『がっこうぐらし!』

日常系アニメの終焉。

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がっこうぐらし! - Wikipedia
がっこうぐらし!とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。海法紀光原作・千葉サドル作画の漫画『がっこうぐらし!』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は安藤正臣。アニメーション制作はLerche。ゾンビに占拠された学校で女子高生達が生き延びる日常系サバイバルホラー。ニコニコ動画のアニメ部門で初めて第一話の再生数が百万回を超えたことが大きな話題になった。

・学園生活部


 巡ヶ丘学院高等学校学園生活部。学園に泊まり込んで生活することを目的に設立された部活動。部室は元々生徒会室だった部屋、主な活動場所は屋上、現在の部員は四人。その中の一人、高校三年生の主人公は友人達に囲まれて楽しく毎日を過ごしていた。彼女は明るく元気な性格で、ヤンキー系のクラスメイトとも仲が良い。だが、その光景は全て心を病んだ主人公の見た幻想だった。実際の学校はパンデミックによって発生した大量のゾンビに占拠されており、唯一の生き残りである主人公達は屋上に閉じ籠もって救助を待っていた。学園生活部とは、そんな彼女達に生きる希望を与えるために、今は亡き女性教師が作った架空の部活動だったのだ。
 という感じで、本作は衝撃の第一話を持って物語の幕を開ける。『結城友奈は勇者である』と同じく、日常系アニメというジャンル自体を伏線にして、その前提を覆すことで強いインパクトを与え、視聴者の注目を集めるという手法を取っている。実際、ネット界隈では大きな話題になり、斬新なアイデアが称賛を集めた。その事実が示すことは、もうアニメファンは日常系アニメという物それ自体に飽き始めているということだろう。卓球に飽きた卓球部員がラケットを左手に持って遊び始めるように、そろそろ同じことの繰り返しではなく新しい刺激を求め始めている。その結果が、穏やかな日常と正反対に位置するゾンビ系のサバイバルホラーということになったのだろう。それは非常にトリッキーな手段であり、ある意味卑怯なやり口である。ただ、『結城友奈は勇者である』と違って、本作は設定と構成の組み立て方が抜群に上手いため、不快感は少ない。特に構成は、第一話でどんでん返しを仕掛けた後、すかさず第二話で設定をフォローし、続く第三話からの回想回でキャラクターの紹介をしつつ、第六話でもう一つのどんでん返しを起こす。そして、事件の真相に迫りながら、ラストのクライマックスに辿り着くという流れで、最後まで視聴者の興味を持続させる作りになっている。インパクト重視でありながら、ただの「出オチ」で終わらないようにしているのはさすがだ。とは言え、話のピークが第一話にあるのは紛れもない事実なので、視聴意欲が右肩下がりになるのは否めない。戦闘能力のインフレと同じく、以前味わった刺激より大きな刺激を受けなければすぐに飽きてしまう。ゆえに、本作はこの世に生を受けた瞬間から、そういったジレンマと戦わなければならない宿命を抱えている。

・ゾンビ


 もちろん、ストーリー上の問題点も幾つか存在する。ただし、それは本作の問題点というより、世に乱立するゾンビ物の共通の問題点だ。ゾンビ物というジャンルが成立して早数十年、今ではお約束となっていることも、冷静に考えると奇妙ということが多い。
 まず、最初の問題点として、感染拡大のスピードがどう考えても早過ぎる。本作で言うと、早朝の段階では市内の交通事故が話題になり始めたという程度なのに、夕方にはもう都市機能が完全に麻痺して学校がゾンビの巣窟と化している。感染爆発により患者がネズミ算式に増えるのは理解できるが、このスピードは幾ら何でも異常だ。これではゾンビに咬まれた直後にゾンビ化しないと計算が合わず、後の描写と矛盾する。そして、何より大切なのは、それほど感染が早いのならば、なぜ主人公達だけが大丈夫なのかということである。主人公達よりも身体能力が高く、危機管理のスキルを持っている者は幾らでもいるのに、彼らが死んで主人公達が生き残る道理がない。例えば、有名なゾンビゲームだと主人公は生まれ付きウィルス抗体を持っていたという後付け設定でお茶を濁しているが、そんな人間がたまたま同じ学校に集結するとは考え難い。すると、また余計な設定を付け加えないといけなくなり、どんどん内容がインフレ化する。最終的には異次元からの侵略者と戦う羽目になって、ゾンビとは一体何だったのだとなるのがオチである。
 もう一つの問題点は、やはりどうしても主人公達が超人的な活躍をしてしまうことだ。奇跡的に惨劇を生き抜いたとは言え、彼女達は普通の女子高生、自我を失い本能のままに活動するゾンビに戦闘能力で対抗できるはずがない。ところが、本作の登場人物はスコップ一本でゾンビと対等に渡り合い、ゾンビのひしめく通路を単独で突破し、自ら自動車を運転して物資の補給に向かったりする。家事仕事に苦労している様子もない。何の取り柄もない普通の少女達が極限状態を生き抜く様子を描かなければ感情移入は難しく、リアリティが失われる。もっとも、本作の場合は、ゾンビと直接的に戦うのは身体能力に優れた元陸上部員のヒロインのみで、他の部員にゾンビと対抗できる力はないため、『学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』のような無茶苦茶さはない。また、音や光に興味を惹かれるゾンビの習性を上手く活かして排除するというシーンも幾つか見られるため、単純な力押しではない。そういった点には非常に好感が持てる。

