『冴えない彼女の育てかた』

萌えとオタクとクリエイター。

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冴えない彼女の育てかたとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。丸戸史明著のライトノベル『冴えない彼女の育てかた』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は亀井幹太。アニメーション制作はA-1 Pictures。理想のヒロインを追い求めてギャルゲー制作に明け暮れる男子高校生を描いたハーレムラブコメ。「彼女」と書いて「ヒロイン」と読む。諸般の事情により、放送順を変えて話全体のエピローグを第0話として最初に放送している。よって、本項で第一話と書いている回は、放送では第二回に相当するので注意。

・設定


 ある春の日、オタクの男子高校生である主人公は、桜の舞う坂道で一人の見知らぬ少女と出会う。彼女はまさに理想的なギャルゲーのヒロインを具現化したような存在で、主人公は一目で心を奪われた。かつてないほどの創作意欲を掻き立てられた主人公は、早速、同人絵師の幼馴染みとライトノベル作家の先輩を強引に誘い、彼女をモデルにした自分の理想のギャルゲー作りを開始する。その日の放課後、情熱をたぎらせる主人公にクラスメイトの女子生徒が話しかける。容姿こそ整っているが、非常に地味で存在感が薄くて冴えない女の子、彼女こそが春の日に坂道で出会ったメインヒロインだったのだ。
 何だこれ。目茶苦茶面白いぞ。要するに、これは「萌えとは何か?」という深夜アニメが共通に抱えている問題を改めて世に問うた作品なのである。通常、萌えとは「男性が可愛いと感じる女性の性格や言動や仕草などの一部分だけを取り出して記号化した物」を言う。不純物を排して良い部分だけを濃縮しているため、高級な宝石のように万人を魅了する強い力を持っている。少なくとも、オタクの主人公はそう考えており、二次元はあらゆる面において三次元に勝るという信念を抱いていた。だからこそ、リアル世界で見知らぬ女性に萌えを感じた時、まるで二次元が扉を開けたかのような激しい衝撃を覚え、その感情を再現するためのゲーム作りを決意したわけである。ところが、何と彼女はクラスメイトの冴えない女の子だった。それは不純物を徹底的に取り除く萌えの定義からすると、あってはならないことだ。そこで、主人公は自らのアイデンティティーの危機に直面する。二次元至上主義は本当に正しいことなのかどうか、自分の感情を信じていいのかどうか。そんな彼がどうやって理想と現実に折り合いを付けてアイデンティティーを再構築するのかという話である。どう考えても、これがつまらないはずがない。
 この先、本作はどういった展開になるのだろうか。タイトル通り、冴えない彼女を育てて二次元側に引っ張り込むのか、それとも主人公自身が心を改めて二次元と三次元の両方の良さを認めるのか、はたまた全てを放り出して二次元に逃避するのか。まだ第一話が終わったところなのにいろいろと想像が膨らむ。良い作品とはそういう物だ。『はたらく魔王さま!』や『あさっての方向。』の項目でも書いたが、本当に優れた作品は初期設定の段階でそこら辺の量産型アニメとは格が違うのである。本作はそういった感覚が味わえる数少ない作品である。

