『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』

感情×論理。

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櫻子さんの足下には死体が埋まっているとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。太田紫織著の小説『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は加藤誠。アニメーション制作はTROYCA。平凡な高校生の主人公が骨を愛する標本士のヒロインと共に難事件を解決するミステリー。作品タイトルの元ネタは、梶井基次郎の短編小説『櫻の樹の下には』の一節「櫻の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」。2017年4月より観月ありさ主演のテレビドラマ版が放映されている。

・ミステリー


 ミステリー小説にありがちな「市井の人々を無理やり名探偵に仕立て上げるシリーズ」の一つである。今回のターゲットは「標本士」。標本士とは、動物の遺体から骨を取り出して骨格標本を作る専門職のことだが、当然ながら警察捜査とは何の関係もない。つまり、本来は事件を推理することそれ自体が越権行為なわけで、そんな普通の人間をどう事件に係らせてどう名探偵に仕立て上げるか、そこが作者の腕の見せ所になる。
 本作の主人公は、平凡な日常に退屈していた男子高校生。これと言って特徴のない普通の人間だが、一つだけ他の生徒にはない特別な交友関係を持っていた。その相手は、郊外の洋館で年老いた婆やと二人暮らししている年上のお嬢様。見た目は清楚な美人だが、一風変わったプロフィールを有している。それは彼女の職業が標本士であること、生き物の骨に対して異常なほどの愛情と執着心を持っていること、そして、なぜか日常的に人間の死体と遭遇することだった。その結果、二人は事あるごとに奇妙な事件に巻き込まれる。本作は、そんな二人が無能な警察に代わって難解事件を解決する一話完結型のミステリーである。
 純粋な捜査関係者ではないため、本作が劇中で取り扱っているのはいわゆる「小さな事件」になる。もちろん、テーマがテーマなので毎回のように死者は出るのだが、世間を騒がせる凶悪犯罪や解読不能の完全犯罪といった大きな事件は出て来ない。基本的には誰かを愛する心や幸福になりたいという想いが、少しボタンを掛け違ったことによって発生する哀しくも儚い事件の数々だ。それに対し、ヒロインは豊富な科学・医学・文学・歴史学の知識と、人並み外れた冷徹な観察眼を持って真実を見抜き、論理的に謎を解き明かす。つまり、感情によってもつれた糸を論理によって解きほぐし、正しく並び替えて真実を浮かび上がらせるタイプのミステリーである。実は、ヒロインは法医学者としての側面も持っており、そちらの方が謎解きの役に立っている。第一話などはロープの結び方がメイントリックになっており、標本士とはあまり関係ない。それなら、最初から骨好きの法医学者の話にすればいいのにと思う。
 なお、物語の終盤になって、一人の猟奇殺人犯が今までの小さな事件の裏で手を引いていたことが発覚し、一気に大きな事件へと推移する。ただし、アニメ版はちょうど犯人と対決することを決意した場面で終了するため、最後まで小さいままである。コンセプトがぶれないのは好感を持てるが、後味は悪い。

・骨


 本作のヒロインは、生き物の骨を異常なまでに偏愛している変わり者である。まるで可愛いぬいぐるみか何かのように骨を扱い、深い愛情を持って自宅にコレクションする。昔飼っていた猫さえも自らの手で標本にしてしまう。一方、我々一般人は骨に対して通常は嫌悪感を、人によっては恐怖感すら抱いている。だから、できる限り闇の中に押し込んで、人目に付かないようにしている。では、彼女と我々の違いは一体どこにあるのだろうか?
 まず、なぜ、我々が骨に対する嫌悪感を持っているかと言うと、それは当然「死を連想させるから」に他ならない。生き物の骨は、普段は分厚い皮膚や肉に覆い隠され、死した時に初めて顔を出す。その時、気高き魂を持っていたはずの生き物が、ただの物言わぬ物体と化す。どんなに絶世の美女でも表面の肉を取ればただの骸骨だ。そのため、骨を目にすることで、自分達の命がいつ壊れるかも分からない脆い物であること、命を失ったら土や石と何も変わらない無機物になってしまうことを強く意識せざるを得なくなるのである。それは恐怖以外の何物でもない。ところが、ヒロインはそれを美しいと感じる。劇中で明言されているわけではないので、ここから先は想像になるが、おそらくヒロインはそういった人間の持つ本質的な儚さに強いシンパシーを抱いているのであろう。簡単なことですぐに壊れてしまう弱々しい生き物。しかし、それでも毎日を一生懸命生きている。そんな彼らの逃れ得ぬ業を可愛く思うからこそ、その終着点である骨に堪らない愛しさを覚えるのではないだろうか。
 もう一つ、ヒロインが骨を愛する理由は、それが「論理の象徴」だからだろう。骨は人間の表面的な虚飾を取り払ったありのままの姿である。全ての基本となる文字通りの「骨格」であるがゆえに、隠されたたった一つの真実を言葉よりも雄弁に語ってくれる。実際、彼女は医学の知識を総動員し、骨を見ただけで何度もその人の特徴をピタリと当てて見せている。そのため、ヒロインは事件の謎解きをしばしば骨に例える。彼女にとっては、論理=骨が繋がらないことで最大の嫌悪であり、それらが一本に繋がって形を成すことが最上の喜びなのだ。つまり、一種のパズル愛好家的な思考法であり、それが彼女を骨収集へと向かわせる大きな要因だろう。

