『狼と香辛料』

原作に忠実。

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狼と香辛料とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2008年。支倉凍砂著のライトノベル『狼と香辛料』のテレビアニメ化作品。全十三話(テレビ未放送一話)。監督は高橋丈夫。アニメーション制作はIMAGIN。行商人の主人公と人狼のヒロインが旅をするファンタジーロードムービー。ファンタジーアニメにしては珍しく、市場経済と商取引をテーマにしている。幕間劇的な第七話は映像ソフトにのみ収録。

・脚本


 まず、先に純粋な脚本上の問題を処理しよう。本作は、原作小説の第一巻と第二巻を十二話分、約四時間かけてアニメ化している。小説の映像化の慣例から考えると、ややスローペースである。それだけ原作を忠実に再現しているということになるはずだが、実際に映像を目にすると非常にハイペースな印象を受ける。とにかく場面転換が早く、説明量も足りないため、視聴者の理解が追い付かない。特に目立つのが、とりあえず駆け足でストーリーを進めておいて、後から回想シーンで不足しているカットを補うという手法だ。ここぞという場面で使うならインパクトもあるだろうが、こうも多用されると時系列に混乱を来たして没入を阻害する。例えば、とある村で値段交渉人を営むクロエという女性(原作では男性)が、なぜ主人公の敵対勢力のリーダーになったのか、後から追記された短い回想シーンだけでは全く分からない。ちゃんと事前に彼女がヒロインの正体を疑う伏線を入れておかないと、それはサプライズでも何でもなく、ただ単に唐突なだけだ。奇をてらえばいいという物ではない。
 また、本作は市場経済をテーマに盛り込んだ異色の作品なのだが、肝心要の経済に関する専門的な解説を全く行わない。信用買いや債権譲渡といった専門用語を台詞だけで聞かされて、商取引に明るくない視聴者が十分に理解できるだろうか? 「主人公は取引先の商人からの依頼で、別の商人が持っている武具を信用買いの後払いという形で買い付けたが、武具の価格が暴落したことで商人は破産した。そのため、取引先の商人がその債権を買い取り、主人公に対して売掛金の全額返済を要求した」という一連の流れを初見で納得できた人はほとんどいないだろう。「つまり、どういうことになったのじゃ?」「つまり、後ろの荷物がゴミになったということだ」という簡素な会話で分かれと言う方が無茶だ。そもそも、この世界の法律や契約関係がどうなっているのかすら分からないため、どこまで現代的な感覚を持ち込んでいいのか判断できない。ならば、ある程度のリアリティを犠牲にしてでも、劇中で詳しく説明しなければならなかったはずだ。つまり、地の文でフォローできる小説と映像が全てのアニメとの表現方法の違いを考慮しなければならないということである。「原作に忠実」が決して最上の褒め言葉ではないことを改めて認識し直す必要があるだろう。

・ヒロイン


 遥か遠い昔、狼が麦の神様だった頃のお話。貨幣経済の発達により合理的な精神が浸透し始めた人々は、神秘なる物を世俗に引きずり降ろそうとしていた。ある日、辺境の村に訪れた行商人の主人公は一人の奇妙な女性と出会う。一見すると妙齢の女性だが、獣の耳と大きなしっぽを持っていた。彼女は何百年間も麦の神として村を守ってきた人狼だったが、人々の信仰心が衰えたことで力を失い、生まれ故郷の北の国へ帰ろうと麦の行商を営む主人公を頼ったのだ。思わぬ申し出に困惑する主人公だったが、彼女の純粋な気持ちに絆されて契約を結ぶ。こうして人間と人狼の不思議な旅が始まるのだった。
 と、大袈裟な紹介文を書いたが、要するに可愛らしいヒロインとのいちゃいちゃ二人旅を楽しむだけのアニメである。それ以上でもそれ以下でもない。冷静に考えると、なぜヒロインが主人公と旅をしているのかはさっぱり分からない。ヒロインにとって、主人公は何百年もの間に大勢出会った男性の一人に過ぎず、たまたま自分の目的と利害が一致しただけだったはずだ。年齢差を言うと、お婆ちゃんと孫というレベルではない。だが、旅を始めた時にはすでにお互いの好感度が高く、第三話ぐらいにはもう恋人同士のような関係になっている。齢数百の人狼にして「賢狼」とも称される百戦錬磨・頭脳明晰なヒロインが、大して商才もない平凡な行商人の主人公に惚れた理由は何か? 特にない。特にないが、ヒロインは自分の寂しさを埋めるために年甲斐もなく主人公に甘えまくる。すなわち、画面の向こうの視聴者に媚びまくる。要は、自分を構ってくれる男性なら誰でも良かったのだろう。いわゆる「構ってちゃん」という奴だ。
 それを抜きにしても、確かにヒロインは可愛い。設定の不備を忘れさせるほど可愛い。ただ、そのほとんどをCV担当の小清水亜美の演技力に負っている。あまり「最近の若者は~」とは言いたくないが、やはり昨今の若手声優とは演技の幅に格段の差がある。キュートなキャラとクールなキャラを演じ分けることぐらいはどの声優でもできるだろうが、大事なのはその中間をアナログ的に繋げられるか否かだ。それができないと、如何にも定型化した三流キャラクターになってしまうが、本作のヒロインは非常に幅広く奥深く、声優の演技力が作品にとってどれほど大切かを教えてくれる。

