雰囲気が一変する。そこで本作は怒涛の盛り上がりを見せる。それこそ、前半の邪道魔法少女コメディーは何だったのかというほどのシリアスなバトルストーリーだ。しかも、シリアスの中に細かく笑いの要素を散りばめており、非常にバランスが良い。星の数ほどある深夜アニメの中でも屈指のクライマックスと言っても過言ではないだろう。
 ラスト近辺のバトル展開が盛り上がるか否かを決める要素は、大きく分けて二つあると考える。一つは「敵が賢い」ことだ。その状況下で可能なことを極限まで突き詰められるかどうか。これで敵の知力が足りないと哀しいことになる。本ブログで取り上げた作品で言うと、『おおかみかくし』のラスボスのように意味不明な行動を繰り返したあげく、それすらも放置して逃げだすとか、『神無月の巫女』のラスボスのようにそもそも何もしないとか。一方、本作のラスボスは、事前に綿密な計画を立て、数年かけて街中にトラップを仕掛けた後、満を持して攻め込んでいる。その時もただ武力でごり押しするのではなく、魔女は物理攻撃に弱いという特徴を生かして、魔法爆弾と通常爆弾を巧みに使い分ける。自らの弱点を十分に認識している敵ほど怖い物はない。それほど狡猾な敵と相対するためには、こちら側もそれ以上に知力を巡らせなければならず、結果的にバトルが白熱する。サブタイトルを見れば分かる通り、ラストバトルは三話も続くのだが、全くダレることのないのが一番の証拠だ。
 もう一つの要素は「ミリタリー」を理解しているかどうかだ。世界の命運をかけた戦いが、個人対個人になるはずがない。小学生向けファンタジーでもない限り、必ずや組織対組織の戦いになる。その時、制作者にある程度のミリタリー知識がないと、組織がただの烏合の衆に成り果てる。つまり、目的を持った戦闘集団である以上、最高責任者がいて、その下に戦略を立てる人、現場で指揮をする人、実際に戦う人、そして、その補佐をする人、それぞれの役割分担が適切に成されている必要がある。それができていないと、『ビビッドレッド・オペレーション』のような拙いドタバタ騒ぎで終わってしまう。本作はその辺りの人員のシステム化がちゃんとできている。だからこそ、これだけ登場人物が多くても淀みなく話が回るのである。
 以上、本作は非常によくできたバトルストーリーであるのだが、肝心のラスボスはと言うと、神の如き存在の高位の魔女に一撃でやられてあっさりと退場してしまう。あれだけ主人公達を追い詰めたのに呆気ない物である。連載中の作品なので、後のためにより強い敵の存在を示しておくのは大切なことだが、アニメ版は今のところ、ここで終わりなので非常に後味が悪い。

・総論


 前半は退屈だが、終盤の盛り上がりには目を見張る物がある。結局、敵が魅力的かどうかが一番大きい。ちなみに、ラスボスのCVは意外なことにあの平野綾である。スキャンダラスなイメージだけで人を評価すると大変な目に遭う。

星:☆☆☆☆☆(5個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
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『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』


自虐。

公式サイト
私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! - Wikipedia
私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。谷川ニコ著の漫画『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は大沼心。アニメーション制作はSILVER LINK.。内容は下記参照。略称は「ワタモテ」。原作は、なぜか海外のネット掲示板で大好評だったらしい。それって根本的に日本人が馬鹿にされてるってことなんじゃ。

・主人公


 地味で根暗で男性に全く縁のないいわゆる「喪女」の主人公が、充実した女子高生生活を送るために全力で奮闘する自虐系コメディーという非常に分かり易い作品が本作である。こういった内容の場合、主人公の人間的魅力が作品の出来不出来に直結するため、他の何よりもここに注目を置かなければならない。そこで、第一話時点での主人公の設定をまとめておこう。
 主人公はこの春、高校に入学した新一年生。小柄で痩身、幼児体型でスタイルも良くないが、容姿自体はそれほど酷いというわけではない。ただ、根っからの睡眠不足と体調不良により、目の下に大きなクマができており、それが本人にとってもコンプレックスになっている。学校の成績はあまり芳しくなく、当然、運動神経も悪い。趣味はゲームと漫画とアニメとネットサーフィンで、乙女ゲームが大のお気に入り。性格はネガティブで自虐的。だが、プライドが非常に高く、何かに付けて他人を見下す。そのため、クラスでは孤立を通り越して、完全にいない者扱いになっている。中学時代はまだましだったそうだが、「中学三年間で六回も男子に声をかけられている」程度。それでも、親友と呼べる同性の友人がいた。現在の目標は、友達を作って普通の人のような楽しい高校生活を過ごすこと。そして、素敵な男性と巡り会って恋人になること。しかし、現実は理想の遥か手前にいるため、世の「リア充」達を恨みつらむ日々を過ごしている。
 ここで一番に留意しなければならないのは、彼女の目標が「普通の人のような楽しい高校生活を過ごすこと」、そして、その最終到達点が「彼氏を作ること」である点だ。そのため、彼女はありがちな世の中に絶望して「自分は一人で生きて行ける」「友達なんて必要ない」などと自己完結している人間ではなく、基本的にはポジティブで行動力に溢れた人間である。だが、そういった人の方が、自己完結している人より日常で受けるストレスの度合いは遥かに高いだろう。自分の理想像を心の中に設定しているが、現実はそこへ小指一つ到達していない。それどころか、理想が生み出す無駄なプライドが邪魔をして、自ら遠ざかってしまっているのである。そうなった時、人は自己否定に走らざるを得ない。つまり、「自分に自信がない」という状態だ。そして、なぜ自分に自信がないのかの最大の原因は「人と上手くしゃべれないから」に尽きる。それが、口下手だから人と話す機会が少ないのか、人と話す機会が少ないから口下手なのかまでは分からないが、この一点さえ改善できれば、かなり現状は打破できる。そのため、他のネガティブ系作品の主人公よりは随分と社会復帰に近い場所にいると言えよう。これが第一話時点での主人公の設定であり、本作の目標とする点である。