・生きる希望


 本作は、第一話のネタばらしを持って日常系アニメとしての役割は終わりを告げ、死と恐怖が支配するサバイバルホラーへと移行する。だが、第二話以降も、心の病で現状認識できない主人公を中心にした日常系アニメ風のコミカルなシーンが時折挿入される。また、電波ソングが鳴り響く陽気なOPムービーもそのまま継続する。正直なところ、これらは全く作品の雰囲気に合っていない。無理やり話を明るく見せかけようとしている様子がかえって痛々しく、逆に視聴意欲を削ぐ。事実、劇中でも、後から学園生活部に加入した部員がそんな主人公の態度に疑問を覚え、「このままでいいのか」と部員達に問う。それに対して部長は答える。「こんな時だからこそ必要なのだ」と。
 ある日突然、平穏だった日常が瓦解し、世界は闇に覆われた。情報が遮断されたことで学校の外の様子を何も知り得ず、家族がどうなったのかすら分からない。知人・友人が皆ゾンビと化し、生きるためにはその友人すら殺さなければならない。そのような状況下で生きるということ、それは我々が想像する以上に過酷であるはずだ。しかも、主人公達は何の訓練も受けていない普通の女子高生で、つい昨日まで命の価値など考えたことすらなかった。そんな人々がこの状況下でまともでいられるはずがない。もちろん、正気を保とうと努力はしているが、人間である以上、それには限界がある。そんな彼女達にとっての唯一の「生きる希望」とは何か、それが主人公の存在である。妄想に捉われ、異変前と同じ行動を繰り返す少女。本来あってはならない光景。しかし、彼女達にとっては唯一昔の穏やかだった頃の日常を思い出させてくれる光景。いつかあの頃に戻りたい。その気持ちが今の彼女達をギリギリのラインで支えている。だからこそ、主人公の異常行動をこのままではダメと分かっていても放置して見守っている。
 考えてみると、世のサバイバル物でここまで「生きる希望」に注目した作品は少ないかもしれない。普通は「どうやって生き延びるか」というハード面に主眼が置かれ、「何のために生き延びるか」のソフト面は添え物になっていることが多い。一方、本作はあえて衣食住が何でも揃った楽園を用意し、そこでどう暮らすかに注目している。それを可能にしたのは、本作が日常系アニメのパロディーだからだ。この構成は実に見事である。

