『ローリング☆ガールズ』

自主制作映画。

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・はじめに


 2015年。オリジナルテレビアニメ作品。全十二話。監督は出合小都美。アニメーション制作はWIT STUDIO。女子高生達が人助けのためにバイクで全国を旅するロードムービー風青春ドラマ。先に断わっておくが、『ばくおん!!』ではない。

・ギャグ


 本作は荒唐無稽さを売りにしたドタバタ系のギャグアニメである。毎度のことながら、ギャグは面白いと思う人とそうではない人の振り幅が大きいため、それ自体には言及しない。ただし、ギャグを生み出す物語構造に関しては明確に良し悪しを付けられるため、そちらをメインに論述する。
 突然だが、長野県と静岡県の境にある兵越峠では、毎年、お互いの領土を賭けて両住民による綱引き大会が行われる。その綱引きで勝った方が、国境を相手側に1メートル動かせる権利を得る。本作のベースになっているのは、こういった「くだらないことに大真面目に取り組むローカルの面白さ」である。そのため、十年前に日本国内で大規模な内戦があって、各県・各地域が国家として独立し、モサと呼ばれる超人達が国を代表して戦っているというハチャメチャな世界観を採用している。それは良い。ただ、残念ながら、本作はこの奇想天外な設定を十分に活かしているとは言い難い。国同士の戦いだったはずが、いつの間にか国内の内輪揉めに終始し、終盤には宇宙人や巨大ロボットまで登場して、ローカルとは程遠い場所に着地する。何より、ギャグにしようという意識が強過ぎて、肝心の「大真面目」という点がおざなりになり、結果的にただの「悪ふざけ」になってしまっている点が多々存在する。これは、制作者自身がこの作品の特色が何であるかを正確に把握できていないのが原因だ。ちゃんと設定に沿って作っていれば、ギャグに頼らなくとも十分に面白いコメディーになっただろう。
 また、荒唐無稽であることと支離滅裂であることは違う。ましてや、荒唐無稽を手抜きの言い訳に使うのはご法度である。だが、本作は、特に後半にかけて思い付いた物をただ詰め込むだけの適当な作劇になっていく。離れた距離を一瞬で移動する。知らないはずの場所をなぜか知っている。偶然と言うには無理のある確率で人と人が出会う。ボケ役かツッコミ役か分からない主人公。唐突な仲違い。死の危険に直面しても避難しない観客。謎の機械で勝手に他人の記憶を覗く。まるで予言者のように未来に起こることを知っている登場人物。特に、第九話以降は視点が複数に分散して、単純に訳が分からなくなる。確かに、ドタバタコメディーは視聴者の予想を裏切れば裏切るほど面白みを増すが、何の考えもなしにただ並べればいいという物ではない。むしろ、コメディーにこそ高度な計算が必要なのだということを本作は教えてくれる。

・ストーリー


 「日本全国で人助けを行っている所沢のご当地ヒーローと、彼女を敵視する東村山のライバルとの直接対決」という恐ろしくどうでもいいエピソードで本作は幕を上げる。しかも、十分程度で終わりそうなその与太話を第二話のラストまで延々と引き延ばす。それゆえ、実質的にストーリーが始まるのは第三話、ご当地ヒーローがケガをしてしまったことで、彼女に憧れる主人公が代わりに人助けの旅に出てからだ。ただ、この辺りの事情が非常にあやふやで分かり難い。主人公は何の力もない普通の女子高生なので、ヒーローの代行任務は明らかに分不相応であるにも係わらず、周りの大人達は当たり前のように彼女を後押しする。一緒に旅をすることになる友人達も、これと言って深い背景もないまま、気付けば仲間になっている。ありとあらゆる行動に必然性がなく、全てをその場の流れや勢いで処理しているに過ぎない。ここからも分かるように、本作の最大の欠点は「物語の目的がない」ことである。主人公は現状に何の不満も悩みもない普通の女子高生で、何かをやりたい・何かになりたいという目標もなければ、自分で夢を探そうともしない。そのため、口とは裏腹に、ただ淡々と仕事のように人助けをこなすだけだ。視聴者にとって、最終的な到達地点が分からない物語を見続けることほど苦痛な行為はない。画的には何やら盛り上がっているようなので尚更だ。
 さて、肝心のストーリーの内容だが、基本的にはお涙頂戴系の人情物であり、それ自体はよくできている。ただし、主人公の役割が非常に希薄なのは頂けない。きっかけ程度ならまだいい方で、ただの使いっ走りで終わる回も多々ある。東京編などは、問題の発生から解決まで全てゲストキャラクターが一人で担ってしまうため、主人公の存在する意味がまるでない。本作は旅番組ではなく、青春ドラマだったはずだ。また、キーアイテムである「月明かりの石」の取り扱いが極めて杜撰で、物語全体を支えるだけの力がない。貴重なようで貴重ではなく、パワーを持ってそうで持っていない。最終的には心の光のような観念的な物になってしまう。それならそれで「皆が躍起になって集めていたが、実はただの石ころだった」とするべきではないか。明らかな設定の練り込み不足である。
 なお、物議を醸したラストシーンだが、元の星へ帰る時に時間を遡るという伏線を事前に入れているので、一応は理に適っている。だからと言って、納得できるわけではない。単なる設定不足と描写不足であって、それ以上でもそれ以下でもない。

