『IS 〈インフィニット・ストラトス〉』

無難。

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IS〈インフィニット・ストラトス〉とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2011年。弓弦イズル著のライトノベル『IS 〈インフィニット・ストラトス〉』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は菊地康仁。アニメーション制作はエイトビット。女性にしか扱えないはずの飛行パワードスーツを、なぜか世界で一人だけ操縦できる男子高校生の活躍を描いたロボットアニメ。嘘か真か、「世界で最も売れたハーレムアニメ」らしい。あんまり嬉しくない称号だな。

・ロボットアニメ


 本作の特徴を簡単に説明すると、「人型兵器が激しい空中戦を繰り広げるロボットアニメ」と「主人公に多数の女性が群がる学園ハーレムラブコメ」を一つに組み合わせた物である。こう書くと、如何にも危険な色物の匂いがして、好事家が目を輝かせるだろう。だが、残念なことに、本作にはアンチの付け入ることができそうな大きな欠点が、これと言って見当たらない。全て「個人の好み」で片付けられる範疇。それはすなわち、やるべきことをちゃんとやっているため、穴が少ないという意味である。
 例えば、ロボットアニメ的な要素にしても、確かに宇宙開発用マルチフォームスーツ「IS」に関する点は全てファンタジーである。自由に飛行ができ、強力な武装を携帯し、操縦者を守るシールドが完備され、いつでも無から呼び出すことができる。そして、なぜか女性しか操縦できない。こんな物が科学的に存在できるわけがない。しかし、本作はISその物ではなく、それを取り巻く人々の行動に重きを置くことでリアリティを高めている。ISは、そのあまりに高過ぎる性能のため、国際条約により各国政府の厳重な管理下に置かれている。テロ等による身の危険を感じた開発者は行方をくらましている。それゆえ、全世界にISのコアは467機分しかない。軍事転用が全面的に禁止されているため、現在は主にスポーツとして使われている。このスポーツという点に疑問を覚える人もいるかもしれないが、軍事に用いることなく技術発展を図るのに、スポーツとして利用するのは決して不条理ではない。そのスポーツはシールドが無力化したら負けというルールで、操縦者の安全が守られている。主人公達が通う学校「IS学園」は、そんなISの操縦者を育成する世界で唯一の教育機関であり、あらゆる組織から独立している。等々、仮にISが実在すれば起こるであろうことを全てカバーしている。
 もちろん、個々の設定自体は他のアニメでもよく見られることだ。天才開発者が行方不明だとか異能者の集まる学園だとか。だが、本作はそれらの設定をある目的のために一つに集約することで質を高めている。それは「ISは高性能であるがゆえに危険である」という一点。設定のコンセプトが統一されているからこそ、ストーリーも演出もブレず、穴が生まれ難くなる。本作を見ていると、俗にクソアニメと言われる作品が、如何に「やりたいこと」のみに囚われて「やるべきこと」を疎かにしているかが良く分かる。