・矛盾


 さて、ここまで読んできた方の頭の中には、おそらく一つの疑問が浮かんでいるのではないだろうか。それは「感情と論理の二面性」である。ヒロインは根っからの思考型の人間であり、人嫌いを公言している。それなのに、感情に支配された事件を論理的に解き明かすということを何度も行っている。しかし、そんな冷徹でドライな人間が、仮に人間観察が趣味であったとしても、コミュニケーションにおける複雑な感情の軋轢を正確に推理することができるだろうか。そこに矛盾を感じるのは、人として当然のことだろう。
 事実、この矛盾は劇中の様々な場面で見ることができる。主人公達ですら気付かなかった犯人や被害者の心理を言い当てたかと思うと、返す刀でそういった感情を「くだらない感傷だ」と切り捨てる。その一番分かり易い例が第三話で、老婆のセンチメンタルな行動を正確にトレースしたかと思うと、「朝日は脳の幸福ホルモンを分泌させる」と極めて科学主義に傾倒した発言を同時に行う。だが、人間の感情をそのように理解している人が、どうして心の問題を正確に処理できようか?
 この疑問については、二つの回答が得られるだろう。一つ目は「感情さえも論理のパーツの一つに過ぎない」という点だ。人間の心理など所詮は脳が生み出したデジタル情報に過ぎず、全て統計学的にパターン化できる。それゆえ、感情に彩られた行動さえも、謎解きの骨格に当てはめることができるという考えである。これは確かにその通りだろう。実際、そうやって事件を解決しているのだから。ただ、逆に言うと、本作で取り扱っているのは、その程度のデータベース参照で解決できる単純な事件ということになってしまい、それでは本末転倒、自分で自分の首を絞めるだけである。
 二つ目は、そういった「二律背反した自己矛盾こそがヒロインの魅力である」という点だ。彼女はかつて弟を亡くしており、実は人一倍、命の価値に敏感な女性である。しかし、自らの論理的嗜好を守るために、その感情を無意識の奥に隠しており、それが折りに触れて意識上に侵出しているからこそ、上記のような矛盾した行動を取っているという考えである。つまり、彼女は決して論理一辺倒の人間ではなく、内面は非常に複雑で、その曖昧さが彼女の人間的魅力を生んでいるのである。本作は、そんな彼女が主人公との出会いを通じて内なる感情に目覚めていく物語だと言える。それが本作を魅力ある作品に仕立てている一番の理由であろう。