・THE BLUE HEARTS


 本作は、八十年代後半から九十年代前半にかけて活躍したバンド「THE BLUE HEARTS」の楽曲をモチーフにして作られたアニメである。それは主題歌やBGMだけでなく、サブタイトルや劇中の台詞にも用いられ、作品全体を通してのコンセプトになっている。すなわち、THE BLUE HEARTSの精神を尊重し、よりTHE BLUE HEARTSらしくあることが本作を評価する一番のポイントになるということである。
 THE BLUE HEARTSの特徴は何かと言うと、一般的に暴力・快楽・破滅といったネガティブなイメージを持たれがちな「パンクバンド」でありながら、堂々と『人にやさしく』と歌い上げた点である。他のパンクバンド同様に反権力・反体制のスタンスを保ちつつ、理不尽で情け容赦のない社会を憂い、弱者の目線で己の自由のために頑張る人にエールを送る。その言葉には飾り気がなく、ありのままの感情をストレートに表現しているため、心のずっと奥の方に響く。だからこそ、彼らは当時の若者、特に男子中高生の絶大な支持を集めた。彼らの歌が、まさに校則や恋愛、受験戦争やスクールカーストなどに苦しむ中高生達の「放課後の憂鬱」を代弁していたからだ。
 では、本作はどうだろうか。まず、深夜アニメのセオリー通り、主人公は女子高生に変更されている。彼女は仲の良い両親がいる幸せな家庭で何不自由なく育ち、それゆえ世の中に対して何の不平不満も抱いていない。これと言って悩みもコンプレックスもなければ、将来に対する不安や人間関係の軋轢もない。それ以前に学校の描写が全くない。そんな恵まれた自称「普通の女の子」が、仲良しの先輩に憧れて人助けの旅に出る。確かに、それは『人にやさしく』の歌詞通りではあるのだが、そういったトップダウンのボランティア活動が、はたしてTHE BLUE HEARTSの精神と合致するだろうか。そもそも、本作の登場人物は全員が体制側の人間であり、住民の意向を無視して勝手に国の形を決めている。主人公達の旅費の出どころはおそらく税金だ。また、挿入歌の使い方にしても、抑圧からの解放を描いた名曲『TRAIN-TRAIN』をバイクレースのBGMに使用したりしている。まさか、歌詞の「走って行け」を額面通りに受け取ったのではあるまいか。
 このように、本作はTHE BLUE HEARTSはおろか、中高生の青春すら表現できていない。自分が普通であることを確認して安心しているだけだ。時代がそのように変化したのか、それとも作り手が薄っぺらい学生生活しか経験していないのかは分からないが、かなり致命的である。鬱屈した感情が何かのきっかけで爆発する青春の輝きを描いて、初めてTHE BLUE HEARTSを題材にしたドラマだと言えるのではないだろうか。

