『宙のまにまに』

残念ラブコメ。

公式サイト
宙のまにまに - Wikipedia
宙のまにまにとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2009年。柏原麻実著の漫画『宙のまにまに』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は高松信司。アニメーション制作はスタジオコメット。高校の天文部を舞台にした青春ラブコメ。綿密なロケハンを重ねた星空の作画の美しさには定評がある。

・設定


 本作の主人公はこの春、高校に進学した少年。幼い頃から父親の仕事の都合で転校を繰り返しており、そのせいか目立つことが嫌いで、できる限り静かに暮らしたいと願っていた。趣味は読書。理由は転校続きで知り合いの少ない寂しさを埋めてくれるから。そんな彼が、高校入学を機に昔住んでいた町へと帰郷し、そこで一人の少女と出会ったことから物語が始まる。彼女は一歳年上の幼馴染み。天真爛漫で無邪気、何事にも真っ直ぐな性格で押しが強く、小さい頃は否応なく彼女に連れ回される日々を送っていた。その性格は今でも変わっておらず、彼女は数年ぶりに再会した主人公に対して文字通り全身全霊で付きまとい、強引に天文部へと招き入れる。彼女は天文学者の父親の影響で、小さい頃から星を見るのが大好きだったのだ。こうして、主人公の思い描いていた平穏無事な高校生活は、全く別の物に変化するのだった。
 静かな日常を望む主人公と天然ボケで子供っぽいヒロイン、主人公は嫌がっているのに、なぜか美少女のヒロインが勝手に近寄ってきて困った困った、という飽きるほど繰り返されたベタ過ぎるラブコメである。特にヒロインの性格は、最早アニメでもきついレベルの無邪気さで、異性に対する恥じらいや恋愛感情といった物すらない。天真爛漫なのは、本作のメインガジェットである「天体観測」が現代人が忘れている子供らしいロマンや夢を体現した物だからなのだろうが、そちら方面に数値を振り過ぎて、俗に言うセックスアピールがまるでないのは、萌えアニメとしては痛い。もし、ヒロインが美少女じゃなかったら、本作は完全にホラーである。
 もっとも、本作の最大の問題点はそこではなく、そういった無邪気系ヒロインを違和感なく溶け込ませるためか、全体的な作風を少年漫画風ハイテンションギャグにしていることだ。それを面白いと思うかどうかは人それぞれなので不問にするが、天体観測という言葉が持つ静かでしっとりとした情緒的なイメージとは正反対に位置する。なぜ、このような作風にしたのか。もしかすると日常と非日常のギャップを演出するのが目的かもしれないが、やはりバラバラ感は否めない。天体観測のシーンは、落ち着いたファンティックな雰囲気をよく作り出せているだけにもったいない。

・ラブコメ


 話を元に戻すが、本作は典型的な青春ラブコメであり、ストーリー展開もキャラクター設定もどこかで見た物が続出する。そもそものキャスティングが、傍から見るとどこからどう見ても恋人同士なのに本人達にはその自覚がなく、それどころかむしろ嫌っているとさえ言い張る痛々しい男女を中心に、彼らに対して報われない仄かな恋愛感情を抱く可哀想な脇役が周囲を固めるという定番の構図だ。特に、主人公のクラスメイトの女の子は絵に描いたようなツンデレで、主人公に好意を抱きつつ、それを隠すために何だかんだと理由を付けて天文部に転がり込む。彼女の心理描写は、薄っぺらい主人公とは比べ物にならないぐらい深く、切ない片思いの感情が心を揺さぶる。本作を見た人は全員同じ感想を抱くと思うが、彼女を主人公にした方がラブコメとしては何倍も面白くなっただろう。
 第六話。新しいキャラクターが劇中に登場する。彼は二学期から主人公達の通う高校に赴任した男性教師で、なぜか空席だった天文部の顧問に就任する。ところが、彼とヒロインの関係がどうにも怪しい。まるで仲の良い兄妹、いや、それ以上の深い関係に見える。どうやら、ヒロインの父親を通じて古くから親交があるらしい。そんな親密な二人を見て、主人公は嫉妬に駆られ、ようやくヒロインを異性として意識し始める。という、これまたベッタベタのラブコメ展開である。元々、主人公とヒロインの関係がファンタジーなため、そこに容赦のないリアルを叩き込むことで無理やり目を覚まさせるという分かり易い手法だ。もっとも、設定に無理があるせいか誤解はすぐに解け、教師はその他大勢のポジションへ追いやられて、以後、ヒロインと絡むことすらほとんどなくなる。ドロドロの三角関係にならないのは、ある種の視聴者に対する「優しさ」なのだろうが、はたしてそれはラブコメとして正しいのかどうか。
 結局のところ、ラブコメが発生する大前提として、主人公もヒロインも「異性にモテる」という条件が必要で、本作の場合、そこに説得力がないから話が盛り上がらないということなのだろう。主人公はまだしも、ヒロインの女性的な魅力の無さは致命的である。それゆえ、もう少し設定を練り込まなければならなかったのではないだろうか。

