『有頂天家族2』

二代目の苦悩。

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有頂天家族とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2017年。森見登美彦著の小説『有頂天家族 二代目の帰朝』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は吉原正行。アニメーション制作はP.A.WORKS。京都洛中を駆け回る狸達を描いたシリーズ第二段。エンディングムービーは各シーンを弁天目線で描き直した物、早い話がネタバレである。

・第二期


 本作のコンセプトは、前作に引き続き「阿呆(あほう)の代名詞である狸の、その中でも特別に阿呆な主人公が巻き起こすドタバタな日常を面白おかしく描く」である。人間は誰しもが適当にのんびり暮らしたいと思っているが、様々な生活の柵によって自分自身を偽って生きている。時には狸以上に平気で他人を化かす。そんな人間の馬鹿らしさを自由気ままな狸の目を通して見て行こうというのが本作の趣旨である。「面白きことは良きことなり!」が全体の共通メッセージになっており、風光明媚な京都の町を舞台に天狗と狸と人間の阿呆な化かし合いを情緒豊かに描いている。
 ただ、この第二期は、前作に比べるとより無節操なドタバタ感が強く、終始、締まりのない作品になってしまっている。偽右衛門選挙と金曜倶楽部の忘年会という縦軸がしっかりと通っていた第一期と違って、何をやりたいのかがいまいちはっきりしない。ストーリー一つ取っても、主人公が偽右衛門選挙の立会人に二代目を指名したことや、敵役である夷川早雲の動きなどにやや強引さを覚える。前者にしても、二代目を推挙すれば弁天が怒るのは目に見えていたはずである。いくら「波風立てるぜ」と歌にしたところで、無理やり立てればいいという物ではない。後者にしても、どう考えても死んだようにしか見えない演出は如何な物か。よしんば主人公は騙せたとしても、実の娘までは騙せないだろう。それゆえ、もう少し無理なく話を進められるような伏線か何かが事前に必要だったのではないだろうか。
 そして、二代目である。第二期からの新キャラクターである彼は、主人公の師匠に当たる天狗・如意ヶ嶽薬師坊の二代目で、正真正銘の天狗である。ところが、彼は第一話において華々しく登場するにも係わらず、その後は積極的にストーリーに絡んで来ようとはしない。なぜなら、彼は基本的に争い事を好まない冷静沈着な性格であり、しかも、過去の諍いによって天狗であることに嫌気が差し、物見遊山を決め込んでいるからだ。そのため、第二話以降はその他大勢の中に埋没し、重要な役どころを担うと予想していた視聴者は総じて肩透かしを食らう。ストーリー的に仕方ないとは言え、タイトルにもなっているのだから、もっと彼は話の中心にいてもいいのではないだろうか。

・原作との違い


 本作は人気小説の第二作目をアニメ化した作品である。基本的な流れは原作と全く同じなのだが、尺の都合上、削ったり順番を入れ替えたりしたシーンが幾つか存在する。それが同時にアニメ版の特徴になっている。
 前半はかなり飛ばし気味で、多くのシーンが本編から削られている。そのため、前後の繋がりがおかしなポイントや、説明が不足している登場人物などが多数存在する。特に、呉一郎という新規キャラクターがその煽りを一番受けており、原作を読んでいないと設定を理解するのはかなり難しいだろう。他に目立つ変更点と言えば、第二話~第五話のエピソードの順番が入れ替わっていることが挙げられる。具体的に言うと、将棋に関する事項は全て後に回され、量自体も大きく減らされている。その考えられる理由としては、主要キャラクターである弁天の登場をできるだけ早くして、視聴者に重要性を強くアピールするためだろう。第三話で登場するのと第五話で登場するのとではインパクトがまるで違う。つまり、わざと順番を入れ替えることによって、この作品は弁天の物語だということを示しているわけである。
 後半は原作とほぼ一緒だが、最終話だけは大きく変更されている。弁天と二代目の戦闘シーンを詳細に描くのはさすがアニメーションの真骨頂と言うべきだが、その後の主人公と弁天の切ない会話はあっさりと流され、本来は中盤のエピソードであった主人公と許嫁の微笑ましい会話を最後に持ってきている。これも意図は明確だ。主人公と弁天という「狸と人間」の関係よりも、主人公と許嫁という「狸と狸」の関係の方が大事だとアニメ版の制作者は言いたいのである。だが、それでは前半の順番変更と矛盾する。この作品は弁天の物語ではなかったのか。そもそも、本シリーズはあらかじめ全三部作であると明言されており、この第二期はクライマックスへの繋ぎの物語である。それならば、狸と狸の関係は第三期に回し、この第二期では狸と人間の関係をしっかりと描くべきではなかっただろうか。正直なところ、この改変はアニメ版制作者の勇み足に思える。原作に思い入れがあり過ぎるがゆえの失態だ。もっとも、必ずしも第三期を作れるとは限らないので、難しい判断ではあるのだが。