・ハーレムラブコメ


 では、ハーレムラブコメ的な要素はどうだろうか。本作には五人の美少女ヒロインが登場し、最終的には全員が主人公に対して好意を抱くという異常事態が発生する。傍から見るとギャグ以外の何物でもないが、視聴者は主人公に自分自身を重ね合わせているため、そこは極上の理想空間に他ならない。ただし、そのためには主人公の感性が自分に極力近いという条件が付く。もし、主人公の言動に違和感があり、彼我の距離が離れてしまうと気持ち良くハーレムに浸れない。それゆえ、ヒロイン側よりもむしろ主人公側に細心の注意を払う必要がある。
 さて、その主人公だが、ヒロインの細やかな感情変化に気付くぐらい観察力が高いのに、なぜか自分に対する愛情にだけは気付かないという矛盾や、肝心な場面で突然難聴になるという特異体質などは間違いなくファンタジーである。そんな人間がこの世に存在するはずがない。だが、それ以外の部分はしっかりと作り込まれているため、この手のアニメにありがちな不快感が少ない。彼はいわゆる天才キャラだが、最初から何でも完璧にこなすというわけではない。女子高の中に男子は自分一人という特殊な環境に戸惑いながらも、必死に努力して馴染もうとする。授業態度も真面目で他人を貶めるような言動はしない。常にヒロイン達に気を配り、いざと言う時には体を張って助ける。そして、容姿も端麗。そんな男性が女の園の中に一人だけいたら、これはもうモテないはずがない。完全に自然の理だ。
 こうして見ると、良いハーレムアニメと悪いハーレムアニメの境界線がよく分かる。結局はロジックの有無である。例えば、ダメなハーレムアニメにありがちなのが、視聴者とのシンクロ率を高めるために「普段は冴えない少年」だとか「趣味はエロゲー」といった無駄な属性を主人公に加えること。そんな人間が、環境が変わっただけで急に強気になってモテ始めるなど現実的にあり得ない。つまり、大事なのは「合理性」があるかどうかであり、合理性がなければどんなにそのジャンルに対して好意的な人間でも違和感を覚える。その違和感が積もり積もって不快感に繋がるのだ。

・ストーリー


 改めて、本作のストーリーを見て行こう。全ての事の始まりは、女性しか扱えないはずのISを、なぜか男性の主人公が操縦できてしまったことにあった。そのため、主人公はISのパイロット養成学校に強制的に入学させられる。戸惑いつつも、必死にISの操縦を練習する主人公。その後の物語は、ISは政府によって厳重管理されているという設定に従って、基本的に全て学内での物語になる。すなわち、主人公達がISの実習を行っている時に謎のISが学園に現れて、騒動に巻き込まれるという形だ。あくまで偶然の結果なので、なぜか一学生に過ぎない主人公が特別扱いされるということはない。この辺りの気の遣い様は、悪い例として挙げて申し訳ないが、『ハイスクール・フリート』と見比べてみると違いがよく分かる。簡単に言うと、組織が機能しているかしていないかの差だ。当たり前だが、まともなプロ集団なら素人の高校生に援軍を頼む必要など何一つないのである。
 ところが、第十話以降の展開は、そういった大前提を覆す流れになる。ある夏の日、無人のISが暴走する事故が発生し、たまたま近くに臨海学校に来ていたIS学園が上層部の命令により対処に当たることになる。だが、不思議なことに、学園のリーダーである主人公の姉は、教員達ではなく主人公達にその役割を命じるのである。確かに、主人公達は特別な「専用機持ち」で問題解決にはより効率的だったかもしれないが、はたしてそれは適切な判断だったのだろうか。実際、主人公は暴走機との交戦により、一時意識不明になるような重症を負っている。責任問題がどうというよりも、主人公の姉の判断の甘さだけが浮き彫りになり、これまで築いてきた彼女のカリスマ性が消え失せる。例えば、専用機でなければ止められないなどのそれらしい理由を設定し、主人公達に対して頭を下げるべきではなかっただろうか。今までの地に足付いた描写に比べ、このシーンでの説明不足感は否めない。
 もっとも、この事故は、実はメインヒロインの姉にして現在行方不明中のIS開発者が遊び半分で仕組んだ物だったということが最後に判明する。そして、主人公の姉もそれに気付いていたかのような描写が入る。なるほど、本作のこういった無難さは見事である。まさしく、プロの仕事だ。