・萌え


 それでは、続きを見て行こう。冴えない彼女を自分達の作るギャルゲーのメインヒロインに指名した主人公は、何とか彼女が理想のギャルゲーヒロインらしく振る舞えるように全力でオタク教育を施す。しかし、どこまでも地味で無個性でマイペースな彼女は、一向に彼の望むような行動を取ってくれない。主人公一押しのオタクコンテンツに対しても食い付きが悪く、肯定もしなければ否定もしない。それでいて付き合いは良く、ほいほいと男の家に上がり込むヒロインを見て、逆に主人公の方が萎えるという展開は面白い。もちろん、女性が自分の家へ遊びに来るのは嬉しいことなのだが、ギャルゲーのメインヒロインなら、そこは恥ずかしがって辞退してくれなければ困るのだ。そんな理想と現実の狭間で苦悩する主人公の姿は、理不尽な社会の中で自分探しをする思春期の少年と重なって見える。そのため、やっていることはおかしいが、汗と涙の青春ドラマとして本作は十分に成立している。
 一方、ゲーム作りを手伝うことになった幼馴染みと先輩は、絵に描いたようなツンデレキャラと妖艶キャラで、無個性なメインヒロインと対になっている。彼女達は記号的な萌えを武器にして、主人公に、いや、視聴者に媚びまくる。お色気要素も満載で、ほとんど風俗嬢である。確かに、これでもかと言わんばかりにキャラの立った彼女達は可愛い。だが、劇中でも指摘されている通り、現実には絶対にあり得ない存在だ。そんな全身を虚飾で固めたステレオタイプなサブヒロインより、萌えとは無縁でオンリーワンの冴えない彼女の方が余程可愛らしい。もちろん、最終的には好みの問題になるが、それでも彼女を悪く言う人はいないだろう。オタク=自分達に否定的な人間であるにも関わらずだ。
 さて、ここで一つの大きな疑問点に直面する。設定的に考えて、万人に好かれるメインヒロインになれない彼女は、他のキャラクターより可愛かったらダメなはずだ。個性的なサブヒロインが量産型で、無個性なメインヒロインがオンリーワン? おかしくないだろうか? そう、賢明な方はお気付きだと思うが、この「矛盾」こそが本作の訴えたいメインテーマなのである。萌えとは女性の良い部分だけを取り出して濃縮した物。しかし、所詮はただの記号、生身の人間には到底敵わないということだ。良い面と悪い面を同時に持ち合わせ、ちょっとやそっとでは理解できない奥深さこそが真の女性の可愛らしさ、その忘れられかけた事実を無個性で個性的な冴えない彼女が教えてくれる。

・オタク


 ところが、そんな崇高なテーマを掲げた本作も、第六話近辺を境に急激にパワーダウンする。当たり前だ。なぜなら、本作は全十三話の1クールアニメ。尺の都合上、メインヒロイン以外の女性にもスポットライトを当てなければ間が持たない。だが、他のサブヒロインは、上に書いたように典型的なギャルゲーヒロインなのである。彼女達を中心にしてしまうと、本作はどこにでもあるような普通のハーレムアニメと化してしまう。普通のハーレムアニメとは、複数の女性が明らかに主人公に対して好意を向けているのに、当の本人がなぜかそれに気付かないといういつものアレ。あまりにも不自然かつご都合主義で、特定の選ばれた人間しか楽しめない。
 物語の終盤、また新たなヒロインが登場する。彼女は主人公の従妹で、彼女もまた分かり易く主人公に対して好意を抱いており、彼を性的に誘惑する。幼馴染みと先輩の時点ですでにお腹いっぱいなのに、これ以上増やす必要がどこにあるのか。一応、物語的には重要な役どころで、彼女は作詞作曲をこなす有能なバンドマン。彼女の才能に惚れ込んだ主人公が、ゲームの音楽担当として仲間に誘い入れようとするも、彼女は完全に非オタクの人間だった。さて、主人公は彼女を説得してサークルに引き込むことができるだろうか、がストーリーのクライマックスである。非オタクのキャラクターとして出しているのに記号的なギャルゲーヒロインという設定的矛盾もさることながら、肝心のメインヒロインがチアガール的にしか話に絡まないのも痛い。ゲーム作りに対する真剣さの認識が、なぜ主人公側と従妹側でズレているのかも明確な解答がない。そして、ラストは主人公が熱い説教を解き放って無理やり納得させるといういつもの展開で締めくくる。
 このように、非常に特殊な設定で始まった本作だが、終わってみればどこにでもあるような普通の深夜アニメに成り果てる。結局は、エゴイスティックなオタクがさらに自己を肥大化させて現実を飲み込んだというだけのお話だ。しかも、後半に入ると加速度的に性的な描写が増え、女性はただ男性の欲望を満たすだけの置き物と化す。第一話・第二話で見られたようなリアルな女性を目の前にしたむず痒い感覚などどこにもない。そういう意味では非常に残念な作品だと言える。もう少し新たな男女の形を見せてくれると期待していたのだが……ただの独り相撲だったようだ。