・欠点


 以上、基本的に完成度の高い作品ではあるが、「だから、面白いか?」と問われると「うーん」と首を捻ってしまう。まず、本作の本質的な面白さは何かと言うと、それはもちろん対称的な主人公とヒロインの関係性だろう。それこそ、推理そっちのけで「二人の会話を聞いているだけで面白い」というレベルに達しないと、とてもじゃないが名作とは言い難い。しかし、その視点で言うと、主人公のキャラクターの弱さは致命的である。物語開始時点ですでにヒロインと出会ってから数年が経っているという設定なので、彼は生き物の骨にすっかり慣れてしまっており、死体を見ても特に動じることはない。だが、二人の関係性の面白さを強調するなら、彼は我々一般人と同じく骨に対してそれ相応の嫌悪感を示してくれないと困るのだ。また、ヒロインを論理の象徴とするなら、主人公は感情の象徴でなければならない。本能の赴くままに行動し、それをヒロインにたしなめられるぐらいでちょうどいいのに、上記の通り、ヒロインに論理と感情の両方を併せ持たせているため、主人公の存在が完全に宙に浮いてしまっている。第六話などは、主人公の同級生がメインを張る回だが、そちらの方がヒロインとの思考の違いが如実に表れていて面白い。それゆえ、もう少し設定を整理する必要があったのではないだろうか。
 ヒロインに関しても問題がある。本作のタイトルは『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』である。要は、ヒロインの櫻子さんの魅力が作品の全てと言っても過言ではないが、彼女が他作品のヒロインに真正面から対抗できるかというと正直厳しい。「骨を愛するミステリアスで妖艶な年上の美女」と、文字にしてみると盛り沢山だが、実際のところはそれほどミステリアスでも妖艶でもないただの変人である。もっと裏で何をしているか分からない、下手に障ると火傷する女性特有の「怖さ」を描き、それに純朴な主人公が翻弄される様を描いて初めて娯楽作品になるのではないだろうか。もっとも、深夜アニメ界隈では、そういった背中がぞくっとするようなファム・ファタール(魔性の女)の描写を苦手としているらしく、本ブログで取り上げている作品では、『ローゼンメイデン』の水銀燈や『有頂天家族』の弁天、『怪物王女』の姫、『ウィッチクラフトワークス』のウィークエンドぐらいしか思い浮かばない。逆に言うと、上手くやればその隙間に潜り込んで一大派閥を築けていただけに、本作の演出面での物足りなさが非常に残念である。

・総論


 小説原作アニメによくある「設定とストーリーは素晴らしいが、娯楽性を高める演出面に難がある」という作品である。下手すると、評判の悪いテレビドラマ版よりも劣っている部分があるのは何とも。

星:☆☆☆☆☆☆(6個)
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by animentary  at 10:03 |  ☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』

母親参観。

公式サイト
ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか - Wikipedia
ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうかとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。大森藤ノ著のライトノベル『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は山川吉樹。アニメーション制作はJ.C.STAFF。新米冒険者が凛々しい女戦士と出会ったことで大きく成長する青春ファンタジー。本編の内容よりもヒロインの衣装、俗に言う「例のヒモ」の方が知名度が高いだろう。

・ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか


 いつも通り、ライトノベル原作アニメ恒例のタイトルいじりから始めよう。まず、普通の冒険者がダンジョンに求める物は何だろうか。それは未知への冒険であったり、そこから得られる多額の報酬であったり、世界的な名声であったりするだろう。もちろん、人の価値観はそれぞれなので、中には報酬や名声よりも異性との出会いの方が大切という人もいるかもしれない。そういう人にとっては、百万の富より美女のキスの方が何倍も栄誉ある物だ。それは何もおかしいことではない。ただし、大事なのはそれらが全て「命懸け」であるということだ。ダンジョンには凶悪なモンスターや恐ろしい罠が待ち構え、いつでも冒険者の命を奪おうと舌なめずりしている。常に危険と隣り合わせで、明日も日の目を拝める保証はない。つまり、ダンジョンに出会いを求める人は、恋愛に命を懸けることを何とも思わない根っからのプレイボーイということである。その前提を踏まえた上で、本作のストーリーを見て行かなければならない。
 主人公はこの稼業を始めてわずか半月の駆け出し冒険者。少々気弱で誰に対しても優しい性格である一方、レベル1の状態でダンジョンの五階層に挑むという無謀さも持ち合わせている。案の定、ミノタウロスに襲われて死にそうになったところを、通りすがりの一人の女戦士に救われる。彼女の凛々しさにすっかり惚れ込んでしまった主人公は、彼女に相応しい男になれるようもっと強くなることを決意する。はたして、彼は女戦士のハートを射止めることができるであろうか。が、本作のメインストーリーである……って、え、どういうこと? 意味が分からないんですけど。まず、この男は何のためにダンジョンに潜っていたのか。それは当然、「生活」のためであろう。ダンジョンでモンスターを倒し、報酬を得て、衣食住を賄い、生き延びる。しかし、新米冒険者では弱い敵しか倒せないため、得られる報酬も限られている。ならば、普通の人は今の暮らしをより良くするために強くなろうと思うはずだ。
 もし、このストーリーを成立させようと思ったら、彼はダンジョン探索以外に何らかの副収入があるか、冒険があまりにも簡単過ぎて退屈だったとしなければならないだろう。怠惰な生活を送っていた男性が憧れの女性と親密になるために生まれ変わる話は、ボーイミーツガールの定番パターンである。そうでないなら、それこそ主人公は三度の飯より女が好きという本物の色狂いの人間になってしまう。さすがに、そんな主人公では軽薄なエロアニメにしかならないため、もし「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」と問われたら、「間違っている。その前にやることがある」と答えるしかない。

