『BACCANO! -バッカーノ!-』

馬鹿騒ぎ。

公式サイト
バッカーノ! - Wikipedia
バッカーノ!とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2007年。成田良悟著のライトノベル『バッカーノ!』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は大森貴弘。アニメーション制作はブレインズ・ベース。禁酒法時代のアメリカを舞台にマフィアと不死者達の狂乱を描いたバイオレンス群像劇。バッカーノとはイタリア語で「馬鹿騒ぎ」の意。アニメ版は原作のストーリーをかなり複雑に再構成しているが、詳しくは後述。後日談を描いたOVA版全三話に関しては基本的に取り扱わない。

・群像劇


 禁酒法時代のアメリカ。広大な荒野を東西に貫く大陸横断鉄道に、三度の飯より人殺しが大好きな殺人集団と、ボスの解放のために上院議員の家族の誘拐を企むマフィアと、新型爆弾の謎を追って列車の積み荷を狙う不良グループと、連続強盗犯のお馬鹿なカップルと、何やら秘密を抱えた子供と、情報屋のエージェントと、化け物と恐れられる不死身の殺し屋が偶然乗り合わせたらどうなるか。そんなコントのようなシチュエーションを大真面目に描いた作品、それがこの『BACCANO! -バッカーノ!-』である。
 本作は一般的に「群像劇」だと言われている。群像劇とは、特定の主人公を設定せず、数多くのキャラクターを同時に登場させて、それぞれの視点で一つの事件を描く創作のスタイルのことである。単純に考えて、主人公がいないことで没入感が損なわれる、視点が分散し過ぎてまとまりが悪くなる等のデメリットを思い付くが、それでは群像劇のメリットとは一体何だろうか。多角的な物の見方ができて物語の深みが増す、複数の事件を同時に扱うので話のスケール感が増す等、いろいろと考えられるだろうが、やはり一番の利点は「パーティー感・お祭り感」を程良く演出できることだろう。アニメだろうが映画だろうが小説だろうが、それがエンターテインメントである以上、受け手が楽しめるかどうかが全てだ。多種多様な人々が一堂に会して、わいわいがやがやと騒ぐ感じは理屈抜きで楽しい。たとえ、それがお葬式であっても、悲しみの表情に隠された参列者それぞれの思惑を丹念に描くことでエンターテインメントになり得る。そういった何が起こるか分からないガチャガチャとしたパーティー感を表現するには、群像劇の形式が一番である。
 ここで気を付けないといけないのは、主人公を一人に特定せず、複数のキャラクターに分散するということは、逆に言うと「全員が主人公になる」ということである。すると、各キャラクターを他作品の主人公並みに作り込まなければ、見た目だけが豪華な非常に底の浅い作品になってしまう。その悪い例として『機動戦士ガンダム00ファーストシーズン』や『コードギアス 反逆のルルーシュR2』が挙げられる。こちらも多数のキャラクターが一度に登場する群像劇スタイルだが、数が多過ぎる上に各キャラクターの個性が弱いため、二・三言しゃべっただけで次の人に交代するという大変お粗末な場面が頻出する。楽しいパーティーどころか、やる気のない学級会である。つまり、群像劇はそれだけの手間と覚悟が必要だということで、安易な気持ちで手を出してはならない。では、この『BACCANO! -バッカーノ!-』という作品はどうだろうか? 順を追って見て行きたい。