・青春


 結局のところ、本作は絶望的なまでの作品としての「底の浅さ」をノリと勢いと良質のバトル作画で誤魔化した作品である。ストーリーは無茶苦茶で、まるで整合性が取れていない。キャラクター造形は陳腐で、何の活躍もせずに自己満足する。訴えたいテーマもなければ、それらしく見せる技術もない。皮肉なことに、その欠点はTHE BLUE HEARTSをモチーフにしたせいで、かえって目立ってしまっている。そんな物を持ち出さなければ、よくあるドタバタ系ギャグアニメの一つで終わったかもしれない。では、なぜ本作はTHE BLUE HEARTSを題材にしようと思ったのか。青春と言えばとりあえずブルハといった浅慮な考えがあったのだろうか。まぁ、きっと、バブル世代の製作が上から押し付けたといった辺りが真実なのだろう。
 この手の勢いだけの浅薄な作品から連想されるのは、やはり、学園祭などで映画研究部が上映する「自主制作映画」である。アニメファンなら『涼宮ハルヒの憂鬱』の第二期を思い返してもらうと、より具体的に想像し易いだろう。志は高いがまともな機材がなく、それを補う技術も経験もない。だが、情熱だけは人一倍で、若さに任せて突っ走る。実際、本作の監督は、これが初のオリジナル作品となる新進気鋭の若手女性演出家である。それなら、最高の素材を粗雑に扱った理由も何となく理解できる。こう書くと誤解されそうだが、もちろん、女性だからダメというわけではない。日常系アニメなどは女性的な感覚を前面に出した方が良い物が生まれる。だが、本作はあくまで男性向け青春ドラマであり、男性的な感覚が必須である。何の悩みもない可愛らしい女子高生が、同年代の友達と一緒にのんびりと全国を旅して周り、適当に人助けをして良かったねと互いを褒め合う。こんな流行りのスイーツのような表面的な物語では、男性視聴者の心に刺さらない。半年もすれば忘れ去られるのがオチだ。
 ただ厄介なのは、この手の作品は必ずと言って「批判した方が悪者になってしまう」ことである。どうしても「若者の夢を邪魔する老害」という構図になって、それこそTHE BLUE HEARTSの精神に反してしまう。物語の整合性がどうした。キャラの弱さがどうした。若いパワーで楽しく作っているからいいではないか。こういった意見に対する反論は難しい。ならば、批判ではなくエールを持って、本作の論評を締めさせて頂こう。がんばれ!

・総論


 日本やべーな。

星:★★★★★(-5個)
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『ブラック・ブレット』

ダイジェスト。

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ブラック・ブレット - Wikipedia
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・はじめに


 2014年。神崎紫電著のライトノベル『ブラック・ブレット』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は小島正幸。アニメーション制作はキネマシトラス、オレンジ。謎の怪物の襲撃を受けた近未来の日本を舞台に、呪われし運命を背負った少年少女が戦うアクションファンタジー。bullet(弾丸)の読み方についてだが、よりネイティブに近い発音は「ブリット」になる。よく日本で使われる「バレット」は基本的には正しくない。

・設定


 う、うーん……。いや、やりたいことは分かるし、やっていることも決して間違っていない。キャラクターデザインもいいし、作画も丁寧で、演出も悪くない。好きか嫌いかで言うと、かなり好きな部類のアニメではある。ただ、非常に残念なことだが……出来は悪い。
 設定は甘い。もっとも、それは説明不足・描写不足が主たる原因なので、破綻はしていない。十年前、「ガストレア」と呼ばれる虫型の怪物が突然大挙して現れ、東京の街は壊滅的な被害を受けた。人々はガストレアの嫌う「バラニウム」という黒い鉱石で街を覆うことによって、何とか生き長らえた。十年後、一応の平穏を取り戻した東京では「呪われた子供たち」と呼ばれる十歳以下の少女が社会問題になっていた。彼らは生まれながらにしてガストレアウイルスに感染し、人間離れした驚異的な身体能力を持っている。そこで、呪われた子供たちを対ガストレア用の生体兵器として利用する「民間警備会社」が生まれ、金儲けのために怪物の鎮圧に当たっていた。主人公は小さな民間警備会社に所属する男子高校生。彼は十年前、大けがを負ったことで人体実験の被験者になり、体の半分をサイボーグ化していた。本作はそんな主人公と相棒の呪われた子供が東京の街を救うために戦う物語である。
 未知の怪物に襲われたことでパラレルワールド化した日本を舞台にした作品は、深夜アニメ界隈では定番ネタである。それらに共通して見られる問題は、このような異常事態にも係わらず「都市生活が正常に機能している」ことである。本作も、周囲を怪物に取り囲まれて隔絶された状況なのに、なぜかインフラも経済も滞りなく、まるで我々の世界の延長線上にあるかのように平和にのんびりと暮らしている。これは間違いなく大きな設定上のミスである。ただし、本作はある一点を殊更に強調することによって、そのミスを覆い隠すことに成功している。それが「呪われた子供たちに対する差別」である。敵であるガストレアのウイルスを宿した子供達を市井の人々が忌み嫌い、激しい憎悪と暴力を間接的・直接的にぶつける様子を、包み隠さず執拗なまでに描いている。平和そうなのは見た目だけで、実際は常に死の恐怖に怯えている。そういった人間の持つ光と闇の二面性を描くことで、世界が抱えている潜在的な恐怖心と異常性を演出している。これは上手い。この点に関しては、本作は他のアニメと一線を画しており、素直に称賛されるべきである。

