『落第騎士の英雄譚』

エディプス・コンプレックス。

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落第騎士の英雄譚とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年秋海空りく著のライトノベル『落第騎士の英雄譚』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は大沼心。アニメーション制作はSILVER LINK.Nexus。他人よりも著しく魔力の劣る高校生の魔導騎士が、努力を積み重ねて栄光を掴む学園ファンタジー。英雄譚と書いてキャバルリィと読む。模倣剣技と書いてブレイドスティールと読む。完全掌握と書いてパーフェクトビジョンと読む。一刀修羅と書いて……イットウシュラと読む。

・テーマ


 まずは、物語冒頭の主人公のモノローグを引用しよう。「人生は不平等だと考える人がいる。最初に与えられた物で行き着ける場所が決まってしまうからだと言う。天才と凡才、確かにそれは生まれた瞬間に決まる絶対的な序列だ。才能を持たない者は才能に恵まれた者に勝つことはできない。進みたい道も諦めるしかない。でも、本当にそうだろうか?」と、全てを怪しい日本語で語ってしまうのは少々アレだが、作品のテーマを初期の段階ではっきりと明示するのは決して悪くない。要は、才能と努力、どちらが優れているかの問題だ。ただし、才能のない者が努力して才能のある者を打ち倒すだけの物語では、面白くも何ともないし、話も広がらない。ここから一つの作品として昇華するには、設定にもう一捻りが必要になる。

 本作の舞台は、魂の力を武器に変えて戦う通称「伐刀者(ブレイザー)」と呼ばれる特殊な人々が存在する世界。男子高校生の主人公は、ブレイザーの名門一族「黒鉄家」の出身でありながら、生まれ付き魔力が劣っていたため、子供の頃から家内で迫害を受けていた。何とか魔導騎士を養成する学校には進学できたものの、黒鉄家の圧力により落第を示すFランクに認定され、卒業に必要な実践訓練を受けることすらできなかった。それでも、彼は弛まぬ努力によって魔力に頼らない剣術を磨き上げ、相手の攻撃を短時間で見抜いて我が物にする「模倣剣技」「完全掌握」の能力や、一日一回、一分間だけに力を凝縮する「一刀修羅」の能力を身に着ける。そして、その年、学園の理事長が交代したことにより、とうとう彼にもチャンスが巡ってくる。

 ご覧の通り、彼は決して才能がないわけではない。名家の出身であり、魔力に劣るとは言え、剣術家としては常人を遥かに超えており、むしろ恵まれた立場にいる。では、何を問題にしているかと言うと、「評価基準」である。そして、その評価基準は、世の権力者の匙加減一つで幾らでも左右されてしまうことを批判している。これは上手い。こういった「頑張っているのに評価されない」ケースは、職場や学校や家庭内など、実社会に幾らでも存在する。つまり、誰もが経験していることを題材にすることで、テーマがより身近に感じられるのである。さらに、本作は何でもかんでも数値化してランク付けしてしまうライトノベルの悪しき風習を利用することで、理不尽な社会を上手く演出している。逆に言うと、そういった悪習を皮肉っているわけだが、それがどこまで意図的かは分からない。

・ストーリー前半


 そんな主人公が、理事長の差し金で、ヨーロッパの小国の姫であるヒロインとルームメイトになったことから物語がスタートする。稀代の天才であるヒロインは、まさに主人公と正反対のキャラクターであり、彼女との決闘に勝利したことによって主人公は皆に認められ、学園の代表を決める大会への出場が可能になる。その大会の初めての公式戦、一見すると平静な主人公だったが、いざ戦いが始まると明らかに様子がおかしい。実は、彼は「卒業するためには一戦も負けられない」というプレッシャーに圧し潰されていたのだ。彼のふがいない戦いに「落第騎士(ワーストワン)」という蔑称を連呼して嘲笑する観客。それに対して、ヒロインは「私の大好きな騎士を馬鹿にするな!」と激高する。彼女の言葉を聞いた主人公は、自分を取り戻して形勢逆転し、無事に公式戦初勝利を挙げる。そして、試合後、ヒロインに愛の告白をする。