・ストーリー


 本作は大きく分けて三つのストーリーが描かれる。一つ目は、1930年に起こった不老不死の薬を巡る事件。二つ目は、1931年に起こった大陸横断鉄道社内での大量殺戮事件、三つ目は、1932年に起こった令嬢誘拐事件。いずれも第二次世界大戦前の不安と混沌と暴力が支配した時代特有のバイオレンス&サスペンスに満ち溢れたアクションドラマである。登場するのは全員、マフィアや強盗犯や愚連隊などのろくでもない奴ら。遵法精神の欠片もない連中なので、盗みたいと思ったから盗む、殺したいと思ったから殺す、と誰にも縛られず本能の赴くままに行動している。賛否は分かれるだろうが、彼らは間違いなく自由人であり、自分の気持ちに正直に生きているため、普段、社会の柵に捕らわれている人々は、その痛快な生き様に憧れを抱くだろう。そんな彼らが紡ぎ出す物語は、間違いなく良い意味での「バッカーノ(馬鹿騒ぎ)」であり、とても心地良い。また、心配されたキャラクターの個性もバラエティー豊かで、それぞれ単体でも主役を張れるほど内面が作り込まれている。作画も丁寧なので、少なくとも誰が誰だか分からないという最悪の状況は発生しない。演出面でも、美術と音楽が当時のアメリカを上手く再現しており、極めてレベルが高い。OPムービーの疾走感をそのまま本編でも継続している作品は稀だろう。
 ただ、肝心のストーリーの中身はと言うと、最大の売りであるはずの群像劇が足を引っ張って、やや甘さを感じる。数多くの登場人物が出てくるのはいいのだが、その組み合わせがほぼ偶然に頼っているため、どうしても行き当たりばったり感を覚えるのである。例えば、たまたま落とし物を拾ったとか、たまたま車にひかれたとか。冒頭の大陸横断鉄道内における複数勢力のバッティングにしても、結局は代表同士のタイマンバトルで決着をつけてしまう。これでは群像劇ではなく、ただの「バトルロイヤル」である。わざわざ群像劇を名乗るなら、それぞれのキャラクターがそれぞれの目的のために自分勝手に行動し、それらが思わぬところで影響を与え合うとしなければならないだろう。
 また、本作のキーアイテムである不老不死にしても、取り扱い方が非常に粗雑だ。こういった物は希少だから価値があるのに、次から次へと不老不死の人間が登場して自ら価値を暴落させている。最終的には不死者と互角に対抗する普通の人間も出てきて、不老不死に対する神秘性などどこにもない。あくまで人と人の関係性がテーマであり、不老不死はただの設定上の舞台装置に過ぎないとは言え、もう少し丁寧に扱って欲しい物である。

・謎


 さて、ここで終わると綺麗にまとまるのだが、哀しいことにそうはならない。なぜなら、本作は主人公が悪者をやっつけて「めでたしめでたし」で終わるような普通のアニメではないからだ。と言うのも、上記の年代が異なる三つのストーリーは、驚くべきことに「同時並行」で描かれる。しかも、1931年の列車事件以外は時系列すらもバラバラに歪められ、過去と現在が同列で語られる。今見ているシーンがどの年代の何番目のエピソードなのか、一目では判別できない。そのため、普通に鑑賞しているだけでは簡単なストーリーすら理解できず、まるで難解なパズルを解くように1シーンずつじっくりと考えながら見て行かなければならないのである。ゲームに詳しい人なら、ザッピングシステムを持ったノベルアドベンチャーを想像してもらえると分かり易いだろう。あの手のゲームを攻略サイトに頼らず当てずっぽうにプレイしているような感覚だ。
 なぜ、このような面倒臭いことを行っているのか。視点を分散することで群像劇がより強調されるという頭の悪い理由を除けば、考えられるのは「視聴意欲」の問題だろう。商売的にも人情的にも、せっかく作った作品は最後まで見てもらいたい。そのためには、「続きを見たい」という視聴者の感情をどこまで掻き立たせられるかがポイントになる。それには「謎」を提示することが一番の方策だ。設定の謎、ストーリーの謎、人物の謎、それらを全て解消しようと思えば、嫌が応にも最後まで視聴しなければならない。途中で止めるとモヤモヤだけが残るため、止めたくても止められないという一種の強迫観念。本作はわざとストーリーを分かり難くすることによって、謎の混迷度を深め、視聴意欲を高めるというある種「卑怯」なことを行っている。
 ただし、それは作品の構成を複雑に変化させることで無理やり生み出した仮初の謎に過ぎない。本作のストーリー自体の謎は、例えば、列車を襲うレールトレーサーの正体のような物もないことはないが、基本的には弱い。1930年の事件はマフィア全員が不死でしたという分かり易いオチだし、1931年の事件も結局は悪い奴が順当に倒されて終わる。不老不死は本当の名前しか名乗れないという伏線もうまく使えていない。また、同時並行で描いているにも関わらず、1930年の主要人物は1931年の事件にはほとんど絡まないなど、ギミックもお粗末である。まぁ、それも仕方ない。なぜなら、元のストーリーは単純明快なアクションドラマなのだから。どんなに小手先をいじったところで限界がある。

