『RDG レッドデータガール』

行き当たりばったり。

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・はじめに


 2013年。荻原規子著の小説『RDG レッドデータガール』シリーズのテレビアニメ化作品。全十二話。監督は篠原俊哉。アニメーション制作はP.A.WORKS。人類を死滅させる神の力を身に宿した女子中学生の数奇な運命を描いた恋愛青春ファンタジー。レッドデータとは絶滅の恐れのある野生生物のこと。つまり、本作のタイトルを直訳すると「絶滅危惧少女」になる。こっちの方が面白そう。

・少女漫画


 まず最初に確認しておきたいことがある。非常に根本的なことだが……この作品は本当に「男性向けアニメ」なのだろうか。
 主人公は山奥の神社に住む女子中学三年生。長い三つ編みに眼鏡をかけ、性格は内気で引っ込み思案と、このご時世ではまるで「絶滅危惧種」のような大人しい女の子である。だが、ある日のこと、自らの意志で前髪を切ったのを境にして、彼女の中に秘められた恐ろしい力が顕現化する。彼女は「姫神」という名の邪悪なる存在をその身に内包しており、その力が発揮されるとあらゆる電子機器が使用不可能になってしまう。彼女の力が世間に知れ渡ると社会に大混乱を巻き起こす可能性があるため、山伏の団体が同い年の少年を彼女の監視役兼ボディーガード役に付けることになった。最初は、親の言いなりになることに反発して素っ気ない態度を取り続けていた彼も、次第に主人公に心を開いて、彼女を守るために奔走するのだった。
 以上が本作のプロットだが、何だろうか、この典型的な少女漫画展開は。主人公が女性なのはいい。昨今、女性が主人公の男性向け深夜アニメの方が圧倒的に多い。しかし、その主人公が非常に内気で冴えない女の子で、ある日突然、天より与えられた力で特別な存在となり、周囲から神や仏とちやほやされたあげく、根は真面目だがぶっきらぼうなイケメンに護られるという、もう、少女の夢を具現化したような甘ったるいシチュエーションは、とてもじゃないが男性向けとは言い難い。さらに言うと、主人公の最終目標は神様になることではない。そういった特別扱いではなく、普通の女の子として周囲に認められることである。いわゆる「女性の自立」がメインテーマだが、彼女は姫神の化身だからこそ持て囃されるし、イケメンも世話してくれるのである。もし、その力を失ってしまうと、彼女は何の個性もない地味な女の子に成り下がり、主人公ですらなくなる。つまり、特別な存在だからこそ特別な地位を手に入れているのに、その待遇を残したまま普通の女の子として認められたいというのは極めて虫のいい話である。普通を求めるなら、彼女は一度、全てを捨て去らなければならない。この無自覚な自己矛盾が如何にも女性的だ。これが男性向けアニメなら、主人公は普通の女の子になりたいとは絶対に考えない。どこまでも特別な自分を謳歌し、その力を使って成長しようとするだろう。
 そう考えると、本作は女性向けアニメということになるが、公式のプロモーションを見る限りはどちらとも明記されておらず、P.A.WORKSの他の作品と同様に両方の客層を上手く取り入れようとしたようだ。ただ、それらと比べると明らかに少女漫画臭がきついため、拒否反応が現れる人も少なくないだろう。では、本作は一体どこへ向かおうとしているのだろうか、早速、ストーリーを確かめてみよう。

