『最終兵器彼女』

悪影響。

公式サイト(消滅)
最終兵器彼女 - Wikipedia
最終兵器彼女とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2002年。高橋しん著の漫画『最終兵器彼女』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は加瀬充子。アニメーション制作はGONZO DIGIMATION。戦場となった日本を舞台に最終兵器のヒロインと高校生の主人公が愛を重ねる終末系SF。略称はサイカノ。原作者の高橋しんは、本作の前に『いいひと。』というハートフルラブコメを連載しており、両者のギャップの大きさが話題となった。

・ヒロイン


 本作は『新世紀エヴァンゲリオン』の流れを汲み、その破滅的なイメージをさらに先鋭化させたことで、後世に多大な影響を与えた作品である。正確に言うと、多大な「悪影響」を与えた作品である。その特徴を一言で言うと「純真無垢なヒロインを徹底的に悲惨な目に遭わせる」だ。
 ヒロインは、自らの意志とは関係のないところで「最終兵器」と呼ばれる機械の体に改造され、他国との戦いを強要された女子高生。その肉体はまさに完全無欠であり、空を飛ぶことも無からミサイルを生み出すこともでき、一つの街ぐらいなら簡単に滅ぼせる。そんな体では当然、普通の日常生活を送ることはできず、生殖機能も奪われているため、恋愛もできない。しかも、寿命が短く、常に怪しい薬を飲んでメンテナンスしないとすぐに死んでしまう。また、その影響は体だけではなく、心にまで及ぶ。凄惨な戦場で心を病んだからか、それとも脳まで機械になったからか、徐々に戦闘狂の非人道的な性格になっていく。そして、ついには記憶まで失い、完全に別人になってしまう(ただし、劇中では二重人格のような描き方をしているため、心理劇としては弱い)。映像を見ている間は気付き難いが、こうやって改めて文章にすると恐ろしい。我々が普段、当たり前のように享受している基本的人権を根本的に否定された人間の姿がそこにある。いくらフィクションでも、やっていいこととダメなことがある。
 なぜ、ここまで執拗にヒロインを痛め付けるのか。例えば、『おしん』に代表されるかつてのヒロインがひたすら苦難に耐え続ける奮闘努力物の作品では、世の中を理不尽さを自戒を込めて描きつつ、最後には逆転してカタルシスを得ることで希望を共有していたのだが、本作及び本作の派生作品では何のカタルシスもないまま終わる。これと言って社会批判もなければ人生訓もない。では、ただヒロインをいじめて悦に入っているだけなのかと問われると、そうではない。視聴者は確かに不幸なヒロインに同情し、彼女を悲惨な目に遭わせた敵に対して憤っているのだ。だが、根本的な問題として、本当に心優しい人はそもそもこんな作品は見ない。つまり、ヒロインに同情している心優しい自分自身に酔うという偽善的なメカニズムが裏で働いているということである。はたして、それは正しいことなのだろうか? その答えは分からないが、以後、本作のフォロワーが次々と生まれている。特に十八禁美少女ゲームでは定番の設定になり、そこ出身のシナリオライターによってアニメ業界にも伝播されている。そう考えると、本作の歴史的な価値がよく分かるだろう。

・設定


 近未来の日本。数年前より勃発した大規模な戦争により国土の大半が焦土と化し、今なお戦線は徐々に後退しつつあった。そんな中、情報が完全に遮断された北海道の小さな田舎町に住む高校三年生の主人公は、どこか違和感を覚えつつも偽りの平和な日々を謳歌していた。ある日、彼はクラスメイトの女の子に告白されて付き合い始める。彼女はドジでノロマで「成長したい」が口癖の冴えない女の子だった。だが、札幌で空襲があった日、主人公は図らずも彼女の秘密を知ってしまう。彼女は政府により「最終兵器」に改造され、日夜、敵と戦っていたのだった。戸惑いつつも恋人関係を続ける二人。しかし、兵器として成長するにつれて、心身共に壊れていく彼女に対し、主人公は少しずつ恐怖を覚え始める。終わり行く世界の片隅で、はたして二人は真実の愛を貫けるだろうか。
 本作は創作テクニックの「大きな嘘」を上手く生かした作品である。具体的に言うと、「戦争」と「最終兵器」の詳細については、劇中ではほとんど触れられない。日本はどこの国と戦っているのか。どの場所で戦っているのか。戦況はどうなっているのか。組織はどうなっているのか。お互いの兵力や軍事技術はどうなっているのか。また、最終兵器とは何なのか。なぜ、ヒロインが選ばれたのか。どのようなテクノロジーで動いているのか。といったストーリー上なくてはならない疑問を全て流している。もちろん、それは意図的な行為だ。描こうと思ったら、描けなくもない。しかし、そのためには膨大な時間と量のカットが必要になり、ジャンルもSF寄りになる。それでは本作が一番描きたいこと、主人公とヒロインの恋愛にまつわる細やかな心理描写が薄まってしまう。ゆえに、大まかな設定を視聴者の空想に委ねているのである。舞台劇で背景美術を簡略化するのと似たような理由だ。
 ただし、一点だけ、大きな嘘では誤魔化し切れない疑問点が存在する。それは「なぜ、ヒロインは戦闘後にわざわざ北海道の田舎町に戻るのか?」である。最初期なら分かるが、かなり戦闘が激化した頃になっても、ヒロインは頻繁に故郷へ帰っている。その行動はあまりに不自然で、論理的な説明を付けることは難しい。事実、ヒロインが帰ることで度々田舎町が事件に巻き込まれている。結局、ストーリーの都合上、舞台を「戦争から隔絶された平和な田舎町」に設定してしまったせいで、そうせざるを得ないのである。要は、大きな嘘も決して万能ではなく、完全にロジックを放置してはいけないということだ。