・物語


 第一話(とOVA版の最終話)にある二人組が登場する。彼らはある新聞社兼情報屋の副社長と社員で、本作の一連の事件を報道しようと考えている。その際、どのように報道するかにかこつけて「物語とは何か?」をくどくどと論じる。「物語とは受け手が考えることで発展する物。そのため、誰が主人公で、どこから始まりどこで終わるかを明確に決める必要はない。物語の可能性は無限である」と。
 言わずもがなだが、この二人は制作者の化身である。つまり、作者自身が劇中に登場して作品を語るというメタフィクションの一つである。それゆえ、彼らの言葉は、そのまま本作の複雑な物語構造に対する制作者本人の意見になっている。「申し開き」と言っても差し支えはないだろう。では、この考えは正しいのだろうか? 難しいところだが、一面では真実だと言えよう。なぜなら、創作という活動は「編集」という活動と表裏一体だからだ。長いストーリーのどこを切り取って、誰の目線で描くか、それだけで同じ話でありながら全く別の作品になり得る。これと言う一つの正解などはなく、作り手の判断に全てが委ねられる。優秀な作家は同時に優秀な編集者である。そういう意味では、間違いなく物語の可能性は無限である。実際、続編が次々と作られて終わりの見えない作品もあれば、同じ世界観をベースにした外伝が本編をフォローする作品もある。また、受け手側が二次創作という形で係ることもあろう。ただ、この思想には一つの大きな落とし穴がある。なぜなら、そういった手法で作られたこのアニメ版『BACCANO! -バッカーノ!-』は「大して面白くない」からだ。元々完成された作品をどう切り貼りしたところで、オリジナルを越えることは難しい。独りよがりな技法が鼻に付いて、逆に不快感を呼ぶこともある。レストランで例えるなら、確かにモモ肉やバラ肉も美味しい。しかし、真の料理人ならば最高の部位だけを切り取ったフィレステーキを客に出すべきであろう。
 また、本作の思想にはもう一つの大きな落とし穴がある。それは本作が「原作付き」であることだ。どんなに「物語は無限に続く」と主張しても、原作者が一言「ダメだ」と言えば、そこで終わってしまうのである。要するに、偉そうにご高説を垂れるなら、オリジナル作品でやれということだ。他人のふんどしで相撲を取っている以上、何を言っても説得力は皆無である。

・総論


 タイトルが『BACCANO! -バッカーノ!-』でなければ、ただの胸糞悪い自己満足アニメ。まぁ、制作者が自分で馬鹿騒ぎだと言っているのだから、こんな物なのではないだろうか。

星:☆☆☆☆(4個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 11:26 |  ☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『さばげぶっ!』

戦争ごっこ。

公式サイト
さばげぶっ! - Wikipedia
さばげぶっ!とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2014年。松本ひで吉著の漫画『さばげぶっ!』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は太田雅彦。アニメーション制作はstudioぴえろ+。サバイバルゲームで青春の汗を流す女子高生を描いた日常系ミリタリーアニメ。原作漫画の掲載誌は、まさかの月刊少女漫画雑誌『なかよし』である。マジかよ。