・二代目


 本シリーズにおいて重要な位置を占めるキーワードが「二代目」である。主人公の父親は今は亡き先代の狸界の長こと偽右衛門であり、その名を洛中に轟かせていた。主人公達兄弟はそんな偉大な父を心から尊敬し、父のようになりたいと日々努力している。だが、阿呆の血が災いし、いつまで立っても彼に追い付けそうにない。偉大な先代を持った二代目の苦悩、それが本作のテーマの一つとなっている。
 第二期では、そんな主人公達のカウンターパートとなる人物が登場する。それが如意ヶ嶽薬師坊の二代目である。彼もまた偉大な父を持つ二代目(※血は繋がっていない)だが、かつて一人の女性を巡って父子で悶着を繰り広げた結果、今では父を殺したいほど憎んでいる。その一方で天狗その物に嫌気が差し、「私は天狗ではない」と言い張って悠々自適の生活を続けている。彼は落ちぶれた父親を見て一笑し、「殺すまでもない」と言い放って引き下がる。父を心から敬愛し、父のようになりたいと思っている主人公とは正反対である。似たような境遇でありながら、育ち方一つでここまで考えが変わるのは面白い。ただし、受け入れるにしても拒絶するにしても、結局は父の存在を意識していることには変わりない。彼の優雅な生活を支えている財力は、おそらく天狗の力を使って手に入れた物であろうことは想像に難くないのだから。天狗であることを拒否するなら、全ての力を捨てて人間として生きなければならない。どうせ逃れ得ぬ運命ならば、父と同じ道を歩み、父を追い越して初めて本当に精神的に自立したと言えるだろう。それゆえ、薬師坊は戦いで傷付いた息子に向かってこう告げるのである。「悔しければ強くなれ」と。
 また、本作のラスボスが主人公の叔父であることも興味深い。つまりは、一代目と二代目の世代間の争いである。時代は移り変わる物だ。旧世代がいつまでものさばっていては、決して世の中は進歩しない。子供はいつの日か親を打ち倒す物である。そういった生き物が何万年も続けてきた営みを、狸の頭領を決める偽右衛門選挙という形で本作は描いている。偽右衛門を目指す主人公の兄と叔父との対決、つまり、子供の夢を邪魔する大人という構図である。そうなると、子供の側を応援したくなるのは自然の摂理。本作が幅広い世代に親しまれている理由の一つがそれだろう。