・高速展開


 では、本作の何が問題かと言うと、それは異様なまでに「展開が早い」ことである。いや、早いというレベルではない。高速である。ウサイン・ボルトである。
 例えば、第一話。怪物退治に出かけた主人公は、事件現場で仮面を付けた謎の人物と出会う。彼は世界に混乱をもたらそうとしている凶悪なテロリストだった。さて、このシーンが第一話の後半や第二話で描かれたのなら何も問題ない。ところが、本作はそれを第一話冒頭の最初のシーンでやるのである。その時点では、まだ視聴者は民間警備会社の役割や仕事が何も分かっていない状態なのだから、まずは日常業務を見せて、彼らがどういった生業の人間なのかを示さなければならない。だが、本作は最初の仕事と同時にラスボスまでも出してしまうため、何が何だか分からないまま話が進む。その後も怒涛のように展開が押し寄せ、次々と新しい人物が登場しては、新しい事実が明らかになる。仮面の男は自分の足で主人公達の前に現れて、自分の口で自己紹介をする。主人公とヒロインが一緒に暮らし始めた頃の思い出話という、主人公の思想の根幹を成し、本来なら独立した回にすべき重要エピソードも、十秒ほどの短い回想シーンで処理してしまう。この一ヶ月一万円生活のような無駄の無さは、別の意味で芸術的だ。もっとも、他の三流アニメだとそもそも描かれなかったりするので、あるだけましなのだが……。そして、ドーピングを使って仮面の男を倒し、続けて現れた怪物も倒し、ついでに黒幕も倒したことで、第一部はたったの四話で終了してしまう。最低でも六話、できれば1クールかけてじっくりと描きたいところだ。
 なぜ、このような残念な事態になってしまったのか。詳細は分からないので推測に頼ることになるが、おそらくアニメ化に当たって1クール分しか放送枠を確保できず、続編の制作も見込めないため、無理やりにでも全十三話でストーリーを収めようとした結果の高速展開なのだろう。つまり、制作ではなく製作の判断の問題である。ただ、第一部だけをアニメ化することや、ストーリーを改変して尺を上手く調整することもできたはずで、その判断には疑問符を付けざるを得ない。実際問題、短い時間に多くの物を詰め込んだせいで、作品としての完成度が著しく低下したのは紛れもない事実なのだから。ただ単に原作小説を宣伝するためのアニメ化か、それともアニメ文化の発展に少しでも貢献する気持ちがあるのか、今一度原点に立ち返ってその点を見つめ直して欲しい。