・主人公


 作画・シナリオ・演出、本作の欠点は多岐に渡るが、一番の欠点は何と言っても主人公その物だろう。これと言う特徴もなく、場面場面で思考がブレまくるので、最後の最後まで彼のキャラクターが掴めない。分かり易いのが第二話。ヒロインが「嘘を聞き分ける」という特殊能力の持ち主であることを知った主人公は、すぐにその能力を商売に生かそうと考えるのである。ドラマのセオリーに則ると、そんな非現実的な力に頼ろうと考える人間は、老獪な悪徳商人か右も左も分からない駆け出し商人のどちらかに相場は決まっている。前者はあり得ないから、当然、主人公は後者ということになるが、彼は決して駆け出しではなく、ある程度の経験を積んだ中堅行商人である。抜けている点はあるが、基本的に商談も巧みで、いざという場面ではやたらと饒舌になる。もっとも、他人の評価はまちまちで、「頭の回転は良いが経験が足りない」という意見もあれば「経験が過信を呼んだ」という全く正反対の意見もある。組合に信用されているような描写もあれば、最後の最後でようやく一人前だと認められたという描写もある。実際、劇中で何度も大きな失敗を犯しているし、女性に対する反応もあからさまに童貞臭い。と、このようにあらゆる面でバラバラなので、彼本来のキャラクターが全く分からないのである。
 これは単にシナリオの問題ではなく、作品テーマの問題である。つまり、本作のジャンルをヒーロー物として捉えるか、成長物語として捉えるかの問題だ。前者なら、もっと主人公は金儲けに対して貪欲でなければならないだろう。為替詐欺に出くわしたのであれば、それをただ通報して謝礼をもらうのではなく、その詐欺を逆に利用して自分だけが儲かるように誘導するぐらいのしたたかさがあっても良い。後者なら、もっと主人公を頼りない青年にして、幾つもの失敗を繰り返しながら成長していく様を描かないといけないだろう。だが、本作はどちらに対しても非常に中途半端だ。その結果、主人公は「ミスの多いベテラン」という最悪の位置に収まってしまっている。それでは、ますますヒロインの惚れる余地がない。
 なぜ、そんなことになっているのかには明確な理由がある。なぜなら、この作品は「ライトノベル原作」だからだ。ライトノベル原作アニメは、たとえ成長物語であっても主人公のかっこ悪さを描けないのである。何ともまぁ、つくづく自分で自分の首を絞めるのが好きな業界である。