・ストーリー


 第一話~第三話は、言うならば「中学生編」ということになる。姫神の強大な力に翻弄される主人公と、彼女を護ることを強要された少年という精神的に未熟な二人が、様々な経験を経て人間的に成長し、互いを尊重し合うようになるという青春物語である。いや、これは良く書き過ぎだ。中学生編を見た視聴者がそういう感想を抱くのは稀だろう。なぜなら、本作は異様にストーリーのテンポが早いからである。テンポが早い、言い換えるとストーリー的に不要な物は極限まで削ぎ落とすということであり、例えば、第二話は修学旅行先の東京で母親に会うという話だが、修学旅行はただの移動手段に過ぎず、それらしいお楽しみイベントは何も起こらない。続く第三話も、クラスメイトの一人が実は主人公が無意識の内に呼び出した神霊だったという展開だが、その原因となる主人公の朝の舞が劇中で描かれないため、伏線も何もない。このように、本作の序盤はストーリーを進めることだけに意識が捕らわれて、それに付随するおまけ要素がほとんどないため、話の深みのような物がまるで感じられないのである。原作をアニメ化するに当たって、尺の問題が発生したのは分かるが、もう少し何とかならなかったのだろうか。
 第四話~第八話は、主人公が「異能者が集められた高校」に進学した後の物語である。言うならば「高校生編」だ。そのあらすじをざっと紹介させて頂くと、新しい高校で寮生活をすることになった主人公、そこでルームメイトになった女子生徒にはある秘密があった。元々、彼女は三つ子だったのだが、幼い頃に病気で弟を亡くしており、今はもう一人の弟と二人で暮らしていた。二人は先祖代々伝わる力を用いて亡くなった弟の霊を呼び出し、今でも三つ子として生活を続けていたのだった。その幽霊の協力を受けて、二人は対立関係にある学年トップの秀才との戦いに勝利する。その後、生徒会の役員となった主人公達は、夏休みに学園祭会議の合宿に参加する。その最中、愛馬との別れを経験した弟が自暴自棄になり、それを見かねた三つ子の幽霊は弟を連れて異空間に閉じ籠る。幽霊だと思っていた彼は、実は土地の心霊だったのだ!……さて、このあらすじを読んで「このアニメを見てみたい!」と思った方は一人でもいらっしゃるだろうか? ご覧の通り、主人公も少年もストーリーにはまるで関係ない。一応、最後は姫神の力を使って弟を助けようという展開になるが、その役目すら主人公の母親に奪われる。そんな主人公不在のどうでもいいストーリーが、第四話から第八話までダラダラと続くのである。おそらく、ほとんどの人が耐え切れずに途中離脱するだろう。主人公の力が強過ぎてストーリーに絡ませ難いのは分かるが、もう少し何とかならなかったのだろうか。

・姫神


 第九話。ここに来てようやくメインストーリーが重い腰を上げる。と言うのも、主人公に憑り付いている姫神、それがついに彼女の身体を乗っ取って表に出てくるのである。今まで三回ほど姿を現したことはあったが、確固たる自我を有して肉体を完全に支配するのは今回が初めて。そして、現世で実体化した姫神は、水を得た魚のように勝手気ままに振る舞い、彼女を護ろうとする少年を振り回す。最終的に二人は山奥の城跡でデートの真似事をする。その結果、この作品に何が起こったのか。そう、主人公と少年と姫神による「三角関係」が発生したのである。少年は主人公の素朴さに対して心を惹かれながらも、姫神の時代を越えた妖艶さに圧倒される。一方、主人公は少年と仲良くする姫神に嫉妬する。その時、二人は初めて互いを異性と認識する。ここで本作のテーマである「普通の女の子として認められたい」が生きてきて、やっと作品として面白くなる。どうやら本作はこういうことをやりたかったらしい。だが、もう第九話である。残り三話しかないのに、これでは話の広げようがない。今まで何をやっていたのだ。この展開を中学生編で出していれば、何十倍も面白い恋愛ファンタジーになっていただろうに。ちなみに、本作において姫神が自律したのはこれが最初で最後である。彼女の語った人類滅亡うんぬんかんぬんは何も解決しないままアニメが終了する。
 少し話を戻し、第九話~第十二話のストーリーを紹介しよう。そこでは主人公達の通う高校で年に一度行われる学園祭にスポットライトが当てられる。言うならば「学園祭編」だ。その学園祭は、いつの間にか復活した秀才とルームメイトの代理戦争の様相を呈していた。当然のように主人公と少年もその争いに巻き込まれる。主人公は秀才の罠にかかり、電子機器を破壊する姫神の力を実社会で解放してしまう。自己嫌悪に襲われた彼女は異空間に閉じ籠り、少年達は彼女を助けるために異空間へと足を踏み入れる、といった流れである。普通の女の子になりたい主人公が超自然的な力に翻弄されるというストーリーは、テーマ的には何も間違っていないのだが、秀才に騙されたのも自分だし姫神の力を制御できなかったのも自分だ。世の中には、もっと自分ではどうしようもない運命に捕らわれている人間もいっぱいいるわけで、そういう人達から見ると彼女はただ悲劇に酔っているだけだろう。同性が一番嫌うタイプの人間である。結局、少年達は謎の気合パワーで主人公を見つけ出し、説得を試みようとするのだが、平々凡々な高校生に適切な解答を導き出せるわけもなく「一緒に答えを探そう!」という当たり障りのない結論で無理やり彼女を納得させる。テレビアニメ『血界戦線』でも全く同じ結論を使っていたが、この「一緒に答えを探す」は何の問題解決にもなっていないことを世のクリエイターはそろそろ学習して欲しい。