・主人公


 こういった外的要因によってダメになってしまった作品の粗探しをしても仕方ないので、できる限り良い点を褒めることにしよう。では、本作の良点は何かと言うと、やはり、それは「主人公」になるだろう。
 本作の主人公は、基本的には他のライトノベル原作アニメと同様で、普段はぼんやりとしているが、いざという場面になると急に人が変わったようにヒーロー的な活躍をし、ヒロインが理不尽な扱いを受けるとすぐにキレて、誰彼構わず熱い啖呵を切るタイプの人間である。ただ、彼が他の主人公と違うのは、人体実験の材料にされて人ならざる体になってしまったという重い過去を持っていることや、人々から差別を受ける呪われた子供たちと一緒に暮らしていることで、世の中の不正を人一倍憎む心を有している点である。そして、その思想は最初から最後まで一貫して変わらない。常に弱き者の側に寄り添い、強き者に立ち向かう。他のアニメにありがちな、何の苦労も何の努力もしていないのに、なぜか世の中全てが分かった振りをして、上から目線で他人に説教するような人間ではない。つまり、地に足が着いているということだ。だからこそ、彼の発言には説得力があり、己の理想を実現するために体を張って突き進む背中を素直に応援することができる。確かに、それは子供じみた暑苦しい正義感かもしれないが、いい歳した大人が必死になって否定するようなことでもない。特に、本作は中高生をメインターゲットにしているため、こういった主人公こそが相応しい。
 また、主人公は超人的な能力を持っているが、決して無敵という訳ではない。敵はそれ以上に強力なため、劇中ではむしろ敗北を喫することの方が多い。あれだけ大口を叩いておいて呆気なく敗れるのだから、その姿は明らかに「かっこ悪い」。だが、本作の主人公はどんなに無様にやられても決して諦めず、ボロボロになりながら何度も立ち上がって敵に戦いを挑む。その姿は間違いなく「かっこいい」。『聖剣使いの禁呪詠唱』の項目と見比べてもらうとよく分かると思うが、本当のかっこ良さを描くためにはある程度のかっこ悪さを同時に描かないといけないのだ。全く痛みを知らず、すました顔で敵を惨殺するような人間はただの兵器である。兵器に自分自身を投影できるほど人間は愚かではないし、そんな作品が世間に受け入れられることはない。

・ダイジェスト


 第五話からは第二部が始まり、激動の第一部に比べると本作はやや落ち着きを見せる。だが、それでも一般の作品と比べると全体的なテンポは早い。その理由の一つとして、本作に登場する人物が皆、その場の状況を把握する「理解」と事件の真相を言い当てる「推理」と今後の目標を定める「決断」が異様に早いことが挙げられる。これらが遅いとただの頭の悪いアニメになってしまうが、だからと言って早過ぎるのも考え物だ。あまりにもサクサクと話が進むため、まるで超能力者しか住んでいない世界に迷い込んだかのような錯覚に襲われる。
 第八話以降の第三部もその流れを引き継ぎつつ、最終話へ向けて加速度的にスピードを上げていく。特に、最終話は目に見えて放送の尺が足らず、激安タイムセールのような詰め込みっぷりを披露する。紛失したバッテリーの伏線はあっさりと消化され、せっかく集めた八人の仲間は活躍の場すらない。あっと言う間に命懸けの決断をし、あっと言う間に最強の敵は倒される。それで終わりかと思ったら、突然場面が切り替わり、民間警備会社の女社長と実は事件の黒幕だった彼女の兄との対決シーンが描かれる。すると、なぜか二人で決闘をすることになり、それに勝利した社長が闇落ちしたところでいきなりストーリーが終了する。意味が分からない。はっきり言って、この対決シーンには物語的な必要性をほとんど感じない。この分の尺を使えば最終決戦をもう少し盛り上げることができたはずだ。ただ、原作通りにストーリーを進めようと思うと、社長の闇落ちは必須になる。この辺りのジレンマが歯痒い。どうせ続編などあり得ないのだから、ばっさりとカットしてしまっても構わないと思うのだが。
 このように、本作は製作の都合によって、まるでダイジェストムービーのようになってしまった不幸な作品である。ただ、内容自体はちゃんと地に足が着いた熱い青春物であり、中高生向けアニメとして十分なクオリティを保っている。こういった作品をどう評価すればいいのか判断に迷う。本来あったであろう形に戻せば間違いなく高評価なのだが、そんな物はこの世のどこにもない。そもそも、ダイジェストムービーを批評する文化などあり得るのか? ゆえに、深夜アニメ業界の特殊性とそれを取り扱うことの難しさを強く実感する。

・総論


 個人的には好きな作品。こういう物だと割り切れば、面白い。

星:☆(1個)
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