・ストーリー


 本作は原作に忠実な二部構成である。第一話~第六話のストーリーは、銀貨の価値変動に乗じた詐欺事件を巡る争い……だったはずだが、いつの間にか人狼たるヒロインを巡る争いになって終了する。その際、狼神の気紛れに頼った従来の時代遅れの農業を近代化しないといけないという無駄にシリアスな社会問題が取り上げられる。全く関係ないわけではないが、繋がりは薄い。それなら、最初から旧来の風習を守る商業組合と急進的な考えを持つ行商人との争いにしておけば良かったのではないか。ちなみに、敵に捕らえられたヒロインを救出するために、なぜか行商人である主人公が単身敵陣に乗り込むが、実はすでに味方の私設軍隊が動いていたという訳の分からない展開になる。そして、最後は狼に変身したヒロインに助けられて一件落着……ヒロインを救出しに行く必要はあったのか? ストーリーにファンタジー要素を盛り込みたい気持ちはよく分かるが、もう少しプロットを整理しなければならなかったのではないだろうか。
 第八話~第十三話のストーリーは、冒頭で書いた通り、信用取引の事故によって膨大な借金を背負ってしまった主人公が、どのようにして借金を返済するかの物語である。期限はわずか二日。逃げれば、二度と行商人として活動することはできない。そこで、我らが主人公の取った起死回生の策は、何と「金の密輸」。前言撤回。こいつは悪徳商人だ。確かにその伏線は敷かれていたが、普通の主人公はそんなことをやらない。それはともかく、主人公は経営難の商人と手を組んで資金調達し、純真な羊飼いの少女を半ば騙す形で道案内に雇い入れて、金密輸を実行する。だが、他の街に行って金を買い付けるまでは良かったものの、案の定、帰り道で商人に裏切られて殺されそうになる。そして、最後は狼に変身したヒロインに助けられて一件落着……また同じパターンかよ。ストーリー的には何も問題はないし、ちゃんと起点と終点が繋がっているが、あまりにも安直過ぎないだろうか。物語の面白さの本質は、如何にして受け手の予想を裏切るかにあるはずだ。これでは何の驚きもない。仮にも経済ドラマを標榜するなら、武具の値段を吊り上げるために狼の大群を操って行商人を襲わせ、街の人々の危機感を煽り、武器商人同士を争わせて漁夫の利を得るぐらいのことはやってもいいのではないだろうか。正直、お世辞にもシナリオの質は高いとは言い難い。作画はご覧の通りだし、主人公のCVは合っていないし、結局は「ヒロインが可愛いだけのアニメ」である。

・総論


 全体的に満遍なくレベルが低い。深夜アニメなどこんな物と言われたら、それまでだが……。余程、ヒロインに思い入れがなければ、漫画『ナニワ金融道』を読んだ方が商取引の勉強になるだろう。

星:☆☆(2個)
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『聖剣使いの禁呪詠唱』

無制限。

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聖剣使いの禁呪詠唱 - Wikipedia
聖剣使いの禁呪詠唱とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。あわむら赤光著のライトノベル『聖剣使いの禁呪詠唱』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は稲垣隆行。アニメーション制作はディオメディア。二人の英雄を前世に持つ高校生の主人公が悪と戦う学園ファンタジー。禁呪詠唱と書いてワールドブレイクと読む。壊してどうする。

・主人公


 本作は「意図的に作られたクソアニメ」である。「そんな物、この世に存在するわけないだろう」と考える全国一億人の良識ある方々は、ぜひ一度、本作を見て欲しい。そうすれば、よく分かるだろう。アニメ制作スタッフが心の底から原作小説と原作者を馬鹿にしており、最初から良いアニメを作ろうという考えなど微塵も存在しないことが。
 クソアニメとそうでないアニメの違いなど一目瞭然だ。それは主人公がちゃんと物語の主人公をしているかどうかである。例えば、第一話。高校の入学式で居眠りをした主人公は、起床後、誰もいない講堂で二人の少女と出会う。彼女達はそれぞれ主人公と前世で因縁の間柄だったと語り、初対面の相手に濃密なスキンシップを要求する。こういった非現実的な状況に遭遇した時、普通の作品の主人公は一体どのような反応をするだろうか。驚いたり、怒ったり、逃げ出したり、反応自体は三者三様だろうが、物語の大きな転換点なのだから脚本的にも演出的にも極めてドラマチックなシーンとして描かれるはずだ。だが、本作の主人公はほぼノーリアクションのやれやれ系。それどころか、まるでよくある日常風景かのようなドタバタギャグとして処理される。当然、主人公のプロフィールや性格・趣味・特技、これまでの成育歴等は何一つ分からない。ところが、その後、彼は戦闘実技で辱めを受けたヒロインの復讐を果たすため、いきなり相手に決闘を挑む。何の戦闘スキルも持たないのに、だ。その間の葛藤はおろか心理描写すら一切ない。彼は入学式で居眠りをするようなグータラ人間ではなかったのか。ライトノベル原作アニメにおける男性主人公の扱いは総じて軽いが、ここまでどのような人間なのか分からない主人公は記憶にない。
 また、その作品特有の世界観を何も知らない視聴者に伝えるのも、主人公の大事な役目である。主人公自身がモノローグで語るパターンもあるが、無知な主人公が視聴者と一体になって未知なる世界を体験するパターンの方がより没入感が得られる。だが、本作はそのどちらもやろうとしない。他のキャラクターが代わりに説明することもない。それゆえ、最後の最後まで作品の世界観が分からないのである。どうやら舞台は現代の日本らしいが、魔法的な物が普通に存在する。一方、主人公の記憶にある前世の光景は、どう見ても中世ファンタジーである。ここはどこ? 私は誰? 前世の記憶をどうにかする前に、現世の記憶をどうにかしろと言いたい。