・自虐


 上述のように、本作に用いられているネタ・ギャグの大半は「自虐ネタ」である。ネガティブで友達のいない主人公が、何とか社会復帰をしようと奮闘努力するも、捻じれた性格とプライドの高さと運の悪さが手伝って、ことごとく空回りして失敗するというお話だ。そんな彼女の無様で情けない姿を見て嘲笑うのが本作の趣旨になる。もちろん、それは情けない彼女を自分より低く見て、「下には下がいる」と小馬鹿にするサディスティックな笑いである。だが、それと同じぐらい重要視されているのが「共感」である。ネガティブで日々の生活に困難を感じている人間が、彼女を見て「ここに自分の仲間がいる」と安心する。特に、本作のメインターゲットであるオタク層には、主人公と似たような境遇に置かれている人は少なくない。そういった人々は共感ではなく自分自身の話と置き換え、自虐的に笑い飛ばすことでカタルシスを得ようとするだろう。また、彼女ほど残念な人間でなくても、人である以上はどこか共通する部分があるはずだ。そういう人は、劇中に登場する先輩のように主人公のことを「必死に頑張っていて可愛い」と感じるだろう。本作はその辺りの事情を包み隠さずリアリスティックに描くことで、面白さと切なさを併せ持った哀愁のある作品に仕上がっている。
 この時、気を付けなければならないのは、あまりにも失敗ばかりで救いがなさ過ぎると見ている方もつらいということだ。特に、彼女に自分自身を重ね合わせている人は、最初は笑いつつ見ていても、最後の方は心苦しくなって見るのをやめてしまうだろう。そのため、ある程度、彼女を優しくフォローするショックアブソーバーを導入しなければならない。本作で言うと、彼女の中学時代の友人、高校の先輩、それと弟の三人がそのショックアブソーバーに該当する。特に弟の存在は重要だ。サッカー部のエースで紛うことなき「リア充」である彼は、本気で姉のことを「うざい」と思っており、何かにつけて絡んでくる彼女を迷惑がっているが、それでも家族のよしみで毎晩話を聞いてあげている。これは非常に大切なことだ。仮に弟が完全に姉を拒絶してしまったら、彼女にとって心安らぐ場所はこの地球上のどこにもなくなってしまうのである。
 もっとも、本作の登場人物は、弟に限らず全体的に善人揃いである。クラスメイトも、痛々しい中二病気質の主人公のことをイジメたりせず無視してくれており、悪いイメージも彼女の勝手な逆恨みだったりする。この辺りの人物描写は、アニメ『中二病でも恋がしたい!』とよく似ている。ただ、その作品と違うのは、本作の主人公がちゃんと「中学時代は良かった」と述懐している点だ。中学時代は各人が好き勝手に生きていたが、高校になるとより社会性が重視されて、否が応でもそれに合わせなければならない。そのことを主人公がよく認識しているのである。つまり、多少は引きずっているものの、中二病自体は卒業しているということであり、その辺りの年代の発達心理は巧く描けている。