・卒業


 物語終盤、ついに廊下のバリケードが破壊され、ゾンビの集団が学園生活部員の生活スペースになだれ込む。その結果、極限状態でありながらもそれなりに安定していた日常があっけなく崩壊する。そして、部員達に危機が迫る中、追い詰められた主人公がようやく自我を取り戻し、彼女の機転によりゾンビを追い払うことに成功する。だが、ライフラインが全て破壊されてしまったため、もうここで暮らしていくことはできない。そこで彼女達は学校を引き払って、新天地に旅立つことを決意する。それは楽しかった学校暮らしからの卒業を意味する。
 さて、こういったストーリーを描くことで、本作は何を訴えたかったのだろう。それは当然、広義では学校生活、狭義では日常系アニメその物である。頑丈なバリケードに覆われた学校の一角。外は恐ろしいゾンビが蠢いているが、中は安全であらゆる設備が揃っている。親も教師もおらず、気の合う仲間だけで毎日を面白楽しく暮らす。これはもう今まで何度も見てきた日常系アニメの構図その物である。本作はそういった理想的な世界観をゾンビ物に置き換えることで、その状況が如何に不自然であるかを暴いている。そんな仮初の楽園は、いつか必ずゾンビにバリケードを突破されて終わりの時がやって来るのだから、いつまでも安全な場所に閉じ籠っていないで新しい世界へ旅立たなければならない。本作が訴えようとしたのはその一点だ。
 まとめよう。本作は日常系アニメのテンプレートを意図的に覆すことによって注目を浴びた。その世界は非現実的な理想郷に過ぎず、いつか必ず終わりがやってくる。それは明確に日常系アニメというジャンルの終焉を告げている。しかし、第一話こそ各方面から称賛を浴びたが、その後の評判は右肩下がり、最終話になると誰も話題にしなくなった。実際、メディアの売り上げは三千枚程度で、百万回以上も無料動画が再生されたことを考えると記録的な大失敗である(※ただし、原作漫画は飛躍的に売り上げを伸ばした)。結局、視聴者側は終焉を拒否したということだろう。よくよく考えればそれも当たり前で、アニメはただの娯楽なのだから、他人にどうこう言われる筋合いはない。卒業するかどうかは自分で決めるということだ。

・総論


 だから、もういいよ、こういうの……。

星:☆☆☆☆☆☆☆(7個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 11:00 |  ☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『響け! ユーフォニアム』

音楽アニメ。

公式サイト
響け! ユーフォニアム - Wikipedia
響け!ユーフォニアムとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。武田綾乃著の小説『響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は石原立也。アニメーション制作は京都アニメーション。全国大会出場を目指す吹奏楽部に所属する高校生の姿を描いた青春ドラマ。京都府が舞台だが、登場人物は全員標準語。京都弁バージョンも作って欲しいなぁ。

・音楽


 本作がどのような作品であるかを詳しく紹介するより、同制作会社が手掛けたアニメ『けいおん!』を紹介する方が早い。『けいおん!』は、とある高校の軽音楽部を舞台にした日常系音楽アニメである。主人公は軽音学を「軽い音楽」のことだと勘違いして入部した初心者の女の子。他の部員は彼女と同じ一年生の女の子三人だけ。彼女達はそれほど音楽が好きではなく、ほとんど練習をしないでいつも部員と一緒に放課後のティータイムを楽しんでいる。それでも文化祭には出場したいということで、自ら作詞・作曲・編曲した歌一曲だけを携えて舞台に立つ。ちょっとしたトラブルはあったが、なぜか演奏は大成功。観客から喝采を浴びる。そして、主人公は中学時代の怠惰な自分を振り返って思う。「軽音部が大切な場所」だと。これが『けいおん!』の大まかな筋であるが、『響け! ユーフォニアム』はその『けいおん!』を何から何まで正反対にした作品である。共通しているのは、主人公が女子高生であることと音楽を題材にしていることと番組開始時はあまり音楽に対して真摯ではなかったことだけ。最初はやる気のなかった本作の部員達も、物語の途中で本気で全国大会を目指すようになり、日々の厳しい練習に明け暮れる。当然、その過程で部員同士の衝突も生まれる。だが、その結果、徐々に演奏が上手くなっていき、最後には大きな舞台で成功を収める。つまり、努力と根性が主体の青春ドラマであり、何の努力もせずにヒーローになれる夢の世界を描いた『けいおん!』とは思想を真逆にする。監督が違うとは言え、同じ制作会社の同じスタッフが作っている映像作品で、訴えているテーマが180度違うというのも珍しい。意図的に作っているならまだしも、無自覚ならダブルスタンダードというレベルではない。自分達は分別の付かない子供相手に商売をしているのだという自覚を持って欲しい。
 それはさておき、ご覧の通り、本作と『けいおん!』の最大の違いは「音楽」という物に対する向き合い方である。それは音響面に如実に表れている。劇中で奏でられる吹奏楽の演奏は、上手い演奏は上手く、下手な演奏は下手にと全てが具体的な「音」として表現されているため、非常に説得力がある。言い換えると、それだけの手間暇がかかっているということであり、極めて称賛に値する。ただし、それは諸刃の剣でもある。素人でも良し悪しが聞き分けられるということは、下手な演奏はとんでもなく下手だということだ。終盤、主人公の心の迷いを表現するために下手な演奏を流すのだが、それが本当に初心者レベルの拙さで、つい先程までの上級者設定はどこに行ったんだよと言いたくなる。新しいことに挑戦した結果の産物とは言え、マイナスポイントであることには変わりない。