 本作は、単純な見た目だけなら他のチート主人公による超能力バトルアニメと何も変わりない。これと言う過程を描かないまま、神の如き強大な力を易々と使いこなす。ただ、本作には他作品と決定的に異なる点がある。それは力に制限を加えていることである。特に主人公が顕著だが、一日一回しか使えない一刀修羅の能力など、冷静に考えるとデメリットだらけの未完成の技である。主人公はそれを分かった上で、創意工夫を凝らして不完全な能力を使いこなしている。だからこそ、その技のキレはメンタルの状態に左右される。それはすなわち、人間の弱さや脆さを描いているということだ。完璧な人間などこの世に存在しない。己の弱さを知り、それを乗り越えた時、初めて人は本当の強さを手に入れることができる。その姿は何よりも美しい。本作は、決して完全無欠のヒーローではない落第騎士の主人公が、己の心の弱さと向き合う様を描くことによって、本当の人間のカッコ良さを表現している。

 もう一つの特筆すべき点は、基本的なギャグセンスの差である。本作は他のライトノベル原作アニメで多用されるパロディネタや下ネタをほとんど使わず、脚本と演出だけでちゃんと視聴者を笑わせている。その違いは大きい。なぜなら、世界観を大きく崩すことなく、シリアスとコミカルのバランスが取れるからだ。ライトノベル原作アニメに限らず、この重要性を理解していない作品が多過ぎる。本当に何とかして欲しい。

・ストーリー後半


 第五話以降は才能に関する問題も一旦保留され、ありがちな超能力バトルアニメになる。とは言え、序盤の貯金があり、キャラクターの内面もしっかりと描写されているため、常に一定のクオリティは保たれている。その間、幾つもの戦いを通じて、主人公は徐々に戦闘自体の楽しさに目覚めていく。それを心の成長と見るかは難しいところだが、少なくとも復讐のために戦うよりかは健全であろう。

 第十一話。黒鉄家の手の者によって、主人公とヒロインがキスしているところを写真に撮られてしまう。そして、国賓であるヒロインに粗相を働いたという理由で主人公は収監され、査問会にかけられる。……いや、この展開はどうなのか? 今までずっと理知的にストーリーを構築してきたのに、ここにきて急に幼稚になるのは頂けない。こういったストーリーにするなら、第一話からヒロインとの交際が禁断の愛であることを殊更に強調する必要があるのではないだろうか? それはともかく、厳しい監獄生活が続く中、主人公は自分の強さの源は「父に認められること」だと気付く。しかし、当の父親に「才能のない者が努力で勝利する前例ができてしまうと、社会の秩序が保てなくなる。だから、お前は何もするな」と突き放され、主人公は心を閉ざす。だが、ヒロインや妹、それに学内の友人達に励まされて主人公は立ち直り、大会最終戦の舞台に立つ。対戦相手は学内最強の生徒会長。そこで、主人公は一日分のエネルギーを一太刀に凝縮する「一刀羅刹」の必殺技を使って会長を倒し、学園の代表に選ばれる。

 最後の最後でロジックを放棄した感は否めないが、それでも本作は全体を通して一つの確固たるテーマに沿って作られている。それは、父親に対する愛憎の入り混じった複雑な感情、いわゆる「エディプス・コンプレックス」である。才能に関する問題など所詮は表面的な物に過ぎない。父親を憎みつつ、同時に父親に認められたいというアンビバレントな感情、そのループから脱却することが彼にとっての本当の成長である。もちろん、それは容易いことではない。多くの人と出会い、様々な苦難を乗り越え、最終的に「他人に認められるのは嬉しい」という気付きを得て、ようやく主人公は大人の階段を一段昇る。その時、彼を導くのがヒロインや妹であり、彼にとっての母親代わりの存在である。できれば、もう少し二人の役割を明確に分散すべきだったが、さすがにそこまで求めるのは酷か。定番のテンプレートを使って、ここまでテーマ性を高めただけでも大した物である。

