『さばげぶっ!』

戦争ごっこ。

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さばげぶっ! - Wikipedia
さばげぶっ!とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2014年。松本ひで吉著の漫画『さばげぶっ!』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は太田雅彦。アニメーション制作はstudioぴえろ+。サバイバルゲームで青春の汗を流す女子高生を描いた日常系ミリタリーアニメ。原作漫画の掲載誌は、まさかの月刊少女漫画雑誌『なかよし』である。マジかよ。

・日常系ミリタリーアニメ


 男の子はミリタリーが好きである。剣や銃を用いた戦争ごっこが大好きである。そして、男の子は女の子が好きである。特に可愛い女の子達がキャッキャウフフしているのを見るのが大好きである。それなら、両者を組み合わせた商品を作れば爆売れ間違いなしなのではないかというコンセプトで作られたのが「日常系ミリタリーアニメ」である。何とも安易な発想だが、営業的には全く間違っていない。こういった判断を恥も外聞もなくできる人間は将来必ず出世する。
 ただし、結果だけを見ると、その目論見は失敗に終わったようだ。『ガールズ&パンツァー』という例外中の例外は存在するが、それ以外の『うぽって!!』『ステラ女学院高等科C3部』といった同ジャンルの作品に対する世間の評判は散々で、現時点では全く市民権を得られていない。その理由は明白である。なぜなら、ミリタリーの行き着く先は戦争という名の「殺し合い」だからだ。その是非は別にして、真面目に描けば描くほど殺伐として血生臭くなるという宿命を抱えている。たとえ真面目に描かなくとも、殺傷能力のある剣や銃を手にしているだけでどこからともなく死の香りが漂ってくる。それは平和の象徴であり、何もしない何も起こらない「ゆるさ」に重きを置く日常系アニメのテーマと相反することだ。実際、先の二作品は、真面目にミリタリーを描こうとして結果的に雰囲気が殺伐とし、日常系アニメ本来の楽しさがどこかへ消え失せてしまったという同じ失敗を犯している。一方、『ガールズ&パンツァー』は両者を無理に融合させることなく、ミリタリーに重きを置きながらも決して誰も傷付かない世界という不条理設定を用いることで上手く処理しているが、これはあくまで特殊な例を捉えるべきだろう。
 そこで本作である。本作はサバイバルゲームと女子高生の融合という典型的な「日常系ミリタリーアニメ」であるが、他にない大きな特徴を二つ有している。一つは原作漫画の掲載誌が少女漫画雑誌の『なかよし』である点だ。すなわち読者ターゲットが女性である。アニメ化に際して男性向けに大幅なアレンジを加えているとは言え、やはり少女漫画の名残が各所に残っている。具体的に言うと、ミリタリーに対する造詣があまり深くないのである。専門用語は幾つか出てくるが、そこから一歩先に進んだうんちくは出てこない。要するにマニアではないということであり、これがミリタリー側に針が振れ過ぎない絶妙なバランスを生む要因になっている。もっとも、逆に人間関係の方がドロッとしてしまい、日常系アニメらしさが損なわれるという欠点もあるので、一長一短ではある。

・ギャグ


 もう一つの特徴、それはギャグワールドを舞台にしていることである。ギャグワールドとはすなわち「面白ければ何でもあり」の世界である。その中で暮らしている人物は、どんなに大きな爆発に巻き込まれても決して死ぬことはない。精々、顔が黒塗りになり、髪の毛がアフロになる程度だ。設定やストーリーの整合性に頭を悩ませなくても済むというメリットがある以上、それは作者にとって非常に好都合な世界である。ただし、ネタが面白くなければかえって寒くなるだけだし、一度ギャグワールドに入ってしまうと抜け出すのが難しいというデメリットもある。特に後者に関しては、後にシリアス路線に変更した際、昔、ノリで壊してしまった月をどうするかという問題が発生したりする。ギャグだから適当でいいのではなく、適当さを生み出すために真剣にギャグと向き合わなければならない。
 そんな宿命のギャグワールドに手を出した本作は、劇中でサバイバルゲームが始まった瞬間、アーノルド・シュワルツェネッガー声のナレーターが宣言する。「これは妄想である」と。その宣言通り、主人公達はサバイバルゲームの基本的なルールどころか、地球上の物理法則すら無視し始める。彼女達はゴーグルも防具も身に付けず、私服のまま戦場に飛び込む。エアガンの弾が命中するとなぜか流血し、意識を失う。重力を無視して大きくジャンプし、意味もなくトンボを切る。初心者なのに銃の扱いは完璧、ワンショットで敵をなぎ倒す。これらは全て現実的に考えると絶対にあり得ないことだ。しかし、事前に「妄想である」と宣言している以上、何が起こっても文句は言えない。そして、これらの光景はゲームとしてもギャグとしても確かに面白い。ただ、それよりも大切なことは、ギャグワールドにしてしまうことで、ミリタリーが根本的に抱えている血生臭さを消し去ることができる点だ。料理と同じで、香草と合わせて嫌な臭みさえ抜いてしまえば、後はどのような食材とも自由に組み合わせられる。
 また、本作は「現実の壁」を上手く取り入れることでバランスをコントロールしている。モラルの壁と言い換えてもいいかもしれない。例えば、何でもありのギャグワールドなのに、野生動物だけは鳥獣保護法に邪魔されて撃つことができない。こうすることで「お馬鹿だが一般常識だけは弁えた女子高生」に親しみを持たせることができる。この辺りの感覚が本作は実に上手い。むしろ、この感覚だけで何とかしている感じが、まさに少女漫画原作と言えるのかもしれない。