・ストーリー


 京都府立北宇治高校吹奏楽部。十年前までは強豪校だったが、顧問教師が退任して以降は府のコンクールでも銅賞しか取れない弱小校にまで落ちぶれていた。そんなある日のこと、主人公達の学年が入学すると同時に新しい顧問が就任する。彼は着任早々、部員に向けて「本気で全国大会出場を目指すのか?」と問う。投票の結果、賛成多数になったことで、彼は指導を強化する。最初は厳しい練習に反発していた部員達も、彼の指導によって演奏が上手くなっている実感を得ると、自然と自分から努力を始める。そして、彼らは全国大会出場を目指して夏のコンクールに出場するのだった。と、このような感じで極めてオーソドックスな青春ドラマである。教師の指導法も、基礎練習の徹底と部員同士の競争原理の確立という基本に忠実な物だ。人物配置もセオリー通り、教師に反発する者、教師を慕う者、それに対抗する者、斜に構えている者、全くの初心者で右も左も分からない者、リーダーとしての素養に悩む者、一歩引いた所から眺めている者など一通り揃っている。そんな彼らが様々な視点で吹奏楽部を見つめる様は、これぞ群像劇というべき趣を醸し出している。
 その中でも一番注目すべきは、やはり主人公とライバルの特別な関係性だろう。二人は中学時代の部活仲間で、お互い楽器経験者という似たような立場でありながら、音楽に対する考え方が全く違っていた。中学校のコンクールで全国大会に出場できなかったことを本気で悔しがるライバルと、彼女に対して「本気で全国行けると思ってたの?」と冷めた台詞を吐いてしまう主人公。そんな二人が高校でも偶然一緒になる。最初はギクシャクしていた二人だったが、ライバルの音楽に懸ける熱い想いや新任顧問の厳しい指導を受けた主人公が音楽愛に目覚めたことで仲直りする。こういった性質の異なる人間が衝突を経て共通の目標に向かって突き進むという展開は、王道だとは分かっていても心を打つ。ライバルの使用する楽器が吹奏楽の花形であるトランペットで、主人公の使用する楽器が地味な低音楽器であるユーフォニアムという対比も良い。音楽、特に大人数で演奏する吹奏楽はまさに社会の縮図なのだろう。だからこそ、彼女達の言動には我々の気持ちを揺り動かす力がある。
 ただ、設定的にはちょっとしたミスがあり、新任顧問は有名音楽家の「息子」であって、彼自身には何の実績もない。当然、部活を受け持つのは今回が初めてで、ライバルが彼を崇拝する理由もない。それならそれで、彼が自分の方針の正当性について思い悩む展開が絶対に必要だ。せっかく、これだけの凝った設定を作ったのに、何とも詰めが甘い。

・下剋上


 さて、本作のストーリーは、吹奏楽部が夏のコンクールを勝ち抜いて関西大会に出場が決まったところで唐突に終了する。その先どうなるかはテレビアニメ放送分だけでは分からないが、話の流れ的には全国大会に出場するのだろう。このように、弱小校が短期間で努力を重ねて全国大会に出場する青春ドラマは、本作に限らず多数存在するが、実際のところはどうなのだろう。まず、必ず避けて通れないのは、弱小校の部員が上を目指して猛練習をしている間、強豪校はそれと同等以上の練習量を平気でこなしているという事実である。自分の知る限り、吹奏楽の全国大会常連の強豪校は、朝から晩まで基礎練習に明け暮れており、全体練習をするのはコンクール前の一週間ぐらいらしい。一方、北宇治高校吹奏楽部は、新任顧問の指導によりようやく基礎練習を始めたばかり。これでは十年立っても追い付けやしない。
 ここで分かり易く漫画『SLAM DUNK』を例に挙げよう。こちらも弱小高校のバスケットボール部が急成長して全国大会に出場する物語だが、弱小と言いながら、元々、部内には県トップクラスの選手が二人もいた。そこに全国レベルのスーパールーキーと元中学MVPが加わり、さらに全てが規格外のラッキーボーイが入部することで全国に通用するチームを作り上げた。つまり、「人材」こそが全てである。もちろん、彼らが苦しい努力を積み重ねたのは事実だろうが、その前提として優秀な選手がたまたま同年代に集中したという理由の方が大きい。しかも、バスケットボールは五人という少人数で行うチームスポーツである。一方、吹奏楽コンクールの最大編成人数は五十五人。これでは部員数が多い強豪校が圧倒的有利だろう。そう考えると、かなり非現実的なストーリーだと言わざるを得ない。
 それでは、吹奏楽コンクールにおける下剋上展開に説得力を持たせるためにはどうしたらいいのだろうか。やはり、人材の面である程度の素地がないと話にならない。その上で何らかの事情により実力を発揮できていないとする必要がある。例えば、それなりの伝統校で個人個人はそれなりに上手いのだが、合奏になると途端にダメになる。そこへ熱血顧問が新任して徹底的にチームワークを叩き込み、吹奏楽の全体的なレベルを上げる。もちろん、そのためには具体性があって実現可能なとっておきの「奇策」が必要になる。顧問教師が大会前に「会場をあっと言わせよう」と訓示するが、その前に視聴者をあっと言わせなければならない。『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』風に言うと「イノベーション」だ。基礎練習を描くことは当然大事だが、それはあくまで大前提だと理解する必要がある。