・弁天


 さて、本題に入る。本作の主役は、誰が何と言おうと弁天である。主人公は物語の中心に立って全方位に波風を起こすトリックスター的存在であるが、彼はあくまでも狸、我々とは違う世界の生き物だ。一方、弁天は数少ない人間のキャラクターであり、様々な業を背負って生きている人間の儚さを象徴している。それゆえ、本当に視聴者の分身となり得るのは、主人公ではなく彼女である。
 本作において、弁天は如意ヶ嶽薬師坊の二代目と二回戦い、二度共敗れている。物語のセオリーに従えば、通常は二度目に勝利、最低でも何らかの爪痕を残す物だ。だが、本作では彼女は二度にも渡って無残に敗退し、ボロボロに傷付いている。そこに作者の強いメッセージが見て取れる。ここで今一度、彼女の生い立ちを振り返ってみると、如意ヶ嶽薬師坊にさらわれるまで彼女は汚れを知らない純真な少女だった。だが、天狗の能力を身に付け、己の中に眠る天狗的才能に気付いた時、彼女は性格を一変させる。人を人と思わない傲岸不遜な性格になり、金曜倶楽部に加入して傍若無人に振る舞う。そして、人間でありながら天狗になろうとする。だが、その鼻っ柱を本物の天狗が叩き折る。すなわち、弁天はどこまでも普通の人間であり、どんなに頑張っても本当の天狗にはなれないということだ。言い換えると、彼女の生き方は間違っているのだと作者は物語のセオリーを無視してまでも訴えたいわけである。
 本作が他の作品と違うのは、本人が最もそれを理解していることである。劇中で直接語られることはないが、そのヒントはあちこちに残されている。だが、一度走り始めた車を止めることはできない。心の底では元に戻りたいと思っていても、このまま天狗への道を突き進むしかない。そのため、彼女は自由気ままに生きている狸に羨望と共感を抱いている。そこに来て今回の事件である。彼女は言う。「私って可哀想でしょ?」。主人公は思う。「弁天に必要なのは私ではない」。彼女の側にいるべきなのは狸でも天狗でもなく、道を正してくれる人間である。それを担うべき人材は第二期には出て来ないが、はたして第三期はどうなるだろうか。心して待ちたい。

・総論


 ドタバタと見るか、バラエティ豊かと見るか。実に三部作の二作目らしい作品。魅力的な女性キャラクターが多数登場する点は、良いセールスポイントだが。

星:☆☆☆☆☆☆☆(7個)
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by animentary  at 11:17 |  ☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『すべてがFになる THE PERFECT INSIDER』

理路整然。

公式サイト
すべてがFになる - Wikipedia
すべてがFになるとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。森博嗣著の小説『すべてがFになる』のテレビアニメ化作品。全十一話。監督は神戸守。アニメーション制作はA-1 Pictures。大学教授と女子大生が孤島の研究所で起きた密室殺人の謎に挑むミステリー。人気小説家・森博嗣のデビュー作にして、「S&Mシリーズ」の第一巻。2014年にはテレビドラマ化もされている。ミステリーなので、基本的には文中でネタバレを行わない。基本的には。

・謎解き


 良きミステリーの条件は何だろうか? 手前味噌ながら申し上げると、それは三つあると考える。一つ目は「謎解きが斬新であること」、二つ目は「ヒントの出し方が的確であること」、三つ目は「心理描写が優れていること」。この中で最も重要なのは、当然、一つ目の「謎解きが斬新であること」だろうが、それは同時に最も批評の難しいポイントである。なぜなら、斬新であると評価するには、世のミステリーの謎解きを全て知っておく必要があるからだ。そのためには相当なミステリーマニアでなければならず、門外漢の素人には難しい。それゆえ、ここではあくまで「おそらく斬新であろう」という体で話させて頂くことをご了承願いたい。
 本作は古式ゆかしい「密室殺人」を取り扱ったミステリーである。密室ミステリーの肝は、何と言っても「犯人がどうやって密室に侵入し、どうやってそこから脱出したか」だ。古今東西、多くのミステリー作家が取り組んできたこの命題に対し、本作の作者はある斬新なトリックをメインに据えることによって比類なき独自性を主張している。いや、トリックのアイデア自体はさほど珍しくはないのだが、あまりにも非現実的過ぎて公の場ではほとんど使われていないであろう物だ。本作はその無理難題に果敢に挑戦した作品であり、様々な工夫を凝らして論理的に設定を補強することで、非現実的な物を現実的にしている。まず、殺人事件の被害者を人間嫌いの若き天才女性科学者に設定して、十四歳の時から十五年間、密閉された部屋に閉じ籠もったまま一度も外に出ていないとする。それだけではファクターが足りないので、彼女はかつて両親をその手にかけたシリアルキラーであり、厳重に警護された研究施設で二十四時間、出入り口を監視されているとする。なぜ、両親を殺したのかを示すため、当時、被害者と交際していた男性を語り手にしたサブエピソードを随時挿入する。天才科学者であることを強調するため、研究施設を全てコンピュータ管理にし、そのOSを被害者自身が作成したとする。探偵役はその科学者に憧れる思考タイプの大学教授にして、助手役は教授のことが好きな感情タイプの女子大生にする。女子大生には幼い頃に両親を飛行機事故で亡くした過去を持たせ、被害者とオーバーラップさせる。後は怪しげな登場人物を周囲に配置すれば完成だ。
 このように、本作は非常に理路整然とした物語作りが成された作品である。余計な物が一切存在せず、全てがロジックの上に組み立てられている。それは逆に言うと、本当の天才探偵ならば、これらの設定からトリックを逆読みすることができるということだ。下手すると、この短い紹介文だけでも見破れるかもしれない。さて、犯人がどうやって密室に侵入し、どうやってそこから脱出したか、考えてみては如何だろうか?