・ネット


 主人公は高校一年生にして、重度のネットユーザーである。毎日、夜遅くまで動画サイトを見たり、匿名掲示板のまとめサイトを見たりして過ごしている。そのため、劇中でも数多くのネットネタ・ネットスラングが登場する。例えば、何かのアニメ・漫画のパロディーを行う際も、自分達で新しくネタを考えるのではなく、一度ネットで流行った物をそのまま「コピペして」使い回ししている。その辺りの事情は、最近のライトノベル原作アニメなどと同様だ。ただ、そういった内容の作品だと、普通は内輪ウケが過ぎて不快感を覚える物だが、本作はあまり感じない。その理由は、それらのネットネタが彼女の孤独感を表す象徴的なアイコンになっているからだろう。彼女が目の前で起こっている現実を無視して、ネットの話を持ち出せば持ち出すほど、彼女とリアルとの距離感が浮き彫りになるのである。つまり、現代のオタク文化を皮肉的・批判的に描いているということであり、事実、無口な萌えキャラを演じてみたり、日常系アニメのように新しく部活を作ってみたりしたが、アニメとは違って上手く行かなかったという話が繰り返し出てくる。それゆえ、もし、本作中のネットネタを見て喜んでいる視聴者がいるとしたら、「君達は今、馬鹿にされているんだよ」と耳元でささやいてあげなければならない。もっとも、ED曲にボーカロイドの初音ミクを起用するのは、さすがにやり過ぎであろうが。
 また、重度のネットユーザーであるということは、ネット上の情報を同年代の誰よりも多く得ているということだ。そのため、彼女は現実的な社会経験よりも聞きかじりの知識の方が遥かに多い、いわゆる「耳年増」な状態に陥っている。そして、本来なら高校一年生が知るはずのない情報を過剰に摂取することで、自分はクラスメイトよりも大人で社会に通じた優れた人間であると自負するようになる。要するに中二病だ。彼女の自尊心の高さは、元々の性格をベースにして様々なコンプレックスが反動した物だろうが、それを醸成しているのは間違いなくインターネットの存在であろう。ただし、情報の取捨選択にはやはり年齢が生む経験が必要なため、彼女の知識は非常に偏っている。特に漫画やゲームから得た知識が多いため、実生活を過ごす上であまり役に立っている様子はなく、上記のようにかえって足を引っ張っている点も垣間見える。
 それはそうと、実際のところ、彼女のキャラクターはリアルな女子高生像なのだろうか。この手の人間はあまり調査の網にはかからないため、正確な実態は掴めない。だが、ネット上の書き込み等を見る限り、少なからず、いや、かなりの数が存在すると思われる。すなわち、自宅にいる間はずっとスマホやパソコンに噛り付き、テレビや新聞を見ないでネットオンリーから情報を得ている中高生。彼らは、主人公のように聞き齧りの拙い知識だけで世の中を達観し、クラスメイトや親・教師を見下しているのだろう。そういった人々が本作を視聴した場合、主人公にどういった感情を抱くのか、非常に興味深い。

・男性視点


 このように、本作はなかなかよくできたコメディーである。自虐ネタを織り交ぜつつ、人間性や社会批判にまで迫っている。最終回でほんの少しだけ救われるストーリーも悪くない。ただ、一点だけ非常に気になることがある。それはあらゆる要素が「男性視点」であることだ。
 本作の視聴者ターゲットは基本的に男性である。原作の掲載紙も基本的に男性向けである。作者も作画担当は女性だが、シナリオ担当は男性である。それが意味するところは、作品の主人公も基本的には男性であるということだ。ただ、エンターテインメント性、すなわち「萌え」を考慮した結果、主人公の性別を女性に変更しているに過ぎない。しかし、それはあくまで女性の皮を被った男性でしかなく、リアルな女子高生像を描いた物ではない。男性と女性とでは、同じ人間でありながら感性は随分と異なる物だ。例えば、女性作家が描くキャラクターはどこかズレた部分が存在する。漫画『ひだまりスケッチ』の主人公は、男性読者が想像するような大人しい内気な女の子ではなく、意外とアクティブで物おじしない性格である。一方、本作の主人公は、男性が非常に共感できる女性キャラクターである。だが、逆説的に言うと、男性視聴者が共感できた時点で本当はダメなのである。リアルを志向するなら、どこか考え方に隔たりがある、でも、本質的な部分では共感できるよねとしなければならないはずだ。
 この男性視点に偏った人物の描き方は、昨今のオタク文化に共通してみられることだ。例えば、萌えアニメには様々な魅力的な女性キャラクターが登場する。当たり前だが、それらは男性から見た理想の女性像である。容姿や言動だけではなく、思考方法までもが非常に「分かり易い」ため、すぐに頭の中に入ってくる。ただ、日常系アニメならそれでもいいのだが、恋愛ドラマでそれをやると問題である。ヒロインの感情が実に分かり易く、下手すればヒロイン側の視点で物語を描いたりもする。そうではない。本来、男性から見て女性は「何を考えているか分からない物」だ。決して、自分の思い通りには動いてくれず、たまに自分を傷付けたりする。だが、そこがいいのだ。全く違うから魅力的なのであって、そこから段々と通じ合っていくからこそ恋愛ドラマは面白いのである。「去勢された男性」と男性主人公の恋愛ドラマなど、どこのホモセクシャルかという話だ。本作が実によくできた作品であり、海外の人からも絶賛されるほど主人公に共感できるがゆえに、そういった点が非常に気になって仕方ない。

・総論


 いろいろ問題点はあるが、基本的な設定は良くできているので、後は各人の好み次第といったところ。個人的には嫌いじゃないです。

星:☆☆☆☆☆(5個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
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