・サバゲ


 第一話Cパートのタイトルは『本当はリアルなサバゲをやるつもりでした』である。読んで字の如く、本当は競技としてのサバイバルゲームを真面目に描くつもりだったが、様々な事情によりギャグワールド内でのなんちゃってサバゲにならざるを得なかったという制作者の自責の念が込められている。正直でよろしい。ただ、ここで一つの疑問が生まれる。それは「リアルなサバゲを描くとはどういうことか?」である。
 サバイバルゲームとは、戦争を遊びにした「戦争ごっこ」をスポーツ化した物である。ただの戦争ごっこでは勝敗の基準が分からない。また、ある程度の規制がないと単純に危ない。そこで誰かが全国的な共通ルールを制定して遊びをスポーツに作り変えた。例えば、プレイヤーは必ずゴーグルを着用するとか、弾がヒットすれば自己申告で退場するとか。リアルなサバゲを描くとは、そういったスポーツとしてのサバイバルゲームを劇中で忠実に再現することである。ゴーグルも付けないギャグワールドなど言語道断、サバゲを馬鹿にしていると取られても仕方ない。だが、少し考えてみて欲しい。サバイバルゲームとは要するに戦争ごっこなのである。リアルな戦争を模倣した遊びなのである。そう考えると、「リアルなサバゲ」という言葉自体が矛盾していることになりはしないだろうか。ごっこ遊びの時点でリアルでも何でもない。逆に、サバイバルゲームのリアリティを突き詰めていくと、最終的には本物の戦争に辿り着いてしまう。
 そう考えると、リアルなサバゲを描こうと目論むこと自体が無駄な行為ということになる。少なくとも日常系ミリタリーアニメでやるべきことではない。本作が描くべきなのは、サバイバルゲームの現実ではなく、それが本来持っている楽しさ、すなわち「戦争ごっこの面白さ」だ。銃で敵を倒すという快感。非日常空間でヒーローになる快感。戦術を練りチームワークが上手く機能した時の快感。そういった物を噛み砕いて伝えるのが本作の役割だし、そして、それらに関しては十分に描けていると言える。ギャグワールド内で繰り広げられるルール無用の戦争ごっこは、とにかく面白い。むしろ、リアルなサバゲを描いた『ステラ女学院高等科C3部』などよりは余程サバイバルゲームの楽しさを表現できており、未経験者がやってみたいと感じる。これは非常に重要なことであろう。何事もきっかけがなければ話は進まないのだから。