・欠点


 このように、本作はライトノベル原作の超能力バトルアニメとしては、異例なほどの完成度の高さを誇る作品である。一つの大きなテーマが根底を支え、キャラクターの心理をしっかりと描写し、この手のアニメにありがちな不快な要素も少ない。ただし、当然のことながら、欠点も少なからず存在する。それこそ、評価基準をどこに置くかで、本作は良作にも駄作にも成り得る危険性を内包している。

 一番の欠点は、ヒロインが主人公に恋心を抱くタイミングがどう考えても早過ぎる点だ。第一話の時点でヒロインはすでにベタ惚れで、第四話の時点で早くも恋人同士になる。当然、ほのかな恋心に揺れる想いや大人の男女の恋愛の駆け引きといった物は何もなく、素直になれないヒロインのツンデレ行動が延々と繰り返されるだけである。せっかく「一国の王女とルームメイトになる」という特殊なシチュエーションを用意したのだから、年頃の男女が同居するドタバタコメディーや禁じられた愛の背徳感などをもっと丁寧に描くべきではないか。もし、この恋愛ストーリーが一つのジャンルとして成立していたら、エディプス・コンプレックスという縦軸に対する横軸ができて、さらに作品としての深みが増していただろう。

 もう一つの大きな欠点が、ストーリー構成である。全十二話中、第五話~第九話(原作の第二巻)は、ほとんど本編とは関係のないサブエピソード群だが、やはり尺的に長過ぎる。もう少し短縮した上で、終盤に登場する人物の出番を早めて伏線を形成すべきではないか。特に、最後に主人公が戦うことになるラスボス的存在の生徒会長は、第一話の段階で劇中に登場させておくべきだろう。また、エディプス・コンプレックスをテーマにするなら、主人公の最大のライバルとして父親の寵愛を受ける男性親族(兄や弟)も出した方がいい。なぜなら、両者の立場を比較することによって、より主人公の悲しみが強調されるからだ。つまり、映画『エデンの東』である。どうせ既存の漫画やゲームを参考にしてアニメを作るぐらいなら、こういった名作映画を積極的にパクって欲しい物である。

・総論


 全てのライトノベル原作アニメがこのレベルにあれば、誰にも文句は言われないのに。

星:☆☆☆☆☆☆(6個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:41 |  ☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『武装神姫』

メルヘン。

公式サイト
武装神姫 - Wikipedia
武装神姫とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2012年秋。オリジナルテレビアニメ作品。全十二話+OVA。監督は菊地康仁。アニメーション制作はエイトビット。小型アンドロイドと人間が共存した世界を描いた近未来SF。元々は、コナミデジタルエンタテインメントが製作するアクションフィギュアシリーズの名称で、本作はそのメディアミックスの一つである。本作の前にOVA『武装神姫 MOON ANGEL』が発表されているが、世界観に直接の繋がりはない。

・童話


 「神姫」と呼ばれるフィギュアサイズの超小型女性アンドロイドが一般家庭に普及し、人間の暮らしを支えている世界を舞台にした物語。ジャンル的にはいわゆる「人造人間譚」に該当する。つまり、人工的に作られた人間そっくりのアンドロイドやサイボーグを通じて、「人間とは何か?」をもう一度問い直す作品だ。深夜アニメでは、『ローゼンメイデン』や『ファンタジスタドール』などが本作とコンセプトを共有している。基本的には、アニメーションと非常に相性の良いテーマの一つである。

 ただし、本作の全体的な印象は、人造人間というより童話や伝承における「小人さん」のイメージの方が強い。例えば、貧しい靴屋が夜眠っている間に小人達が靴を仕立ててくれるグリム童話の『小人の靴屋』、あのイメージである。神姫達は、自分達のオーナーである人間を「マスター」と呼んで従い、家事や雑用を代行する。だが、体が小さ過ぎるため、人間にとっては簡単な作業でも彼女達には重労働で、何度も失敗を繰り返す。それでも、愛するマスターを喜ばせるために、小さな体で一生懸命奉仕する。その様子は非常にコミカルであり、見ていて微笑ましい。こんな子達が家にいたらいいなと視聴者に思わせることができたら、その時点で本作は勝ちだ。なお、グリム童話における小人はかなり謎の存在で、なぜ靴屋を手伝ったのかも分からないし、続編では人間に直接的な危害を加えている。一方、本作の神姫は、最初からマスターに服従するようにプログラミングされているため安心だ。もっとも、AIが暴走しなければの話だが。