・白人酋長


 ここから先は余談になる。本作は純粋な娯楽作品であり、無闇に穿った見方をするべきではないと考えるが、あえて本作をジャンル分けするなら「白人酋長物」になる。白人酋長とは、ネイティブアメリカンの部族の生活に白人の主人公が溶け込み、最終的にはその部族の長となって白人社会と戦うという物だ。基本的にはヒューマニズムの産物であり、白人がネイティブを虐げるだけだった旧来の西部劇のセオリーを根底から見直そうという運動が生んだ物だが、結局、白人がネイティブを支配しているのだから、何も変わらないのではないかという批判もある。
 さて、本作は女性しかいない学園に男性の主人公が入学するところから始まる。この世界は、ISという女性にしか扱えない超高性能機の出現によって男女の立場が逆転しており、女尊男卑が社会通念になっている。「男と女が戦争すれば三日持たない」という台詞すら存在する。その言葉通り、当初は主人公が女子生徒にいたぶられる立場だったのだが、第二話にはもうクラスの人気者になり、最後には上記のようなハーレムを築き上げる。この一連の流れは何を指し示すのだろうか。旧来の萌えアニメは、女性を性欲の対象として物扱いする男性優位の世界がセオリーだった。それを逆転させて女性優位の世界にしたのは、ある種リベラル的な発想の産物であり、女性は物ではなく尊い存在だと訴えたいわけである。ところが、時間が経つにつれて、結局は男性主人公が女性世界を支配してしまう。この辺りにいわゆるオタクの複雑な感情が見て取れる。女性を尊敬していると同時に、心の底では支配したいと思っている。おそらく、現実社会でのコンプレックスが投影されたそのアンビバレントな感情が、本作を生み出したと考えていいだろう。
 この先、本作がどういった変遷を辿るかは分からない。が、少なくとも第一期の時点での両者のバランスはそれなりに保たれているため、大きな問題にはなっていない。それが軽薄なハーレムアニメでありながら、あまり不快感がない最大の理由であろう。ただし、この異常な状態が延々と続くなら、間違いなく先鋭化して先祖返りする。その時、本作の評価は地の底へと沈むことになるだろう。

・総論


 良い意味で無難。これと言う大きな欠点がない。後は個人の好み。

星:☆☆☆☆☆(5個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:08 |  ☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『灰と幻想のグリムガル』

生活。

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灰と幻想のグリムガル - Wikipedia
灰と幻想のグリムガルとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2016年。十文字青著のライトノベル『灰と幻想のグリムガル』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は中村亮介。アニメーション制作はA-1 Pictures。異世界に召喚された日本の少年達が一人前の冒険者として独り立ちするまでを描いた冒険ファンタジー。

・異世界ファンタジー


 ある日突然、日本人の少年少女が異世界に召喚される。そこはまるでゲームの中の世界。中世ヨーロッパ風の街並み、魔法が実在し、街の外にはモンスターがうろつき、人々はそれらを狩って生活している。召喚前の記憶を無くした少年達は、お金を稼ぐために手に手に剣を取り、義勇兵(冒険者)として生きる。本作はそんな極めてオーソドックスな異世界ファンタジーの一作である。ただ、本作が他と違うのは、彼らが冒険者として一人前になるまでの行程を一から十まで懇切丁寧に描いていることだ。これは今までありそうでなかったジャンルである。他の作品だと、特に苦労することもなく異世界に順応したり、気が付いたら一人前になっていたりする。くだらない作品だと、自称普通の少年がなぜか最初から最強でモンスターを容易く虐殺する場合もある。一方、本作は驚くほど現実的であり、ろくに戦闘訓練を受けていない彼らは、ファンタジーでは最弱の敵とされるゴブリンすら倒せない。だが、生きるためには食事をする必要があり、食事をするためにはお金が必要で、お金を稼ぐためにはモンスターを倒さなければならない。それゆえ、嫌が応にも戦う力を身に付けなければならない。そんな一人の人間の「生活」を本作は独特の柔らかなタッチで淡々と描写している。普通は省略される物をわざわざ描くことによって独自性を出すという点において、本作はかなりニッチなアニメだと言えよう。
 異世界における生活を詳細に描くことのメリットは何か、それは架空のキャラクターが生きた人間としての実在感を得ることである。アニメなどそもそも嘘の塊なのだから、大事なのリアルさではなく、如何に「それっぽさ」を描けるかである。そのためには、登場人物がその世界の中でちゃんと生きていると思わせることが何よりも重要だ。我々と同じように、良いことがあると喜び、哀しいことがあると落ち込み、美味しい物を食べると満足して、夜はぐっすりと就寝する。そういった何気ない日々の生活を描くことで、ぐっと親近感が増す。「食べ物が美味しそうなアニメは良作」などと言われるのも同じ理由である。
 なお、なぜ彼らが異世界に召喚されたのかや召喚される前は何をしていたのかなどの疑問は、劇中では一切触れられない。これは賛否の分かれる点だと思うのが、個人的には支持したい。なぜなら、本作が訴えようとしているテーマには全く不要だからだ。それなら、最初から触れないようにするという判断は決して悪くない。もちろん、いつかは解明しないといけない謎ではあるのだが。