・ストーリー


 上記の通り、本作は大きな嘘によって戦争や最終兵器についての詳細がぼかされているせいで、本来、メインストーリーになるべき物が存在しない。そのため、主人公とヒロインの高校生らしい不器用な恋愛模様を延々と繰り返しながら、少しずつ状況を変化させていくという手法を取っている。具体的に述べると、主人公とヒロインが仲良くなる→ヒロインの体調が悪化する→二人の仲がギクシャクする→ヒロインが出撃する→帰ってきて仲直りするのループだ。メロドラマ的手法と言われればそうかもしれないが、どちらかと言うと、トランプの「ババ抜き」の方が本作の実態を正確に指し示した表現になるだろう。ジョーカーがプレイヤーの間をグルグルと回っている内に段々とカードの枚数が減り、最後にはジョーカーだけが手元に残る。ここで言うカードの枚数が、日本の戦局であったり知人の生死であったりヒロインの体調であったりする。では、何がジョーカーなのかと言うと、それはヒロイン自身に他ならない。最終兵器となった彼女は、戦いを重ねる度に兵器として成長し、最終的には誰にも制御できなくなって、地球すら破壊してしまう。それを防ぐには、事前にヒロインを殺すしかないのだが、日本を守らなければならない自衛隊にそれができるはずもなく、ヒロインを愛する主人公も寸でのところで躊躇してしまう。それゆえ、ループは絶えることなく、一直線に終末へと向かって突き進む。
 最終話は、今まで吐いてきた大きな嘘に対して、少しだけ解答を与えている。地球は何らかの巨大な敵(詳細不明。SF的に考えると惑星を捕食する宇宙生物か)によって滅亡の危機に瀕しており、日本で起きていた戦争は地球上に残された数少ない土地を巡る争奪戦だったのだ。そして、ついに敵は日本にまで押し寄せる。世界を守るために出撃するヒロイン。だが、彼女の奮闘もむなしく、とうとう敵は地球を食らい尽くしてしまう……いや、ちょっと待て。地球はヒロインのせいで滅ぶのではなかったのか? だからこそ、二人は悩んでいたのではないのか? 今までやってきたことは一体何だったのか。もちろん、これも大きな嘘の範囲内なので、強引に論理的な解釈を付けようと思えば付けられる。例えば、最終兵器は敵の肉体の一部であり、ヒロインの成長に合わせて敵も成長していたとか。ただ、我々が画面から知り得る情報は「地球は滅んだ」の一点のみである。夢も希望も伏線もない。正直、これをストーリーと呼んでいいかは判断に迷う。それゆえ、本作の手法は決して褒められた物ではないことを認識する必要があるだろう。