 ただ、その観点で言うと、やや不満が残るのは「作画」である。本作はバトルシーンの動画枚数を確保するため、かなり簡略化した作画を採用している。それはそれで構わないのだが、上記のような「小人さん」の画的な面白さを描こうとすると、やはりこの作画では厳しい。身長15センチほどの小人が人間の家で生活するという、ある種の巨人の国に迷い込んだかのような異世界感を表現するためには、コンテやレイアウトの段階で緻密に計算し尽くされなければならない。それこそ、ディズニーやらピクサーやらの名作映画を参考にして作っていれば、本作はもっと良いアニメになっていただろう。

・設定


 神姫自体が完全にオーバーテクノロジーなので、本作の設定にはかなり穴が多い。例えば、神姫を使った犯罪にはどう対処しているのかといった疑問は、劇中では全く触れられていない。しかも、本作のタイトルは、ただの神姫ではなく『武装神姫』である。何とも物騒な香りが漂っている。

 ここで改めて第一話冒頭のナレーションを引用しよう。「神姫とは、人間の補佐をするために作られた全高15センチのパートナー。知性と感情を備え、マスターである人間に尽くし、仕える。その神姫に人々は思い思いの武器・装甲を装備させ、戦わせた。名誉のために、強さの証明のために、あるいはただ勝利のために。マスターに従い、武装して戦いに赴く彼女らを人は武装神姫と呼ぶ」。この解説を読む限り、どうやら元々は純然たる家電製品だった物を、ユーザーが勝手に対戦競技に使い始め、それがスポーツに発展した。その結果、メーカー側もスポーツ用の神姫を発売するようになった、ということらしい。実際、劇中においてヒナという好戦的な神姫が「私達は戦うために作られた」と発言している。現実世界でも、単なる移動手段だった自動車や自転車がレースになり、それを受けてレース用の車が発売されたりしているが、現実と違うのは、あらゆる神姫が武装を携帯し、それを任意で使用している点である。何とも恐ろしい世界だ。このような無法状態で社会の秩序が正しく保たれているとは到底思えない。おそらく、明確に描かれていないだけで、何らかの法律でがんじがらめにされているのだろう。

 どちらにしろ、冷静に考えると、かなり酷い設定である。なぜなら、意志を持ったアンドロイドに戦いを強要しているのだから。この世界ではアンドロイドの人権がどうなっているかは分からないが、極めて非人道的である。ただし、このテレビアニメ版に限ると、その非人道さをほとんど感じない。理由は一つ。メインヒロイン達のマスターである主人公が、「バトルは危ないからね」と言って、ヒロイン達に戦うことを禁止しているからである。彼女達は自分の身を守るためやマスターの名誉を守るために戦うことはあっても、自ら積極的に他の神姫に戦いを挑むことはなく、年に一度の公式バトル大会にも出場しない。ある意味、『武装神姫』というタイトルに反しているが、これこそが本作を特徴付けている最大の要因になっている。

・神姫愛


 正直なところ、本作はかなり「下品」なアニメである。主人公は一人暮らしの男子高校生。本作のヒロインである四体の神姫(アン、ヒナ、アイネス、レーネ)を所有している。彼女達はマスターを敬愛するようにプログラミングされているため、主人公に対して恋愛にも似た感情を抱いており、まるで恋人のように甲斐甲斐しく身の回りの世話をする。それゆえ、完全に主人公を中心としたハーレムが形成されている。しかも、本作は序盤を中心にやたらと性的なシーンが多い。神姫達の服装は常に露出度が高く、体にオイルを塗ったり、筆で塗装したりと性行為を思わせるシーンが連続する。と、このように本作は男性視聴者の欲望を極めてストレートに映像化しており、そのため、他人にお勧めするには多少の勇気を必要とするアニメになっている。