・命


 異世界に召喚された主人公は、とりあえず周りにいた人々と六人でパーティーを組み、見よう見まねで冒険者稼業を始める。だが、付け焼刃の戦闘スキルではゴブリンすら倒すことができない。当然、今日の生活費にも事欠き、困窮に喘ぐ六人。結局、初めてゴブリンを倒すことができたのは第二話、劇中の時間で言うと二週間以上も後のことだった。
 さて、その初めてのゴブリン退治だが、本作は演出として非常に凄惨に描いている。ほとばしる血飛沫。断末魔の咆哮。画面越しに痛みや苦しみが伝わるぐらい生々しい。それも六対一という卑劣な状況。最早、モンスター退治などという生易しい物ではなく、明らかな「殺戮」である。これはもちろん意図的にそうしている。理由は命の重さを描くことで、生きることの罪深さを強調するためだ。例えば、ゴブリンが悪の魔王の尖兵で、倒さなければ世界が滅ぶというなら話は簡単だ。遠慮なくぶちのめせばいい。しかし、本作のゴブリンには何の罪もない。普通にそこで暮らしているだけだ。それを自分達の生活のために命を奪うというのは、劇中の言葉を借りるなら「ゴブリンから見れば自分達が侵略者」である。善か悪かを問われると間違いなく悪だろう。だが、我々が普段口にしている牛や豚にも何の罪もないわけである。でも、彼らを食べないと生きて行けないから仕方なく殺す。本作は生き物の死を精細に描くことで、そういった誰かの犠牲の下に生きさせてもらっているという人間の「業」に真正面から切り込んだ作品である。
 正直、これを本当にアニメでやるべきだったかどうかは答えに窮する。アニメはすべからくエンターテインメントであるべきだ。子供も見ている。偏った思想を押し付けるプロパガンダアニメほど怖い物はない。しかし、おそらく、このシーンはアニメーション技法でしか描けない。小説や漫画ではこの凄惨さは表現できないし、実写だとただのグロテスクなホラームービーになる。程良い省略と程良い誇張という特徴を持つアニメだからできることだ。そういう意味では、批判を恐れず新しいことに挑戦した本作には大きな価値があるのではないだろうか。少なくとも、異形の怪物だから平気で殺していいという思想のアニメの方が危険であると信じたい。