・設定


 仕方ない。主人公が劇中で全く設定を語ってくれないので、Wikipediaの解説文をそのまま引用しよう。「どこからともなく現れる異形の怪物『異端者』を倒すことの出来る者達・救世主(セイヴァー)の育成のために、前世の記憶を持つ人間が集まる亜鐘学園。ここで聖剣の守護者フラガと冥王シュウ・サウラの二つの前世を持つ少年・灰村諸葉(はいむら もろは)が、前世で出会った二人の少女と再び出会う。聖剣の巫女サラシャの前世を持つ嵐城サツキ(らんじょうさつき)と冥府の魔女の前世を持つ漆原静乃(うるしばらしずの)。二つの前世が目覚める時、最強の救世主が誕生する!」……ということらしい。何が凄いって、今初めて知った情報が半分ぐらいを占めている上に、未だに舞台である日本の歴史や怪物の目的、救世主の役割が何も分からないことである。こんな物は間違いなく前代未聞だ。映像作品としての良し悪しを語る以前に、スタートラインにすら立っていないということを制作者が気付く日は来るのだろうか。
 さて、これらの設定の中で、本作独自にして最大の売りは「前世」にまつわることである。だが、それは同時に最も説明不足な点でもある。主人公はかつての英雄の生まれ変わりで、強大な力を受け継いでいる。だが、彼自身はその記憶をほとんど持っていない、という基本設定は理解できる。しかし、その前世が彼の人格形成にどのような影響を与えているのかがさっぱり分からない。上述した通り、主人公は基本的には怠惰で漫然とした深夜アニメの主人公らしい性格の持ち主である。だが、バトルが絡むと急に態度が大きくなり、余裕綽々で敵を見下したり、上から目線で説教をしたり、時には暑苦しい啖呵を切ったりする。もし、それらが前世の記憶による物だとしたら、彼本来の人格は何なのかという疑問が生まれてくる。現世の主人公は実戦経験もなければ、戦闘訓練を受けたことすらないのだ。そんな普通の人間が急に尊大な態度を取り始めるのは、明らかにイレギュラーであり、違和感が果てしない。
 まともなストーリーテラーなら、現世の人格と前世の人格をまるで二重人格のように描き分け、自他共にそのギャップに驚く様を強調するだろう。例えば、漫画『寄生獣』の主人公は、寄生生物と融合したことで次第に非人道的な性格になっていく。そのことに対して本人自身が悩み苦しみ、人間らしさとは何かを自問する。それが物語という物だ。本作にしても、なぜか残酷な戦闘場面に直面しても冷静でいる自分に戸惑い、己の中の英雄を制御できずに苦しむといった描写があってしかるべきではないだろうか。何の抵抗もしないまま前世の人格が現世の人格を支配するなら、それはただの恐ろしい肉体乗っ取りでしかない。

・制限


 本作の主人公は、いわゆる「最初から最強のチート主人公」である。この世に生を受けた時点で世界最強であり、ゆえにあらゆる鍛錬や修行を必要としない。どんなに巨大な化け物も一人で倒すことができ、本気を出せば地球の地形すら変えることができる。ただ、勘違いしてはならないのは、「力があること」と「力を使いこなすこと」は全く別の概念だということだ。そして、その両者を混同している作品は、どう転んでも絶対に面白くはならないと断言できる。
 スポーツを例に挙げよう。サッカーは手でボールを触ってはいけない。バスケットボールはボールを持って歩いてはいけない。バレーボールはボールに三回しか触れてはいけない。といった形で、ルールにわざと不便さを盛り込んでいる。なぜ、そのようなことをするかと言うと、その不便さを解消しようとプレイヤーが創意工夫するによって、そこに「ゲーム性」が発生するからだ。技術を磨いたり、戦術を練ったり、チームワークを鍛えたりするのはそのためである。そこで必要になるのは「制限」という考え方である。どれだけ強大な力を持っていても、それを使いこなすのに十分な技量が必要になる。そういった制限を加えることで、ただの力押しに頼らないゲーム性のあるバトルの面白さが生まれる。だが、本作の場合はほぼ「無制限」。それはサッカーで言うと、いきなり主人公がボールを持って走り出し、一人でゴールを量産するような物である。確かに常人離れしているが、そんな物はやっている方も見ている方も面白くも何ともない。もちろん、本作も「前世の記憶を忘れている」という形で簡単な制限をかけているのだが、それを思い出すのに何の鍵も必要とせず、さらに思い出した呪文もただ威力が高くなっただけの単純な攻撃魔法なので、ほとんど無意味だ。
 また、無制限はストーリーにも悪影響を与える。第九話~第十話は、救世主団体のロシア支部に対して「たった一人で戦争」(原文ママ)を仕掛ける話だが、末端の組織から一つずつ潰していって最後に本部に辿り着くというゴリ押しにも程がある頭の悪い戦略を用いている。しかも、高校生だから健全な電車移動。平和ボケにも程がある。まぁ、それも仕方ない。真正面から戦っても必ず勝てるのだから、知略や謀略を巡らせる必要が全くないのである。だったら、寄り道せず真っ直ぐに向かうのは理に適っているが、物語的には死ぬほどつまらないと言わざるを得ない。