・愛


 本作のメインテーマは、当然ながら「真実の愛とは何か?」である。それを確かめる実験として平凡な高校生カップルを極限状態に配置し、真の愛の形を探ろうとしている。ただ、先に結論を書くと、その回答は「よく分からない」になる。主人公は確かにヒロインを愛しており、地球最後の日まで彼女の側にいる。だが、なぜ好きなのかの明確な理由はない。だからこそ、未知の生物へと化していくヒロインの元から何度も逃げ出して、他の女性と逢瀬を重ねる。だが、結果的にはいろいろと口実を付けて元の鞘に戻る。だから、「分からない」。しいて言うなら、主人公は視聴者と同じくヒロインの不幸な境遇に同情しているのだろう。それは「愛」ではなく「情」の範疇だが、別におかしなことではない。愛を押し付ける方がより偽善的だ。
 一方、ヒロインが主人公を好きな理由は明白で、街を破壊する死神のように扱う他の人とは違って、自分をちゃんと人間扱いしてくれるからだ。気持ちのすれ違いでケンカすることはあっても、それもまた人間らしい行動の一つである。つまり、彼女にとって愛とは自己の存在の証明であり、主人公及び視聴者とは次元の違う位置にいるのだ。もっとも、我々が完全にアイデンティティを確立できているかと問われると回答に窮すため、ある意味、ヒロインこそが視聴者の代弁者なのかもしれない。地球を台無しにしてでも一人の人間に愛されたいと願う彼女の気持ちは、決して否定できない。問題は、なぜそれを主人公でやらずにヒロインでやるのかということである。そこにいわゆるオタク層の歪んだ自己を見て取れる。
 また、本作の良い点は、性にまつわる事象をしっかりと描いている点である。愛が深まれば性行為に辿り着くのは当然の流れであり、それを否定するの自然の摂理に反している。また、極限状態であれば、子孫を残したいと考えるのは人として当たり前の権利だ。その点、本作は深夜アニメであるメリットを十分に活かしていると言える。だが、これが後年の作品になると、同じ深夜アニメなのに、やれパンチラだとか、やれ巨乳の水着だとか、やれラッキースケベだとか、やれ疑似性行為だとかと一気に幼児化する。本作の悪い点を見習うのではなく、もっと良い点を見習って欲しい物である。

・総論


 あくまでパイオニアなので甘い評価とするが、後世に与えた悪影響を想うとマイナスでも文句は言えない。好きか嫌いかで問われると、あまり好きではない。

星:☆☆☆☆☆☆☆(7個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:16 |  ☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ-』

簡略化の好例。

公式サイト
蒼き鋼のアルペジオ - Wikipedia
蒼き鋼のアルペジオとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。Ark Performance著の漫画『蒼き鋼のアルペジオ』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は岸誠二。アニメーション制作はサンジゲン。世界を守るため潜水艦を駆って謎の艦隊と戦う少年の活躍を描いたSF海洋戦記。アニメ化に当たって、設定・キャラクター・ストーリーがかなり大胆に簡略化されている。一応書いておくが、ブラウザゲーム『艦隊これくしょん-艦これ-』がリリースされたのは2013年、本作の原作が初掲載されたのは2009年である。

・ストーリー


 地球温暖化で陸地面積が減少した近未来。突如として現れた「霧」と呼ばれる謎の艦隊が武力で海上を封鎖し、物流と情報が遮断された人々は困窮に喘いでいた。国連軍は総力を挙げて反撃を試みるも、圧倒的な敵の科学力の前に成すすべもなく敗戦。人類は滅亡の時をただ静かに迎えようとしていた。五年後、海軍の士官学校に通う主人公の前に一隻の潜水艦が現れる。明らかに霧側の軍艦に思われるその船は、自らの人工知能をメンタルモデル(擬人)化して主人公に接触する。イオナと名乗る彼女の意志に誘われるまま、主人公は潜水艦を駆って大海原へと旅立つ。それから二年後、そこには独立艦隊「蒼き鋼」として霧に単身立ち向かう主人公の姿があった。
 極めて王道のSFストーリーである。謎の侵略者と人類の間には圧倒的な科学力・軍事力の差がある。このままでは間違いなく人類は滅亡する。だが、降伏寸前に主人公達は敵側の兵器の鹵獲に成功する。その兵器のテクノロジーを研究し、もしくはそのまま用いて人類は最後の反撃に出る、というSFの黄金パターンを踏襲している。しかも、その兵器は、謎の力により主人公にしか操縦することができないということにしておけば、主人公が人類最後の希望になる必然性が生まれ、地球の平和を守る僕らのヒーローが誕生する。七十年代・八十年代のロボットアニメは大体がこういった流れを取る。さらに、その兵器には人格があり、殺戮兵器としてのアイデンティティと主人公に対する愛情の狭間で葛藤し、もがき苦しむなどとしておけば、九十年代・ゼロ年代のロボットアニメになる。本作は、人格を持つ軍艦同士の戦闘ということで基本的には後者のジャンルに含まれるが、主人公のヒーロー然とした佇まいは八十年代のテイストを色濃く残している。
 ここでいきなり最終話の展開を書いてしまうと、暴走した敵旗艦のメンタルモデルに対し、ヒロインのイオナが単身敵艦に乗り込んで説得を試みるというアニメオリジナルストーリーになる。これなどはまさに往年のロボットアニメのそれだ。単純な殴り合いでは終わらせず、当事者同士の思想のぶつけ合いで決着を付けようとする。原作付きとは言え、岸誠二監督の手がけた他の作品『persona4 the ANIMATION』『DEVIL SURVIVOR 2 the ANIMATION』『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生 The Animation』『結城友奈は勇者である』等が総じて同じ展開になっていることを考えると、当時のロボットアニメの影響を強く受けているのだろう。そして、先に結論を書くと、そういったフォロワー群の中でも、本作は珍しく成功した部類に含まれる作品である。