・クリエイター


 主人公は典型的なオタクである。ただし、それはあくまでハーレムアニメにおける記号的なオタク像であり、サブヒロイン同様、現実にはあり得ない。高校生でありながら、グッズを購入するためにバイトを掛け持ちして自分で金を稼ぎ、ブログを運営しては多くのアクセス数を稼いで社会に大きな影響力を持つ。類まれなリーダーシップを有し、営業力や交渉術にも長けていると極めてハイスペックな人間である。少年漫画の主人公でも、ここまで完全無欠なヒーローはいないだろう。そんな彼が欲して止まない物、それが「クリエイター」になることだ。他人が作った物をただ享受するだけでは満足できず、自分が提供する側に回りたい。そうすることで初めてオタクとしてのプライドを充足できる。言い換えると、彼は「自分で物を作らない人間はオタクではない」と主張したいのである。実際、そういう人達はただ与えられたコンテンツを家畜のように消費するだけの「消費豚」であると劇中のキャラクターに言わせている。つまり、自分達の味方になってくれるはずの視聴者に対して、かなり挑戦的な態度を取っているのが、この『冴えない彼女の育てかた』という作品である。
 本作はジャンルの性質上、基本的にはオタクとオタク文化を肯定している。だが、上記のように否定している側面も持っている。そういう意味では非常にバランスがいい。ただ、最終的にはどちら側に傾くかを決定しなければならない。そして、それは主人公達の作るゲームの出来如何にかかっている。つまり、ゲームが面白ければオタク肯定、つまらなければオタク否定だ。では、実際はどうだろうか? 本作内では完成までに至らなかったが、現時点で上がっている情報を見る限り、残念ながらどう考えても「つまらない」。もちろん、原画はコミケ常連の同人絵師、シナリオは現役の人気ライトノベル作家、音楽は才能に溢れたバンドマンとスタッフは揃っているので、それなりの物は出来上がるだろう。しかし、結局はオタク文化だけを見て育った少年が、それらを参考にして自分の理想を実現しようとした物に過ぎない。それでは、どんなに努力しようと既存の作品の劣化コピーが関の山だ。クリエイターを名乗るからには、多くの経験を積んで幅広い知見を持ち、その上で誰も見たことのない新しい物を作り出さなければならないだろう。高校生の純粋な夢を壊すつもりはないが、正直、今の彼には全く期待できない。そもそも、本作自体がアニメ『N・H・Kにようこそ!』の焼き直しに過ぎないのだから。

・総論


 第六話までは間違いなく神アニメ。後はありがちなハーレムアニメなのでどうでもいい。繰り返すが、第六話までは間違いなく(略)。

星:☆☆☆☆☆(5個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:03 |  ☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『のんのんびより』

田舎。

公式サイト
のんのんびより - Wikipedia
のんのんびよりとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。あっと著の漫画『のんのんびより』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は川面真也。アニメーション制作はSILVER LINK.。過疎化した集落の分校に通う子供達ののんびりとした生活を描いた日常系アニメ。内容が分からなくても、とりあえず「にゃんぱすー」と言っておけば話題に乗れる。

・日常系アニメ


 もう何度も取り上げているが、日常系アニメとは、我々の住む平凡な社会の中に人為的に楽園を作り上げ、その保護された空間内で自由気ままに過ごす子供達の日常風景を淡々と描いた作品である。楽園には気の合う仲間達しか住んでおらず、邪魔をする者は誰もいない。そんな理想の光景を見て、日々の社会活動に疲れた人々が気持ち良く現実逃避するのが役割である。ただし、あまりにも楽園の非現実感が過ぎると、視聴者がその世界の中に上手く入り込めないため、ある程度のリアリティが必要になる。だが、そこが一番難しい。人を集めることは可能だが、場所を確保するのが容易ではない。例えば、他のアニメでよくあるように、生徒会を私物化することは現実的にほぼ不可能だし、部活なら厳しい顧問や嫌な先輩がいる。新しく部活を作るにしても、その行動力と積極性がある人間なら最初から現実逃避用の楽園など必要としないだろう。では、ある程度のリアリティを保ったまま楽園を作り上げるにはどうしたらいいか、そう考えた本作の作者は、ある起死回生の斬新なアイデアを持ち出すことで不可能を可能にしている。現実社会の中に自分達しかいない空間を作り上げるのが困難なら、端から自分達以外の人間を消してしまえばいい。つまり、極めて人間の数が少ない世界を用意すればいい。そんな場所は現代の日本に存在するのか? 答えは是だ。数自体は非常に少ないが、確かに存在する。それが「田舎」である。
 本作の舞台は日本のどこかにある地方の町。過疎化が進行し、家はまばらで田んぼと畑がどこまでも広がっている。町には小中が併設された分校が一つ、全校生徒はたったの四人、それぞれ中三・中二・中一・小一。そこへ小学五年生の女の子が東京から転校してくる。最初は都会と田舎のギャップに戸惑いつつも、すぐに慣れて仲良しになる。こうして、学年の違う五人の子供達の楽しくも穏やかな日常が幕を開けるのだった、というのが本作の趣旨である。ご覧の通り、楽園の範囲を町全体に広げることで、リアリティを保ちつつ不整合をなくしている。かなり卑怯な手段ではあるが、これと言う非現実的な特殊設定を用いず、今ある物だけを使って何とかしようとする発想自体は面白い。一見、かつての雰囲気アニメに先祖返りしたようだが、そこは日常系アニメ、親に相当する世代はほとんど出て来ないし、訴えたいテーマも希薄、とにかく何もない田舎町を舞台にして美少女グループがダラダラと過ごすだけ。それが良いことか悪いことかの判断は難しいが、特にモラルに反しているわけでもなく、田舎を小馬鹿にするような描写もないため、取り立てて大騒ぎする必要はない。それは逆もしかりで、無理やり持ち上げるような作品でもない。どこまでも普通の日常系アニメである。