・クソアニメ


 等々、本作の欠点を書き連ねてきたが、実はこれらが最大の欠点ではない。一番の問題点は、全てにおいて明らかに「かっこ悪い」ことである。本作は、視聴者ターゲットである中高生がかっこ良いと思うような物をこれでもかと詰め合わせているのだが、それら一つ一つが悉くダサい。子供が剣を振り回しているようにしか見えないバトルシーンの殺陣に始まって、半 年 前、中二病丸出しの呪文名、無駄に細かいランク付け、主人公達が所属する討伐グループの英語のスローガン、世界を支配する秘密組織、幼稚園児レベルのモンスターデザイン、謎のカーチェイス、乱用する禁呪、ヒロインのトレーニング、ハードボイルド小説のような台詞回し、スマートホンで翻訳、捕虜を拷問、主人公しか使えないという兵法、そして、空中に指で文字を書く呪文詠唱。特に呪文詠唱に至っては、どう考えても早回しコントにしか見えないというお粗末さ。『チャップリンの禁呪詠唱』にタイトルを変えた方がいいのではないか。
 なぜ、ここまでかっこ悪いのか。逆説的だが、「かっこ悪さを描かなかったから」と言うことができる。例えば、本作のアニメ版オリジナルのラスボスは、主人公達と前世から因縁のある悪しきドラゴンである。おそらく、前世ではどうやっても勝てなかったであろう相手だ。それが成長はおろか劣化しているはずの現世で倒せた理由は何か? それはもちろん「仲間と協力したから」である。通常なら王道の感動物語になるところだが、本作では仲間の協力はあくまで応援程度であり、結局は主人公一人の力で倒したことになっている。なぜなら、仲間の力を借りて敵を倒すと、前世の主人公の弱さを認めることになってしまうからだ。この矛盾である。主人公を持ち上げるために、仲間すら犠牲にするのである。結局、真のかっこ良さを描くには、ある程度のかっこ悪さを同時に描かなければならないということであり、それを嫌った結果、見事なまでのダサさが生まれるという本末転倒な事態になっている。
 どちらにしろ、どれだけ原作がダメでも、アニメスタッフがもっと良い作品にしようと思って努力すれば、幾らでも良作になれたはずだ。だが、本作は悪い意味で原作をそのままアニメ化し、意図的にツッコミどころ満載のかっこ悪いクソアニメにすることで、手数を掛けずに視聴者の耳目を集めようとしている。いわゆる「実況向きのアニメ」という奴である。実際、第十話と第十二話は酷過ぎて逆に面白い。そういう意味では、制作者の目論見は成功していると言えるのかもしれない。しかし、意図的に作られたクソアニメは、やっぱりクソアニメである。それゆえ、世間が本作を評価することはないし、こうなってはいけないという悪い見本にしかならない。

・総論


 ちなみに、公式サイトのイントロダクションはこうである。「私立亜鐘学園高校。そこは前世の記憶に目覚めた若者たち――「救世主(セイヴァー)」が集う学び舎。ある者は、前世の記憶をもとに自らの進退から《通力(プラーナ)》を汲み出し武器と体術の戦技をもって敵を砕く「白鉄(しろがね)」となり、またある者は、物理を越える異能《魔力(マーナ)》を自在に操り、この世にあらざる魔術の業で敵を滅ぼす「黒魔(くろま)」となる。そんな亜鐘学園に、一人の少年が入学した。彼の名は「灰村諸葉」。史上初めて、白鉄と黒魔の二つの前世《剣聖×禁術保持者》の力に目覚めた彼は、それぞれの前世で永遠の絆で結ばれた最愛の少女2人とも同時に再開を果たし、誰よりも特別な運命を歩み始める――」(原文ママ)

星:★★★★★★★★★(-9個)
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