・神様


 改めて設定をまとめよう。本作は神話の神々が実在し、下界に降りて人々と共に生活している世界である。神々は冒険者に戦う能力を与える代わりに、彼らを自分の眷属とし、「ファミリア」という名のギルドを形成している。そんな神々の内の一人、ロリ巨乳な女神「ヘスティア」は、未だに眷属が主人公一人しかいない駆け出し神様。彼女はなぜか主人公のことが大好きで、既成事実を作ろうと積極的にアタックするが、主人公はその好意に全く気付かない……という、少し視点を変えただけの典型的な「落ち物」系アニメである。こんな物は世の中に腐るほど転がっているので、さりとて話題にすることでもない。
 ただ、本作が他の作品と決定的に異なるのは、その神様がメインストーリーに全く絡まないことだ。詳しくは後述するが、彼女がいなくとも話は滞りなく進む。では、彼女は何のために存在するかと言うと、主人公のことを「全肯定」するためだ。彼女は主人公の隠れた才能を信じ、事あるごとに彼を褒め称え、どんなに失敗しても前向きな発言で勇気付ける。一つ屋根の下に同棲し、「君ならできる」と主人公をダンジョンに送り出して、無事に帰ってきたら「頑張ったね」と膝枕で慰める。神様なのにアルバイトをして、ファミリアの生計を支える。そんな彼女の存在は、間違いなく主人公にとっての「母親」である。主人公を外敵から保護し、絶大な安心感を与え、成長を後押しする。彼が「ダンジョンに出会いを求める」などとふざけたことを言えるのも、優しい母親に身分を保証されているからだ。もちろん、主人公本人はまだ十四歳なので幾らでも母親に甘えていいのだが、分別ある大人の視聴者が彼に自分自身を重ね合わせているとしたら、気持ち悪いというレベルではない。
 さらに気持ち悪いのは、その神様が鍛冶屋に土下座をしてまで主人公のために特注の短剣を作らせたことだ。その魔法の短剣は、持っているだけで能力を高める特別な力がある。ただ、主人公は他の女のために強くなると宣言しているわけで、それを手助けする武器を提供するような都合の良い女性が、この世に存在するはずがない。いるとすれば、それは母親以外にあり得ない。主人公も主人公で、断ればいいのに当たり前のように短剣を受け取って使用する。これでは息子のデートに来ていく服を母親があつらえるような物だ。この先、彼がどのように成長していくかは分からないが、少なくともストーリー開始時点では、全く自立できていないマザコンのお坊ちゃんである。ちなみに、父親に該当する役割の人物は当然のように出て来ない。しいて言えば、女戦士か。