・潜水艦


 上ではロボットアニメについて語ったが、本作はロボットアニメではなく潜水艦アニメである。数ある軍事兵器の中でも、潜水艦は独特の様式美を誇っている。その魅力に憑り付かれたファンも少なくない。それゆえ、そのオンリーワンの性質を上手く描けていないと、一気に評価が下落することになる。
 潜水艦の特徴、それは非常に制約が多いことである。まず、根本的に潜水艦は外が見えない。外界の様子を探るには超音波探信儀(ソナー)を使うのだが、それさえも相手の正確な位置を特定できる物ではない。だからと言って、こちらから探信音を打てば、自分の居場所を敵に伝えることになってしまうので、むやみやたらに使用することもできない。すると、多くを乗組員の予測と想像で補う必要が出てくる。戦闘にしても、全ての攻撃手段に対して有効な防御手段が用意されているため、単なる力押しでは絶対に勝てない。刻一刻と変化する状況に応じて、複数の攻撃を効果的に使い分ける必要がある。そして、何より大事なことは、海中では機体の一つの損傷が命取りになるため、魚雷一本で簡単に勝敗が決してしまうことだ。それはまさに剣術の達人同士の決闘を思い起こさせる。これらから導き出される結論は、潜水艦による戦いは極めて高度な「頭脳戦」だということである。敵の位置を予測し、敵の思考を読み、その上でこちらの行動を決定しなければならない。一つでも手順を間違えると海の底だ。潜水艦の艦長は、そのような状況下で持てる知識と経験をフル活用して意思決定し、乗組員を勝利に導かなければならない。そのとてつもない重圧と緊張感を描けるかどうかである。
 また、本作は人工知能vs人間の戦いでもある。つまり、将棋における電王戦のような様相を呈している。となると、人工知能らしい潜水艦の戦い方と人間らしい潜水艦の戦い方をちゃんと描き分けた上で、最終的に人間の方が優れていると示さなければならない。これは恐ろしい難問だ。人工知能らしい戦い方と言うと、やはり戦術が教科書通りで融通が利かず、ハプニングに対して臨機応変に対処できないということになるだろうか。ただし、将棋の電王戦を見る限り、余程のことがない限りコンピュータ側がミスを犯すことはないので、人間側にそれを越えるほどの天才的な発想力が必要になる。本作がそれを描けているかと言うと、正直なところかなり厳しい。劇中の戦闘描写を見る限り、ほとんどが敵側の判断ミスによる自滅だ。将棋で例えるなら、日曜日の趣味サークルレベルであろう。そんな連中に世界の海が支配されたと考えると哀しくなってくる。(なお、原作では霧には元々戦術という概念すらなかったとされている)