・世代


 さて、そんな本作と他の日常系アニメの最大の相違点は、楽園の範囲を町単位に拡大したことで、キャスティングの範囲までもが拡大していることである。他のアニメだと普通は同学年の仲の良い友達同士、広くても同じ部活仲間の三学年分が登場人物の範囲になる。一方、本作は田舎の分校をそのまま舞台にしているため、小学一年生から中学三年生に至るまで分布している。その範囲は九学年分。それに加え、近所に住む学校の卒業生もちょくちょく話に絡んでくるため、登場人物の年齢層が非常に幅広い。ここまで離れると完全に「世代」自体が違ってくる。世代が異なるということは、世間の流行や趣味、共有する思い出や記憶、さらには物の考え方までもが異なるということだ。例えば、同じ物を見てもそれぞれ感想が違ってくるだろうし、社会正義に対する認識も歪みが生じてくるだろう。そういった人々が一堂に会することで、当然、会話のズレや意見の衝突に繋がるのだが、逆に言うと視点が多角的になるということであり、話の面白みや現実感が増す。日常系アニメと言えば、得てして同好の士による馴れ合い物語になりがちだが、こうすることで作品に深みを与えている。
 本作には、小学一年生の宮内れんげという女の子が登場する。小学五年生の一条蛍が転校してくるまで、中学一年生の越谷夏海が一番歳の近い知り合いだった。六歳差である。いくら過疎化した田舎とは言え、そこまで歳が離れると対等な友人関係とは言い難い。どうしても保護する者と保護される者という絶対的な上下関係が生まれるため、同じ価値観を共有することは困難になる。そういう意味で言うと、彼女は間違いなく「孤独」な少女である。同学年の友達が一人もおらず、自分の気持ちを本当に理解してくれる人が周囲にいない。彼女は常に無表情で感情の変化が乏しいため、一見すると何事もなく平然としているかのように思われるが、その本心は堪え切れない寂しさに溢れているはずだ。実際、劇中でも何度かそういった感情を垣間見せる。特に、第四話では田舎に帰省した同年代の女の子との出会いと別れを経験し、初めて涙を流す。本作は、そういった孤独な少女を年長者がどう受け入れるかがもう一つのテーマとなっている。結論から書くと、「田舎だから」皆が彼女を自然と受け入れ、これからも楽しい毎日が続いていくという話になり、本作の楽園感を演出しているのだが……まぁ、どちらにしろ、見ていて幸せな気分になれる作品なので、目的を十分に達成しているのは間違いない。