・ヒント


 続いて、ヒントの出し方についてだが、こちらも設定同様に理路整然としているため、非常にシンプルで分かり易い。主人公達の捜査に合わせて、少しずつ設定の穴を埋めていき、少しずつ情報を追加していく。全体的に尺に余裕があり、この手のミステリーにありがちな捜査を混乱させる無能警察やあからさまに怪しいゲストなども登場しないため、一つの謎に対して実に丁寧である。コンピュータのプログラムにまつわる描写もリアルだ。通常、無駄が少ないと薄っぺらい作品になりがちだが、本作がそれを可能にしているのは、被害者のキャラクターが実に魅力的だからであろう。過去に両親を殺害し、十五年間も研究室に閉じ籠もっていた若き女性天才科学者。なぜ両親を殺したのか、なぜ今まで生きて来られたのか、なぜ姿を見せようとしないのか。密室殺人のトリック以上に彼女の生き様も謎に包まれているため、それを解き明かしていくことに対して興味が尽きない。それゆえ、視聴者もスムーズに作品世界の中へ入り込み、主人公と一緒になって謎に取り組むことができる。
 ただし、わざと間違った情報を流して視聴者を誘導する「ミスリード」の取り扱い方については、少し問題を抱えている。と言うのも、事もあろうか主人公側がそれに加担するからである。例えば、「なぜか被害者の見た目が実年齢よりも若い」や「なぜか被害者の妹が姉よりも老けている」という疑問がある。常識的に考えると誰もがおかしいと思うことだが、天才であるはずの主人公やヒロインが何だかんだと論理的に理由を付けて勝手に納得してしまうため、視聴者もそれに従わざるを得ない。すると、後で真実が明らかになっても、主人公に裏切られたような気持ちになって、何とも収まりが悪いのである。
 また、タイトルにもなっている「すべてがFになる」というキーワードが劇中に登場し、主人公はそれが今回の殺人事件において犯人が定めた一つのルールであると推理する。その推理は、確かに途中までは当たっていたのだが、当の犯人によって土壇場で反故にされ、結果的にまんまと逃げられる。つまり、タイトル自体が一種のミスリードになっているのである。それはどうなのか。犯人が主人公の推理力を逆利用するのはミステリーの常套手段だが、せめてタイトルぐらいは守って欲しい物だ。これでは悪意ある視聴者にネタバレされても文句は言えないだろう。ということで、「すべてがFになる」のFとは十六進数の最後の数字のことである。