・人造人間


 本作のメインテーマは「人造人間譚」である。それは『ローゼンメイデン』や『GUNSLINGER GIRL』等、本ブログでも何度か取り上げているテーマである。そもそも、アニメのキャラクター自体がある種の人造人間なので、非常にアニメーションとの相性が良く、ゆえに名作も多く生まれている。基本的には、人造人間と人間の違いを探ることによって、逆説的に「人間とは何か?」を見つめ直すという物だ。その問いは人類にとって不朽不滅の哲学的課題であるため、人々を惹き付ける確かな魅力を有している。
 元々、霧の艦船は固有の人格を持たない従来型の人工知能で動いていた。だが、人類との戦いを通じて、人間型の知能の方が戦闘に有利であるという結論に至り、自らメンタルモデルを作り出した。それは同時に機械が感情を手に入れることだった。その結果、彼ら自身も予想が付かない様々な異常事態を引き起こす。霧の艦船の一人「ヒュウガ」は、自らを撃沈したイオナに対して倒錯的な憧憬の念を抱き、霧を裏切って主人公側に付く。「タカオ」は人間に操縦される船としてのアイデンティティーに目覚め、敵艦艦長の主人公に恋心を抱く。「ハルナ」と「キリシマ」は自分達に対抗する兵器開発のために作られたデザインベビーに同情し、彼女と一緒に脱出する。一方、ラスボスである敵旗艦の「コンゴウ」だけは、そんな彼女達を嫌悪して霧に忠誠を誓い、自分の手でイオナを倒すことを決意する。だが、機械はそもそも自分の役割に疑問を抱かない。霧に忠誠を誓うことやイオナを倒したいと願うこと、それ自体が感情の発露なのである。その事実を指摘されたコンゴウは我を失って暴走する。
 こうして見ると、機械が感情を持つことはデメリットしかないように思われる。実際、イオナは「自分の身を犠牲にして主人公を助ける」というロボット工学三原則的にあるまじき行為さえ行っている。また、兵器が自我を持つことは非常に危険である。『そらのおとしもの』の項目で書いた通り、殺人兵器が恋愛感情によって暴走することは幾らでもあり得るのだから。だが、本作では機械が感情を持った結果、辿り着いたのは敵と味方の相互理解であった。それは平和への唯一の道しるべである。そして、その一見遠回りに見える行程こそが人間型の人工知能が持つ可能性であり、人間の素晴らしさであると本作は訴えている。
 ただし、それを可能にするのは人間との関わり合いにおいてのみだ。機械は人間に使われて初めて存在価値を持つ。自立した機械はもう機械ではない。本作にはその観点が少し欠けている。そういう意味では、人間との絆をしっかりと描いた他作品には一歩及ばない作品である。

・空白の二年間


 それとは別に、本作には極めて大きな欠点が三つ存在する。まず、一つ目は、主人公の思想形成の過程が全く分からない点だ。彼は非常に博愛的な思想の持ち主である。人類を滅亡寸前まで追い込んだ霧に対しても寛容で、「必ず分かり合える」という信念を元に共存共栄の道を探っている。しかし、彼がなぜそのような思考を持つに至ったかがさっぱり分からないため、言葉に全く重みがない。初登場時はもっとクールな性格だったはずだ。普通に考えると、イオナとの交流を経て機械と人間の共存の可能性に気付いたということになるが……さて、どうなのだろうか。二つ目は、上述した霧が擬人化するようになった理由、それが劇中で具体的に描かれない点だ。台詞としてはちょくちょく出てくるので脳内補完できないこともないが、実際のところはよく分からない。この設定に説得力を持たせるなら、人間型人工知能の方が有利であると気付いた何らかの決定的な事件が必要ではないだろうか。そして、三つ目は、ヒロインの主人公を慕う理由がテレビアニメ版では最後まで謎として残る点だ。ヒロインが恋人のように主人公に付き従うのは、誰かにそう命令されたからである。信頼関係でも恋愛感情でもない。これは劇中で明言されている。しかし、本作のテーマは人造人間譚なのだから、ここが命令であっては困るのである。おそらく、どこかのタイミングで感情が命令を上書きして自立したのだろうと思われるが、それを匂わせるようなエピソードはない。これではただの三流萌えアニメになってしまう。
 こういった欠点が発生している原因は明らかで、それは主人公がイオナと出会ってから蒼き鋼として活躍するまでの二年間が、物の見事に省略されてしまっているからである。本作における面倒事は、全てこの空白の二年間の中に押し込められ、受け手の想像に委ねられている。これは、大事なところをあえて隠すことで「描かずして描く」を可能にするという一種の創作テクニックなのだろうが、さすがにこれでは説明不足だと言わざるを得ない。少なくとも、回想シーンや外伝などでフォローすべきだっただろう。
 もっとも、原作は十巻以上にも及ぶ長編漫画で、それをたったの1クールにまとめようというのがそもそも無茶な話だ。そういう意味では、本作は上手く原作を簡略化していると言えよう。創作の基本は足し算ではなく引き算と言うが、本作は余計な物を上手く削ぎ落とすことで、本当に描きたいテーマに絞って描いている。それは純粋に評価されるべきことである。

・総論


 もちろん、欠点は多数あるのだが、こういった難しいテーマに真正面から取り組んだ作品を適切に評価しないとアニメを語る資格がなくなる。まぁ、要は原作の出来がいいってことなんですけどね。

星:☆☆☆☆☆☆☆(7個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:35 |  ☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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