・部活アニメ


 本作が放送されたのは2009年。いわゆる『けいおん!』に代表される「部活アニメ」が大量生産され始めた年である。当然、粗製乱造で似かよった作品が市場に並ぶ中、制作者に求められるのは、その作品のテーマとなる部活の素晴らしさを的確にプレゼンテーションする能力である。文化系・体育系・同好会・サークル・委員会、多種多様な部活が世間に溢れている中、なぜ主人公はその部活を選んだのか、その部活が他の部活より優れている点は何かを克明に描写しなければならない。ただ、これは口で言うより何倍も難しい。それぞれに必ず良い点はあるし、基本的には個人の相性の問題だ。どんなに良さを訴えても、視聴者がそれに共感してくれるとは限らない。だからと言って、例えば、野球部のアニメなのに野球の楽しさを全く伝えようとはせず、なぜか野球のボールでサッカーを始めたりしたら、それはネタとして面白いかもしれないが、作品としては最低である。軒先を借りて商売している以上、対象にリスペクトを持つのは人として当たり前である。
 そんな中、本作が最初に用いたプレゼン方法は、他の部活との比較である。発想は安易だが、非常に効果的だ。そして、そのやり玉として挙げられたのが「文芸部」である。主人公が読書好きなのは先に記したが、元々、彼は文芸部に興味を持っていた。それがヒロインの魔の手に掴まり、強引に天文部へと入れられたのである。その後、主人公は次第に天体観測の面白さに目覚めていくのだが、ヒロインのライバルとして登場した文芸部員兼生徒会長が、主人公を文芸部にヘッドハンティングしようと画策し、その対立の過程で天文部の良さをクローズアップするという展開になる。では、文芸部と天文部の違いとは何か? あくまで本作独自の考えだが、文芸部はずっと狭い部屋に閉じ籠もっているのに対して、天文部は広い屋外に出て雄大な自然を相手にしている。だから、天文部は素晴らしいのだと主張している。これはなかなかセンセーショナルな意見であろう。確かにそういう側面もあるだろうが、アクティブさを売りにするなら、文化系の天文部より体育系の運動部の方が余程優れている。むしろ、星を見るだけの天文部に対して、クリエイティブな活動をしている文芸部の方がアクティブと言えるのではないか。意見としては弱い。そして、何より失礼甚だしい。こうして見ると、他部活と比較するというやり方は決して良いとは言えない。もちろん、本作は底意地の悪いアニメではないので、ちゃんと文芸部の良さもフォローしていることは追記させて頂く。