・日常系ミリタリーアニメ


 男の子はミリタリーが好きである。剣や銃を用いた戦争ごっこが大好きである。そして、男の子は女の子が好きである。特に可愛い女の子達がキャッキャウフフしているのを見るのが大好きである。それなら、両者を組み合わせた商品を作れば爆売れ間違いなしなのではないかというコンセプトで作られたのが「日常系ミリタリーアニメ」である。何とも安易な発想だが、営業的には全く間違っていない。こういった判断を恥も外聞もなくできる人間は将来必ず出世する。
 ただし、結果だけを見ると、その目論見は失敗に終わったようだ。『ガールズ&パンツァー』という例外中の例外は存在するが、それ以外の『うぽって!!』『ステラ女学院高等科C3部』といった同ジャンルの作品に対する世間の評判は散々で、現時点では全く市民権を得られていない。その理由は明白である。なぜなら、ミリタリーの行き着く先は戦争という名の「殺し合い」だからだ。その是非は別にして、真面目に描けば描くほど殺伐として血生臭くなるという宿命を抱えている。たとえ真面目に描かなくとも、殺傷能力のある剣や銃を手にしているだけでどこからともなく死の香りが漂ってくる。それは平和の象徴であり、何もしない何も起こらない「ゆるさ」に重きを置く日常系アニメのテーマと相反することだ。実際、先の二作品は、真面目にミリタリーを描こうとして結果的に雰囲気が殺伐とし、日常系アニメ本来の楽しさがどこかへ消え失せてしまったという同じ失敗を犯している。一方、『ガールズ&パンツァー』は両者を無理に融合させることなく、ミリタリーに重きを置きながらも決して誰も傷付かない世界という不条理設定を用いることで上手く処理しているが、これはあくまで特殊な例を捉えるべきだろう。
 そこで本作である。本作はサバイバルゲームと女子高生の融合という典型的な「日常系ミリタリーアニメ」であるが、他にない大きな特徴を二つ有している。一つは原作漫画の掲載誌が少女漫画雑誌の『なかよし』である点だ。すなわち読者ターゲットが女性である。アニメ化に際して男性向けに大幅なアレンジを加えているとは言え、やはり少女漫画の名残が各所に残っている。具体的に言うと、ミリタリーに対する造詣があまり深くないのである。専門用語は幾つか出てくるが、そこから一歩先に進んだうんちくは出てこない。要するにマニアではないということであり、これがミリタリー側に針が振れ過ぎない絶妙なバランスを生む要因になっている。もっとも、逆に人間関係の方がドロッとしてしまい、日常系アニメらしさが損なわれるという欠点もあるので、一長一短ではある。

・ギャグ


 もう一つの特徴、それはギャグワールドを舞台にしていることである。ギャグワールドとはすなわち「面白ければ何でもあり」の世界である。その中で暮らしている人物は、どんなに大きな爆発に巻き込まれても決して死ぬことはない。精々、顔が黒塗りになり、髪の毛がアフロになる程度だ。設定やストーリーの整合性に頭を悩ませなくても済むというメリットがある以上、それは作者にとって非常に好都合な世界である。ただし、ネタが面白くなければかえって寒くなるだけだし、一度ギャグワールドに入ってしまうと抜け出すのが難しいというデメリットもある。特に後者に関しては、後にシリアス路線に変更した際、昔、ノリで壊してしまった月をどうするかという問題が発生したりする。ギャグだから適当でいいのではなく、適当さを生み出すために真剣にギャグと向き合わなければならない。
 そんな宿命のギャグワールドに手を出した本作は、劇中でサバイバルゲームが始まった瞬間、アーノルド・シュワルツェネッガー声のナレーターが宣言する。「これは妄想である」と。その宣言通り、主人公達はサバイバルゲームの基本的なルールどころか、地球上の物理法則すら無視し始める。彼女達はゴーグルも防具も身に付けず、私服のまま戦場に飛び込む。エアガンの弾が命中するとなぜか流血し、意識を失う。重力を無視して大きくジャンプし、意味もなくトンボを切る。初心者なのに銃の扱いは完璧、ワンショットで敵をなぎ倒す。これらは全て現実的に考えると絶対にあり得ないことだ。しかし、事前に「妄想である」と宣言している以上、何が起こっても文句は言えない。そして、これらの光景はゲームとしてもギャグとしても確かに面白い。ただ、それよりも大切なことは、ギャグワールドにしてしまうことで、ミリタリーが根本的に抱えている血生臭さを消し去ることができる点だ。料理と同じで、香草と合わせて嫌な臭みさえ抜いてしまえば、後はどのような食材とも自由に組み合わせられる。
 また、本作は「現実の壁」を上手く取り入れることでバランスをコントロールしている。モラルの壁と言い換えてもいいかもしれない。例えば、何でもありのギャグワールドなのに、野生動物だけは鳥獣保護法に邪魔されて撃つことができない。こうすることで「お馬鹿だが一般常識だけは弁えた女子高生」に親しみを持たせることができる。この辺りの感覚が本作は実に上手い。むしろ、この感覚だけで何とかしている感じが、まさに少女漫画原作と言えるのかもしれない。