・ふわふわ


 以上、本作の大まかな筋を書いてきたが、これを読んで皆さんはどのような印象を抱いただろうか。きっと、何とも掴みどころのない何がやりたいのかよく分からない「ふわふわとした感じ」を抱いたのではないだろうか。それは正しい。実際、本作を見ていると、地に足が付かず常に宙に浮いているかのような不思議な感覚を味わう。良く言えば、空気感が透明で爽やかな雰囲気の青春ドラマ、だが、そうなっているのは、初期段階で設定を詰めず、これと言って目標も定めないまま次から次へとエピソードを付け加えていくという形式で適当に話を作っているからに他ならない。要するに「行き当たりばったり」である。確かに、思春期の女の子はふわふわしている物だ。極めてエゴイスティックであり、幸せは誰かがきっと運んでくれると信じている。そういう意味では、本作は思春期特有の心理をよく描けていると言える。だが、制作者が自分の感性に任せて思うがままに話を作り、結果的にふわふわしたから思春期の少女を描けたというのは違うだろう。特に本作の原作者は女性である。女性が書けば女性的になるのは当たり前だ。言い換えると、作者が心の中に持っている少女的な部分をそのまま表現しただけであって、映像作品としては全く形になっていないのが本作である。
 最初に本作は男性向けアニメなのかと書いた。上記の論に従うなら、間違いなく本作は男性向けアニメである。なぜなら、男性が欲してやまない思春期の少女のありのままの姿がそこにあるのだから。「少女が初めて前髪を切り、メガネを外し、化粧を覚え、大人になっていく」など書けば、何となく思春期っぽいではないか。たとえ、それがメインのストーリーとは何の関係もなくとも。しかし、本当にそれでいいのだろうか。内容などどうでもいいから可愛い女の子を見たいと言うのならば、最初から日曜朝の魔法少女アニメを見れば済む話である。そういった結果論でどうこうという話ではなく、ちゃんと物語として思春期の少女を描いた作品を見たいところだ。

・総論


 ひどく散漫で、一つの作品として見ると非常に厳しい物がある。岸田メル絵が好きで、思春期の少女が大好きなら見る価値はあるだろうが、かなりの忍耐力が必要になることだけは事前に忠告させて頂こう。

星:☆(1個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:17 |   |   |   |  page top ↑

『はぐれ勇者の鬼畜美学』

ダンディズム。

公式サイト
はぐれ勇者の鬼畜美学 - Wikipedia
はぐれ勇者の鬼畜美学とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2012年。上栖綴人著のライトノベル『はぐれ勇者の鬼畜美学』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は久城りおん。アニメーション制作はアームス。魔王を倒して勇者となった少年が現実世界に帰還して騒動を起こす学園バトルファンタジー。鬼畜美学と書いてエステティカ(イタリア語で耽美・美学の意)と読む。全体を通して作画が悪く、ポルノ紛いの性的要素が満載の典型的なライトノベル原作アニメだが、まぁ、そこを問題にしても仕方ない。

・後日談


 本作のコンセプトは「異世界に召喚されて勇者となった人間が、その能力を持ったまま現実世界に帰還するとどうなるか?」である。なるほど、確かに興味深い。勇者や魔王の定義はよく分からないが、仮にその架空の存在が現実世界でも同等の能力を発揮できるとすれば、その力は間違いなく一つの軍隊に匹敵するだろう。そうなると、彼は普通の人間として普通の生活を送れるはずがなく、必ず何らかのワールドワイドなトラブルに巻き込まれ、結果的に様々なドラマが発生するであろうというのは想像に難くない。ただし、それはあくまで王道ファンタジーの「後日談」としての興味深さである。一方、本作はコンセプトに忠実であるがあまり、勇者が異世界に召喚されて修行の果てに魔王を倒すという一連の件を全編カットし、いきなり後日談から始まるように構成している。すると、どうなるか。それは、いわゆる物語の最初から最強の「チート主人公」と全く同じ物と化すということである。つまり、成長という要素が一切省かれ、強者が弱者をいたぶるだけの単純な話になってしまう。もっとも、世に蔓延するチート主人公には「なぜ強いのか」の根拠が欠けている物が多いため、ある程度の設定的根拠があるだけ本作はましとも言えよう。王道ファンタジーのパロディーであるがゆえに、劇中では描かれなくとも、その力を得るために長く苦しい修行があったのだろうと想像はできる。そう考えると、決して悪いとは言い切れない。
 もちろん、問題点も存在し、それは勇者になる前の主人公の人となりがよく分からないということである。本作の主人公は非常に「鬼畜」な人間であり、モラルから逸脱した行為を平気で行う。束縛されることを何よりも嫌い、どのような権力者の圧力にも屈しない。異世界にいた時も、上の命令には素直に従わない「はぐれ勇者」だった。だが、なぜ彼がそういったアナーキーな性格になったのか、成長の過程が省略されているせいでさっぱり分からない。異世界に来る前からそんな性格だったのか、異世界に来て力を得たからそんな性格になったのか、細かいようだがこれは大きな違いである。もし、後者だとするなら、力を奪われた瞬間、彼は自説を曲げて強者に媚びへつらうようになるということだ。そんな主人公は見たくないし、伝説の勇者でもない。力を持っているから勇者なのではなく、いつ如何なる状況においても勇気を失わない者だから勇者なのである。そういう意味では、やはり純粋なチート主人公は良いとは言い難い。少なくとも、回想シーンや過去語りである程度のフォローをしておくべきだろう。