・天体観測


 さすがに、これはまずいと判断したのかどうなのか、第五話近辺で生徒会長と和解した後は、純粋に天体観測の楽しさを追及することへとプレゼン方法をシフトする。壮大な宇宙のパノラマ。その美しい光景は、純粋だった子供の頃の夢を思い出させる。星にまつわる神話の物語。古代から人々は同じ想いを紡いできた。その感動を後世に伝えるのが自分達の役割。それが天文部の存在意義。ということを、天体マニアのヒロインを中心に全十二話かけて一つずつ伝えていく。宇宙をテーマにしておきながら、天体観測の楽しさを全く表現できていない作品が多い中、本作のヒロインが根っからの星好きなのは好感が持てる。そして、主人公もそんなヒロインに惹かれていくと同時に、星の美しさにも魅了されていく。
 このように、本作は描くべきことをしっかりと描いているため、一般的には良作と呼ばれる部類に当てはまる。それこそ星の数ほどある部活アニメの中では群を抜いている。ただ、ちょっと待って欲しい。本作が描いているのはあくまで天体観測の楽しさであって、天文部の楽しさではない。星空が綺麗で感動するのは当たり前だし、そんなことはみんな知っている。当たり前のことを当たり前に描いても意味がない。それに天体観測は一人でもできる。わざわざ天文部という団体行動にこだわるなら、それなりの理由が必要ではないか。残念ながら、本作は生徒会長の言う「ただ夜に騒ぎたくて部活をやっているとしか思えない」という疑念に十分に答えられていない。
 少し厳しいかもしれないが、本作の欠点はこういうところにある。やろうとしていることは分かるが、全てにおいて弱い。天体観測を純粋さの象徴として用いるなら、主人公の人格を純粋さとは正反対の位置に設定しなければならないし、天文部の優位性を描くなら、一人で星を見ることのつまらなさを強調しなければならない。そして、何よりもラブコメと天体観測を上手く組み合わせなければならない。主人公が好きなのは星なのかヒロインなのか、最後まで曖昧なままである。また、せっかく幼馴染みを題材にしているのに、過去の約束といった時間的な伏線が何もないのは、ストーリー的に大きなマイナスポイントであろう。よって、本作は良作かもしれないが、名作・傑作には程遠い作品である。

・総論


 とにかく、少年漫画風ハイテンションギャグが人を選ぶ。下ネタやオタクネタよりましとは言え、そこを乗り越えなければ評価も何もないのが、非常に大きなハンデである。

星:☆☆☆☆(4個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 09:16 |  ☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』

不快。

公式サイト
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - Wikipedia
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。渡航著のライトノベル『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は吉村愛。アニメーション制作はブレインズ・ベース。友達が一人もいない「ぼっち」の男子高校生が、ヒロイン達との交流を通じて成長していく様を描いた青春ラブコメ。略称は「俺ガイル」。やはり「俺」の青春ラブコメはまち「が」って「いる」。「俺ハマチ」じゃダメなのか?

・主人公


 本作の主人公は男子高校生。ネガティブな性格の持ち主で、常に世の中を斜めに見ながら不平不満を口にしている。青春を謳歌しているクラスメイトに対して羨望と侮蔑の感情を同時に持ちつつ、孤高を貫いている。恋人はおろか友達すら一人もおらず、異性とは二年以上話していない。精神発達が未熟で、日常的にネットスラングを連発する。教師にすら「死んだ魚の目をしている」と馬鹿にされる。これらの設定から察するに、『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(以下、ワタモテ)の主人公と似たようなタイプのキャラクターなのだろう。だが、実際に映像を見てみると、両者にはかなりの違いがある。ワタモテの主人公が、コミュケーション能力に難があって人前ではしゃべることすらできなかったのに対し、本作の主人公は教師に対して面前で暴言を吐くなど、能力はあるのにそれを正しく使わない。過去のトラウマこそ大量にあるが、肉体・精神に何らかのコンプレックスを持っているということもなく、ただ自らの意志で他人との間に壁を作っている。要するに、彼はひたすら単純に「性格が悪い」のである。性格が悪いから友達もいない。実に分かり易い。完全に自業自得であり、ここまで同情も共感もできない主人公は珍しい。ただし、こういう性格だから友達がいないのか、友達がいないからこういう性格になったのかは、劇中の描写からは読み取れない。おそらく、卵が先か鶏が先かなのだろうが、視聴者側がそこまで気を遣う必要があるのかと考えると馬鹿らしくなる。
 何にしろ、本作は青春ドラマである以上、主人公の抱える悩みや問題が最終的に解決されれば、それで物語が成立する。だが、その肝心要の彼の悩みが、第一話の段階ではさっぱり見えてこない。本心は別にして、彼は独りぼっちであることを苦にしていないどころか、むしろ誇りに思っている。現状に満足しているため、物語の目標が全く見えない。それはゴールの分からないマラソンを延々と続けるような物だ。ワタモテの主人公が何とか現状を打破しようと失敗を繰り返しながらも一生懸命に頑張っていて、それが彼女の人間的魅力を生んでいるのに比べると、延々と悪態を吐いているだけの本作の主人公の魅力の無さは致命的である。今のままではただの「嫌な奴」であり、そんな人間が将来どうなろうと知ったことではない。それゆえ、正直なところ、この作品には全く興味が湧かない。