・田舎


 このように、本作は他にない独自要素を盛り込んでいるため、なかなかよくできた作品であると言える。少なくとも、ただのコピー品とは一線を画している。ただし、それはあくまで日常系アニメとしては、の評価だ。そこからさらに上を目指そうと思うと、絶対に避けては通れない課題がある。それは作品の舞台となっている「田舎」をしっかりと描けているか、田舎と都会の違いをちゃんと区別できているかである。
 まず、ハードウェア的な観点から見てみよう。つまり、本作で描いている田舎の風景は、現実的に正しいのかどうかだ。例えば、本作には昔懐かしい小さな駄菓子屋が登場する。如何にも田舎っぽいアイテムであるが、冷静に考えるとこの手の駄菓子屋は都会にも普通に存在する。むしろ、子供が五人しかいない田舎で駄菓子屋が成立するはずがなく、実際にはあり得ない光景である。また、子供達は二時間に一本しか来ないバスに乗って通学しているという設定である。これも田舎っぽい光景だが、彼女達が通っているのは「分校」である。交通機関が整備されていないから分校が作られるのであって、バスが通っているならそのまま本校に通えばいい。これもまた現実に即していない。なお、全校生徒五人、五学年分の複式学級の学校はそもそも日本に存在しないが、これはアニメ的なデフォルメの産物なので、ここを問題にしても仕方ない。そこまで無粋ではない。
 では、これらの些細なミスがなぜ悪いのか。もちろん、リアルがどうという問題ではなく、制作者が田舎をどう定義しているかの問題である。駄菓子屋の件は、要するにノスタルジーを喚起する昔っぽさこそが田舎らしさであると定義しているわけで、「時間の差」の問題である。一方、バスの件は、物理的な活動範囲の広さこそが田舎らしさであると定義しているわけで、「距離の差」の問題である。時間の差に注目するなら、田舎町に最新の電化製品が溢れているのはおかしいし、距離の差に注目するなら、必須アイテムの自転車が登場しないのはおかしいということになる(※第二期では自転車についても言及されている)。これは一例だが、ここだけ見ても制作者の間で田舎イメージが統一されていないことが見て取れる。何を持って田舎とするか、頭の中にある曖昧なイメージだけで作ってしまうと、どっち付かずの中途半端な物が出来上がってしまうため、準備段階でより慎重な作業が要求される。本作はそれができているとは言い難い。
 もっとも、三十年前ならいざ知らず、これだけ情報と流通が発達した現代において、都会と田舎のハード差を描くのが難しいのは理解できる。何せ、どんな僻地でも一日二日でネット通販が届く時代だ。皆が思い描く田舎らしさなど、もうフィクションの中にしか存在しないのかもしれない。そういう意味では制作者に深く同情する。

・余所者


 続いて、ソフトウェア的な観点で見てみよう。つまり、都会と田舎、そこで暮らしている人々の意識の違いをちゃんと描き分けられているかどうかである。俗に言う「都会者」と「田舎者」はどう違うのか、それを描けているのなら本作は名作と呼ぶに値する作品になるし、できていないのなら凡百の日常系アニメだ。当然、視聴者の大半は都会側の人間になるだろう。いや、本作は田舎その物を理想の楽園だとしているのだから、視聴者全員がそうなる。言い換えると、視聴者と出演者の違いということになる。
 本作の第一話は、小学五年生の一条蛍が東京から田舎町に転校してくるところから始まる。つまり、彼女を媒体にして視聴者を楽園に誘っているわけで、さすがその辺りは抜かりない。そして、蛍は初めて見る田舎ののどかな風景や珍しい風習に驚く。が、その驚きの度合いはあまり強くない。上記の通り、ハード面に田舎らしさがあまりないからという理由もあるが、それ以上に彼女の基本的な性格が小学五年生とは思えないほど冷静で感受性に乏しく、すぐに環境に適応してしまうからという理由もある。もう少し、細かいことに一々驚いてくれないと我々の代表の「都会者」としては厳しい。一方、分校の子供達はと言うと、都会からの転校生に対してさほど不信感を抱くこともなく、十年来の友達のように接している。この馴れ馴れしさはある意味「田舎者」らしいと言えるが、アニメ的にはよくある光景なので特別感はない。むしろ、自分達の町の田舎っぷりを達観している描写は何度も出てくるので、感性は都会者の方に近いと言える。はっきり言って、両者の描き分けはほとんどできていない。これでは田舎を舞台にした意味がまるでない。
 ここで基本に立ち返って、田舎とは何かを考えてみる。やはり、それは「自己完結性」になるはずだ。社会が極端に狭いため、地域内であらゆる活動が完結する。住民が皆知り合いで、山も川も森も知らない物は何もない。それは逆に未知なる物に対する恐怖を生み、いわゆる「余所者に厳しい」という状況を作り出す。その構造は邪魔者を極端に排除する日常系アニメとよく似ている。ただ、問題なのは我々視聴者もまた余所者であるということだ。余所者を社会に招き入れないといけないのに、住民が余所者に厳しかったから困る。子供達が「社交的な田舎者」になっているのも、一条蛍が「従順な余所者」になっているのも、そういう事情があるからだ。結局のところ、日常系アニメという分類である以上、作品としての質を求めるには限界がある、と言わざるを得ない。

・総論


 良作と呼ぶにはいろいろ足りないが、見ていて幸せな気分になれる作品。日々のストレスと戦っている人にはオススメ。

星:☆☆☆☆☆(5個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
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