・設定


 近年、十代の少年少女が突然異世界に召喚され、特殊能力を得て現実世界に帰還するという事件が多発していた。そこで、国連は超国家の帰還者管理組織「コクーン」を設立し、「バベル機関」という名の教育施設において彼らを保護・管理しようとした。帰還者は全員がそこへ強制的に収容され、高度な教育を受けると共に戦闘訓練が施される。目的は何らかのテロや紛争が発生した時に、彼らを優秀な尖兵として派遣するため。しかし、真の目的はコクーンが世界を支配することだった。一方、異世界で勇者として魔王を倒した主人公も、帰還後、直ちにバベル機関に収容される。そこでも異世界にいる時のように自由に振る舞う主人公に対して、学園の秩序を守ろうとする生徒会が対決を挑む……。
 うーん……いや、上記の作品コンセプト同様、決してそれ自体は悪くはない。特殊能力を持った帰還者が地球上に続出したら、当然、世界的な大問題になるだろうし、彼らを管理するための超国家機関が作られるのも少なからず理解できる。世の中には能力者を放置しているアニメ(例『ビビッドレッド・オペレーション』)や、なぜか日本国内だけで大騒ぎになっているアニメ(例『Charlotte』)は幾らでもあるのだから、それらと比べるとリアリティは雲泥の差がある。ただ、「バベル機関」の方はどうなのだろう。十代の帰還者を強制的に収容する教育機関、こんな物は名目がどうとか関係なく、誰の目にも明らかな「隔離施設」である。十代の若者はおろか、小学生でもおかしいと感じる代物だ。ところが、これに対して疑問を呈する人間が劇中に全く出て来ない。普通の生徒は当たり前のように学園生活を満喫しているし、生徒会に至ってはなぜか体制の犬となって生徒を自らの手で管理しようとする。突然、異世界に飛ばされて家族と離れ離れになり、命懸けで力を手に入れ、ようやく現実世界に戻って来られたと思ったら、否応なく隔離施設に収容されてしまった自分自身の数奇な運命に対する悲しみという物が全く伝わって来ない。唯一、物語の終盤に出てくる主人公の敵だけが「これ、おかしいだろ」とツッコみ、主人公が「俺も最初からそう思っていた」と答えるという何ともアホらしいコントみたいな展開があるが、そんな大事なことは第一話で言えということだ。
 結局、本作も「学園物」という呪縛に捕らわれているのかもしれない。学園を舞台にしようと思ったら、そこでの生活がそれなりに楽しくなければ話が進まない。いくら学園と名が付いていても、重苦しい隔離施設では視聴者を満足させられないのだ。なら、学園物にしなければいいんじゃねということなのだが、それはこれであれで、きっと止むに止まれぬ事情があるのだろう。売り上げとか。