・ストーリー


 まぁ、そんなことを言っていると話が進まないので簡単にストーリーを紹介するが、クラスで孤立していた主人公は、見かねた生活指導担当教師から「奉仕部」への入部を薦められる。そこは部員がヒロイン一人だけしかいない潰れかけの部活だった。嫌々ながらも入部することになった主人公は、ヒロインと一緒にボランティア活動に精を出す。こう書くと、典型的なライトノベル原作学園アニメの第一話である。しかし、残念なことに、本作はその典型的な流れすら作れていない。主人公は教師に半ば命令される形で奉仕部に入部するのだが、いつでも辞められる立場でありながら、なぜか毎日そこへ通い続ける。口では嫌だ嫌だと言っているにも関わらずだ。本作はその辺りの心理描写が極めて杜撰で適当である。それ以外にも、なぜ主人公とヒロインが勝負するのかや他の部員が奉仕部に入る理由など分からないことだらけ。青春ドラマになくてはならない気持ちや感情の変化といった物が全く描かれない。最低でも、主人公がヒロインに対して何らかの興味を持ったことだけは、明確なビジュアルにしなければならなかっただろう。
 上記を踏まえて、本作の特徴にして最大の欠点は、映画的なダイナミズムやポップセンスといった物が徹底的に省かれていることである。例えば、第三話では、クラスのリア充グループとテニスで対決するという展開が発生する。ヒエラルキー下位の人間が上位の人間に立ち向かうのだから、これはもう世の中がひっくり返るような重大事件のはずだ。だが、このエピソードは全く盛り上がらない。正確に言うと「盛り上げない」。娯楽作品として当然あるべき誇張や外連味のある演出が何もなく、ただただ淡々と事態が進み、淡々と事態が終結する。その場に正義も悪も存在しないため、何のために対決するのかすらよく分からない。また、第五話では、部員の一人が過去の主人公の交通事故に係っていたというストーリー上の重要情報を、主人公の妹がさらりと口にする。なぜ、このタイミングで? 部員の正体に気付いた妹が恨みを募らせる等、もう少し話の盛り上げ様があるのではないだろうか。
 結局、何が言いたいかと言うと、本作は全てにおいて「日記」的なのである。その日に起こったことを順番に並べて報告しているだけで、何一つ物語になっていない。それを「人間のありのままを描いたネオリアリズムだ!」と主張するのは勝手だが、恐ろしく退屈でつまらないのは否定できない。孤高を望む嫌味な少年という最もヒーローから遠い人間をどうヒーロー的に描くか、この難問に全力で立ち向かうことを放棄した作品が面白くなるはずがないのだ。ネットスラングを声に出したら面白くなると思ったら大間違いだし、心の底から寒い。

・やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。


 改めて、よく意味が分からないタイトルである。これが『やはり俺の人生はまちがっている。』なら理解できる。もしくは、『やはり俺の恋はまちがっている。』でも少し日本語はおかしいが理解できないことはない。だが、本作は対象を「青春ラブコメ」と限定しているせいで実に珍妙なことになってしまっている。ラブコメとは「複数人の恋愛を面白おかしく描いた喜劇」のことである。悪い意味ではないが、真剣に恋愛を描いた純愛ドラマとは正反対に位置する。すなわち、この主人公は自分の恋愛を面白い喜劇だと称した上で、予想通りセオリーから外れていると冷笑しているのである。何なのだろうか、この神の如き上から目線は。恋愛は一人ではできない。かならず相手が必要だ。つまり、自分の恋愛を馬鹿にするということは、その相手も含めて馬鹿にするということである。失礼甚だしい。深夜アニメの歴史はもう二十年以上に及ぶが、ここまで性格の悪い主人公も珍しい。
 さて、実際のところはどうなっているかと言うと、男女の恋愛感情のズレが笑いを生むという分かり易いラブコメ要素が顔を出すのは、物語終盤の第九話からである。それまではラブコメですらないのだから、タイトル詐欺に当たる。もっとも、ヒロイン達はそれ以前から主人公に対して時折、好意的な素振りを見せているので、広義ではラブコメと言えなくもない。だが、その理由はさっぱり分からない。同じ境遇の相手に共感したから、困っている時に助けてくれたから、共依存だから、といろいろ強引に解釈できなくもないが、その相手は自他共に認める腐った性格の主人公である。萌えアニメにありがちな「なぜ、主人公がモテるのか分からない」の究極系と言っていい。
 そもそも、この世界の住民は優し過ぎる。あからさまに他人を拒絶している主人公の周りに勝手に集まって、勝手にストーリーを進めてくれる。これだけ悪行を振り撒いているのに、物理的に攻撃する人間が一人もいない。本当なら今頃は病院送りになっていてもおかしくないはずだ。自分が安全な場所にいて、どんなに無茶苦茶やっても傷付かないと分かっているから、ますます付け上がるのである。それでは、彼が嫌いなリア充の人間と何も変わらない。結局、主人公もラブコメ世界の住人に過ぎないというわけで、そんな彼が青春ラブコメを小馬鹿にしている様は滑稽である。どうせ数年後には、彼も社会に出て本物の現実と直面するのだから、その時の彼の態度は見ものである。

・ぼっち


 人がなぜ「ぼっち」になるのかは様々な原因があるだろう。だが、本作の主人公やヒロインがそうなった理由は明白である。それは「他人を見下しているから」だ。彼らは強烈な自己愛の持ち主である。「ぼっちの気持ちはぼっちにしか分からない」など自分が特別な存在であると思っている。それゆえ、自分の価値を下げる可能性がある他人には興味を持たず、壁を作って自ら孤立する。ワタモテを始めとして、『ローゼンメイデン』『N・H・Kにようこそ!』『四畳半神話大系』といった同種の主人公を抱えるアニメでは、そういった負の感情をギャグとして昇華していたが、本作は生のまま垂れ流すので堪らない。それこそ、自分の日記帳にでも書いていろと言わざるを得ない。
 そんな主人公が初めて他人に興味を持つのも、やはり第九話である。過去の交通事故に係っているのを隠していたヒロインが自責の念から元気をなくし、その様子を見た主人公が初めて自らを省みる。それを機に様々な変化が訪れる。その後、文化祭実行委員の活動を通じ、実行委員長やヒロインの姉といった分かり易い「悪役」が登場したことで、主人公側にもようやく正義が生まれる。絆や助け合いを強要する彼らに対し、それは誰かの犠牲の上に成り立っているに過ぎないと看破する主人公。しかし、主人公自身がヒロインに興味を持ち始めたことで、その主張に自己矛盾を起こす。はっきり言って、彼の心理は無茶苦茶なのだが、これまで完全に思考が凝り固まっていたことを思えば、矛盾が生じただけでも確かな成長の証である。後は主人公がその矛盾に気付いて、自分の中でどう折り合いを付けるかという話だ。
 このように、終盤の展開自体は決して悪くない。青春ドラマらしい感情の変化がしっかりと描かれ、主人公がヒーロー的な活躍をする。もし、第一話の時点で主人公がヒロインに対して興味を持ち、自己矛盾に葛藤していれば、本作は比べ物にならないぐらいまともな作品になっていただろう。だが、全ては遅きに失した。現実的に第一話~第八話という果てしなく長い無駄な時間がある以上、本作を評価することはできない。それはもちろん、青春ラブコメとしてではなく、映像作品としてである。つまり、本作が名乗るべき正しいタイトルは『やはりこの作品はまちがっている。』である。

・総論


 つまらなかった。読むのが苦痛ですらあったわ。想像を絶するつまらなさ。(原文ママ)

星:★★★★★★★(-7個)
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