 だが、実際の映像からは、あまりそのような印象は受けない。それはなぜかと考えると、やはり全体を包み込む雰囲気がとても柔らかく、神姫愛に満ちた作品になっているからであろう。主人公は、自分の世話をしてくれる神姫達に対して常に感謝の気持ちを忘れず、支配者として高圧的に振舞うこともない。神姫達は便利な道具ではなく、あくまで人間と共生するパートナーだからだ。一方の神姫達も、マスターへの奉仕以外は誰にも束縛されることなく、自由気ままに暮らしている。それはつまり、彼女達の人権が保障されているということである。ストーリーにしても、小さな体で沖縄までマスターに会いに行く第五話、幽霊となったマスターに仕える神姫を描いた第七話、一時的に人間になったヒロインの揺れる心を描いた第八話、サンタの代わりに子供達にプレゼントを届ける第十話と、非常にハートフルで心温まる話になっている。それゆえ、上記のような下品さも目立たなくなり、爽やかな視聴後感だけが心に残る。

 これは非常に大事なことを示唆している。極めて観念的で、一歩間違えると怪しい新興宗教か何かのようになってしまうが、結局のところ、作劇において最終的に一番上に現れるのが「愛・感謝・優しさ」ということである。どんなにユーザーのニーズに応え、練りに練ったシナリオを構築したところで、愛も感謝もない物語では人の心は動かない。登場人物が互いを一人の人間として尊重し合い、今の幸せは誰かのおかげで成り立っていると自覚する、それが大事なのだ。逆に言うと、駄作と言われるアニメは、そういった感情が抜け落ちていることが多い。幸い、その手のアニメのサンプルは幾つも用意してあるので、参照してみてはどうだろうか。

・最終回


 第十一話~第十二話のラストエピソードは、前述のヒナが、世界中の珍しい神姫を集めているコレクターに誘拐される話である。彼女はコレクターによって記憶を書き換えられ、今まで一緒に暮らしてきたヒロイン達のことも忘れてしまう。そこへ、ヒロイン達が助けに来る。コレクターが所有するヒナと同系統の武装神姫との激しい戦いの末、彼女は奇跡的に記憶を取り戻し、ヒロイン達と力を合わせて敵を倒す。こういったストーリーである。これだけ見ると何も問題はない。神姫愛に満ちたハッピーエンドだし、感動もする。だが、本作全体の作品テーマを総括する最終回として見ると弱い。残念ながら、この程度では世の名作群の中に名を連ねることは不可能だ。

 では、どうすべきなのか? 有難いことに、本作は序盤から様々なキーワードが提示されている。「神姫は戦うために作られた」「バトル嫌いな主人公が戦いを禁じている」「ヒナはそれに不満を抱いている」「一年に一度のバトル大会」「神姫は大量生産品で同タイプが多数存在する」「神姫は人間のパートナー」などだ。ならば、それらを十分に活用してラストエピソードを構築すべきではないか。例えば、ある日、ヒナそっくりの神姫が現れ、ヒナに戦いの意義を説く。ヒナは無断で大会への出場を決意する。だが、それは神姫コレクターの罠だった。洗脳され、ヒロイン達に牙を剥くヒナ。絶体絶命のピンチ。そこへ主人公がやってくる。主人公は同型機の中からヒナを見つけ出し、その絆の力により、記憶を取り戻したヒナは、ヒロイン達と共にコレクターの神姫を倒して平和な日常を取り戻す……というストーリーは『ローゼンメイデン』のパクリだが、どちらにしろ大事なのは、マスターである「人間との関係性」である。人間という存在を否定すれば、武装神姫は文字通りの兵器になる。ただの兵器に幸せは訪れない。では、神姫の幸せとは? その疑問はつまり、人造人間譚という最初のテーマに回帰するということである。

 よく、作劇のおける娯楽性とテーマ性のバランスが問題になるが、その議論自体がナンセンスである。ストーリーにちょっとした工夫を加えるだけで、高い娯楽性を保ったまま深いテーマ性を入れることは十分に可能だ。本作にはそれが足りない。どうしても娯楽一辺倒になっている。作り手にほんの少しでもその意識があれば、本作は歴史的な名作になっていただけにもったいない。

・総論


 萌えトイ・ストーリー。

星:☆☆☆☆☆☆☆(7個)
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by animentary  at 09:44 |  ☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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