・心理描写


 ミステリーでは犯人の動機も大切な要素だ。殺人という人類最大のタブーを通して、人間の心の在り様を確かめることも、ミステリーの楽しみの一つである。では、本作の犯人の動機は何か? これがまた非常に曖昧で掴みづらい物になっており、初見の視聴者に混乱をもたらす要因になってしまっている。と言うのも、犯行前にあるアクシデントが発生したせいで犯人の計画に支障を来たし、その結果、彼の思想が大きく変革したからである。目的自体は同じだが、目標は180度転換したと言っていい。そのため、一つの作品の中で二つの動機が混在するという複雑な状態になっている。
 犯人の目的はズバリ「自由になる」である。ただし、この自由という単語の定義は多岐に渡るので、そう一筋縄にはいかない。一般的に言うと、自由になるとは自分を束縛する物から逃れることを指す。犯人にとっては被害者がそれで、自由を得るために被害者を殺したということになる。しかし、犯人は極めて論理的な思考の持ち主である。この世のあらゆる物に合理性を求め、全てを数学的思考を割り切れると考えている。彼にとって人間の体は魂の入れ物以外の何物でもない。そのため、自由になるということは、肉体という不自由な檻から離れて、魂だけが旅立つことである。それはつまり「死ぬ」ことであり、殺人を犯すことで警察に捕まり、死刑になるのが犯人の動機だ、と主人公は考える。これまでの犯人の行動を総合すると、その推理は間違いなく当たっているはずだった。だが、そんな主人公の浅はかな考えをあざ笑うかのように、犯人は都会の雑踏の中へと姿をくらます。なぜなら、上記の通り、犯人は犯行の途中で根本的な思想を変えたからだ。そう、犯人はただ「文字通り」自由になりたかっただけなのである。
 正直、この犯人の動機の変節はあまり支持できない。もっと言うと、本作の最大の欠点だと考える。なぜなら、あれだけ論理的な思考に捕らわれていた人間がこうも易々と心変わりするとは考え難いし、前半で発したメッセージを自ら否定することになるからだ。もちろん、これを犯人の「心の成長」だと捉えることもできるのだが、それはそれで別問題である。単純にミステリーのトリックとしても卑怯だし、特に第二の殺人の方に大きな不具合を来たしている。それゆえ、もう少しミステリーの部分と心の成長の部分を分けて作ることはできなかったのだろうか。

・キャラクター


 原作は百万部近くを売り上げた人気小説である。当然、作品としての完成度は極めて高い。では、アニメ版も原作同様に名作になるかというと、残念ながら一概にそうとは言えない。小説とアニメでは表現方法も違うし、求められる物も違う。小説ではキャラクターの心理を全て文章で表すことができるが、アニメでは具体的な行動で表さないといけない。それはつまり、キャラクターの行動が面白くないと作品自体が面白くなることはないということである。さらに踏み込んで言うなら、主人公はかっこ良く、ヒロインは可愛くないとスタートラインにも立てないということである。
 本作のテーマは『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』と同じく「感情×論理」である。犯人が論理、ヒロインが感情、主人公が論理と感情の中間をそれぞれ象徴している。主人公は犯人の論理的思考に対して強い憧れを抱き、自分も犯人のように自由になりたいと人目をはばからず公言する。その一方で、食や服装に妙な拘りがあったり、ヒロインに意味のないジョークを言ったりするなど感情的な一面も持っている。そういった二面性は、ヒーローに必要不可欠な物だ。強いだけの男では、誰も親しみを持ってもらえない。人間離れした能力を持ちつつ、どこか憎めない人間臭さがあって初めて憧れのヒーローになれる。だが、何度も書いている通り、犯人は犯行途中で論理から感情へと思想を転換し、実に人間らしいハイブリッド思考の人間になる。すると、どうなるか? そう、犯人が主人公を完全に食ってしまうのである。キャラが被る、もしくはIT用語で言うところの「上位互換」という奴だ。また、それはヒロインも同様で、感情型の人間と言いながら、天才的な計算能力を持っている。両親を事故で亡くした哀しい過去を持っているが、良家のお嬢様なのでさりとて何不自由なく暮らしている。と、中途半端な二面性のせいで、こちらも犯人や被害者のキャラクターの前では霞んで見える。中盤で披露する水着姿などは、むしろ哀愁さえ漂わせているほどだ。
 やはり、物語の主人公たる物、他を寄せ付けない圧倒的な個性が必要ということなのだろうか。世に数え切れないほどの探偵物が溢れる中、少なくとも本作のアニメ版の主人公は、犯人の引き立て役になる程度の個性しか発揮できていない。映像作品らしいデフォルメとリアルな人間らしさ、そのバランスをどう取るかが小説のアニメ化の課題になるだろう。

・総論


 小説一冊に対して全十一話は過量なので、基本的に尺が余り気味である。その分、非常に丁寧に作られており、原作の世界観を十分に再現している。取っ付き難い点も多いが、ミステリー好きな方には文句なしでお勧めできる良作である。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆(8個)
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