・萌えアニメ


 以上、話の説得力の面で問題があるとは言え、本作は基本的にはよくできた作品である。作りが非常に丁寧で、青春ドラマとしてのツボを全て押さえている……が、決して面白くはない。冷静に考えると、努力を描くとか仲間同士の衝突を描くとかは青春ドラマでは至極当然のことであって、わざわざ褒め称えるような要素ではない。むしろ、何でその程度の物を持ち上げないといけないのだと情けなくなる。ゆえに、そういった部分を除いて見てみると、やはり目に付くのは脚本面でのつまらなさだ。主人公の友人や先輩がムードメーカー的な立場でいろいろと話を盛り上げようと頑張っているのだが、どれもこれも見事に滑っている。全体的に空気が平坦で、気持ちが熱く燃え上がるような展開もない。よくよく考えたら、これも当たり前のことだ。主人公は女性で、友人も先輩も女性。敵は女性で、恋のお相手は男性。ついでに言うと、原作者も女性。その行き着く先はベッタベタの「少女漫画」である。いくらオタクのジェンダーが女性化しているとは言え、そんな物を見て面白いと感じる男性視聴者はまだまだ少数派なはずだ。
 また、物語の途中で友人が主人公の男性幼馴染みに恋をするという展開が挟まる。どう考えても友情崩壊に繋がるような大事件だが、そのエピソードは二話程度で簡単に終息してしまい、何の後腐れも残らない。なぜか? それは、主人公の興味がその友人でも男性幼馴染みでもなく、完全に女性ライバルの方へ向いているからだ。主人公にとってはライバルと親密になることが最優先事項であり、実際、最終的に二人は体を触り合うぐらいの仲になる。要するに「百合」である。深夜アニメに慣れ親しんでいるとそれが普通のことのように感じるが、元来、百合は非常に特殊な恋愛の形であって、本作のような普通の青春ドラマでやることではない。門戸を狭めるだけだ。結局、本作は「萌えアニメ」であることが全ての足を引っ張っているのである。萌えアニメだから、女の子の可愛さを描くことに全力を傾けなければならず、結果、申し訳程度の百合要素を含んだ劣化少女漫画になる。萌えアニメであることに拘らなければ、もっと万人ウケする娯楽性の高い青春ドラマが作れただろうに。
 そもそも、本作をアニメ化する必要があったのだろうか。リアルな作画、リアルな音響、リアルな設定、リアルなストーリー、リアルな演出、リアルな感情描写、そこまでリアルに拘るなら最初から実写ドラマでやればいい。アニメ化するなら、アニメーションでしか表現できない物を作るべきだろう。特に、本作を制作しているのは、日本屈指の技術力と資金力を誇る京都アニメーションである。それが本作のような普通の青春ドラマを作っていては、宝の持ち腐れというレベルではない。本作はあくまでステップアップの場として頂いて、京都アニメーションの次の新作に期待したい。

・総論


 巨額を投じて普通の青春ドラマを作ったと考えると、無駄な公共事業のような味わいがあって良い。こういうことを書くと貶しているかのように誤解されますが、普通に褒めてます。はい。

星:☆☆☆☆☆☆☆(7個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:06 |  ☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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