・モラル


 魔王を倒して現実世界へと帰ってきた主人公には、一人の同伴者がいた。それが「魔王の娘」である。魔王が主人公に討たれた時、当の魔王本人が娘の将来を悲嘆して、後見人の役割を主人公に託した。彼もそれを了承し、現実世界へと連れてきた。魔族がどういった繋がりを持つ集団なのか分からないのでコメントは難しいが、おそらく魔王の娘は魔族の政治とは無関係だったのだろう。そういった民間人を保護するのは、ヒューマニズム的観点から言うと当然である。ただし、このヒューマニズムの定義はその土地その土地によって異なるため、余所者が勝手に現代的感覚を持ち込むのは得策ではない。それゆえ、彼の行動はあくまで勇者としての正道から逸脱して、己の感情を優先した「はぐれ勇者」の所業であると認識しなければならない。
 中盤以降、一人の敵が物語に登場する。彼もまた主人公と同じように異世界に召喚されて力を得た人間であり、所属する異世界の王の命令を受けて、現実世界まで魔王の娘を探しに来た。彼はファンダメンタリストであり、魔王の娘の存在は異世界の秩序を乱すだけだと本気で信じている。そのため、自らを「真の勇者」だと自称する。そんな敵から魔王の娘を守る「はぐれ勇者」の主人公。そう、本作の特徴は善悪の価値観が敵と味方で完全に逆転していることである。もちろん、どちらが正しいなどという模範解答はない。だから、作者は自分が正しいと思った方向への大まかな道筋だけを示せばよい。そこで、本作は「勇者」という概念を上手く使うことによって、その価値観を説明している。勇者とただの英雄は違う。勇者とは魔王に認められた者。魔王が自らの命を懸けて戦うと決めた相手、それが勇者。つまり、正義とは悪のアンチテーゼに過ぎず、個人が決定する物ではないというのが作者の考えだ。なるほど、確かに筋は通っている。もちろん、魔王の定義など言葉足らずな部分は多いが、学園ファンタジーアニメでこれだけ示せたら十分だろう。
 ただ、その素晴らしいお題目を物語に消化できないのが、ライトノベル原作アニメの悪いところ。勇者の定義が明かされるのは第十一話、これが第一話の段階で語られていれば、どれほど良い伏線になっていただろうか。他にも、魔王の娘は初めて見る現実世界の科学文明にもっと驚き戸惑ってもいいだろうし、バベル機関の非人道性を魔族の観点から批判してもいい。また、異世界に召喚される前の敵の素性が主人公と同じくよく分からないのももったいない。例えば、召喚される前は社会に虐げられる側の人間だったなどとすれば、彼の言葉により深みが出ただろう。せっかく良い設定を作り出したのだから、それをもっと活かした作品作りを心掛けてもらいたい。

・ダンディズム


 さて、一口にチート主人公と言っても、その中身はピンからキリまである。例えば、時代劇の主人公などは典型的なチート主人公だ。特に設定的根拠もないまま、超人的な太刀さばきで悪人をバッサバッサと切り捨てる。冷静に考えるとかなり異様な光景であるが、それを問題視する人はほとんどいない。なぜかと言うと、ヒエラルキーが確立した封建社会において、お上の悪行に逆らおうと思えば、完全無欠のスーパーヒーローでもなければ到底不可能だからだ。つまり、しっかりとした「目的」さえあれば、チートでも何でもいいのである。
 では、本作の目的とは何か。それこそ、タイトルが示している通り「はぐれ勇者の鬼畜美学」である。美学、すなわち男の生き様やかっこよさ。どれほどの強大な権力にも屈せず、社会の常識や決まり事を無視して自分の生き方を貫き、強者を倒して弱者を助けるという男の中の男の美学を達成するためには、人並み外れた力が必要になる。そのためのチート能力である。確かに、本作の設定には甘い部分がある。主人公の使う「錬環勁氣功」があまりにも万能過ぎて、中学二年生でも恥ずかしさを覚えるような能力になってしまっている。劇中で行われるセクハラ行為の数々は、中年エロ親父のくだらない妄想にしか見えない。ただ、本作が描こうとしている男のかっこよさ、ダンディズムは決して間違ってはいない。「女の涙は見過ごせない」という主人公の人生哲学は最初から最後まで一貫しており、実際、彼の行動にもブレがない。それは非常に大切なことである。どんなに小奇麗な作品を作ろうとも、作り手の思想に一貫性がなければ心には響かない。むしろ、ある程度の大衆性を犠牲にしてでも自分の意見を押し通すということも、クリエイターには必要なのだろう。
 このように、本作は良い面と悪い面が非常にはっきりとした作品である。本作が訴えようとしているダンディズムや善悪の価値観は普遍的な物があるし、個々の人物の感情描写も悪くない。一方、悪い面は詰めの甘い設定や言葉足らずな脚本、低品質な作画、そして、下劣な演出ということになる。そう考えると、非常にもったいない作品だと言うことができる。例えば、ラスト三話だけを見れば本作は評価されるだろうが、意図的とは言え、そこに至るまでの過程を省略してしまっては何も残らない。しかるべき人間がしかるべき手段で真面目に作っていれば、本作は名作になる可能性が十分にあった。もっとも、その小さな差が非常に大きいのだろうが。

・総論


 良い面と悪い面を天秤にかけたら、ギリギリ良い面が勝つかなという程度。クソアニメと断じてしまうのは気が引けるが、絶対に他人にはお勧めしない。

星:☆(1個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
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