・サバゲ


 第一話Cパートのタイトルは『本当はリアルなサバゲをやるつもりでした』である。読んで字の如く、本当は競技としてのサバイバルゲームを真面目に描くつもりだったが、様々な事情によりギャグワールド内でのなんちゃってサバゲにならざるを得なかったという制作者の自責の念が込められている。正直でよろしい。ただ、ここで一つの疑問が生まれる。それは「リアルなサバゲを描くとはどういうことか?」である。
 サバイバルゲームとは、戦争を遊びにした「戦争ごっこ」をスポーツ化した物である。ただの戦争ごっこでは勝敗の基準が分からない。また、ある程度の規制がないと単純に危ない。そこで誰かが全国的な共通ルールを制定して遊びをスポーツに作り変えた。例えば、プレイヤーは必ずゴーグルを着用するとか、弾がヒットすれば自己申告で退場するとか。リアルなサバゲを描くとは、そういったスポーツとしてのサバイバルゲームを劇中で忠実に再現することである。ゴーグルも付けないギャグワールドなど言語道断、サバゲを馬鹿にしていると取られても仕方ない。だが、少し考えてみて欲しい。サバイバルゲームとは要するに戦争ごっこなのである。リアルな戦争を模倣した遊びなのである。そう考えると、「リアルなサバゲ」という言葉自体が矛盾していることになりはしないだろうか。ごっこ遊びの時点でリアルでも何でもない。逆に、サバイバルゲームのリアリティを突き詰めていくと、最終的には本物の戦争に辿り着いてしまう。
 そう考えると、リアルなサバゲを描こうと目論むこと自体が無駄な行為ということになる。少なくとも日常系ミリタリーアニメでやるべきことではない。本作が描くべきなのは、サバイバルゲームの現実ではなく、それが本来持っている楽しさ、すなわち「戦争ごっこの面白さ」だ。銃で敵を倒すという快感。非日常空間でヒーローになる快感。戦術を練りチームワークが上手く機能した時の快感。そういった物を噛み砕いて伝えるのが本作の役割だし、そして、それらに関しては十分に描けていると言える。ギャグワールド内で繰り広げられるルール無用の戦争ごっこは、とにかく面白い。むしろ、リアルなサバゲを描いた『ステラ女学院高等科C3部』などよりは余程サバイバルゲームの楽しさを表現できており、未経験者がやってみたいと感じる。これは非常に重要なことであろう。何事もきっかけがなければ話は進まないのだから。

・ストーリー


 さて、順番がおかしくなったが、最後に軽く作品を紹介して終わりにしよう。主人公はこの春、女子高に転校してきた高校一年生。平凡な毎日に退屈していたところ、たまたま知り合ったサバイバルゲーム好きの先輩に半ば騙される形でサバゲ部に入部する。そこには個性豊かな部員達が集結しており、毎日を面白おかしく暮らしていた、というベタな設定のベタなストーリーである。ただし、主人公の性格はベタではない。鬼畜であり下衆であり卑怯であり、勝つためなら一切手段を選ばない、自分が助かるためには味方をも犠牲にする、そのような人間である。少女ギャグ漫画にはなぜかこの手のキャラクターがよく出てくる。その下衆さに生来の射撃センスも加わって、彼女は初心者とは思えないほどの非凡な戦闘能力を見せる。最初は嫌がっていた主人公も、そんな自分の才能に気付いて徐々にサバイバルゲームにのめり込んでいく。物語の序盤はそのような流れで、ギャグワールドを舞台にしたなんちゃってサバゲはなかなか面白い。ただ、その後の中盤はかなり中だるみする。真剣に鳥獣被害の社会問題を描いた第七話Aパートという異色作はあるが、全体的にサバイバルゲームという枠から外れた凡庸な日常系ギャグアニメと化し、クソアニメ枠に片足を突っ込む。やはり、サバゲが作品の売りなのだから、それを話に組み込まなければ面白くも何ともない。だが、終盤は少しずつ従来のノリが戻ってきて盛り上がる。特に、未知のウィルスを巡って国家サバゲ部という名の国家権力と戦う最終話の展開は面白い。こういった馬鹿馬鹿しさは本作しか描けない。これこそ戦争ごっこの面白さだ。

・総論


 紛うことなき「馬鹿アニメ」として、非常に良い位置にいるアニメ。後はもう少し声優の演技力が高ければなぁ。もったいない。

星:☆☆☆☆(4個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:19 |  ☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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