・成長


 そんな本作であるが、折り返し地点となる第七話以降、微妙に路線を変更する。ひょんなことから女戦士に特訓を付けてもらうことになった主人公は、その過程で自分の本当の目標は「英雄になること」だと悟る。そして、強大な敵にたった一人で立ち向かったことで、彼は冒険者として大きく成長する。一見すると「強くなる」という目的自体は同じに見えるし、無謀さという意味ではレベル1で第五層に挑んでいた頃と何も変わりない。変わったのは、それらを「自覚した」ということだろう。以前は訳も分からずにふらふらとダンジョンに突入し、女戦士と仲良くなると馬鹿げたことを言っていたが、彼女と剣を交えたことで、自分自身の名誉のためにあえて危険を恐れず「冒険」し、報酬や名声を手に入れるというように変わった。女戦士の寵愛などその報酬の一つに過ぎない。つまり、それが良いか悪いかは別にして、本作はライトノベル原作アニメにしては珍しく、物語の途中でタイトルを否定した作品なのである。ただし、主人公自身がその誤りに気付いたという具体的な描写はなく、極めてナチュラルに目標変更している。最大の懸念材料である神様の存在もそのまま放置だ。本気で成長しようと思ったら、神様=母親から自立することが第一だと思うが、彼女はストーリー的に蚊帳の外に置かれ、ある意味大事に保護されている。だからと言って、女戦士との恋愛が精彩に描かれるということもなく、ハーレムでもボーイミーツガールでもヒロイックファンタジーでもない中途半端さが、第七話以降のストーリーの特徴である。
 それはともかく、その後、主人公は爆発的に急成長する。正確に言うと、秘められた天才的な素質が次々と明るみになる。特殊なスキルが幾つも発現し、魔法さえも軽々と使いこなす。そして、皆が驚く中、たった一ヶ月半でレベル2(中級者)にランクアップし、ダンジョンの中層へと進出する。確かに0からのスタートだったので、広義では成長に当たるのだが、やっていることはくだらない三流アニメのチート主人公と同じである。非常に疑問なのだが、これを見て本当に視聴者は楽しいと思うのだろうか。努力しているように見せかけて、全て「才能」の一言で片付けているこの物語に、何の才能もない視聴者が自分を重ね合わせるのは極めて困難だと思うのだが……。少なくとも第一期のストーリー上では、彼を急成長させないといけない理由は特に見当たらないため、違和感しか覚えない。

・演出


 本作の演出には二つの大きな特徴がある。一つ目は「ゲーム的」だ。本作は人間の持つ能力や特徴を全てステータスやスキルといった物で表している。比喩表現ではなく、実際に劇中で神々が能力を測定し、その具体的な数値が日常的に台詞として語られる。本作のメインターゲットである中高生にとっては、文学や映画よりもゲームの方が身近な存在だろうから、こういった演出法もありと言えばありなのかもしれない。ただし、主人公が女戦士に惚れて急成長したことさえも「憧憬一途」という名のスキルで表しているのは、論外である。そういったアナログな感情をデジタル化した瞬間、それはもう血の通った人間ではなくなってしまう。逆に言うと、そのスキルを持たない人間は、どれほど好きな女性のために頑張っても、努力が報われることは決してないということだ。そんなふざけた話が通るわけがない。
 もう一つの特徴は「感情的」だ。本作の登場人物は皆、何かある度に生の感情を剥き出しにして、大声で絶叫する。第六話などは、ヒロインの一人が数分間にも渡って涙ながらに主人公を激しく問い詰める。確かに、キャラクターが感情的に声を張り上げれば場は盛り上がるし、何となく言葉に重みがあるように錯覚する。ただ、感情が先走ると理論が置き去りになるのは自然の摂理。本作でも、なぜ主人公が急激に強くなったのかという疑問は、彼の叫び声によって体良く誤魔化される。いや、本当に誤魔化せているのだろうか。余程、純粋な人間でない限り、彼らの言葉を鵜呑みにしないと思いたいが。
 最終話。ダンジョン内にある街を巨人が襲撃し、皆で力を合わせて撃退するという『進撃の巨人』を丸パクリした展開になる。当然、各キャラクターは感情を剥き出しにして大声で叫び続ける。そのドサクサに紛れて、今まで張っていた伏線を一気に消化する様は別の意味で面白い。そんな中、主人公だけは当たり前のように特別扱いされ、秘められた才能をさらに開花させて、一人で巨人を打ち倒す。その偉業に対し、周囲の人々が一斉に天才だ英雄だと褒め称える。そして、ラストシーンは神様の膝枕。いや、あのさぁ……。まぁ、こういう物を好む人を否定するつもりはないが、そんな生き急がなくてもいいのにと素直な感想を述べさせて頂く。

・総論


 あくまで中高生向けアニメとして見れば許容範囲内だが、これをいい歳した大人が見ていたら痛いというレベルではない。本ブログの読者には、間違いなく『灰と幻想のグリムガル』の方をオススメする。

星:☆☆(2個)
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