・ストーリー


 さて、順番がおかしくなったが、最後に軽く作品を紹介して終わりにしよう。主人公はこの春、女子高に転校してきた高校一年生。平凡な毎日に退屈していたところ、たまたま知り合ったサバイバルゲーム好きの先輩に半ば騙される形でサバゲ部に入部する。そこには個性豊かな部員達が集結しており、毎日を面白おかしく暮らしていた、というベタな設定のベタなストーリーである。ただし、主人公の性格はベタではない。鬼畜であり下衆であり卑怯であり、勝つためなら一切手段を選ばない、自分が助かるためには味方をも犠牲にする、そのような人間である。少女ギャグ漫画にはなぜかこの手のキャラクターがよく出てくる。その下衆さに生来の射撃センスも加わって、彼女は初心者とは思えないほどの非凡な戦闘能力を見せる。最初は嫌がっていた主人公も、そんな自分の才能に気付いて徐々にサバイバルゲームにのめり込んでいく。物語の序盤はそのような流れで、ギャグワールドを舞台にしたなんちゃってサバゲはなかなか面白い。ただ、その後の中盤はかなり中だるみする。真剣に鳥獣被害の社会問題を描いた第七話Aパートという異色作はあるが、全体的にサバイバルゲームという枠から外れた凡庸な日常系ギャグアニメと化し、クソアニメ枠に片足を突っ込む。やはり、サバゲが作品の売りなのだから、それを話に組み込まなければ面白くも何ともない。だが、終盤は少しずつ従来のノリが戻ってきて盛り上がる。特に、未知のウィルスを巡って国家サバゲ部という名の国家権力と戦う最終話の展開は面白い。こういった馬鹿馬鹿しさは本作しか描けない。これこそ戦争ごっこの面白さだ。

・総論


 紛うことなき「馬鹿アニメ」として、非常に良い位置にいるアニメ。後はもう少し声優の演技力が高ければなぁ。もったいない。

星:☆☆☆☆(4個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:19 |  ☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『血界戦線』

蚊帳の外。

公式サイト
血界戦線 - Wikipedia
血界戦線とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。内藤泰弘著の漫画『血界戦線』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は松本理恵。アニメーション制作はボンズ。現世と異界が結ばれた街「ヘルサレムズ・ロット」を舞台にして、世界の命運を占う力を持った少年が活躍するファンタジーアクション。物語前半は原作準拠、後半はアニメオリジナル展開となっている。春アニメだが、制作の遅れにより最終話だけは十五分拡大バージョンとして半年後の秋に放送された。

・設定


 そこは、かつてニューヨークと呼ばれていた大都市「ヘルサレムズ・ロット」。三年前、突如として現世と異界を結ぶ門が開く「大崩落」が起き、異形の怪物が大挙して街に押し寄せた。街は白い霧に覆われ、外部からの侵入は極めて困難。当初は大混乱に陥るも、術士と呼ばれる異能集団の力で門に結界が築かれると、次第に落ち着きを取り戻していった。今では人間と化け物が共存する「異常が日常」の暴力的かつ刺激的な楽しい街になっていた。一方、主人公は半年前にこの街へとやってきた記者見習いの少年。とある事情により、妹の身と引き換えに「神々の義眼」と呼ばれる世界の未来さえも左右する特殊能力を身に付けていた。ある日、彼はふとした手違いにより超人秘密結社「ライブラ」にスカウトされる。そこは世界各地より特殊能力を持った者が集まり、街の治安を、いや、世界の均衡を守るために暗躍していた。そして、神々の義眼の力が認められて結社の正式メンバーとなった主人公も、彼らと共に世界平和のために戦うのだった。
 こんがらがってるなぁ。アクションがメインなんだから、もう少し設定をすっきりさせないと。まず、秘密結社の目的は何か、それは「街の秩序を守ること」である。だとすれば、わざわざ秘密の民間団体にする必要はなく、『攻殻機動隊』の公安9課のような公的機関で何も問題がない。むしろ、その方が感情移入し易い。もし、民間にこだわるなら、なぜ彼らは命懸けで街を守ろうとするのかを明示しなければならないし、この異常な街の秩序は本当に守る価値があるのかどうかも定義しなければならないだろう。例えば、前者に関しては少なくともアニメ本編中では何も描かれない。彼らのモチベーションはあくまで己の正義感だけだし、どこから活動資金が出ているのかもよく分からない。一方、後者だが、もちろん異界からの侵略を防がなければ世界が滅亡してしまうという理屈はあっても、それが直接的に街を守る動機にはならない。現世と異界が共存する特殊な街の良さを十分に描いて初めて街を守る理由付けになる。
 そもそも、この秘密結社は何なのか。劇中の説明によると、どうやら大崩落が起こるずっと以前から地球上に存在し、世界の平和を影で支えていたようだ。メンバーが全員、特殊能力保持者なのは、そういった化け物退治を生業としている人々を集めたから。そして、異変が起こったことで活動場所をヘルサレムズ・ロットに移転したということらしい。いや、それはどうなのか。元々、彼らは地球の影の支配者だったんだよと言われて良い気分になる視聴者は少ないだろう。彼らの特殊能力にしても、特殊な血筋の生まれだからでは一般庶民は納得できない。せっかく、大崩落という一大イベントを起こしたのだから、その影響で普通の人が能力を身に付けたとした方が夢や希望があるだろう。どうも、本作は娯楽作品としての本質をどこかに忘れているような気がしてならない。