・パーティー


 こうして、少しずつ冒険者稼業にも慣れてきた主人公達六人だったが、ある日、油断が招いた不幸な事故によってパーティーリーダーの少年を失ってしまう。彼はパーティー唯一の回復職であると同時に、聡明かつ冷静沈着で面倒見が良く、皆の頼れるまとめ役だった。残された五人の間に深い悲しみが訪れる。例の如く、本作はそういった感情を何話もかけて淡々と丁寧に描く。誰かの命を奪って生きているということは、当然、自分達も殺される可能性があるということ。つまり、生きるということは「命のやり取り」をすることである。そんな現代人が皆忘れている事実に、アニメという媒体を通じてもう一度正面から向き合う。本作のそういうところは最後まで徹底している。
 その後、リーダーの穴埋めに新しい女性神官がパーティーに加わる。しかし、彼女は協調性を著しく欠いており、全く五人に馴染もうとしない。その結果、パーティーに亀裂が生じて、人間関係がギスギスする。元々、その場の成り行きで組んだ即席パーティーだったため、全員が同じ趣味趣向の仲良しグループという訳ではない。ただ、求心力のあるリーダーがまとめてくれていただけだった。今まで生きるのに必死で半ば意図的に気付かない振りをしていたこの問題に、五人は改めて直面する。なぜパーティーを組むのか、なぜこの六人でないといけないのか、それを主人公の目を通して見ていくのが後半のストーリーになる。
 元々、新メンバーは明るい女の子だった。しかし、以前所属していたパーティーで自身のミスにより仲間を三人も殺してしまい、それがトラウマとなって今のような性格になった。そこで、主人公は彼女の心の闇を取り除くため、かつての悲劇の舞台となったダンジョンでの狩りを提案する。その結果、パーティーに様々な問題が紛出するが、新リーダーとしての自覚が芽生え始めた主人公は、悩みながらも一つずつ問題を解決していく。戦いにおいて仲間が重要なのは当たり前だが、その当たり前のことをもう一度問い直すのが本作のテーマ。人間の性格は十人十色、良い奴もいれば嫌な奴もいる。そのことを認め、変えられる部分は変え、受け入れられる部分は受け入れ、順応する。そして、新メンバーの仇との戦いを通じ、六人は本当に掛け替えのないパーティーになっていく。

・欠点


 このように本作は非常によくできた作品であるが、だからと言って、全く欠点がないという訳ではない。まず、誰しもが目に付くであろうことは、主人公達が冒険者にならざるを得ない動機が薄いということである。劇中では、一人前の義勇兵にならなければ生きて行けないとやたら脅迫的に話が進むが、別に農家でも職人でもお金を稼ごうと思えばできるはずだ。ここをしっかりと煮詰めないと後の「命のやり取り」の意義が薄れてしまうため、村の掟でも宗教的教義でも何でもいいから、適当な理由をでっち上げるべきだった。これらやステレオタイプなキャラクター造形なども含めて、本作はやはりどうしても「ゲーム的」である。異世界に召喚されたというより、テーブルトークRPGやオンラインRPGの世界の中に取り込まれたといった方が正しい。せっかくキャラクターに現実感を持たせようと頑張っているのに、自らハンデを課す必要もあるまい。
 ストーリー的もおかしな点がある。ラスト、新メンバーの仇である強敵モンスターを倒してハッピーエンドを迎えるのだが、その方法は主人公が謎の力を用いて一人で討伐するという物だった。それは仲間との絆という後半のストーリーテーマと矛盾する。謎の力自体はちゃんと劇中でも説明されているし、今後の伏線になる物だが、今まで散々パーティー六人の協力の大切さを訴えてきたのに、最後の最後に一人で倒してしまっては意味がない。主人公の成長を描きたいのかパーティーの成長を描きたいのか、もう少し物語の軸を一つに絞るべきだっただろう。
 最後に、これが一番の欠点になるかもしれないが、「演出がくどい」ことだ。本作は事あるごとに感動的な挿入歌をバックにして情緒的なシーンを流す。それもかなりの長時間。ただ、それを初めてゴブリンを退治した後やリーダーが死亡した後にするのは分かるのだが、お墓参りやただの休日にもするのはさすがにくどい。あまりセンチメンタルになり過ぎると、他者の命を奪って生きるという人間の業まで否定しかねない。パーティーメンバーの一人がいきなりベジタリアンになったら、この物語は成立しないだろう。それゆえ、ナイーブさとある程度のドライさのバランスを取らなければならない。

・総論


 ニッチアニメなのでどうしても評価が甘くなるのは否めないが、やりたいこととやるべきことがはっきりした良作。できることなら、もう少しゲーム的な要素を減らして異世界の創造に注力して欲しかったところだ。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆(8個)
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