・主人公


 そして、主人公だ。元々、彼は自分の力の正体を知るために超人秘密結社を探していた。それは世界の均衡を守っている彼らなら何か分かるだろうと考えたからだ。半年後、奇跡的な人違いにより当の秘密結社からスカウトされるのだが、主人公はその状況を利用して、言い換えると世界を支配する超人秘密結社を「騙して」潜り込もうとする。何とも大胆不敵と言うか、後先考えない馬鹿と言うか、アニメの主人公には珍しい腹黒で行動的なタイプである。ただ、ここで重要なのは、彼の目的はあくまで自分の力の正体を知ることであって、秘密結社の目的である世界平和には興味がないということだ。そのため、結社の正式メンバーに選ばれてからの彼の行動が完全に宙に浮いている。平和維持の活動を積極的に行うこともなく、神々の義眼に対する調査を行うこともない。また、上司の命令で使いっ走りのような仕事をすることすらほとんどない。普通にダラダラと日常生活を過ごしながら、義眼の力が必要になれば呼ばれるといった形だ。これは物語の主人公として正しい在り方なのだろうか? 一時期、巻き込まれ型やれやれ系の主人公が流行ったが、本作はそれよりも酷い「指示待ち系」の主人公である。腹黒なら腹黒でいい。世界平和を守る振りをしながら、自分の目的を果たそうとする主人公でもいい。少なくとも、何の主体性もなくただ秘密結社に所属しているだけの社内ニートな人間より余程ましだ。
 それとは別の問題もある。主人公の特殊能力である神々の義眼は、要するに魔法の力で物事の本質を見抜く能力である。当然、攻撃力はなく、戦闘にはほとんど使えない。すると、どうなるか。本作の特徴はスタイリッシュなアクションシーンなのに、肝心の主人公がそれに一切参加できないということになる。実際、派手な必殺技を駆使して異形の怪物と戦うのは、秘密結社のメンバー達である。特に、結社のリーダーは皆が憧れるかっこいい大人として描かれ、肉弾戦に頭脳戦にと大活躍する。いや、それもどうなのか。視聴者は何の活動をしているのかさえ分からない秘密結社にそれほど思い入れはない。メンバーとも面識がなく、彼らの素性は全く分からない。そんな人々がどれほどの活躍をしようと結局は蚊帳の外である。それなら、他のアニメによくあるように、それぞれの登場人物にスポットライトを当てた紹介回を作って馴染みを持たせるべきではないか。もしくは、主人公が彼らの義侠心に感銘を受け、何とか彼らに近付こうと努力することで正義のヒーローに親近感を持たせるべきではないか。少なくともアニメ版では、主人公が主人公らしい活躍をしないため、大いに不満が残る。

・スタイリッシュ


 さて、本作の特徴はスタイリッシュなアクションシーンだと上に書いた。おそらく、その評価は間違っていないだろうが、では、「スタイリッシュなアクションとは何か?」と問われると答えに窮してしまう。あまり勢い任せで適当なことを書く物ではない。こういう時は慌てず騒がず、逆説的に「スタリッシュではないアクションとは何か?」を考えてみるに限る。そうすると、何となく奥深いことを論じているように見せられるのでオススメである。
 さて、スタリッシュではないアクションと言うと、例えば、とにかく弱い、ミスが多い、戦術がない、ゴリ押し、戦い方が泥臭い、感情剥き出しで暑苦しい、常に余裕がない、すぐに弱音を吐く、戦闘に時間がかかる、演出がダサい、必殺技の名前が酷い、チームワークや役割分担が曖昧、動きに無駄が多い、全てにおいて洗練されていない、といったところが思い浮かぶだろう。これらをまとめると「子供っぽい」という結論が導き出される。なるほど、いわゆる少年漫画的な努力・友情・勝利の戦闘をスタイリッシュとは称しない。だとすると、それをひっくり返した「大人っぽい」戦闘こそが、スタイリッシュなアクションということになる。おそらく、少年漫画風のバトルでは物足りなくなった人が、そのアンチテーゼとして大人の鑑賞にも耐えられるバトルを定義しようと行き着いた先がスタイリッシュということなのだろう。
 では、本作はちゃんと大人向けの戦闘シーンになっているのだろうか。確かに、それを目指そうとした痕跡は随所に見られる。キャラクターが各分野のスペシャリストで、これという欠点もなく動きに一切の無駄がない。組織がしっかりと構築され、チームワークが取れている。演出もおしゃれで、重要なシーンにクラシック音楽を使うなど細かいポイントにもこだわっている。本作のコンセプトである「技名を叫んでから殴る漫画」にしても、余計な血を流さず一撃で仕留める大人らしさという意味なのだろう。ただ、肝心の脚本がそれに追い付いていない。例えば、第三話は、結社のリーダーが情報入手のために異界の王とチェスのようなゲームで勝負するという話だが、なぜ勝負するのか、負けるとどうなるのかといった条件が整理されておらず、そのせいで何の緊張感もない頭脳バトルになってしまっている。必殺技にしても、それを使わなければならない必然性がないため、無理やりコンセプトを守っているようにしか見えない。結局、体裁だけを繕っても中身がなければ真の大人にはなれないということなのだろう。

・ストーリー


 本作のストーリーは、基本的に現世と異界が混じり合う街「ヘルサレムズ・ロット」の秩序を守ろうとする主人公達とそれを壊そうとする敵との戦いがメインになる。王道中の王道の展開である。ただ、その敵の詳細や目的がいちまち釈然としない。街を破壊することのメリットがあまり感じられず、極めて個人的な感情で動いているようにしか見えないため、物語的な盛り上がりはあまりない。例えば、異界の政治に穏健派と急進派がいて、その内部対立に主人公達が巻き込まれたなどといった組織的な問題にしておけば、もっと街を守ることに対する必然性が生まれただろう。第一話からずっと続いている設定と舞台が上手く噛み合っていないという問題は、このようにストーリー面にも大きく影を落としている。
 物語の後半、ラスボスとして主人公の前に立ちはだかるのはアニメオリジナルキャラクターの少年である。元々は心優しい人間だったが、大崩落の際に主人公と同じ経緯で妹の命と引き換えに「絶望王」という悪しき存在を身に宿してしまったことで、性格が一変する。その結果、彼は妹のいない世界に絶望し、現世と異界の門を開いて第二次大崩落を引き起こそうと画策する。傍迷惑な話である。上述の通り、完全なる個人的感情のため、やっていることは大きいがスケールは小さい。当然、そんな彼との戦いは非常にセンチメンタルになる。少年は事あるごとに壮大なクラシック音楽をバックにして思春期らしい自分語りを繰り返し、己の不幸をアピールする。一方、主人公は仲間との友情パワーで血路を開き、少年に対して熱い説教を解き放つ。そして、主人公が大声で感情を爆発させると、何が何だか分からない内に少年が改心して世界に平和が戻る。何とも臭い、いや、青春を感じさせるエピソードだ。一体全体、大人らしいスタイリッシュなアクションはどこへ行ってしまったのか。
 こういったナイーブな展開を好む層が一定数いるのは事実なので、そのこと自体は否定しない。ただ、本作の結末に万人の心を動かす魅力があるかと問われると、その答えは否である。理由は簡単だ。結局のところ、ロジックが足りないからである。例えば、主人公の特殊能力である神々の義眼、これがストーリーにどう係ってくるのかと言うと、残念ながら特にない。精々、門の結界の場所を探すために少年が必要としたという程度で、別に主人公がいなくとも話は回る。だが、本来なら、それは少年の本心を解き放ち、世界崩壊を防ぐ最重要ギミックでなければならないはずだ。物語は第一話からコツコツと積み上げてきた物が最後の最後に開花するからこそ人の心を動かす物なのに、その作業を怠って全て感情論で収めようとしても無理がある。大人のかっこよさ、その言葉の意味をもう一度自分自身の胸に聞いてみる必要があるだろう。

・総論


 とにかく、全体的にゴチャゴチャして何がやりたいのかよく分からない作品。おそらく、本作の声優陣は、自分のキャラクターが今何をやっているのかも理解しないまま役を演じているのだろう。もう少しシンプルなアクションムービーでも良かったのではないだろうか。

星:☆☆☆☆(4個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:51 |  ☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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